ノーベル賞作家アンドレ・ジッドの『狭き門』の登場人物、あらすじ、作品の概要、感想を紹介するページです。
※ネタバレ内容を含みます。
『狭き門』の登場人物
ジェローム・パリシエ
語り手。十二歳にもなっていなかった頃に医者の父の亡くし、パリに移り住む。休暇のたびにル・アーヴル近郊のビュコラン家を度々訪れ、従姉のアリサと恋に落ちる。勉強好きで内省的な青年。
アリサ・ビュコラン
ル・アーヴル近郊のフォングーズマールに住む、優雅で美しいジェロームの二つ歳上の従姉。母親の不貞に心を痛めていた。愛するジュロームとの幸福と、自らの信仰との間で葛藤する。
ジュリエット・ビュコラン
ジェロームの一つ歳下の従妹。アリサの妹。快活で、姉とは異なった美しさがある。ジェロームがフォングーズマールを訪れると、毎朝のようにアリサへの恋についての話に耳を傾ける。
ロベール・ビュコラン
ジェロームの年下の従弟。アリサとジュリエットの弟。これといって特徴のない少年であった。ジェロームと同じパリの中学校の寄宿舎に入る。
ビュコラン叔父
ジェロームの叔父。アリサ、ジュリエット、ロベールの父親。もともと外国の銀行に勤めていた。ヴォーティエ家との付き合いの中でリュシルに熱を上げ、結婚する。
リュシル・ビュコラン
ジェロームの叔母。ビュコラン叔父の妻。植民地生まれ。両親を知らずに育ち、ヴォーティエ牧師に引き取られ、十六歳でビュコラン家に入る。器量が良く、派手な服装をしており、時々発作を起こす。中尉の男と不貞を働いていた。
ジェロームの母
ル・アーヴルで医者をしていた夫を亡くしたため、ジェロームが学業をおさめるのに都合のよいパリに移り住む。ひ弱な質のジェロームがパリで生活することを心配し、ビュコラン家やプランティエ家のあるル・アーヴルへと度々連れて来る。
ヴォーティエ牧師
ル・アーヴルの牧師。幼い頃のリュシルを引き取っていた。
アベル・ヴォーティエ
ヴォーティエ牧師の息子。にこやかで屈託のない少年。ジェロームの数少ない友人。脚本家を目指している。パリへ行ったジェロームの後を追い、同じクラスに入る。ジェロームとともにフォングーズマールに滞在し、ジュリエットに恋をする。
フェリシー・プランティエ
ル・アーヴルの丘の中腹に広い家を構えるジェロームの叔母。未亡人。よく気が利き、ジェロームの恋の手助けを試みる。せかせかした性格で、早とちりな一面がある。
ミス・フローラ・アシュバートン
元は母の家庭教師。現在は友達として、パリの新居で同居する。
エドゥワール・テシエール
葡萄作りの商人。ジュリエットの求婚者。
『狭き門』のあらすじ
ル・アーヴルに住んでいた少年ジェロームは、父の死をきっかけに、母とその友人のミス・フローラ・アシュバートンと共にパリへと移り住みました。
母とミス・アシュバートンは、ひ弱だったジェロームをパリの生活から逃れさせるため、ル・アーヴル近郊のフォングーズマールにある、ビュコラン叔父の家を度々訪れました。
ビュコランの家には、ジェロームのいとこにあたるアリサ、ジュリエット、ロベールが暮らしていて、三人はジェロームと親しんでいました。ジェロームよりも二歳年上のアリサと一歳年下のジュリエットは、美しい姉妹でした。
ビュコラン叔父の妻リュシルは、植民地生れの両親を知らない娘でしたが、ル・アーヴルの牧師ヴォーティエに引き取られた後、十六歳の頃に叔父と結婚しました。彼女は時々発作を起こし、まだ少年であったジェロームを誘惑しました。
父の死から二年後、ジェロームは復活祭の休暇をル・アーヴルに住む未亡人プランティエ叔母の家で過ごし、すぐそばにあるビュコラン家を往復する生活を送りました。ある日、ジェロームはフォングーズマールへと行き、リュシルが見知らぬ男を部屋に連れ込んでいるのを目にしました。アリサが母親の不貞に気付いて嘆き悲しんでいるのを見て、ジェロームは心を打たれました。
ジェロームの一家がパリに戻るとすぐにリュシルが家出をしたことが知らされ、ジェロームは再びル・アーヴルに戻り、教会でアリサたちと会いました。ヴォーティエ牧師は、「力を尽して狭き門より入れ。滅びにいたる門は大きく、その路は広く、之より入る者おおし。生命にいたる門は狭く、その路は細く、之を見いだす者すくなし」という説教を行いました。
ジェロームはパリに帰ると、同じ中学校の寄宿舎に入ったヴォーティエ牧師の息子アベルとの親交を深めました。
翌年の夏、ジェロームはアリサに自分の想いを伝えました。アリサもまたジェロームのことを愛しました。更にその翌年、心臓を患っていた母親の死を経て、ジェロームは四月の復活祭をフォングーズマールで穏やかに過ごしました。しかしアリサは、自分との婚約についてジェロームがジュリエットに話すのを聞くと、何故かジェロームから遠ざかるようになりました。アリサの態度に不安を感じたジェロームは、婚約を申し込みましたが、アリサは今のままでも十分に幸福だと答え、それを受け入れませんでした。
パリに戻った後も、婚約を待ってほしいという手紙をアリサから受け取ったジェロームは、アベルに相談しました。アベルは不意にアリサを訪ねてみることを提案し、自分も一緒にフォングーズマールへと向かうことを決めました。
ジェロームはアベルとともにフォングーズマールへ行き、再び婚約を申し込むつもりでしたが、アリサと手を取りながら歩くうちに、今のままでも十分に幸福に思われ、婚約の話を進展させようという気にはなれなくなりました。一方、アベルはジュリエットに恋をするようになりました。
しばらくはアリサとの関係に満足し、毎週のように手紙を書ていたジェロームでしたが、徐々に不安を募らせるようになりました。その気持ちを押し隠すことができなってプランティエ叔母に泣きつくと、叔母はアリサがジュリエットよりも先に結婚したくないと思っていることを聞き出してくれました。
その後、ジェロームは、取り乱したアベルによって、ジュリエットが自分に恋をしていて、アリサが身を引こうとしていたことを知りました。
ジュリエットはジェロームへの恋心を募らせながらも、葡萄の商人であるエドゥワール・テシエールという男に求婚されており、心を乱されて失神しました。ジェロームはこれ以上姉妹に会うことを止められ、パリへと戻ることになりました。
ジュリエットはしばらくして、ジェロームから手を引くことを決心し、エドゥワールと結婚し、子宝に恵まれて幸福になりました。
ジェロームは兵役に耐えながら、アリサとの文通を続けました。アリサは手紙の中でジェロームへの深い愛を綴りましたが、同時にジェロームと会うのを恐れてもいる様子でした。
除隊したジェロームは、二人が最後に会ってから一年以上経って、ようやくアリサと再会することができました。しかし、アリサはジェロームと二人きりになるのを避けようとしているようで、二人の時間ができても、気まずさが募るだけでした。プランティエ叔母が二人の関係を早とちりして、婚約のことを聞き出そうとしたことも重なり、アリサはその気まずさに耐えられなくなったようでした。その後ジェロームは、アリサが自分のことを愛していながらも絶望を感じ、自分から遠ざかりたがっていることを手紙で知り、苦悶しました。
同じ年の暮れ、ミス・アシュバートンが死んだため、ジェロームは再びアリサに会いました。しかし、二人はほとんど会話を交わすことなく、アリサは四月の復活祭までは手紙のやりとりをしないことを約束させました。
四月になると、ジェロームは再びフォングーズマールに行きました。そしてこの期間中にアリサが自分と距離を置きたいと思ったら、そのことを知らせるためのしるしを決めておこうと提案し、夕方の食事にアリスがアメジストの十字架を首にかけていなかったら、すぐにフォングーズマールを出ていくと約束しました。ジェロームは、普段通りにアリサに接するよう心掛け、アリサが自分への恐れの感情を薄れさせていると感じました。しかしジェロームが、それまで避けていた結婚の話題を切り出そうとすると、その途端にアリスは青ざめ、自分の魂が望んでいるのは幸福ではなく、清らかさなのだと言って、ジェロームとの結婚を拒絶しました。その数日後、アリサはアメジストの十字架をつけずに夕食に現れ、ジェロームは絶望しながらフォングーズマールを後にしました。
パリに戻ったジェロームは、何度かアリサと手紙のやりとりを行いました。恋こそが善きものなのだと説くジェロームに対し、アリサは恋によって満ち足りた気持ちが絶望に変わり、自分が他の幸福のために生きているのだと確信するようになったという手紙を返しました。彼女は手紙のやり取りすらやめようと言い始め、その代わりに九月の終わりに再びフォングーズマールに来るようにとジェロームを誘いました。
九月になってフォングーズマールを訪ねると、アリサは聖書だけを読み、貧乏人の家を訪問して過ごすようになっていました。信仰に自分の全人生を捧げるようになったアリサを見て、ジェロームは途方に暮れ、すぐに帰途につきました。
三年後、ル・アーヴルにいたジェロームは、何かの理由をつけて再びアリサに会いに行きました。アリサはジェロームが来ることを予期しており、毎日庭に出てジェロームからの手紙を読んでいました。夕日に包まれながらアリサと対面すると、ジェロームが三年間の間に抱くようになっていた恨みの気持ちがすっかりと消え、愛だけが残ったように感じました。
アリサは、自分がこの上もなくジェロームを愛していたことを覚えておいてほしいと言って、アメジストの首飾りをジェロームに渡し、娘が生まれたら首にかけてほしいと頼みました。ジェロームは、そのアメジストを貰うことを拒絶し、他の誰も愛することなどできないと言って、アリサを荒々しく抱きしめました。しかしアリサは、恋を傷つけないでほしいと言って、優しくジェロームを押しのけ、別れを告げました。
それから一月もたたないうちにジュリエットからの手紙が届き、アリサがフォングーズマールから出ていき、療養院で死んだことを伝えました。
ジェロームは、公証人からアリサの日記を受け取りました。何ヶ所も破り去られた日記には、アリサがこの上もなくジェロームを愛し、ジェロームだけが幸福を与えてくれることを分かっていながら、自分を恋から遠ざける妬ましい神様に近づくことを決意し、一人で「狭き門」に入っていく決意をするまでが書かれていました。ジェロームと最後に会った後、アリサは手術が必要だと医者に言われていたにも関わらず、自分の所有しているものを貧しい人に分け与えるためにパリへと旅立ち、聖書だけを持って些末な部屋に泊まり込んだようでした。この世を去る直前に書かれたと思われる日記には、容態を悪化させたアリサが、恐ろしさから逃れるためにこの世を去りたいと思っていることが記されていました。
アリサの死から十年以上が経ち、ジェロームは久々にジュリエットを訪れました。ジュリエットはその前年に生まれた女の子の名付け親になってほしいとジェロームに頼み、その娘はアリサと名付けられました。
いつまでアリサの思い出に操を立てるつもりなのかと聞かれたジェロームは、この恋をいつまでも心に守るつもりであり、他の女性と結婚することはないだろうと話しました。その言葉を聞いたジュリエットは、「目を覚さなければ」と言って泣きました。二人が話していたその部屋に、ランプを持った女中が入ってきました。
作品の概要と管理人の感想
『狭き門』は、一九〇九年に発表された、ノーベル賞作家アンドレ・ジッドの代表作です。新約聖書のマタイ伝の「力を尽して狭き門より入れ。滅びにいたる門は大きく、その路は広く、之より入る者おおし。生命にいたる門は狭く、その路は細く、之を見いだす者すくなし」という一節から題名がとられており、愛し合う一組の男女に訪れる悲劇を描き、信仰のあり方を問う作品です。
従姉弟同士であったジェロームとアリサは、少年期から青年期にかけての時期を共に過ごすうちに恋に落ち、幸福な日々を送ります。しかし母親の不貞によって傷ついていたアリサは、聖書に書かれているキリスト教の教えを厳格に実践することにのめり込み、ジェロームからの愛を受け入れるかどうかで葛藤を始めます。妹のジュリエットがジェロームに想いを寄せていることが一因にもなり、アリサはついに自分の魂を神様の国へと引き上げるため、現世での幸福を拒否することを決意します。
結局アリサは、ジェロームと別れを告げ、病気を抱えたまま移り住んだ瑣末な部屋で息を引き取ります。残された日記からは、アリサがジェロームのことをこの上もなく愛していたことが書かれており、絶望や恐怖を感じながら死んでいったことが示唆されます。
「神さまを得ようと思ったら、誰でもひとりでなくてはいけないのよ」
「わたしの考えでは、死ぬっていうのはかえって近づけてくれることだと思うわ」
「自分に課せられた義務が苦しければ苦しいだけ、それだけ魂がはぐくまれ、魂が引き上げられるということがわかったろうと思います。」
「人間が近づいていってまちがいのないのは、ただ主のほうだけですの」
「わたしたちは、幸福になるために生れてきたのではないんですわ」
「聖らかさというものは、好ききらいできめるべきではありませんわ。それは一つの務めなのですわ。」
(『狭き門』山内義雄訳より)
このように彼女に語らせる聖書の教えは、この作品の肝とも言うべき部分ですが、これを十分に理解していない日本人にとっては、理解するのが難しいです。もちろん聖書の解釈は人それぞれで、大多数の人がキリスト教の教えを守りながら幸せな家庭を築いていることは間違いありません。地上での愛を否定する解釈をさせる可能性のある宗教は、キリスト教に限らず、その他の文化圏にも存在しているでしょう。しかし、なぜ神の国に行くために現世で幸福になってはいけないのか、なぜ愛しながら信仰することができないのか、管理人には理解できませんでした。貧乏人のために自分の持ち物を分け与えるのと、ジェロームのために自分の愛を分け与えるのは何が違うのか、その答えが自己犠牲であるかそうでないかの違いなのだとしたら、理不尽としか思えませんし、ジェロームを遠ざけることによって神さまを妬ましく思ってしまうのであれば、本末転倒ではないかとも考えてしまいます。
アリサが現世での幸福を捨てなければならなかった理由を考えるほど、聖書の教えを十分に分かっていないが故の消化不良に陥ってしまうのは否めません。
しかし、この作品は、聖書の教えを理解していなくても、十分すぎるほどの魅力を持ち合わせていると思います。
作品全体の雰囲気は幻想的で、舞台となるフォングーズマールは、絵葉書のような光景を連想させます。謎かけのように繰り広げられる二人の会話がその印象に拍車をかけ、読者を魅了します。そのためなのか、なんとも救いがなくやるせない物語にも関わらず、不思議とあまり暗さを感じさせません。
また、純粋すぎるが故に、この上もなく深く愛している相手から遠ざからなければならないと考えるアリサと、そのアリサと別々の人生を歩むことを考えられないジェロームの悲恋は、それだけで心を動かされます。むしろアリサの真意を理解できない方が、ジェロームに感情移入しながら、彼の感じた歯がゆさや口惜しさといったものを一緒に感じられるような気もします。
そしてなんといっても、この作品の一番の魅力は、アリサの純粋さ、魂の美しさでしょう。彼女がひたすらに神様を信じ、現世の不幸に耐えながら徳を積もうとする行為は、なんと言おうと美しく、胸を打たれるものがあります。そして死後に残された日記により、彼女がどれほどジェロームのことを一途に愛していたか、彼女の葛藤がどれほど強いものだったのかが分かると、その魂の美しさが更に際立って感じられます。
この純粋さが彼女の不幸の原因となってしまったのは皮肉ですし、彼女のことを愚かだということもできるでしょう。しかしそれら彼女のネガティブな側面は、彼女がこれほどまで美しく描かれているからこそ感じられるものなのではないでしょうか。
そしてこの小説の最後には、胸を締め付けられるようなアリサの日記で終わらずに、少しだけ一息つかせてくれるような後日談が書かれます。
アリサの死から十年後、ジェロームはジュリエットを訪れ、いつまでもアリサを忘れることはないことを伝えます。「目を覚さなければ」と言って泣き崩れるジュリエットの言葉は、ジェロームに向けられた忠告のようでありながら、自分自身に言い聞かせているようでもあり、彼女が現在の生活に幸福を感じながらも、ジェロームのことを愛し続けていたことが示唆されます。
そして、ジェロームとジュリエットのいる部屋に、「ランプを持って女中が入ってきた」という、ちょっと驚くような唐突な一文で、この小説は結末を迎えます。これはなかなか解釈が難しいところですが、生活を切り盛りする女中が、ランプという新しい光を持って入ってきたということは、それまで叶わぬ恋に囚われ続けてきたジェロームとジュリエットの、地上での生活における明るい未来を暗示しているのかもしれません。