小林多喜二『蟹工船』ってどんな作品?

 小林多喜二の『蟹工船』は、1929年に発表された、日本におけるプロレタリア文学の代表作です。この作品により、小林多喜二は当時の特攻警察によりマークされ、不敬罪で起訴されます。その後、数回に渡る逮捕にも屈さずに、日本の労働者階級のために作品を残し続けましたが、1933年の逮捕の際の拷問により死去しました。

 戦時中は、発表が見送られたり、伏字だらけの文章で発表されることの多かった小林多喜二の作品ですが、21世紀になり、労働者の権利が話題に上るなか、この『蟹工船』は一大ブームとなりました。それと共に小林多喜二の作品全体の再評価が行われるようになり、この『蟹工船』も数カ国語に翻訳されました。当時の制度に対抗するための作品の数々が、現代においても普遍的な力を持って人々を魅了し続けています。

蟹工船・党生活者 (新潮文庫)

登場人物

漁業監督(浅川)、船長、工場代表、雑夫長、吃り、学生、芝浦、威張んな

ネタバレあらすじ

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 蟹工船博光丸では、船員たちが過酷な労働を強いられていました。いつ沈んでもおかしくない老朽化した船で荒れ狂う海を航行し、劣悪な環境の船内では病気、虱、若い船員への性的虐待が蔓延していました。

 漁業監督の浅川は、会社が利益を得るための駒として船員たちを扱います。隠れていた船員を監禁し、怪我をした船員に診断書を書かせないようにし、働きが少ないものに熱い鉄棒を当て、倒れた学生を鉄柱に縛りつけました。

 労働者たちは小型の発動機つき漁船に乗り換えて漁場へ向かっていました。しばしば小型の漁船は行方をくらますことがありましたが、そのなかには、ロシアに漂着し、赤化されて帰ってくるものもいました。

 ある日ひとりの男が、過酷な労働に耐え切れないと宣言すると、皆がそれにつられて手を緩めながら仕事をしました。全員がサボりだすと、監督は何もできずいらいらするばかりでした。

 若者が脚気で死にました。監督は現場の生産性を落とさないために、通夜に出る人数を制限し、湯灌のお湯も贅沢に使わせませんでした。皆はサボをしてでも皆でお通夜をしようと決めました。

 一日置きにサボが行われるようになり、それが効果を生み、船員の中からリーダーのような存在が生まれました。監督はピストルを持ち出して威嚇しますが、リーダーたちは皆を鼓舞し、監督に立ち向かいました。

 ある時化の日、監督が漁を出させようとしたことがきっかけとなり、ストライキが起きました。皆は労働環境改善のための要求条項と誓約書を突きつけ、監督の返事を待ちました。しかし連絡を受けた駆逐船がやってきて、水兵たちが代表の九人を護送してしまい、ストライキは失敗しました。

 その後二度目のストライキは成功し、監督は会社を解雇されました。ストに参加した船員たちは、その後様々な仕事場で同じような活動を行いました。

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管理人のコメント

 船員たちに徐々に労働者としての意識が芽生え、団結し、浅川に対抗していくストーリーには、労働環境が(ある程度)整った現在でも、ぐいぐいと引き込まれます。

 命を賭してまで伝えたいから、面白く書く。小林多喜二の小説を読んでいると、そのような意思が感じられるような気がします。小林多喜二は当時の特高警察ににらまれ、拷問によって殺されました。もし戦後まで小林多喜二が生きていたら、どんな小説を書いていたのでしょう。そう考えると、残念でなりません。