夏目漱石の前期三部作の一つ『それから』の登場人物、あらすじを紹介するページです。作品の概要や管理人の感想も。
※ネタバレ内容を含みます。
『それから』の登場人物
長井代助
三十歳になって定職に就かず、月に一度、本家から金を貰って生活している。一軒家を構え、手伝いの婆さんと書生の門野を家に置く。自分の肉体の健康に重きを置く男で、寝ながら胸の脈を聞くのが癖になっている。酒をいくらでも飲むことができる。本家では、戦争に参加したことを誇りとする父のことを苦手としており、怒られるのが面倒なため、反抗するのを避けている。
学友であった菅沼(故人)の妹として三千代と懇意になり、平岡と三千代の結婚を周旋する。
平岡常次郎
代助の中学校からの友人。体重十五貫目(約五十六キロ)。坊主頭で眼鏡をかけている。学友の妹である三千代との結婚を代助に周旋してもらい、その後自分の勤めている銀行の、京阪地方の支店詰になる。三千代が病気をしている間に放蕩を始める。部下の男が芸者と関わり、会社の金を使い込んだため責任を取るために退社して、東京に帰る。その際に代助に手紙を送り、三年ぶりの再会を果たす。支店を引き払う際に借金をしていたため、生活が困窮しており、生活のための仕事を馬鹿にしている代助に見栄を張り、心を開くことを躊躇している。職探しに奔走して忙しい日々を送り、新聞社への口が決まる。
平岡三千代
常次郎の妻。色が白くて髪の黒い、細面の眉毛がはっきりと映る女性。美しい線を綺麗に重ねた二重瞼で、眼は細いが、なにかの加減でとても大きく見えることがある。一見どことなく寂しい印象を抱かせる。国の高等女学校を卒業し、兄に連れられて出て来た東京で代助と平岡を知る。兄と母を腸チフスで失い、父親に連れられて一度国に帰った後、平岡と結婚する。平岡と共に東京を出て一年目にお産をして、生まれた子供はすぐに死んだ。その後心臓を痛め、一度完治するも再び血色が悪くなり始め、三年ぶりに会った代助を驚かせる。再会の際には、代助からもらった結婚祝いの指輪を嵌めていた。
長井得
代助の父。維新の時に戦争に加わり、役人を経て実業家になった。若い妾を持っている。自分が戦争に出たことを誇りにし、度胸が据わっていることを美徳としている。
幼い頃は誠之進という名で、十七歳の頃に兄を斬りつけてきた男を返り討ちにし、危うく切腹しかけたところを高木という遠縁の名家に救い出される。謹慎の意を表すために一度家を捨て、その後しばらくして両親を東京に呼び、結婚して得という名前になる。
子供に嫁を持たせるのは親の義務とこころえ、三十にもなって結婚しない代助に、京都の旅行先で会った高木の孫の姪に当たる娘を見合い相手として紹介する。
長井誠吾
代助の兄。学校を卒業して父の関係する会社で働き、今では重要な地位を占めている。忙しい身分であるが、平然として社内での役割をこなし、その結果年々肥満している。
長井梅子
誠吾の妻。すらりとした色の浅黒い、眉の濃い、唇の薄い女。古風な趣味と現代風の趣味を併せ持ち、フランスの織物で帯を仕立てたりする。代助のことを気に入っており、その将来を案じて縁談の話をよく持ってくる。
長井誠太郎
誠吾の子。十五歳。春から中学校に通い始めている。ベースボールに熱中している。代助を慕っている。
長井縫子(ぬいこ)
誠太郎の三歳違いの妹。ヴァイオリンを習っている。代助を慕っている。
長井直記
故人。得の兄。青年の頃に斬りつけてきた悪漢を弟と共に返り討ちにし、危うく切腹しかけたところを高木という遠縁の名家に救い出される。謹慎の意を表すために一度家を捨て、その三年後に京都で浪士に殺される。
婆さん
代助の家の手伝い女。知り合いの息子である門野を代助の家に引き込む。
門野
書生。代助を先生と呼ぶ。もともと婆さんの近所に住んでいた。内職をする母、郵便局で働く二十六歳の兄、銀行の小使をしている弟がいる。学校も行かず、勉強もせずにごろごろしている。代助と議論になると、いつも「そんなもんでしょうか」と応える。体は動くので、婆さんには重宝されている。代助に命じられ、平岡の家探しを行う。
寺尾
代助の同窓生。学校を卒業後、危険な商売を始めながら文学を志すが、未だに名声が上がらない。ロシアの文学が好き。代助と会うと文学談義を始める。ある書物の翻訳をする仕事を請け負い、わからないところを代助に聞きに来る。
高木
神戸の実業家。金縁の眼鏡をかけている。代助の父の命を助けた人物の養子の子。代助の見合い相手の候補として、佐川の娘を連れてくる。
佐川の娘
高木の姪。代助の父の命を助けた人物の孫(高木の妹)の娘。父親は多額納税者。京都で教育を受け、大人しい性格。琴やピアノをやっているが、教育を受けたアメリカの婦人の影響で、清教徒のように育ち、芝居や小説は嗜まない。代助の見合い相手として、高木と共に東京へ出て来る。
菅沼
故人。三千代の兄。代助の学友。学生となった二年目の春、国から三千代を連れてきて家を持つ。三千代の趣味に関する教育を代助に任せており、代助が三千代の夫になることを、暗黙の了解で承知していた。国元から遊びに来た母の腸チフスに感染し、死去する。
『それから』のあらすじ
定職を持たず、実家から金を貰って生活している長井代助は、中学時代からの友人平岡常次郎と三年ぶりに再会しました。地方の銀行に勤めていた平岡は、部下が芸者のために公金を使い込んだため、その責任を取って退社し、東京へと戻ってきたようでした。平岡の妻は、代助の級友(故人)の妹の三千代で、二人の結婚を周旋したのは代助でした。
裕福な暮らしをしている代助は、生活のために労働するのは堕落だと考えており、困窮した生活を送るようになった平岡と話が合わず、心が離れていることを感じました。
代助が月に一度金を貰いに行く本家では、兄の誠吾の家族が父と共に暮らしていました。父は維新の時に戦争に出た経験があり、会うたびに小言を言ってくるため、代助は苦手としていました。その反面、代助は兄嫁の梅子とは親しくしていました。
梅子は、父が京都の旅行先から持ち帰ってきた縁談の話を始めました。その相手は、父が若い頃に侍を斬ったために切腹しそうになった時に、藩主らの元を奔走して救ってくれた高木という遠縁の人物の養子の孫でした。これまでも全ての縁談の話を断っていた代助は、今回の縁談にも興味を持つことができませんでした。
代助は、書生の門野に依頼して、宿住まいをしている平岡の新しい家を探してやりました。久々に再会した三千代は、数日後に代助の家を訪れて平岡が借金をしていることを話し、金の工面を頼みました。
三千代は、代助の学友であった菅沼という男の妹で、地方から出て来た菅沼が家を持った時に国から連れて来られ、代助と平岡を知りました。その後兄と母が腸チフスで死んだため、三千代が頼りにできるのは、平岡と、北海道にいる父だけしかいませんでした。子供が生まれてすぐに死んでから、三千代自身の体の具合も思わしくなく、以前よりも血色が悪くなったように感じられました。
代助は、三千代に援助を行うため、誠吾と梅子に金を貸してほしいと頼みました。誠吾は金を貸してくれませんでしたが、梅子は一度金を出すのを渋った後で、二百円の小切手を送ってくれました。
代助は、梅子が貸してくれた金を三千代に渡し、同時に平岡が地方にいる時に放蕩を始めたことや、最近は酒を飲んで怒りやすくなったことを知りました。代助は、三千代を慰めるとともに、二人の結婚を周旋したことを後悔し始めました。
気の進まない縁談にのらりくらりとした返答をしていた代助に対し、父は機嫌を損ね、兄夫婦は策略をめぐらして、劇場で見合い相手と代助を対面させました。結婚に気乗りがしない代助は倦怠を感じるようになり、その倦怠を打ち破る方法として、三千代と会うことが頭に浮かぶようになっていきました。
本家に呼び出され、見合い相手と対面させられた代助は、半ば無理矢理に結婚を強いようとする父の人格を疑うとともに、生活の中に安息を見出すことができなくなりました。
理由をつけて三千代の家に行くにつれ、代助は平岡と三千代との間に、修復することのできない溝ができていることに気づきました。それとともに、代助は過去の三千代と自分との関係を思い出すようになり、始めから二人が惹かれ合っていたであろうことに思い当たりました。
代助は、三千代との関係をこのまま押し進めるべきか、父の言う通りの結婚をするか悩みました。そして、自分が既婚者である三千代を想うのであれば、他の女と結婚して既婚者となった後も、三千代への想いが消えることはないであろうと考え、縁談を断る決意をしました。
本家へと向かうと、父親の都合が悪かったため、代助は梅子に縁談を断ると伝えました。考えを改めるように梅子が説き伏せにかかると、代助は他に好きな女がいることを告白しました。
本家を出た代助は、自分の想いを伝えるため、手紙で三千代を呼び出しました。代助はなかなか切り出すことができませんでしたが、二人の結婚を暗黙の了解として予期していた三千代の兄のことに話が及ぶと、自分の想いを打ち明けました。三千代は涙を流し、代助の愛をありがたいと言いました。二人は、世間と戦いながら共に歩んでいく覚悟を決めました。
数日後、代助は父親に同情を感じつつも、縁談を断りました。父親は代助にこれ以上の援助をすることはないと宣言しました。
職業を得なければならなくなった代助は、責任を果たせないかもしれないことが重くのしかかり、その心配事を三千代に伝えました。しかし、三千代は死ぬ覚悟で代助についていくことを決めているようでした。三千代の覚悟を見た代助は、平岡に話をつけることを約束しました。
翌日の朝、代助は平岡に都合をつけてほしいという手紙を出しました。その数日後、使いに出した門野は、翌日平岡が来るということと、三千代の体調が悪いことを代助に伝えました。
翌日、平岡がやってきて、病床にいる三千代が、謝らなければならないことがあるので代助のところへ行くようにと涙ながらに訴えたことを語りました。代助は、三千代と自分との、これまでの関係を全て語り、泣いて謝りながら三千代を欲しいと懇願しました。
平岡は、代助を非難しながらもその願いを承知しました。しかし、今後代助との交友を一切断つこと、夫としての立場上、三千代の病気が治るまでは譲り渡すわけにはいかないことを条件としました。
混乱した代助は、三千代の容態が悪いのだと思い込んで、平岡が三千代の遺体を自分に見せるつもりなのではないかと詰め寄りました。
それ以来、代助は三千代の様子を探ろうとして何度も平岡の門前を訪れ、三千代に会うことができない自分の立場に絶望することを繰り返しました。
数日後、誠吾が代助を訪れ、平岡がこれまでの経緯を父親に手紙で知らせたことを話しました。その手紙の内容が真実であることを確認した誠吾は、大声で代助を叱責し、今後一切の関わりを断つことを宣言しました。
三千代と共に社会から殺されることを予期した代助は、職を探すと門野に言い残して家を飛び出しました。混乱した代助は、目につく赤いものが頭の中に入り込み、それが火を吐きながら回転するのを感じるようになり、自分の頭が焼き尽くされるまで電車に乗ることを決めました。
作品の概要と管理人の感想
『それから』は、一九〇九年に朝日新聞に掲載された夏目漱石の長編小説です。
前年に発表された『三四郎』、翌年に発表された『門』と共に、前期三部作と言われる作品の一つです。これら三つの作品は、登場人物が異なっており、完全に連続したストーリーではありません。しかし、前の作品で登場人物たちが辿ってきたような運命を、次の作品の登場人物たちが数年前に経験したように書かれているため、連作として読むことができます。登場人物の性格や背景はまるで異なっており、他の作品と比較しながら読んでも楽しめるようになっています。
前作『三四郎』の主人公が、熊本から出てきた純朴な青年であったのに対し、『それから』の主人公長井代助は、東京の裕福な家の生まれです。彼はいわゆる高等遊民と言われる人種で、実家の収入だけで生きていけるため、三十歳になっても定職に就かず読書や芝居を楽しみながらぶらぶらと暮らしています。それどころか、生活のために仕事をすることを愚かなことと捉えていて、周囲の人々を馬鹿にしています。
現代から見ると彼の考え方は幼稚に感じられ、生活のために奔走する平岡常次郎の方が、よっぽど大人びて見えます。終始、代助の行動にいらいらしながら読む人も多いでしょう。しかし、当時はこのような人々が一定数いて、社会からもその存在が認められていたようなので、現代の尺度で代助の思想の稚拙さを論じるのはナンセンスなような気もします。今でいう、「仕事よりも趣味を優先する人」くらいに考えておくくらいの方が適切かもしれません。最も大事なことは、代助が三千代との生活を選ぶことにより、自分の思想を百八十度転換せざるを得ない状況に陥るということにあると思います。愛する人と共に生きるという覚悟を決めたことで、家族を捨て、友人を捨て、思想も捨てなければならないことが、これまで軽薄に生きてきた代助に重くのしかかるのです。
三千代と生きていく覚悟を決めるまで、代助は想いをくすぶらせながらも、自分から行動を起こそうとする意思が薄弱です。見合いの話を持ってくる父親から逃げ、のらりくらりと生活している様子ばかりが描かれるため、中盤あたりまではストーリーに動きがなく、緩慢な印象を受けます。
しかし、やや退屈にも思えるストーリーは、代助が三千代と生きていく覚悟を決めてから一気に加速します。特に三千代に愛を告白する場面は、個人的には日本文学史上のベストシーンの一つにあげたくなるほどの感動的な部分です。そしてその後の父親、平岡、兄との対峙は非常な緊迫感があり、代助の狂気ともとれるラストの場面を迎えます。
この後半の畳みかけるような展開は、冗長な前半があるからこそ、また代助が煮え切らない人物として描かれていたからこそ、大きな感動を与えてくれるのだと思います。個人的な意見ですが、夏目漱石の作品の中でも最も大きく感情を揺すぶられるのがこの『それから』です。このようなダイナミックな緩急により、今も読者を焦らし続けてくれるこの作品は、夏目漱石の作品の中でも稀有な読書体験をさせてくれるものだと思います。