太宰治『おさん』ってどんな作品?登場人物、あらすじを詳しく解説

 一九四七年発表の太宰治の短編『おさん』の紹介です。『おさん』とは一七二〇年に初演された近松門左衛門作の人形浄瑠璃の戯曲『心中天網島』の登場人物です。大阪天満宮に住むおさんは、紙屋を営む治兵衛の貞淑な妻でした。しかし治兵衛は遊女の小春と深い仲になります。悲嘆にくれたおさんは、自分の心の中は、鬼や蛇のようになってしまいますよ。という意味で、次のように歌います。

女房のふところには
鬼が棲むか
あああ
蛇が棲むか

太宰治『おさん』より

 太宰治作の『おさん』は、夫に浮気をされる女性が語り手の一人称小説です。語り手である「私」は三人の子供を抱えています。夫は仕事を持たず、貧乏な生活を余儀なくされています。縁側で煙草を吸っているかと思うと、ふらっと出かけたまま夜は帰りません。それでも「私」は、夫への恋心を棄てられず、家庭を明るくしようとふるまいます。そのような自分を『心中天網島』のおさんになぞらえ、嘆きながらこの歌を思い出すのです。

 太宰治が好んで描く一人称女性の小説の中でも、とりわけ健気で哀しい女性が描かれた作品です。

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ヴィヨンの妻 (新潮文庫)

『おさん』登場人物


八年前に見合い結婚する。三人の子供を抱える。


八年前に「私」と見合い結婚をする。雑誌社に勤務していたが、「私」たちが青森に疎開をしている間に、仕事場が罹災し、出版社を起こすも失敗し、もともとの会社の女記者と関係を持つ。

マサ子
長女。配給の豆が芽を出したのを喜び、自分の財産にしている。

義太郎
長男。

トシ子
次女

『おさん』あらすじ

 夫が魂が抜けた人のように情けない後ろ姿を見せて出ていきました。庭で遊んでいた七つの長女のマサ子は、父親のことを慕っていました。「お父さまは?」と聞くマサ子に、私は「お寺へ」といい加減な返事をしました。マサ子は寂しそうにしています。お盆だというのに、うちの子供だけが粗末な洋服を着ています。
 子供は三人になりましたが、夫が仕事を手伝わないため、家の畑には雑草が繁茂していました。配給の豆を埋めたのが芽を出して、それがマサ子の唯一の自慢の財産となっていました。その豆には花が咲いていました。

 夫は神田の有名な雑誌社に十年近く勤めていました。八年前に私と見合い結婚をして、中央線沿いの貸家を探し当て、戦争までずっとここに住んでいました。夫は体が弱く、召集から逃れましたが、近くに爆弾が落ちて自宅が半壊し、私とマサ子と長男の義太郎は、三人で青森の生家に帰り、夫は雑誌社に勤務し続けました。
 しかし青森市が空襲を受けると、私たちは荷物を全て消失し、知り合いの家に転がり込みました。その間に無条件降伏となり、夫のところへ帰ってきたのでした。そして半壊の家を大雑把に修理してもらい、東京に落ち着きました。
 その頃から夫は変わってしまいました。夫の会社は罹災して解散になり、出版関係の知り合いと新しく出版社を起こしましたが、それも失敗したようでした。その失敗の穴埋めをどうにか終えると、夫は仕事の気力を失ってしまったようです。魂が抜けたかのように縁側に座って煙草を吸っていると思うと、そっと玄関から抜け出して、夜は帰らなくなります。昔は優しい夫であったのに、いったいいつからあのように変わってしまったのだろうと、私は苦しみました。

 私が井戸端で次女のトシ子のおむつを洗濯していると、夫が思わず私に頭を下げながら家に入って行きました。妻に頭を下げるほど夫が苦しんでいるのだろうと思った私は、配給のビールが届いていると夫に告げました。夫は、一本ずつ飲みましょうか、などと見え透いたお世辞のようなことを言いました。うわべは一家団欒のようですが、どうしても気まずくて話が弾みませんでした。
 私は夫の顎のしたにむらさき色の蛾のような形の痣があるのに気づきました。夫は私に気づかれたのを知ったらしく、そのかまれた後を覆い隠しました。私は知らないふりをしてマサ子に話しかけました。
 するとラジオからフランスの国家が流れると、夫は、今日はパリ祭だと言い、マサ子に向かって、「七月十四日、この日はね、革命‥」、と言ったところで涙をこらえている様子でした。
 そして、新しい秩序の再建ができないことがわかっていながらも、民衆はパリを破壊した、革命の本質はそのようにかなしくて美しいのものなのだ、と言って、泣きながら六畳間へ行ってしまいました。
私は夫が革命のために泣いたわけではないことをわかっていました。しかしフランスの革命は、家庭における恋と似ているのかもしれません。かなしくて美しいもののために、フランスのロマンチックな王朝も、平和な家庭をも、破壊しなければならない辛さ、その夫の辛さはわかりますが、私も夫に恋をしているし、三人の子供がいます。私は紙治のおさん(注1)のように

女房のふところには
鬼が棲むか
あああ
蛇が棲むか

というような悲嘆の歌を思います。

注1)浄瑠璃「心中天の網島」の貞淑な妻。夫は大阪の紙屋を営み、遊女の小春と恋に落ち、心中します。

 私が子供たちと寝ようとすると、夫は隣室から、睡眠剤がなかったかと聞きます。私は昨日全て飲んでしまって、それは全く効かなかったと言うと、夫は、飲みすぎると帰って眠れないのですと、不機嫌に言いました。

 暑さと心配で食べ物が喉を通らなくなり、私は子供にあげる乳の出も細くなりました。夫も食が進まない様子で、いっそ発狂したら気が楽だ、などと言います。私が同意すると、夫は、私のような正しい人は苦しいはずはないと言います。私が「あなたがお苦しそうだと、あたしも苦しいの」というと、夫はほっとしたように微笑んで「なんだ、つまらない」と言いました。私はそれを見て幸福になりました。そして、道徳も何も関係なく、夫の気持ちが楽になれば、自分の気持ちも楽になるんだと思います。私はその夜、「なんとも思ってやしないわよ」と言いながら、夫の蚊帳の中に入りました。
 夫は、いつでも私のことを気にかけていて、その点に関して私はどんなに自信を持っても持ちすぎることはないと改まって言います。
 それを聞いた私は、いっそ夫に嫌われていた方がどれほど楽になるかと思います。自分のことをそれほど思いながら、他の人を抱きしめている夫の姿を想像することが、私を地獄へ突き落とすのです。男の人は、ほかに好きな人ができても、妻を忘れないというのを良心的だと思っているのではないでしょうか?道徳に煩悶して憂鬱になっている夫が、もし平気で快活にしていれば、妻の方も地獄の思いをせずに済むのです。他の人を愛すなら、あっさり無心に愛してほしいと私は思います。
 夫が「エキスキュウズ、ミイ」などと冗談を言うので、私は「にくいひと」と言って寝室に戻りました。
 しかし私は久々に夫に甘えられたのが嬉しくて、それからは道徳なんてどうでもいいと思い、夫に甘えて冗談を言っているうちに家庭に笑い声が戻ってきました。

 ある朝、夫が温泉に行きたいと言い出しました。私は夫のよそゆきの麻の夏服を押入れから取り出そうとすると、それは無くなっていました。夫はそれを売ったと言います。女の人のためにお金を作ったに違いありません。夫は開襟シャツ一枚で出かけて行きました。にわか雨がやむと、逃げるように夫は出かけ、それから三日後に、諏訪湖心中の記事が新聞に小さく出ました。
 夫の手紙には、自分は恋のために死ぬのではなく、ジャーナリストとして、人に革命や破壊をそそのかしておきながら、いつも自分はそこから逃れていることへの自己嫌悪から、自ら革命家の十字架に登る決断をした。ジャーナリストの醜聞を改めたいがための行為だと書かれていました。
夫の友達から聞いたところによると、夫の以前の勤め先の、神田の雑誌社の二十八の女記者が、私が青森に疎開している間に、この家に泊まりに来ていたようです。
 妊娠したというだけで、革命だなどと大騒ぎして死ぬ夫を、私はつくづく駄目な人だと思いました。その女の人を公然と楽しく愛して、妻の私も楽しくなるように愛してやることがなぜできないのでしょうか。
 気の持ち方を軽く変えるのが真の革命で、それさえできればなんのむずかしい問題もないはずです。自分の妻に対する気持ち一つ変えることができず、革命の十字架もすさまじいものです。子供三人を連れて夫の遺体を引き取りに行く汽車の中で、私は、悲しみや怒りを感じるよりも、呆れ返った馬鹿馬鹿しさに身悶えしました。

管理人のコメント

 太宰治の得意とする、ダメな夫を持つ女性を語り手とした作品です。同じ年に発表された同じ一人称女性の作品『ヴィヨンの妻』に比べると、夫の絶望の度合いが格段に上がっています。『ヴィヨンの妻』における主人公の夫もまた、絶望に囚われて浮気を繰り返していますが、どこかちゃっかりとしているような、おかしみのある人物として描かれていました。しかしこの『おさん』の夫は、もう余裕が全く残されていません。ただただ絶望に囚われています。しかしそれでもその男は妻への気持ちを取り繕い、革命などという大義名分を立てて、浮気相手と諏訪湖に飛び込みます。
 そんな夫に対し、妻である「私」は、なぜ女の人を公然と楽しく愛して、妻の自分も楽しくなるように愛してやることができないのか、と幻滅します。
夫に幻滅した「私」は、悲しみや怒りよりも、馬鹿馬鹿しさに呆れ返ります。夫の情けない死によって、恋から解放され、救われたと言ってもいいでしょう。悲恋に身を焦がして共に死ぬよりも、よっぽと良い選択をしたと思えます。
 この作品が書かれたのが、太宰治が自殺する前年のことで、この頃の太宰治の作品は、自殺を念頭に書かれているというか、非常に痛々しく余裕がなくなっている印象を受けます。管理人の勝手な想像になりますが、太宰治がこの作品でこのような結末を選んだのも、自分の死後に残された人々に、自分を愛し続けてくれるよりも、この妻のように幻滅してほしいと思っていたためなのかもしれません。