夏目漱石『三四郎』の詳しいあらすじ

夏目漱石作『三四郎』の章ごとの詳しいあらすじを紹介するページです。ネタバレ内容を含みます。

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 東京の大学に通うために九州から山陽線に乗った三四郎がうとうとして目がさめると、京都で相乗りしてきた色の黒い女と、田舎者の爺さんが話を始めていました。
 女は広島から列車に乗り、京都で子供のための玩具を買ってこの列車に乗り込んだようでした。夫は大連に出稼ぎに行きましたが、そのうちに頼りをよこさなくなったそうでした。夫の安否がわかるまでは、国へ帰って子供と過ごすようでした。爺さんは女を慰めると列車を降りて行きました。
 夜になり、乗客も少なくなった車両の中で、女は三四郎に話しかけ、名古屋に着いたら宿屋へ案内してほしいと頼みました。名古屋へ着くと女は三四郎についてきました。二人は汚い宿屋に入りました。風呂に入ると、女が入ってきて、背中を流すと言って服を脱ぎ始めたので、三四郎は湯船を飛び出しました。女が部屋に戻ってくると、三四郎は「蚤よけのため」と口実をつけて、敷布で女と自分の間に仕切りを作って、一言も口を利かずに夜を明かしました。
 翌日、宿を出て停車場に着くと、別れ際「あなたは余っ程度胸のない方ですね」と女は言いました。

 列車が動き出すと、三四郎は女に言われたことを考え、自分の弱点を一気に露見させられた気分になり、しょげてしまいました。
 汽車が豊橋に着くと、隣り合わせになった髭のある人が水蜜桃を勧めてきたため、三四郎はそれをもらいました。男はレオナルド・ダ・ヴィンチが、桃の幹に砒石を注射して、その実にも毒が回るかどうか試験をした時に、その実を食べて死んだ者がいることを話し、「気を付けないと危ない」と言いました。男は三四郎に境遇を聞きました。三四郎は熊本の学校を出て東京の文科の学生になると説明しました。男は浜松で列車の前を歩いている西洋人を美しいと言い、いくら日露戦争に勝ってもこれだけ弱っている日本は滅びるだろうと言いました。男は、「熊本より東京は広い。東京より日本は広い。日本より頭の中の方が広い」と言いました。熊本で言えば殴られるようなこの男の言葉を聞き、三四郎は本当に熊本を出たような気持ちになりました。東京駅に着き、三四郎は男と別れました。

 三四郎は、東京の全てのものが破壊されると同時に建設されている様に驚き、世界が自分を置き去りにしていくように思いました。
 一人でふさぎこんでいるうちに、国元の親からの手紙が届きました。その手紙には、知り合いの従弟にあたる野々宮宗八という人物が、大学を卒業して、理科大学に出ているそうだから訪ねていくように書かれていました。その他に田舎の近況が書かれていましたが、三四郎はその手紙が昔から届いたような気分になり、こんなものを読んでいる暇はないと思いました。
 三四郎は理科大学を訪れ、野々宮に挨拶を交わしました。野々宮は、廊下を降りたところの穴倉のようなところで、光線の圧力を試験するために望遠鏡で球を覗く研究をしていましたが、装置が面倒なので、まだ思うような結果が得られていないようでした。
 三四郎は野々宮に別れを告げ、池の面を見ながら、寂寞を感じました。眼を上げると、左手の丘の上に女が二人立っているのが見えました。二人の女のうちの、鮮やかな着物を着た若い女が、三四郎を一目見ました。その女は今まで嗅いでいた椎の花を三四郎の前に落としました。三四郎はその花を手に取り、匂いを嗅いで池の中へ投げ込みました。
 野々宮が三四郎を見つけ、装置が狂ったので実験をやめたと言って、本郷の散歩に誘いました。野々宮さんは、近頃の学問が非常な速さで動いているので、油断すると取り残されてしまうこと、東京の電車がむやみに増えるので、便利になって却ってこまること、三四郎の年齢からなら大抵のことはできるが、月日が経つのは早いものだということを語りました。彼は訪れた店でリボンを買い、西洋料理を三四郎にご馳走しました。野々宮と別れると、三四郎は池のほとりですれ違った女の白さを思い出し、女の色はあれでなくては駄目だと断定しました。

 九月十一日に学年が始まりました。三四郎は大学の中の建物に感心しながら歩きましたが、講師がおらず講義が始まらなかったので、癇癪を起こしながら教室を出ました。
 それから十日ほどで講義が始まりました。三四郎は講義に毎日出席し、池の周りを散歩して過ごしました。
 隣にいた男が、教師の風刺画を書いていました。その男は「大学の講義はつまらんなあ」と三四郎に話しかけました。男は佐々木与次郎という名で、広田という高等学校の先生の家に住んでいると言いました。与次郎は講義に飽きてきた三四郎を誘い出し、電車に乗って日本橋へ向かい、酒を飲んで木原店(きはらたな)という寄席を見せました。与次郎は別れ際、「これから先は図書館でなくっちゃ物足りない」と言いました。
 翌日から三四郎は講義の時間を半分に減らし、図書館に入り、借りた本が難しすぎてすぐ返すということを繰り返しました。借りた全ての本には鉛筆の線が引いてあり、どんな本でも誰か一度は眼を通していることに三四郎は驚きました。
 青木堂(注1)へ入ると、東京へ向かう列車の中で水蜜桃を食べていた人が茶を飲んでいるのを見かけました。三四郎は話しかけることができず、黙って青木堂を出て再び図書館に向かいました。

 図書館にいる三四郎の肩を与次郎がたたき、野々宮が呼んでいると伝えました。三四郎は図書館を出ましたが、野々宮とは会えませんでした。与次郎によると、野々宮は、与次郎の寄寓している広田先生の元の弟子のようで、学問がよくでき、その道の人なら西洋人からも知られているようでした。

 翌日夕方になって、三四郎は大久保にある野々宮の家を訪れました。前日に自分を呼んだ理由を聞くと、三四郎の母が、赤い魚のひめいちを送ってきたので、礼を言おうと思っただけのようでした。野々宮の家に電報が届きました。それは病気になって大学の病院に入っている妹からで、すぐに来てくれというものでした。野々宮は、妹の病気が酷くなったのではなく、悪戯でこのような電報を送ったのだということを見破りましたが、行ってやることにしました。家の留守を頼まれた三四郎は、池のほとりで見た女が野々宮の妹ではないかと考えました。
 一人で座っていると、遠くの方から「ああああ、もう少しの間だ」という声が聞こえ、家の近くを通る汽車の音が聞こえてきました。三四郎はぎくりとして飛び上がりました。提灯をつけた男がレールの上を伝わっているのが見えたので、外へ出てあとをつけると、若い女の轢死体がそこにはありました。三四郎は恐怖に足を竦ませ、這うように帰りました。列車の中で水蜜桃を食べていた男が「危ない危ない、気を付けないと危ない」と言っていたのを思い出し、彼のように危なくない場所から世間を眺めていれば、あのような男にもなれるのだろうなどと三四郎は考えました。野々宮からは、妹は無事だったので明日帰るという電報が届きました。

 野々宮が帰ってくると、轢死は滅多に見れないものなので、家にいればよかったと言いました。三四郎は彼の呑気なのに驚きました。野々宮の妹は、兄が訪ねてこないのを不満に思って呼び出しただけで、病態に変化があったわけではありませんでした。野々宮が病院に泊まると、妹の見舞いに訪れた広田先生と偶然会ったようでした。三四郎は、水蜜桃の男が広田先生ではないかと勝手に想像しました。
 帰りがけ、三四郎は、袷(あわせ)を持っていくように頼まれ、病院にいる野々宮の妹を訪れました。野々宮の妹は、よし子という名でした。
 よし子は、鼻が細く、唇が薄く額が広くて、顎がこけ、表情の中には憂鬱と快活が統一されている娘でした。よし子の病室には母親が付き添い、三四郎が野々宮の留守番を預かったことへの礼を述べました。
 部屋を出ると、池のほとりで見た女が立っていました。二人は廊下ですれ違いました。女の切れ長な二重瞼と綺麗な歯が三四郎の目に入りました。女は十五号室はどこかと三四郎に聞きました。そこはよし子のいる部屋でした。三四郎は部屋の位置を教えました。
 その女が髪につけていたリボンは、野々宮が三四郎との散歩中に本郷で買ったものと同じでした。そのことに気が付いた三四郎は、足が重くなりました。

注1)赤門の並びにあった小売店。二階が喫茶室になっていた。東京大空襲で消失。

 三四郎はリボンのことが気がかりになり、講義に集中することができなくなりました。野々宮さんの妹は病院を出たようで、三四郎はすれ違った女のことを聞くことができないまま、日々は過ぎて行きました。

 ある日三四郎は、水蜜桃の男を連れた与次郎と街で会いました。水蜜桃の男は、三四郎の予想通り、広田先生でした。
 与次郎は、広田先生と住むための新しい貸家を探していました。三四郎は、知っている貸家を紹介しましたが、家賃が高く、与次郎はそこには決めかねました。

 翌日、三四郎が講義を終えて家に帰ると、与次郎が訪ねてきました。新しい貸家を探している理由を聞くと、今の貸主が家賃をむやみに上げてくるので、腹を立てて立ち退きを宣言したそうでした。
 話は広田先生のところに落ち着きました。与次郎によると、広田先生はまだ独り身のようで、洋行をしたことはないものの、西洋について研究しているようでした。高等学校で英語を教えていますが、著述もなく、たまに書く論文は反響がありませんでした。与次郎は、自分からは何もしようとしない先生を「偉大なる暗闇」と評し、大学教授にしようとしていました。

 三四郎に、地元の娘である三輪田の御光との縁談の話があるという手紙が、母親から届きました。田地を持っていて気立ても器量も良い御光との結婚を、母親は望んでいるようでした。

 新しい家が決まった与次郎に家の掃除を頼まれ、三四郎は出かけました。部屋は意外に綺麗だったので、縁側へ腰掛けていると、池の端で見た女が庭の中に現れました。女は、広田先生が来るのはここでしょうかと三四郎に聞きました。三四郎はぶっきらぼうに、そうだと答えました。
 女は名刺を出して三四郎に渡しました。名刺には里見美禰子とありました。
 美禰子は、池の端と病院で三四郎に会ったことを覚えていました。美禰子もまた引越しの手伝いを頼まれたようでした。二人は家の掃除にかかり、親しくなりました。美禰子は裏の窓から空を見上げ、雲が駝鳥の襟巻きに似ていると言いました。雲は空に浮かんでいる雪だと三四郎が説明すると、美禰子はそれではつまらない、雲は雲でなくてはいけないと言いました。
 そこへ与次郎が訪れました。三人は大量にある広田先生の書物を片付けました。広田先生は、人の読んでいないような本を多く読んでいるようでした。広田先生がやってきて、アフラ・ベーンの「オルノーコ」(注2)について話していると、野々宮も入ってきました。美禰子が彼の買ったリボンを身につけていたことを覚えていた三四郎は、彼の態度と視線に注意を払わずにはいられませんでした。
 野々宮は、よし子の病気がよくなったことを皆に伝えました。よし子は団子坂の菊人形を見に連れて行けと野々宮にせがんでいるようでした。野々宮の母親は間もなく国へ帰るようですが、よし子が夜遅くまで一人で自分の帰りを待つのを嫌がるので、野々宮は再び大久保から本郷の方へ出て来なければならなくなると言いました。野々宮は冗談で、美禰子の家に居候させてくれないかと頼むと、美禰子は、いつでも置いてあげますと答えました。野々宮が帰ろうとすると、美禰子はその後を追って何かを話しました。三四郎は黙って座っていました。

注2)アフラ・ベーン(一六四〇~一六八九)はイギリスの女流作家で、『オルノーコ』はその代表作。

 三四郎がなぜかわからずに野々宮の家を訪ねると、よし子が縁側に腰掛けて絵を描いていました。野々宮は留守でした。美禰子の家に移る予定なのかと聞くと、よし子はまだ決まっていないと答えました。よし子によると、美禰子は早くに両親を亡くしていました。野々宮は、美禰子の兄の恭助と同年の卒業で、美禰子とは元から友達のようでした。故人であるさらに上の兄は広田先生と友人であり、美禰子はそのような関係で広田先生とも仲がよく、時々英語を習いに家を訪れるようでした。
 よし子は自分の兄の野々宮を好きかどうかと三四郎に聞きました。よし子に言わせると、研究心の強い人は、すべてのことを研究する気で見るから、情愛が薄くなるはずだが、それでも自分のことを可愛がってくれるのだから、兄は日本中で一番良い人に違いないということでした。三四郎はこの意見のどこかが抜けているような気がしましたが、東京の女学生は決して馬鹿にできないと悟り、よし子に敬愛の念を抱きました。
 家に帰ると、美禰子から手紙が届いていて、明日菊人形を見に行くので、広田先生の家までいらっしゃいと書いてありました。

 翌日、広田先生の家まで行くと、野々宮、美禰子、よし子が三四郎を待ち受けていました。与次郎は論文を書いていると言って、菊人形には行きませんでした。三四郎は、今の自分の生活が、熊本の頃よりも意味の深いものになりつつあると感じました。
 菊人形を見に行くと、美禰子だけが見物に押されて出口の方へ行きました。三四郎はそれに追いつきました。美禰子が苦しそうな顔で、心持ちが悪いと言ったため、二人はしばらく歩きました。疲れたと言う美禰子は、派手な着物を汚れるのをまるで苦にしていない様子で、草の上に腰を下ろしました。三四郎もその隣に腰を下ろしました。美禰子は空の模様を、大理石(マーブル)のように重いと形容しました。三四郎はこのような空の下にいると、心が重くなるが気は軽くなると言いました。
 二人は皆からはぐれた自分たちのことを、大きな迷子だと話し、美禰子は迷子を英語で「迷える子(ストレイ・シープ)」だと教えました。三四郎は、美禰子がその言葉を使った意味を解しかねて、黙っていました。二人は再び歩き出しました。三四郎が泥濘みを飛び越し、美禰子に手を貸そうとしました。美禰子は大丈夫と言って、真ん中にある石に右足を乗せ、泥濘みを超えました。勢いがあまり美禰子の両手が三四郎の両腕の上へ落ちました。自分の腕の中で「ストレイ・シープ」と呟いた美禰子の呼吸を、三四郎は感じました。

 三四郎は講義を筆記するのが嫌になり、いたずらにstray sheepとノートに書き連ねました。それを見た与次郎は、三四郎のことをまさにストレイ・シープ(迷える子羊)だと評しました。
 玄関前の桜の下に行くと、与次郎は「偉大なる暗闇」という標題の、文芸時評という雑誌に掲載された記事を三四郎に見せました。与次郎は「零余子」という匿名でこれを書き、雑誌はあまり勢力のないものでしたが、世論を喚起し、広田先生を大学へ入れる下地を作るつもりでした。
 下宿に帰ると、二匹の羊と、西洋の絵にある悪魔が書いてある絵葉書が美禰子から届きました。三四郎はその二匹の羊を見て、美禰子が、「ストレイ・シープ」と言った時に自分たち二人のことだと考えていたことを知り、嬉しく思いました。
 「偉大なる暗闇」は、今の文学者を攻撃して、広田先生を賛辞する内容でした。三四郎はそれを面白く読みましたが、そこには何の実もなく、どこか不満足に感じました。それに対して、美禰子の書いた絵は非常に明瞭でした。三四郎は返事を書こうと思いました。
 三四郎は与次郎を誘いに行きました。与次郎は、馬鹿貝の剥き身を広田先生に食べさせていました。味が出るまで噛むと疲れると言う広田先生に対し、美禰子のように落ち着いた女なら、味が出るまで噛んでいるに違いないと与次郎は言いました。先生は美禰子のことを乱暴な女だと評しました。
 家を出た三四郎は、広田先生が美禰子のことを乱暴だと言ったことについて与次郎と議論しようとしましたが、与次郎の話題は今夜の懇親会のことに移ってしまいました。与次郎は自分たちの科の不振なことを慨嘆し、その後挽回策を講じ、もう一人日本人を大学に入れるのが急務だと言って、広田先生を推薦しようとしていたようでした。
 しかし与次郎は、夥しい夜空の星を見て、こんな運動はやめようかと言い始め、女に惚れたことはあるかと聞きました。三四郎が答えないでいると、彼は女は恐ろしいものだと言いました。それに同意した三四郎に対し、与次郎は「知りもしない癖に」と言いました。
 二人は学生集会所に到着しました。懇親会が始まると、与次郎は「偉大なる暗闇」のことを周囲の皆に広めました。

 翌日、三四郎は運動会へと出かけ、婦人席の中にいる美禰子とよし子を見つけました。二人は熱心に徒競走を見ていました。三四郎は運動が得意ではなく、選手たちがどうして無分別に走る気になれるのだろうと思いました。計測係を見ると、それは野々宮でした。野々宮は婦人席の方へ行き、美禰子とよし子に話しかけました。美禰子が嬉しそうに笑っているのが見えました。三四郎は、運動会は人に見せるものではなく、各々が勝手に開くべきもので、それを熱心に見る女は間違っていると感じ、外へ出ました。丘の上に登って腰掛けていると、美禰子とよし子が三四郎を見つけました。よし子が病院の看護婦のところに礼を言いに行くために去っていくと、三四郎と美禰子は二人きりになりました。そこは三四郎が初めて美禰子を見た池の淵でした。美禰子は葉書の返事をくれないのかと聞いてきたので、三四郎は書くことを約束しました。
 野々宮の母親が国に帰り、よし子が自分の家に居候し、野々宮は大久保を引き払って下宿を始めたことを美禰子は語りました。三四郎は、それによって美禰子と野々宮が近づくのではないかと危惧しました。
 美禰子は、世界に知られている野々宮のことを褒めました。三四郎は自分と野々宮を比べ、美禰子が言った一言一言が、暗に自分を愚弄しているのではないかと思い始めました。

 三四郎は広田先生の泰然としたところを学ぶために、しばしば訪れました。広田先生と話をしていると、美禰子に囚われていることを忘れ、心が悠揚になるのを感じるのでした。それと矛盾しているようでしたが、野々宮との距離が近い広田先生に近づくことで、野々宮と美禰子との関係がわかるのではないかとも考えていました。広田先生は、妻をもらうときには母親の言うことを聞くようにと言いました。先生によると、昔の青年は親や国や社会などから言われることだけを行なっていたため、教育を受けるということも他人本位であり、偽善であったと言います。ところが今の社会は、若者の自意識が発展しすぎており、それらの若者のことを「露悪家」だと先生は名付けました。先生に言わせると、与次郎も美禰子もよし子も露悪家であるようです。昔の人々は人に対して形式的に親切にすることがあるので不愉快に感じるが、現代の若者、特に与次郎などは、形式にとらわれずに始末に負えないいたずらをしても、それが目的にかなっているので可愛げがあると先生は言いました。
 画家の原口先生という男が広田先生を訪ねてきました。原口先生は、文芸家や芸術家を集めて、有益な談話を交換するための会を開くつもりで、そこに広田先生を誘いました。彼は美禰子や野々宮とも知り合いのようで、大学の運動会で二人のカリカチュアを描こうとしたものの逃げられたと言いました。今度は美禰子が団扇を翳している等身大の肖像画を描いて展覧会に出すつもりでいるようです。原口先生と広田先生は美禰子について、自分の嫁に行きたいところでないと行かないような女だと言いました。三四郎はその話を興味深く聞きました。
 三四郎が外に出て酒を飲むために蕎麦屋の暖簾をくぐると、高等学校の生徒たちが広田先生の話をしていました。彼らは「偉大なる暗闇」を読んだようで、広田先生のことを偉い人だと思っているようでした。
 母からの手紙が届きました。母は三四郎の度胸がないことを心配していました。三四郎は、母の手紙を馬鹿馬鹿しいと思うとともに、その親切な内容に慰められました。

 それより以前、広田先生は引っ越すときの敷金が足りず、野々宮から用立ててもらっていました。その金は野々宮がよし子にヴァイオリンを買うための金でした。広田先生に高等学校の受験生の答案調を引き受けた際の六十円が入り、その金を野々宮に返すように言われて預かった与次郎は、その金で馬券を買って擦ってしまいました。この話を聞いた三四郎は呆れましたが、与次郎になくした分を貸してやりました。それから二人は蕎麦屋に入り酒を飲みました。三四郎はそれ以来酒を飲むことを覚えました。
 与次郎はなかなかその金を返しませんでしたが、美禰子に話をしたところ、金を用立ててくれることとなりました。美禰子は、与次郎が信用ならないので、三四郎に直接金を渡すと言ったそうでした。
 与次郎は、大学に日本人を入れようというところまで話を持っていったようでした。今後は委員を選び、学長のような人に希望を述べに行く予定でした。先日原口先生に広田先生を会に誘わせたのも与次郎でした。三四郎は与次郎の手腕に感心しました。
 翌日、三四郎は美禰子の家に行きました。美禰子はわざわざ綺麗な服に着替えたように思われました。美禰子の微笑みに、三四郎は甘い苦しみを感じました。美禰子は、三四郎のために金を用立てるつもりでいました。しかし、家賃は家から取り寄せればいいので、金を借りてもいいし借りなくてもいいと三四郎が言うと、美禰子は急に冷淡になり、強いて貸そうとはしなくなりました。雨が降らなそうなうちに少し家を出るつもりだと美禰子が言ったのを、帰ってくれと言う意味に解釈した三四郎は立ち上がりました。それと一緒に家を出た美禰子は、三四郎に怒っているのかと聞きました。
 二人はお互いがどこへ行くつもりなのかわからずに歩きました。美禰子は銀行の前で立ち止まり、三四郎に帳面を出し、お金を預かっておいてくれと言いました。三四郎は辞退することができなくなり、その金を仕方なく預かりました。美禰子は原口先生にもらった招待券があると言って、三四郎を展覧会に連れていきました。長い間外国を旅行して歩いた兄妹の絵を見て、それが二人のものだとは気づかずに、一人で描いたものだと思っていた三四郎を美禰子は笑いました。
二人に原口先生と野々宮が話しかけました。美禰子はなにかを三四郎にささやきましたが、三四郎には聞き取れませんでした。原口先生は次の会に向けて、急いで肖像を書かせてくれと美禰子に頼みました。
 原口先生は美禰子と三四郎を精養軒(注3)でのお茶に誘いました。野々宮はこちらに話しかけませんでした。
 三四郎は美禰子にさっき何をささやいたのか聞きました。野々宮を愚弄したような態度を取る美禰子に、三四郎が怒りをあらわにすると、美禰子は、野々宮に対する失礼をするつもりではなかったのだと弁解をしました。三四郎は、「可いです」とだけ答えました。美禰子はさっき貸した金を返さないで貰うように三四郎に言いました。

注3)上野恩賜公園にある、フランス料理の草分けと言われる西洋料理店。

 与次郎に勧められ、三四郎は精養軒の会に出ました。会には広田先生や野々宮、原口先生も来ました。原口先生は野々宮に研究について聞きました。野々宮は、雲母で作った薄い円盤を、推奨の糸で吊るして真空の中にいれ、光をあてるとこの円盤が光におされて動くという研究内容を皆に披露しました。
 広田先生は、分科で有力な教授に良い印象を与えたようでした。帰り道、与次郎と三四郎は、擂鉢山の上で月を見ました。与次郎は金を返せない言い訳を長々と話しました。彼は三四郎が美禰子を愛しているのを見破っており、自分が金を返せないおかげで美禰子から金を借りることができたのだと主張しました。与次郎はいつまでも借りておけと言いました。
 三四郎は金を返すつもりでいたので、母に手紙を書き、友達が金に困ったので貸してやったところ、自分の金がなくなったと正直に伝えました。母からは野々宮に金を送ったから受け取るようにという手紙が届きました。三四郎は野々宮のところへ向かいませんでしたが、一週間ほどたつと、野々宮から手紙が届いて呼び出されました。
 野々宮の家に行く前に唐物屋に入ると、美禰子とよし子が香水を買いに来ました。三四郎は、美禰子に金を貸してくれたことへの礼状を書いていたので、美禰子はそれに対する礼を述べました。
 よし子は野々宮からヴァイオリンを買ってもらったようでした。よし子も野々宮に呼び出されているようでした。

 二人は美禰子と別れ、野々宮の下宿に向かいました。美禰子が文芸協会の演芸会に連れて行って欲しいと言っていたとよし子は野々宮に伝えました。 野々宮は、三四郎に金を渡し、二十円という大金を友達に貸したことへ母親が心配している手紙を受け取ったと話しました。三四郎は軽率なことをしたと後悔し、もう金は貸さないと母に伝えることにしました。よし子には縁談の話があるようでしたが、自分の縁談について、知らないところへ行くか行かないかなど、何も言いようがないと言いました。
 帰り道、野々宮は妹を美禰子の家まで送るのだろうと三四郎は考えました。

 三四郎が家に帰って寝つくと、火事を知らせる半鐘の音で目が覚めました。三四郎は窓を開けると、向こうの方に火事で家が焼けているのが見えました。三四郎はしばらくその火事を見ていましたが、やがて暖かい布団の中へ潜り、火事の元で狂い回る人の身の上を忘れました。

 広田先生が病気だと聞き、三四郎は見舞いに行きました。広田先生は柔術の見知らぬ男に組み敷かれており、もう病気は治ったと言いました。
 原口先生の家に行くと、美禰子を描いていました。三四郎は美禰子に金を返すことで、二人の距離が遠ざかるのか縮まるのかわかりませんでしたが、思い切って返そうとしました。美禰子は、「いま下すっても仕方がないわ」と言いました。
 美禰子は動かずにいましたが、画家の原口先生は美禰子の眼に映る物憂さに気づき、疲れているのだろうと言って、その日の絵を終わりにしました。
 美禰子が帰ろうとしたので、三四郎は連れ立って表に出ました。美禰子はなぜ原口先生のところへきたのかと三四郎に聞きました。
 三四郎はこの瞬間を捉え、「あなたに会いに行ったんです」と答えました。
 美禰子はそれには答えず、原口先生の絵のできるのが早いとは思わないかと聞きました。原口先生が広田先生のところに来て、美禰子を書く意思を話してから一ヶ月しかならない割には、たしかに絵は出来上がっているように三四郎には思われました。
 美禰子によると、その絵には、つい最近本当に取り掛かり始めたのですが、その前から少しずつ描いてもらっていたようでした。
 三四郎はいつからその絵を描き始めてもらったのかを聞きました。美禰子は、「あの服装でわかるでしょう」と答えました。美禰子は三四郎と初めて会った池の端で、団扇を翳していた時の自分を描いてもらっていたのでした。
 背のすらりと高い立派な紳士が車で美禰子を迎えに来ました。
 美禰子は三四郎をその男に紹介し、車に乗り込んでいきました。三四郎が金を返すことはありませんでした。

十一

 与次郎は、文芸協会の切符の販売を頼まれ、学校で売って歩きました。広田先生と原口先生には招待券を送り、野々宮兄妹と、里見兄妹には上等の切符を買わせたと言いました。
 その夜与次郎は三四郎の下宿を訪れました。与次郎はがっかりした様子で、今度の日本人教師が広田先生ではない人物に決まってしまったという記事を三四郎に見せました。
 その記事には、広田先生が、自分がその教師になるための運動を始め、零余子という匿名で自分の門下生に「偉大なる暗闇」などという論文を書かせて学生間に流布したと書いてありました。しかもその「偉大なる暗闇」を書いたのは、小川三四郎であるという、全く身に覚えのない文章までが載っていました。
 三四郎は迷惑を蒙りましたが、与次郎は先生に全てを白状して謝るつもりでいました。
 講義の間に、東京で金を巻き上げられないようにと心配する母から来た手紙を読んでいると、与次郎が話しかけてきて、美禰子のことを聞いたかと言いました。三四郎が何のことかと問い返しているところへ、演芸会の切符を欲しいという人がいると聞いた与次郎は、そちらへ行ってしまいました。
 講義が終わり、三四郎は広田先生の家へ行きました。広田先生はハイドリオタフヒアという難しい本を三四郎に貸していました。広田先生が寝ていたので、三四郎はハイドリオタフヒアを読んでいると、先生は起きました。三四郎がハイドリオタフヒアとはなんのことか聞くと、よくわからないと答えました。
 広田先生は三四郎を湯に誘いました。先生は、「偉大なる暗闇」を書いたのが与次郎だと聞かされていました。先生は、今回のことをそれほど迷惑に感じているわけではありませんでしたが、自分の意向も聞かずに運動をした与次郎に苦言を呈しました。しかし済んだことを話すのはやめようと言って、先生は先ほど見た夢の話を始めました。それは自分が生涯にたった一度会った十二、三歳の顔に黒子がある綺麗な女に再会したという夢でした。先生は二十年ほど前にその女に会ったのだと言います。

 その夢の中で森を歩いていると、先生は唐突にその女に会いました。女は服装も髪も二十年前と変わらない十二、三歳のままでした。先生がその女に「少しも変わらない」と言うと、その女は先生に「大変歳をおとりになった」と言いました。先生がなぜ変わらないのかと聞くと、「二十年前にあなたにお目にかかった時のこの服装と髪の日が一番好きだからだ」と、答えました。先生は自分がなぜ歳をとったのだろうと不思議がると、女は、「あなたはその時よりももっと美しい方へ方へとお移りなさりたがるからだと」教えました。先生が「あなたは画だ」と言うと、女は「あなたは詩だ」と言いました。
 先生がその女に会ったのは、高等学校時代、森有礼文部大臣が殺されて、棺を送ることになって、寒い中を待っている時でした。目の前を通った行列のなかにいたその娘が先生の目に焼き付いたのでした。先生は、その娘が誰なのか全く分からず、探してみることもしませんでした。三四郎はもしその女が来たら、嫁に貰ったかと先生に聞きました。先生は、「貰ったろうね」と答えました。
 先生は結婚をしなかったのはその娘のためばかりではないと言いました。そして「例えば」と前置きをした上で、「父親が早くに死んで、母が息をひきとる際に、自分の知らない人を指名して、その人が本当の父親だから世話になれと言うと、その子供は結婚に信仰を置かなくなるだろう」と言いました。先生の母は憲法発布(先生がその娘に会った年)の翌年に死んだようでした。

十二

 演芸会が開かれ、三四郎は与次郎に頼まれて広田先生を誘いましたが、先生はそれを断りました。先生は散歩がてら、三四郎を送りました。先生はギリシャの劇場の様子を三四郎に語りました。
 三四郎は一人で劇場に入り、野々宮とよし子と一緒にいる美禰子を見つけました。与次郎や原口先生の姿も見られました。原口先生は美禰子たちの近くに座りました。
 ハムレットが始まりました。三四郎は美禰子とハムレットを交互に見ていました。幕が降りると、美禰子とよし子が席を立ちました。三四郎もまた席を立って、その後を追うと、二人が男と話していました。三四郎は席へ帰らずに下宿へ戻りました。

 翌日から三四郎は熱を出しました。頭が重くて寝ていると、学校に来ないのを心配した与次郎が入ってきました。三四郎は、この前与次郎が途中まで話した美禰子の話を聞きました。与次郎は、美禰子が嫁に行くことが決まったように聞きましたが、不思議なことがあってどうなるかわからないと答えました。与次郎は、美禰子のような自分を偉いと思っている女は、自分たちのような同い年の男のところへ行こうなどと考えるものではないから、想っても仕方がないと三四郎を悟しました。
 与次郎は自分が関係した女があまりに煩わしいので、長崎に出張すると嘘をついて別れようとしたようでした。与次郎はその女に、自分が医科の学生だと嘘をついていて、適当に診察したこともあるようでした。与次郎はそういうことも沢山あるから、安心するがよかろうと言いました。何のことかわかりませんでしたが、三四郎は愉快になりました。
 与次郎は美禰子の結婚に関する不思議を語り始めました。それによると、よし子にも結婚話があり、その相手の男と、美禰子の相手の男が同じ人らしいとのことでした。
 三四郎は、はっきりしたことが知りたくなりました。与次郎はよし子を見舞いに来させると約束してくれ、さらに医者を呼んでくれました。三四郎はインフルエンザだと診断されました。

 翌日、三四郎の容態はだいぶ良くなりました。三四郎は、見舞いに来たよし子に、美禰子が嫁に行くのかを聞きました。美禰子は兄の友達のところへ嫁に行くことが決まったと、よし子は答えました。その男はもともとよし子を貰うと言った人だと言います。よし子は美禰子が嫁に行った後、野々宮と一緒に家を持つことになっているようでした。
 三四郎は四日ほど床を離れず、五日目になって床屋に行き、そのあくる日に美禰子を訪ねました。よし子によると、美禰子は留守にしていて会堂(チャーチ)へ行ったようでした。
 三四郎は会堂へ行き、美禰子が出てくるのを待ちました。美禰子が出てくると、三四郎は金を返しました。美禰子は逆らわずにそれを受け取りました。三四郎が「結婚するそうですね」と言うと、美禰子は「御存じなの」と言い、かすかなため息を漏らし、聞き取れないくらいの声で、「われは我が愆(とが)を知る。我が罪は常に我が前にあり」と言いました。

十三

 原口先生の画ができあがり、展覧会ではこれを一室の正面にかけました。その絵は「森の女」と題され、大勢の人が見にきました。美禰子は夫に連れられて二日目に来ました。夫は原口先生にその構図を褒めました。原口先生は、この構図は美禰子の好みだと説明しました。
 その後広田先生、野々宮、与次郎、三四郎がこの画を訪れました。その画を四人は批評しました。野々宮の隠袋(かくし)からは美禰子の披露宴の招待状が出てきました。その披露宴はとうに終わっていて、野々宮と広田先生は出席しました。三四郎は、帰郷の当日に下宿の机の上にその招待状を見つけましたが、その時には式はもう終わっていました。
 三四郎は、「森の女」という題が悪いと言いました。与次郎が何にすればいいのだと聞きました。三四郎は何も答えませんでしたが、口の中で「迷羊(ストレイシープ)」と繰り返しました。