織田作之助『夫婦善哉』の登場人物、あらすじ、感想

 『夫婦善哉』は、一九四〇年に発表された織田作之助の短編小説です。

 織田作之助(一九一三年~一九四七年)は、太宰治や坂口安吾らと同じ無頼派に分類される作家です。水商売などを扱った作品が多いため、公序良俗に反するとして戦時中は発禁処分を受けることもあったそうですが、遊蕩的でありながらも、大阪人ならではの人情味に溢れる作品を多く残し、当時の流行作家となりました。

 無頼派というと、酒や薬で私生活を毒され、破滅的な小説を書く人たち、といったイメージを持たれがちですが、そうではありません。

 無頼派とは、戦中戦後の、人々の意識が急激に変化する中で、それまで「良し」とされてきた既成の文学に対し、全く新しいスタイルの文学を作り出そうとしてきた一派のことをさします。

 それまでの人道主義的で写実主義的な流れに反発した人々であったため、破滅的な作品が多くはなっていますが、「このような作風のものが無頼派だ」といったものはなく、それぞれの作家がそれぞれの信条に従って、新しい文学を模索しています。

 今回紹介する『夫婦善哉』は、安定した職を持たずにフラフラと生きる男(維康柳吉)と、それを支える女(蝶子)の物語です。
 もともと駆け落ちで始まった関係がゆえに、結婚がなかなか認められず、蝶子は晴れて柳吉の妻になるために、身を粉にして働きます。しかし柳吉は余裕ができるとすぐに芸者遊びなどに散財してしまい、蝶子の苦労が報われることはありません。

 やめればいいのにやめれない、何をやっても報われない、そんな人間関係を経験した人にとっては、非常に共感できる作品ではないでしょうか。

 この作品は二〇〇七年に続編が発見され、公開されています。

『夫婦善哉』の主な登場人物

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維康柳吉
安化粧品問屋の息子。妻子を持っていたが、芸者の蝶子と関係を持ち、駆け落ちする。

蝶子
十七歳で芸者になり、柳吉と駆け落ちする。

『夫婦善哉』作品の概要とあらすじ

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※ネタバレ内容を含みます。

 蝶子は十七の歳で自ら希望して芸者になり、馴染み客の柳吉と関係を持ちました。柳吉は蝶子と出会った時は三十一歳で、妻と四歳になる子供がいました。二人は熱海へと駆け落ちしますが、関東大震災にあって大阪へと戻ります。

 柳吉は駆け落ちをしたことで、実家から勘当されていました。柳吉の妻は籍を抜いて実家に帰り、その後亡くなりました。娘は柳吉の妹の筆子が母親がわりになって育てています。柳吉は行く末は娘と暮らしたいらしく、実家への想いを捨てきれないでいます。

 二人は黒門市場の中の路地裏に所帯を持ちます。蝶子は臨時雇いの芸者の仲間に入り、家庭を支えようとします。しかし柳吉は仕事を持たず、蝶子に小遣いを貰いながら生活し、剃刀屋の職についたかと思うと、すぐに辞めてしまいます。

 その後も二人は剃刀屋、関東煮屋(かんとだきや)、果物屋と、さまざまな店を開きます。しかし少し余裕ができると、柳吉は芸者遊びに散財します。その度に蝶子は柳吉を折檻し、柳吉は家を出ていきます。しかしいつも数日でふらっと戻ってきます。

 そのうちに柳吉は腎臓結核を患い、入院することになりました。蝶子は果物屋を切り盛りしていましたが、柳吉の入院に付き添うため、店を閉めます。店の買い手はすぐにつきましたが、すぐに病院代に消えてしまいました。

 柳吉は湯崎温泉に養生を始めました。蝶子は少額の仕送りをしていましたが、柳吉は自分の妹に無心した金で芸者遊びに興じていた上、娘を呼んで湯崎温泉を案内していました。これを聞いた蝶子は逆上しました。

 柳吉と大阪に帰り、日本橋の御蔵跡公園裏に家を借りた蝶子は、再び芸者にで始めます。蝶子は昔の芸者仲間に金を借り、サロン蝶柳という名でカフェを始めます。蝶柳は半年もたたないうちに押しも押されぬ店となりました。

 ある日、柳吉の父の病気が悪いという知らせが入ります。蝶子は父親の最期に、自分たちが晴れて夫婦になれるよう頼んでくれと柳吉に言いました。

 果たして二人は実家から認められた夫婦になることができるのでしょうか?

管理人の感想

 この小説に書かれているのは、
「柳吉と蝶子が何の職についたか」
「蝶子が金をどのくらい貯めたのか」
「柳吉がどのくらい散財したのか」
といった事実の羅列です。特に金額に関しては、蝶子が貯めた分と柳吉が散財した分が事細かに書かれています。

 柳吉の散財っぷりは、蝶子が二年かけて貯めた三百円のうちの百円を数日で使ってしまうようなものでした。当時の米十キロは約三円、コーヒー一杯が約十銭(百銭=一円)ということですから、いかに柳吉が豪快に遊んだかがわかります。

 その分、情景描写や心理描写はあまり書かれていません。しかしそれがかえって蝶子の心理を想像させるようになっています。「二年かけて貯めた額の三分の一を、芸者遊びで散財されてしまった」こんな破天荒なエピソードなので、心理描写がなくても、私たちは蝶子の悲しみや怒りを感じられるのです。

 どれだけ柳吉が甲斐性なしでも、蝶子には自分から別れようという迷いはありません。一度柳吉を折檻すれば、あとは只々働きます。甲斐甲斐しく家庭を切り盛りする蝶子の強さには、いやがうえにも惹きつけられます。

 いったい柳吉のどこに蝶子は惹かれ続けていたのでしょうか?

 柳吉の人格についても、この作品ではあまり深くは掘り下げられていません。それにも関わらず、どこか憎めない印象を柳吉に抱いてしまうのは、この作品の持つ不思議な魅力だと思います。

 そして結末で交わされる柳吉と蝶子の会話は、非常に夫婦らしいものになっています(題名の『夫婦善哉』の意味がわかるところでもあります)。夫婦になかなかなれないからこそ、本物の夫婦よりも強い絆で二人が結ばれている。そのように感じさせられるような結末だと思います。