森鴎外『舞姫』の登場人物紹介、詳しいあらすじ、感想

 『舞姫』は、一八九〇年に発表された、森鴎外の代表作です。
 十九歳で東京大学医学部を卒業後、病院勤務を経て陸軍軍医本部に勤めるようになった鴎外は、一八八四年に衛生学を学ぶためにドイツ行きを命じられ、一八八八年にかけて、ベルリン、ライプツィヒ、ドレスデン、ミュンヘンなどの主要都市を転々としながら、留学生活を送ります。
 帰国後、彼は本格的に文筆活動を開始し、小説として初めて発表されたのが『舞姫』です。留学経験を元に書かれたドイツ三部作(残りの二作品は『うたかたの記』、『文づかひ』)の最初の作品で、ヒロインであるエリスは、帰国した鴎外を追ってドイツから日本へと渡った女性がモデルであると言われています。
 現在では、日本近代文学の黎明期における代表作として、また文語体の教材として、高校国語の授業でも扱われる作品となっています。
 このページでは、『舞姫』の登場人物、あらすじ、感想を紹介します。ネタバレ内容を含みます。

『舞姫』の登場人物

太田豊太郎
幼い頃から厳しい教育を受け、十九歳で東京帝国大学大学院法学部の学士を取得し、某省に勤務するエリート官僚。洋行の命令を受けて訪れることになったベルリンで、劇団の女優エリスと出会う。

エリス
ヴィクトリア座という劇場の女優。十六、七歳。息を引き取った父親の葬儀代が出せずにクロステル街の寺院の前で泣いているところを豊太郎に助けられる。

相沢謙吉
豊太郎の友人。東京で大臣の天方伯の秘書官として働いている。

天方伯
相沢が秘書官を務める大臣。

『舞姫』の詳しいあらすじ

帰国の途で悔恨の念に囚われる豊太郎

 ドイツからの帰国の途についた太田豊太郎は、ある悔恨の念に苦しめられ、他の船客との交わりを断ち、軽い病気を理由にして自分の船室にこもっています。船がサイゴンに寄港し、ほかの船客がホテルに宿泊する中、彼は一人、船内の中等室にとどまり、自分が苦しむこととなった経緯を、文章に綴ろうとしています。

豊太郎の生い立ち・洋行

 豊太郎は幼い頃から厳しい教育を受け、旧藩の学校でも、東京の予備校でも、東京帝国大学大学院法学部でも成績において彼の右に出るものはおらず、十九歳で学士を取得、ある省に勤務し始めました。父親とは早くに死別していましたが、故郷の母を呼び寄せ、三年ほど楽しい日々を過ごしていたところ、洋行を命じられてベルリンへと旅立ちました。
 ベルリンで目にするもの全てに驚いた豊太郎でしたが、美観に心を動かすまいという誓いを持っていたため、外界からの刺激を遮り続けました。
 故郷でドイツ語を学んでいた彼は、プロイセンの官員たちに快く迎えられ、公務のかたわら、大学に通い、いくつかの法学の授業を聴講しました。
 母の教えに従い、また官長が自分を褒めるのを喜んで勉学に励んでいた豊太郎でしたが、ドイツに来てから三年ほどが経つと、次第に心の奥に秘められていた我が表に現れ、穏やかでない気持ちを抱くようになりました。他の人が自分に辿らせようとした道を、ただ辿るようにして学問を収め、役人になった彼は、自分でも気づかない弱い心を抱えていたのでした。
 他の留学生たちとの付き合いを避けていたこともあり、彼は自分のことを悪く思う人々に貶められる事態となり、孤独を深めていきました。

エリスとの出会い

 ある日の夕暮れ、豊太郎がクロステル街の古い寺院を通りがかると、十六、七歳の少女が泣いているのを見かけました。豊太郎は、彼女に憐れみを感じ、話しかけて泣いている理由を尋ねました。
 少女は父親を亡くしたにも関わらず、葬儀の金がないようでした。豊太郎は、貧しい家で母親と一緒に住んでいる家まで、彼女を送ってやりました。
 エリスという名前のその少女は、ヴィクトリア座という劇場の踊り子で、二年前から座長シヤウムベルヒに雇われていました。父親が死んだ時、シヤウムベルヒからの援助を受けられるものと思っていましたが、シヤウムベルヒは、エリスの悲しみにつけ込んで、身勝手な取引を持ちかけてきたようでした。
 エリスは豊太郎に助けを求めました。自分を見上げる彼女の目に有無を言わせぬ媚態を感じた豊太郎は、時計を外し、それを質屋に持っていって急場を凌ぐように伝えました。エリスはその行為に感動し、豊太郎の差し出した手に唇を当てて涙を流しました。
 エリスが礼を言いに豊太郎の家を訪れたことをきっかけに、二人は頻繁に会うようになりました。貧困のために十分な教育を受けることのなかったエリスは、十五歳の時に舞の先生の募集に応募し、修行を積んだ後でヴィクトリア座の女優となり、今ではその二番目の地位を占めていました。しかし、少ない給料で厳しい稽古に耐えなければいけないのが女優の常で、エリスは思慮深い性質と、父の庇護のおかげで、これ以上身を落とさずに済んでいたのでした。

免職になる豊太郎

 始めのうち、二人の関係は、エリスが豊太郎に本を借りることで出来上がった師弟のような間柄に過ぎませんでした。しかし、その関係が同郷の人々にも知られることとなると、豊太郎が芝居に出入りし、女優と交わると官長に報告した者がありました。豊太郎が政治よりも脇道に逸れた歴史や文学に夢中になっていたことを苦々しく思っていた官長は、その誤った報告を聞き、彼の職務を解いてしまいました。すぐに故郷に帰るのであれば旅費を出すが、もしここに残るのであれば、これ以上の公費を出すことはできないと言われた豊太郎は、一週間の猶予を頼んで思い悩みました。そのような時、彼は母の死の知らせを受け取り、悲嘆に暮れました。
 エリスは、母親が自分と豊太郎の関係を好ましく思わなくなるのを恐れ、母親に免職のことを内緒にしてほしいと頼みました。このことをきっかけに豊太郎とエリスは恋人としての関係を結ぶこととなりました。

通信員として働き始める豊太郎

 約束の期日が近づき、豊太郎が思い悩んでいた頃、大臣の天方伯の秘書官として東京にいた相沢謙吉が、豊太郎の免官をニュースを知り、ある新聞社の編集長を説き伏せて、彼を新聞社の通信員としてベルリンの政治学芸について報道させることにしました。
 かろうじて生活するすべを得た豊太郎を助けたのは、エリスでした。彼女は母親を説き伏せて豊太郎を自分の家に住まわせました。二人は僅かな収入を合わせながら、楽しい生活を送り始めました。
 エリスが稽古に行くと、豊太郎はカフェを兼ねた縦覧所に行って新聞を読み、材料を集めました。一時近くになると、稽古の帰りに立ち寄ったエリスと店を出て、家に帰ると原稿を書きました。
 ジャーナリズムの発達したドイツで通信員として働くうちに、豊太郎は、もはや通うことのできなくなった大学で培った知識の総括的な考えを持つことができるようになり、ほかの留学生たちがたどり着くことのできないような境地に達しました。
 冬が来ると、エリスは舞台で卒倒し、それ以来、食べたものを吐くようになりました。それがつわりであることに、エリスの母親が気づきました。

相沢との関係を深める豊太郎

 それから間もなく、天方大臣の付き添いでドイツに来ていた相沢謙吉から豊太郎に手紙が届きました。その手紙には、大臣が豊太郎に興味を持っているので、今すぐに来るようにと書かれていました。
 相沢のところへ向かうため、豊太郎の身なりを整えさせたエリスは、たとえ裕福になっても自分を見捨てないでほしいと頼みました。豊太郎は、古くからの友人に会いに行くだけだと言って、辻馬車に乗り込みました。
 相沢のいるホテルに着いた豊太郎は、大臣に謁見し、ある急を要する文書の翻訳の仕事を頼まれました。
 相沢と昼食を共にすることになった豊太郎は、現在の生活を営むことになった経緯を語りました。相沢は、学識と才能のある豊太郎が、一人の貧しい女優と住むことになったのは、彼の弱い心が原因であると考え、エリスとの関係を断ち切るように忠告しました。己の弱い心によって、友人の忠告を退けることのできなかった豊太郎は、エリスと別れることを約束しました。
 天方大臣に頼まれた翻訳を一日で終わらせた豊太郎は、それ以来、相沢と大臣の宿泊するホテルに顔を出すことが多くなりました。始めは翻訳の仕事だけを任せていた大臣も、彼の意見を聞き、談笑するようになりました。

ペテルブルク滞在

 一ヶ月ほど経った頃、天方大臣は、翌日のロシア行きに豊太郎を誘いました。不意をつかれた豊太郎は、とっさに天方大臣について行くことに同意しました。豊太郎は、妊娠による体調不良のために劇団を除籍かれたエリスに、翻訳の引き換えに受け取った代金を渡し、彼女を知人のもとに預け、ロシアへと向かいました。
 フランス語を話すことのできた豊太郎は、通訳として、ペテルブルクの高位高官の人々たちの間に入り、活躍しました。(当時のロシアの上流社会の人々は、フランス語を話すことができるのが一般常識となっていました。)
 彼がペテルブルクに滞在している間、エリスは毎日のように手紙を寄越しました。その手紙の中で彼女は切実に別離を嘆き、自分を捨てないでほしいと切実に願いました。
 天方大臣からの信用はいっそう厚くなり、豊太郎は、相沢との会話により、自分を日本に帰る一員に加えようとする動きがあるのを察し、平然としてはいられなくなりました。

エリスとの再会

 翌年の元旦、豊太郎はドイツに帰り、エリスに再会しました。エリスは涙を流して彼の帰りを喜びました。豊太郎と同じ黒い瞳を持つ子供が生まれてくるのを楽しみにしながら下着を作って待っていた彼女は、どうかその子供を私生児にしないでほしいと豊太郎に懇願しました。
 ある日、豊太郎は、ホテルでの大臣との夕食に招待され、自分と一緒に帰国しないかと勧められました。以前、エリスと別れることを相沢に宣言していたため、大臣は豊太郎にドイツでの身内はいないと判断していたのでした。大臣の言葉に従わなければ、ヨーロッパの地に葬られるであろうと考えた豊太郎は、帰国に同意しました。
 ホテルを出た豊太郎は、エリスのことを考えて混乱し、倒れるように公園のベンチに寄りかかり、自分の体に雪が積もるのも気づかないまま、何時間も座っていました。
 豊太郎は自分が罪人なのだと感じながら家に帰りました。その青ざめた顔を見たエリスは驚き、何があったのかを聞きました。豊太郎は、答えようとしても声を出すことができず、その場に倒れ込みました。

エリスの発狂

 数週間後にようやく意識を取り戻した豊太郎は、エリスがひどく痩せ衰えたことに気づきました。
 彼は、意識を失っている間に相沢がやってきて、自分が帰国に同意したことをエリスに話したことを知りました。その話を聞いたエリスは発狂して倒れ、目を覚ました後も偏執症の症状を示し、治る見込みはないようでした。
 精神の働きがほとんどなくなり、生ける屍のようになったエリスを、豊太郎は何度も涙を流しながら抱きました。
 大臣と相沢とともに帰国の途につくとき、彼はエリスの母に生活費を与え、生まれてくる子供のことを頼みました。
 豊太郎は、自分の帰国の手筈を整えてくれた相沢について、彼のような良い友人は世の中に二人といないだろうと思うと共に、彼を憎む気持ちも心の中に残すこととなりました。

管理人の感想

 『舞姫』は、国語教育でも扱われる有名な小説ですが、文語体で書かれているため、今の日本人に読みこなすのが非常に難しい作品です。
 文語体の知識が全くない管理人は、このような作品を読む時には声に出して読むようにしています。文語体の文章というのは、現代の日本人には馴染みのないものですが、その言葉の響きやリズムは、時代劇などに触れてきた日本人の耳に、おそらく深く染み込んでいます。そのため、文語体の文章を、頭でなく耳で理解するようにすると、ある程度理解が深まるのではないかと思います。とはいえ、全く現代では使われない単語も多数存在するため、口に出して読むだけですらすらと理解できるようになるわけではありません。いわゆる「流し読み」をしてしまうと、訳のわからないまま結末まで至ってしまいます。注釈に頼りながら、一つ一つの文章をしっかりと噛み砕くのが大事です。現代語訳を読むのも一つの手だと思います。管理人はあらゆるツールを使用しながら、一文一文をなんとか理解できたという感じです。「高雅」と言われる文体を楽しむには、かなりの勉強が必要なのではないかと思います。

 この作品の主人公の太田豊太郎という男、他のレビューなどを読んでいても、まあ評判が悪いです。意気揚々と渡ったヨーロッパで、自分の弱さのために孤独に陥り、ふとしたきっかけで出会った女優エリスを妊娠させたまま日本に帰るという彼の行為は、現代では「クズ」などと形容され、憤りすら買っているようです。エリスを発狂させ、不幸のどん底に突き落としても、彼はどこか自分の感傷に浸り、それを他人のせいにしているようなフシがあり、その辺も反撥を招く原因となっているのかもしれません。

 一方で、彼がエリスを捨てて帰ったことは、やむを得ない行為であったのではないかという意見もあるようです。ただでさえ好きな人と結婚するのが難しく、しかも封建的な秩序が色濃く残っていた時代に、天方大臣の好意を反故にすることがどれだけ難しいことだったのか、それを考慮に入れれば、彼の決断に対してそれほどまで怒らなくてもいいんじゃないかという意見です。管理人も、どちらかというとこちらの意見に賛成で、エリスのことを思えば居た堪れない気持ちにはなりますが、同じ状況でベルリンに残る決断ができる人は、実はほとんどいないのではないかと思います。

 管理人が気になっているのは、この作品が発表された当時の読者が、豊太郎に対してどのような感想を抱いてたのかということです。つまり、上にあげた豊太郎糾弾派と豊太郎擁護派の割合が、現代とどのように異なっているのか、現代の読者と当時の読者の感覚にどれくらいのズレがあるのかということです。この作品がどのような批評を受けていたのかは、調べればわかることだとは思いますが、当時の人々がどのような感覚でこの作品を読んでいたのかは、なかなか今となっては知るのが難しく、その感覚が分からないのであれば、この作品をしっかりと理解することはできないのではないかと思うのです。
 もしかすると、富国強兵を目指していた日本において、財産ともいうべき優秀な人材である彼が帰国を決めたことは、むしろ褒めるべきことだったのかもしれませんし、それどころか、そもそも豊太郎がエリスと関係を持ったことの方が問題であったと考える人もいたのではないでしょうか。

 何よりも、この作品に描かれているのは、愛する女性と周囲の環境を天秤にかけなければならなかった豊太郎の苦悩です。これは現代においても頻繁に使用される普遍的なテーマで、周囲から無理矢理に引き剥がされる悲恋よりも、自分が選択した結果だからこそ、その苦悩と罪(と読者からの批判)を一身に引き受けなければなりません。
 それにも関わらず、作品の結びでは、豊太郎の相沢謙吉に対する、「嗚呼、相沢謙吉が如き良友は世にまた得がたかるべし。されど我脳裡に一点の彼を憎むこころ今日までも残れりけり。」といった恨みの言葉で締められています。これこそが、自分が不幸になった責任を、他人に押しつけなければ生きていけない人間のリアルな気持ちなのではないでしょうか。

 もちろん、時代の変化と共に人々の感覚は変わるものなので、現代人の感覚で豊太郎の不甲斐なさに対して反撥を抱くのも全然アリだとは思います。しかし、それだけで彼を批判してしまうのは少々勿体ない読み方のような気がするのです。
 せっかく日本文学史に残る重要な作品を読むのだから、豊太郎の苦悩を少しでも理解したいものです。そのためにも、この作品の時代背景や、父を幼くして亡くし、周囲が用意した道をただ辿るだけであった豊太郎の人生を考慮に入れ、当時の人々がこの作品をどのように読んだのかを想像しながら読むことが必要なのではないかと思います。