ギ・ド・モーパッサン『脂肪の塊』の登場人物、あらすじ、感想

 『脂肪の塊』は、1880年に発表されたギ・ド・モーパッサンの短編小説です。母親が友人であった自然主義文学の巨匠フローベールと師弟関係を結んでいたモーパッサンは、若い頃から小説家としての技術を身につけていました。彼が30歳の頃、複数の作家が書いた普仏戦争を舞台とする短編小説から成る作品集『メダンの夕べ』に作品を出すこととなり、そのために書かれたのが、この『脂肪の塊』でした。『メダンの夕べ』が発表されると、『脂肪の塊』はその中で最も高い評価を受け、モーパッサンは文壇での地位を確立しました。師匠であるフローベールは、「間違いなく後世に残る傑作」と評したと言われています。

 この作品では、「脂肪の塊」とよばれる娼婦ブール・ド・スイフを主人公として、プロシア軍に占領されたルーアンの街から逃げ出すために馬車に乗り込んだ人々のドラマが書かれます。一時間もあれば読み終わってしまう短編小説ですが、共和制と帝政に揺れ動く当時のフランス社会を反映しながら、戦争という状況下で浮き彫りにされる人間の偽善や利己心が巧妙に描かれ、濃厚な読書体験をさせてくれる作品となっています。


脂肪の塊・テリエ館 (新潮文庫)

※ネタバレ内容を含みます。

『脂肪の塊』の登場人物

エリザベット・ルーセ
ブール・ド・スイフ(脂肪の塊)と言われる有名な娼婦。はちきれんばかりに太っているが、不思議な魅力があり、男の客がよくついている。農家に預けている子供がいる。愛国者で、ナポレオンの支持者。

ロワゾー
葡萄酒卸商人。陽気な性格で、人を笑わすことが得意だが、陰険な一面を持ち合わせている。田舎の小売商人に悪い酒を安価で売り、したたかに稼いでいる。

ロワゾー夫人
大柄の逞しい女。声が大きく、てきぱきしている。

カレ・ラマドン
製糸工場を三つも持っていて、レジオン・ドヌール勲章を持つ県会議員。

カレ・ラマドン夫人
器量がよく、愛らしい雰囲気の女。夫とは親子ほども年が離れている。

ユーベール・ド・ブレヴィル伯爵
ノルマンディ屈指の名門の県会議員。カレ・ラマドンの同僚。不動産によって得た多額の財産を抱えている。

ユーベール・ド・ブレヴィル伯爵夫人
もともとは船問屋の娘。今では県内随一の優雅な貴族社会に出入りする。

老婆の尼
痘痕面の老女。戦場をめぐり、負傷兵を助ける仕事をしている。

サン・ニセフォール
老婆の尼とともに旅をする若い尼。熱烈な信仰者。ひ弱で病的な美しさを持ち、結核にやられている。

コルニュデ
民主主義者。ビール好きの長髪の男。パイプをふかす。父親が菓子製造で多額の金を残していたが、それを仲間と共に飲み潰したことがある。共和党の実現を狙っている。

フォランヴィ
トートの宿屋の亭主。プロシアの士官とブール・ド・スイフの一行の連絡係を務める。

フォランヴィ夫人
二人の息子を兵隊に取られており、自分の宿に泊まっているプロシア兵に恨みを持っている。

プロシアの士官
フォランヴィの宿に滞在しており、ブール・ド・スイフの一行に足止めを食らわせる。

『脂肪の塊』の簡単なあらすじ

※もっと詳しいあらすじはこちら

 普仏戦争で敗れたフランス・ルーアンの街にプロシア兵が侵入してくると、住人たちは金を出し合って、まだ占領されていないル・アーヴルの街へ行くための乗合馬車を手配しました。

 乗客となっていたのは、葡萄酒卸商人のロワゾーとその妻、製糸工場を三つ持っている県会議員カレ・ラマドンとその妻、名門の県会議員ユーベール・ド・ブレヴィル伯とその妻、民主党員の庶民コルニュデ、二人の修道女、そして、脂肪の塊(ブール・ド・スイフ)と呼ばれる有名な娼婦エリザベート・ルーセでした。上流階級の婦人たちは、ブール・ド・スイフが同じ馬車に乗り込んでいるのを見て眉をひそめました。

 馬車が大雪で立ち往生し始め、空腹に苦しんでいた一同に、ブール・ド・スイフが用意していた料理分け与えると、皆は彼女に愛想よく振舞い始めました。ブール・ド・スイフは愛国心が強く、家に入って来たプロシア兵を絞め殺そうとした話をすると、皆が彼女に感心し、褒めそやしました。

 十四時間かけてトートの村の宿に着き、旅人たちは肩をなでおろしました。その宿にはプロシアの士官が泊まっていました。

 翌朝、皆は出発しようと宿の大広間に集まりました。しかし馭者は馬車を出発させてはならないとプロシアの士官から命令を受けていました。

 一同は、出発してはならない理由を考えて不安に陥りましたが、やがてブール・ド・スイフがプロシアの士官に肌をまかせるまでは、出発できないことを知りました。
 愛国心の強いブール・ド・スイフは、敵国の士官に誘いを受けたことにひどく憤っており、一同もまた彼女と一致団結して抵抗することを誓いました。

 しかし、翌日になると、一同はブール・ド・スイフがプロシアの士官のところへ行かないことに苛々とし始め、やがて彼女に対する苦言をはっきりと述べ始めました。彼らは犠牲の精神について語り、ブール・ド・スイフが自分から動くように仕向けようとしました。しかしブール・ド・スイフが一向に自分たちの話を聞こうとしないため、とうとう彼らは自分たちのために一肌脱いでほしいと頼み始めました。

 結局ブール・ド・スイフはプロシアの士官と寝ることに同意し、出発を許可されました。一同は浮かれ騒ぎました。彼らはプロシアの士官に憤っているふりをしていましたが、本当に怒っているものは誰一人としていませんでした。ブール・ド・スイフに気があったコルニュデだけは、一同の行った卑劣な行為に対し、怒りを露わにしました。

 翌日、出発のために集まった一同は、ブール・ド・スイフに挨拶をされても返事をしませんでした。三時間ほど走ると、彼らは用意してきた料理を食べ始めました。弁当のことを考える余裕のなかったブール・ド・スイフは、誰にも食べ物を分けてもらうことができず、悔しさのあまり泣き出しました。

 この光景を見たコルニュデは、フランスの国歌「ラ・マルセイエーズ」を口笛で執拗に吹き、この革命歌を気に入らない上流階級の一同を苛々させました。その口笛が聞こえている間も、ブール・ド・スイフのすすり泣きの音がやむことはありませんでした。

解説と管理人の感想

 この小説は、普仏戦争(1870年~1871年)のさなか、プロシア(現在のドイツ)に侵略されたフランス北西部ルーアンを舞台として始まります。

 1789年に始まった革命以降、フランスでは、君主が主権を持つ帝政と、人民が主権を持つ共和制を繰り返してきました。1851年、ルイ=ナポレオンが国民投票によって皇帝となり、第二帝政が始まりましたが、外交や内政で失策が続き、徐々に求心力を失っていきました。

 一方、現在のドイツ北部に位置していたプロイセンは、諸王国に分断されていた南部と統一されたドイツを作り上げることを目論み、共通の敵を必要としていました。その標的にされたのがフランスで、プロイセンの首相ビスマルクに挑発を受け、開戦させられたのが普仏戦争です。
 この戦争でルイ=ナポレオンは捕虜となり、第二帝政は崩壊し、共和制を目指す動きが活発になっていきます。

 それまでの帝政で地位を確保していたカレ・ラマドンやユーベール・ド・ブレヴィル伯などの貴族は、民主化によって自分たちの地位が危うくなるのを危惧しています。一方、庶民であるコルニュデは、共和制を目指す民主主義者です。

 このあたりの対立構造をある程度知ってから読むと、下層の人々が常に上流の人々に搾取され続けていた当時の社会の強烈な風刺になっていることがわかり、この作品をより奥深いものとして感じられるようになるでしょう。

 物語の最後で彼が口笛を吹きならす「ラ・マルセイエーズ」は、フランス革命の時に作られた革命歌で、君主によって支配された人民の解放を象徴しています。
 つまり、ブール・ド・スイフに同情していたコルニュデは、この歌を歌うことで、ブール・ド・スイフを貶めた上流階級の人々への抵抗を試みているのです。その抵抗は、「これからはあなたたちの時代は終わり、私たちの時代がやってくるのだ」というメッセージを含むとともに、彼は「ただ口笛を吹いている」だけなので、大っぴらに咎めることもできない、なかなか機転の効いたやり方であると思います。この抵抗を、小市民がなんとか行うことのできた卑小なものと取るべきか、偽善にまみれる上流社会に一矢報いた大きな一歩と取るべきかはわかりませんが、この作品の暗澹たる結末に、ひとかけらの救いをもたらしているのは間違いないでしょう。

 当時の世相を映し出し、強烈な社会風刺を行なっているこの『脂肪の塊』は、それだけでも素晴らしい作品ですが、それと同時に読者の心を強く揺り動かす力を持った作品です。おそらく読んだ人のほとんどが、ブール・ド・スイフに同情し、彼女への仕打ちに怒りや悲しみを覚えたのではないでしょうか?この作品が単なる古典として終わらず、モーパッサンの代表作であり続けるのは、ブール・ド・スイフがおそらく感じたであろう惨めさに共感することにより、読者の中にある怒りや悲しみといった感情を刺激してくれるからであると思います。