織田作之助『夫婦善哉』の詳しいあらすじ

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『夫婦善哉』の登場人物

※ネタバレ内容を含みます。

維康柳吉
安化粧品問屋の息子。妻子を持っていたが、芸者の蝶子と関係を持ち、駆け落ちする。

蝶子
十七歳で芸者になり、柳吉と駆け落ちする。

種吉
蝶子の父。大阪にある路地の入口で天麩羅屋を営む。

お辰
種吉の妻

おきん
ヤトナ(臨時雇いの芸者)を斡旋している年増の芸者。

柳吉の妻
柳吉が駆け落ちすると籍を抜いて実家に帰る。

筆子
柳吉の妹。駆け落ちした柳吉の娘の面倒を見る。

柳吉の娘
四歳の頃に蝶子と柳吉に駆け落ちされる。

金八
北の新地で蝶子と同じ抱え主のところにいた芸者。蝶子と再会したときには出世していた。

『夫婦善哉』の詳しいあらすじ

※ネタバレ内容を含みます。

 路地の入口で天麩羅を揚げて商っている種吉と、女房のお辰には、年中借金取りが出入りしました。子供の蝶子が小学校を終えるとすぐに女中奉公に出しましたが、種吉は蝶子の手が赤ぎれて血がにじんでいるのを見て連れ戻し、蝶子が十七歳の時、希望していた芸者にさせました。

 維康柳吉という安化粧品問屋の息子で、女房と四つの子供のある三十一歳の馴染み客に、蝶子は出会ってから三か月で関係を持ちました。やがて柳吉が金に困るようになると、蝶子は草履を送りましたが、それが父親と女房に知られて、柳吉は勘当させられることとなりました。柳吉は仕事で得た金を東京で受け取ると、蝶子に会い、駆け落ちを持ちかけました。二人は熱海へ行きますが、関東大震災に合って、駆け落ちを悔いて大阪に戻りました。

 二人は避難列車に乗り、一度辰吉のもとへ帰った後、黒門市場の中の路地裏に所帯を張りました。柳吉には職がないので、蝶子はおきんという年増芸者が周旋しているヤトナ(臨時雇いの芸者)の仲間に入りました。柳吉は蝶子に小遣いをもらっては、将棋をしたり、安カフェへ行く生活を送りました。

 柳吉の妻は籍を抜いて実家に帰り、娘は柳吉の妹の筆子が十八歳から母親がわりになっていました。年の暮れに柳吉が実家に正月の紋付などを取りに帰ると、父親に怒鳴りつけられ、娘にも会わせてもらえませんでした。この話を聞いた蝶子は、自分の力で柳吉を一人前にすると決心しました。

 しかし年が明けると、柳吉は昔の遊び友達と難波新地にはまりこんで二日帰りませんでした。蝶子は柳吉を突き倒して外に出ましたが、結局は帰ってきて柳吉を許しました。

 柳吉は剃刀屋で働き始めますが、三ヶ月ほどで主人と喧嘩したと言って行かなくなりました。

 実家に帰っている柳吉の妻が死んだという知らせが入りました。蝶子は蝋燭などを寄進したり、戒名を聞いて棚に飾り、毎日花を変えたりして見舞いました。

 二年が経ち、三百円をためると、蝶子はお辰と種吉と弟にいくらかの金を渡せるほどになりましたが、柳吉は芸者遊びに百円を使ってしまいました。

 蝶子は質屋とやりくりして、半年で元の額に戻すと、二人は剃刀屋の商売を始めました。柳吉はしっかりと立ち回り、瞬く間に開店するも、客足が遠く、柳吉が浄瑠璃の稽古などを始めたので、蝶子は再びヤトナに出ることにしました。店の方は、柳吉の使い方が激しく問屋の借りがかさんだため、一年で閉めることになりました。

 相変わらず柳吉は浄瑠璃の稽古にでたり、五銭喫茶店で時間を潰したりしていました。腸が痛むというので病院代もかさみました。蝶子はヤトナの古顔になり、二年でやっと二百円をためますが、柳吉は五十円の金を飛田の廓で使ってしまいました。蝶子ははげしく柳吉を折檻すると、あくる日、柳吉はぶらりと出て行ったまま、いく日も帰って来ませんでした。

 蝶子は柳吉のことを探し、十日目に路地の盆踊りに駆り出されたところを柳吉にひょっこり出会いました。柳吉は梅田の実家に帰っていました。妹が婿養子をとるので、柳吉は廃嫡になったが、それで泣き寝入りはできないので談判していたといいます。父親は蝶子と別れたらいくらかの金を渡すと言ったため、別れた芝居をしようと柳吉は蝶子に言いました。蝶子はおきんに意見を聞きました。おきんは柳吉が蝶子を騙して、実家に居座るつもりだと言い、その忠告に従った蝶子は使いの者に別れたとは言いませんでした。

 三日後柳吉は不機嫌な様子で帰って来ました。蝶子が柳吉と別れたという芝居をしなかったため、父親からは取り損いましたが、妹からは三百円を無心してきたようでした。その三百円と蝶子の貯金を合わせて新しい商売をやろうと柳吉が言い出しました。二人は関東煮屋(かんとだきや)をやることにし、飛田大門前通りに売りに出されていた店を三百五十円で買い、蝶柳と名前をつけ開店しました。土地柄、喧嘩を始めるような客もいましたが、こちらは繁盛しました。柳吉はしばらく身を入れて働いていましたが、妹の婚礼に出席を撥ね付けられて気を腐らせ、二百円ほど持ち出して三日帰って来ませんでした。帰ってくると蝶子はやはり折檻しましたが、柳吉の遊蕩はなくなりませんでした。柳吉は店の酒を飲み、酔うと気が大きくなって遊蕩を始めたため、酒屋への支払いも滞り、柳吉の遊蕩のために商売をしているようなものだと思った蝶子は、再び店を閉めました。

 その後、五、六軒先の果物屋が繁盛しているのを見かけ、二人は果物屋を始めました。昔西瓜を売っていたことがあった種吉にも人手を借りました。蝶子は廓で西瓜を売ることができ、儲けも多い反面、果物の足が速く、損も多い商売でした。

 柳吉は腎臓結核で入院しました。お辰も子宮癌にかかったため、種吉にも店を頼めず、蝶子は店を閉めて柳吉の入院に付き添いました。店の買い手はすぐにつき、二百五十円が入りましたが、病院代ですぐに消えました。蝶子は再びヤトナへ出るようになりました。柳吉は腎臓を一つ取りました。

 あくる日、柳吉の妹と、十二、三歳になる柳吉の娘が見舞いに来ました。蝶子は、初対面であった柳吉の妹に百円を握らされ、柳吉の父親が自分のことを認めたという話を聞きました。その喜びも束の間、お辰が危篤だという報せが入ります。しかし柳吉は自分の方を看護をしろと言い、結局蝶子はお辰の死に目には会えませんでした。

 お辰が入っていた保険料の五百円が入りました。種吉が葬儀屋の籠付き人足に雇われており、無料で葬儀を行うことができたため、手元には二百円が残りました。

 柳吉は湯崎温泉に養生しました。蝶子は少額の仕送りをしていました。ある日夫を訪れると、妹に無心した金で芸者遊びに興じていた上、娘を呼んで湯崎温泉を案内していました。蝶子は逆上しました。

 柳吉と大阪に帰り、日本橋の御蔵跡公園裏に家を借り、蝶子は再びヤトナにで始めました。ある夕方、北の新地で同じ抱え主のところにいた金八という芸者に、蝶子は話しかけられました。金八は出世しているようでした。昔の抱主がけちで、二人して出世してやろうと誓い合った仲だったので、金八は無利子の期限なしで金を貸してくれました。蝶子はサロン蝶柳という名でカフェを始め、半年もたたないうちに押しも押されぬ店となりました。

 ある日、柳吉の娘が顔を出し、柳吉の父の病気が悪いと知らせてきました。蝶子は父の最期に、柳吉の嫁として認めてもらいたく思い、枕元で晴れて夫婦になれるよう頼んでくれと柳吉に言いました。柳吉の父が死ぬと、蝶子は二人分の紋付も用意したが、葬式に行くことは認められませんでした。絶望した蝶子は、二階に閉じこもりガスの栓をひねりました。柳吉が紋付を取りに帰ってきて蝶子を発見し、医者を呼んで蝶子は助かりましたが、柳吉は父の葬式に行くとそのまま帰ってきませんでした。

 二十日経つと柳吉から種吉に手紙があり、娘を引き取って九州へ行き自活したいと書いてありました。しかしその十日後には柳吉は再び蝶子のもとへ戻り、妹の婿養子に蝶子と別れたと見せかけて金を取る算段だったと言います。蝶子はそれを信じました。

 二人はめおとぜんざいという店に行きました。ぜんざいを注文すると、女夫の意味で一人に二杯ずつ持ってきました。ここはある浄瑠璃の師匠が開いた店で、少しずつ二杯にするほうがたくさん入ってるように見えます。うまく考えたものだと柳吉が言うと、蝶子は一人より女夫のほうが良いということだろうと答えました。

 蝶子と柳吉はやがて浄瑠璃に凝り出しました。素義大会(素人が行う浄瑠璃の大会のこと)で、柳吉は蝶子の三味線で太十(浄瑠璃の演目のひとつ)を踊り、二等をとって景品で座布団をもらいました。その座布団を蝶子は毎日使いました。