太宰治『満願』ってどんな作品?登場人物、あらすじを詳しく解説

太宰治作『満願』のあらすじ、登場人物、解説を紹介するページです。

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『満願』の登場人物


三島市の知り合いの家の二階で一夏を過ごし、ロマネスクという小説を書いている。

医者
西郷隆盛に似ている。文学よりも哲学を好み、原始二元論という世界観を有している。

医者の奥さん
小柄のおたふく顔であるが、色が白く上品。

若い女の人
肺病の夫の薬をもらいに医者を訪れる。簡単服に下駄をはき、清潔な印象の婦人。

『満願』のあらすじ

 四年前、伊豆の知り合いの家の二階で一夏を過ごしていた時のことです。「私」は酒に酔いながら自転車に乗り、怪我をしました。
 あわてて医者に行きましたが、医者が「私」と同じくらいに酒に酔って診察室に現れたので、二人声を合わせて大笑いをしました。

 それから「私」と医者は仲良くなりました。医者の家では五種類の新聞を取っていたので、「私」はそれを読ませてもらいに毎日散歩の途中に立ち寄りました。「私」が縁側で新聞を読んでいると、薬を取りに来る若い女の人がいました。
 奥さんが教えてくれたところによると、その女の人の夫は小学校の先生で、三年前に肺病にかかり、最近どんどんと良くなりました。医者はその若い奥さんに夫婦生活を禁じましたが、時々不憫に思い、「奥さま、もうすこしのご辛棒ですよ」と叱咤するようでした。

 八月の終わり、その若い女の人が、飛ぶようにして歩き、白いパラソルを回しました。医者の奥さんは、「けさ、おゆるしが出たのよ」と私に言いました。「私」は胸がいっぱいになり、年月が経つほど、その女性の姿が美しく思われるようになりました。あれは、医者の奥さんの「さしがね」かもしれません。

作品の概要と管理人の感想

 昭和十三年発表の『満願』は、文庫本で三ページに満たない小品です。太宰治自身であろうと思われる「私」が訪れた三島市を舞台にして、そこで出会った医者夫婦と若い婦人との、心温まるストーリーが書かれた作品です。

 肺病の夫の薬をもらいに医者を毎日訪れる若い婦人は、夫婦生活を三年間も固く禁じられていました。その夫の病気が最近になってめきめきと良くなり、医者はその若い婦人に「おゆるし」を出します。喜びに満ち溢れた婦人が飛ぶように歩き、パラソルをくるくるとまわす光景を見て、「私」は美しさを感じ、「あれは、奥さんのさしがねであったかもしれない」と締めくくられます。
 この「さしがね」とは一体何を指すのでしょう。さまざまな考え方があるようですが、その中から、私見を交えた二つを解説していこうと思います。

①若い婦人を幸福にするために、奥さんが夫に助言を与えた。

 若い婦人に「おゆるし」を出すのは、医者である夫なので、奥さんは夫に対し、「おゆるしを出すように」という「さしがね」を送ることはできません。ただし、「おゆるしの出し方」に関する「さしがね」を送ることはできたはずです。
 夫の肺病が良くなり、「おゆるし」が出ること自体は非常に喜ばしいことです。しかし、夫婦生活という、なかなか立ち入られたくない機微な問題を、男性である医者が(たとえ無意識であったとしても)心無い言葉で伝え、若い婦人の幸福に水を差してしまうことがないともかぎりません。ましてやこの小説が書かれた当時の若い女性ですから、夫婦生活に関しての話題は、たとえ医者からのものであったとしても、できるだけ避けたいものだったに違いありません。
 医者である夫の努力、そして三年間も耐え続けた婦人の努力を、誰よりもそばで見ていた奥さんは、二人の関係を気まずいものにしないように、「その時は、このような言い方をするのですよ」というさしがねを夫に送ったのではないでしょうか。その言葉がどのようなものであったのかは想像がつきませんが、女性ならではの、思いやりに富みながらも、若い婦人に恥をかかせない言葉選びを、夫に教えたのです。
 そしてその試みは大成功を収め、若い婦人は何ら嫌な思いをすることなく、医者からの「おゆるし」を受けることができました。その若い婦人から溢れ出る一片の曇りもない喜びが、作家である「私」に、非常に美しい印象を与えたのではないでしょうか。

②作家である「私」を幸福にするために、奥さんが喜びに満ち溢れる婦人の姿を見せた。

 この作品のどこまでがフィクションで、どこからがノンフィクションなのかはわかりませんが、実際の太宰治は、昭和九年七月末から昭和九年八月末まで、この作品の舞台である三島市を訪れています。この作品における「私」とは太宰治自身と見て間違いはない(もしくは、「私」が太宰自身であると読者が思い込むと想定して書かれている)でしょう。
 昭和九年当時の太宰治は二十五歳でした。その四年前、太宰はカフェの女給と心中事件を起こし、女性だけが亡くなっています。また、二十三歳の頃には、非合法運動によって拘留されています。この物語の奥さんは、そのような時期の太宰が投影された「私」の危うさを見抜き、救おうとしたのではないでしょうか。
 奥さんは、女性が訪れて来る時間に、「私」が家を訪れるように仕向け、おゆるしが出た喜びに満ち溢れている女性の美しさを見せることで、「私」に生きる希望を与えようとしたのです。若い婦人は奥さんから送られた「さしがね」を無意識に受け取り、無意識に「私」を救うという目的に加担したのです。

二つの私見を紹介しましたが、他にもさまざまな考え方があると思います。しかし、いずれにしても、奥さんの思いやりに満ちた粋な計らいが、「さしがね」という表現になっているのは間違いなさそうです。「私」が目の当たりにした若い婦人の美しさは、懸命にその婦人を励まし続けた医者と、それを見守り続けた奥さんの優しい心根によって、何倍にも引き立てられたことでしょう。