坂口安吾『夜長姫と耳男』の登場人物、あらすじ、感想

 『夜長姫と耳男』は、1952年に発表された坂口安吾の短編小説です。
 飛騨山脈の名峰乗鞍岳の麓の里を舞台とし、美しく純粋でありながらも残酷な夜長姫と、その夜長姫を守る御神仏を彫るために集められた彫工・耳男の物語です。坂口安吾の芸術観がよく表現されている作品で、『白痴』、『桜の森の満開の下』などと並ぶ代表作の一つとなっています。
 このページでは『夜長姫と耳男』の登場人物、あらすじ、感想を紹介します。

『夜長姫と耳男』の登場人物

耳男
二十歳の彫工。兎のように長い耳を持つ。飛騨の三名人と呼ばれる匠の弟子。死期の近づいた親方の推薦を受け、夜長姫の御神仏を彫るために夜長の屋敷へと招かれる。
夜長姫に侮辱され、その無垢な笑顔に魅了されながらも、姫を恐れさせる化け物の像を作るために精根を傾ける。

夜長姫
乗鞍山麓に屋敷を構える長者の娘。物語の序盤では十三歳。生まれた後、黄金の露を集めた産湯を使わせたために、生まれながらに光り輝き、黄金の香りがすると言われている。美しく無垢な笑顔と残酷さを併せ持つ。

親方
飛騨三名人の一人と言われる匠。耳男の師匠。夜長姫の御神仏を作るために招かれるが、死期の近い自分の代わりに耳男を推薦する。

夜長の長者
夜長姫の父親。まるまると太り、ほおがたるんだ、福の神のような男。

アナマロ
夜長の長者の使者。飛騨の三名人を長者の屋敷に招待する。他の匠と比べて腕の劣ると思われる耳男のことを思いやり、帰るように忠告する。

江奈古(エナコ)
高い山と広い森を泣きながら超えたところにある、何千という泉が湧き出す里の一番綺麗な泉のそばで旗を織っていた美しい娘。夜長姫の着物を織るために、虹の橋を渡ってやってきた奴隷。姫の気に入った像を作った者に、褒美として与えられることになっている。

月待(ツキマチ)
江奈古の母親。

青笠
夜長の長者の屋敷に呼ばれた飛騨三名人のうちの一人。高慢な男で、自分に勝てないと思い込んだ耳男の親方や古釜が、その弟子や倅を送り込んだのだと豪語し、その送り込まれた耳男や小釜も小物だと評する。

古釜
飛騨三名人のうちの一人。夜長姫の御神仏を彫るために招かれるが、三名人の中で自分が最後にアナマロの訪問を受けたことに腹を立て、仮病を使って小釜を送り込む。

小釜(チイサガマ)
古釜の倅。耳男よりも七歳上で、父に劣らぬ匠であると言われている。病気(仮病という噂もある)の父に代わって、夜長の長者の屋敷へと赴く。落ち着いているように見えるが、挨拶以外に人に話しかけることがない。

『夜長姫と耳男』のあらすじ

長者の屋敷へと行く耳男

 飛騨随一の匠の弟子であった二十歳の彫工・耳男(ミミオ)は、乗鞍山麓にある夜長の長者の屋敷を訪れました。
 夜長の長者は、飛騨の三名人と呼ばれる耳男の親方、青笠、古釜を呼び、その腕を競わせて娘の夜長姫の御神仏を彫らせようとしており、耳男は死期の近づいた親方の代わりに推薦され、客人として招かれたのでした。

 親方が耄碌していたために耳男を推薦したという噂があったため、長者の使者アナマロは、招きに応じない方が良いだろうという忠告を耳男に与えました。しかし耳男は、逃げ帰ったと思われるのが心外で、命を打ち込んだ仕事をやりとげようと自分に言い聞かせました。

夜長姫との対面

 屋敷に着いた翌日、耳男は長者に挨拶をしに行きました。長者のかたわらには、生まれながらに光り輝き、黄金の香りがすると言われている十三歳の夜長姫が控えていました。耳男は、珍しい人に会った時には目を離すなという親方の言いつけに従って、夜長姫を見つめ続けました。
 長者は、耳男のことを見て、耳は頭よりも高く伸びていて兎のようだが、顔相は馬だと評しました。黒い顔を赤くした耳男を見た夜長姫は、本当に馬にそっくりだと言いました。
 混乱した耳男は、山の雑木林に逃げこみ、長い間屋敷へ戻ることができませんでした。

江奈古との諍い

 耳男より遅れて、三名人の一人の青笠(アオガサ)と、同じく三名人の一人である古釜(フルカマ)の息子で、父に劣らない腕と評判の小釜(チイサガマ)が到着しました。
 耳男、青笠、小釜は、長者の前に召され、夜長姫を生涯守る弥勒菩薩の像と、それを納める厨子を、姫が十六歳になる年の正月までに仕上げるようにという命令を受けました。
 三人の匠が挨拶を終えると、酒肴が運ばれました。長者と姫の傍らには二人の女が座りました。その女たちは、夜長姫の着物を織るために遠い道のりをやってきた奴隷の親娘で、母親は名を月待(ツキマチ)といい、娘は江奈古(エナコ)といいました。姫の気に入った御仏を彫った者には、江奈古が褒美として与えられることになっていました。
 姫の気にいる仏像ではなく、恐ろしい馬の顔の化け物を作ることを決意していた耳男は、自分のものにはならないであろう江奈古を心の中で嘲りながら、雑念を振り払うために親方の教えであった匠の心になりきろうと考え、江奈古を見つめ、決して目を離すまいと考えました。
 その視線に気づいた江奈古は、耳男と睨み合いました。二人は言い争いになり、その末に江奈古は耳男の片耳を懐剣でそぎ落としました。

 それから六日後、耳男たちは、邸内の一部に小屋を立て、そこにこもって仕事をすることになりました。耳男は、蛇や蜘蛛の住処となっている蔵の裏に小屋を建てました。そこへアナマロがやってきて、斧を持って来るようにという命令があることを伝えながら、その命令通りにやってきては良からぬことが起こるので、耳男を逃すように長者から言われていることを告白しました。
 しかし、アナマロの思わせぶりな言葉に腹を立てた耳男は、自分を長者と姫の前に連れて行くようにと言いました。諦めたアナマロは、耳男を奥の庭へと導きました。

 奥の庭では、後ろ手に縛られた江奈古が控えていました。アナマロは簾の向こうに着席した長者の命令を読み上げました。それは、客人である耳男の耳を削ぎ落とした江奈古を死罪とし、その首を耳男に打たせるというものでした。
 しかし耳男は、江奈古の手を縛っている縄を斧で切り、「虫ケラにかまれただけだと思っているので、腹をたてることなどあり得ない」と言いました。
 すると夜長姫が簾を上げさせ、悪戯を楽しむように江奈古に懐刀を渡し、「虫ケラにかまれても腹が立たないよう」なので、もう一方の耳も斬ってしまうようにと命じました。
 耳男は、姫の無邪気な笑顔に見惚れながら、江奈古に耳をそぎ落とされました。姫は軽い満足の表情を現したものの、その表情はすぐに消え、何も言わずに立ち去って行きました。

仕事に取り掛かる耳男

 それから三年間、耳男は、夜長姫の笑顔の記憶に押されながら、恐ろしい化け物の像を作るために、小屋に閉じこもってノミをふるい続けました。心がひるむと気が遠くなるほど水を浴び、足の裏を焼き、蛇を捕らえてその生き血をあおり、残りを像にしたたらせ、天井にその死体を吊るしました。そして吊るした蛇がいっせいに襲いかかってくる幻を見るようになると、蛇の怨霊が自分に籠って生まれ変わったような気分になり、ようやく仕事に励むことができるようになりました。
 三年目になると、耳男は山の狸や鹿の生き血をしぼって内臓をまきちらし、首を斬り落としてその血を像にしたたらせ、姫の十六歳の正月に命がやどり、人を殺して生き血を吸う鬼となれと念じました。
 そしてようやく像を彫り終えた耳男は、その像の凄みを引き立てるため、花鳥をあしらった気品のある厨子でその外側を飾り、その年の大晦日に仕事を終えました。

夜長姫との再会

 翌朝、夜長姫は耳男の小屋のそばに枯れ柴を置き、それに火をつけようとして耳男を誘き出しました。姫は三年間で見違えるような大人になっていましたが、無邪気な明るい笑顔だけは以前と変わりありませんでした。
 彼女は、無数の骨が散らばる部屋を見て感嘆すると、侍女たちに命じて小屋を火にかけました。そして耳男の作った弥勒の像が他の二人のものに比べて気に入ったと言い、褒美をあげるので着替えてくるようにと命じました。

 耳男は、姫に殺されることを予感しながら、侍女に導かれて着物に着替え、奥の間に導かれました。その間、彼は、自分の作った像が夜長姫の心を凍らせる凄みを持たなかったことを悟り、終始姫が見せていた笑顔こそが真に恐ろしいものなのだと考え、殺される前に彼女の笑顔を刻みたいと思いました。
 夜長姫が長者とともに現れると、耳男は、姫の顔と姿を刻ませてほしいと頼みました。姫は、はじめからそれを命じるつもりだったと、その願いをあっさりと聞き入れました。

 耳男は、江奈古が自分で喉をついて死んだことを知りました。姫はその時の血に染まった着物を男物の下着に仕立て直しました。それはたった今、耳男に身に付けさせたものでした。

疱瘡の流行

 その頃、この山奥には疱瘡が流行り、日増しに死者が増えていきました。夜長姫は、耳男の作った化け物の像に疫病よけの効果があるだろうと言って、門前に飾らせました。
 姫は、死者を森へ捨てに行く人の群れを見かけると、邸内の一人一人にそれを聞かせてまわり、その時だけは耳男の部屋を訪れ、人が死んだことを楽しそうに報告しました。
 やがて村の五分の一が死に、疱瘡の流行が終わりました。長者の屋敷からは一人も死者が出なかったので、化け物の像に効力があるという噂が流れ、像が置かれた山の下の祠へは、遠い村からも人々が拝みに来るようになりました。
 夜長姫は、化け物の像には疱瘡の神を睨み返す力があったものの、小屋を燃やした時から耳男の目は見えなくなっているので、今彼が彫っている弥勒には力がないと言いました。
 その言葉の意味を図りかねた耳男は、弥勒に自分の魂を込めているつもりでも、姫の笑顔を見るとその確信が揺らぎ、切ない思いを味わうようになりました。

夜長姫の最期

 やがて違う疫病が村に流行ると、再び夜長姫は楼上から村を眺めて、死者を見るたびに邸内の者に聞かせて歩きました。
 人々は再び化け物の像が置かれた祠を拝みに来るようになりました。夜長姫は、その祠に取りすがって死んだ者がいたことを嬉しそうに伝えながら、大きな袋にいっぱいの蛇を裏の山から捕ってくるように耳男に命じました。
 その頃耳男は、姫の笑顔を押し返す力はなく、その押してくるままの力を、ノミで素直に表せばよいのだと考えるようになっていました。姫に命じられたとおりにしか動くことができなくなっていた彼は、山に入って蛇を捕りました。
 夜長姫は、戻ってきた耳男を楼上に連れて行き、蛇の生き血を絞るように命じました。耳男は蛇を一匹ずつ裂いて高楼の天井に吊るしていきました。姫はたじろぐ様子もなく、無邪気に笑いながら三匹の蛇の生き血を一息に飲み干し、残りを屋根や床上へ撒き散らしました。
 全ての蛇を裂いて吊るし終わると、姫は、繰り返し山へ行って蛇を捕り、天井がいっぱいになるまで吊るすようにと命じ、村の人々全員にキリキリ舞いをして死んで欲しいと言いました。耳男は、姫が村の人々の全員が死ぬことを祈るために、蛇の生き血を飲み、死体を天井から吊るしているのだということを悟り、恐怖を覚えました。
 しかし夜長姫の命令に心が縛られていた耳男は、翌日も山に踏み込んで必死に蛇をとりました。姫は高楼で待っていて、何度も蛇を取ってくるようにと命じました。
 耳男は、この先も恐ろしいことをし遂げるであろう姫を、自分の手に負えるものではないと思いました。

 二度目の袋を背負って帰ると、夜長姫は眼下に死んでいる人を指して教えました。
 恐れとも悲しみともつかない感情に苦しむようになった耳男は、最後の蛇の一匹を吊るし終えた時、この村の人々全員が死んでしまう前に姫を殺さなければならないと考えました。そして無心に村を見つめている姫に歩み寄ると、抱きすくめて錐を胸に打ち込みました。

 夜長姫はにっこりと笑いながら、さよならの挨拶をしてから胸を突き刺して欲しかったのだと言いました。耳男は、自分が挨拶や詫びの一言も言えなかったことを不覚に感じ、涙が目に溢れました。
 夜長姫は笑みを浮かべながら、「好きなものは呪うか殺すか争うかしなければならないのよ」と耳男に教え諭し、「これからも天井に蛇を吊るし、自分を殺したように立派な仕事をして」と囁くと、息絶えました。

 耳男は姫を抱いたまま気を失い、倒れてしまいました。

作品の概要と管理人の感想

 『夜長姫と耳男』は、飛騨地方の里を舞台とし、時代設定は定かではありませんが、魑魅魍魎の存在が人々の心の中に息づき、神通的な力が信じられていた古(いにしえ)の時代を想像させる、独特な世界観で書かれた作品です。

 物語は、乗鞍山の麓の里にすむ夜長姫を護身する弥勒菩薩を彫るために、飛騨の三名人と呼ばれる彫工が招かれるところから始まります。
 その三名人のうちの一人の弟子で、兎のように大きな耳を持つ耳男は、死期の近づいた親方の推薦を受け、夜長の長者の邸へと赴きます。
 そこで彼は十三歳になる夜長姫と初対面を果たしますが、兎のように長い耳や、馬のような面相を馬鹿にされ、笑いものにされてしまいます。以来耳男は、姫の恐れさせるため、恐ろしいバケモノの像を作ることを心に決めます。

 その後、耳男は機織りの奴隷・江奈古と諍いを起こし、片耳を斬り落とされてしまいます。すると客人である耳男に傷をつけた江奈古は死罪を宣告され、耳男がその首を落とすようにという沙汰が下されます。しかし耳男は江奈古を殺すことなく、縄を解いてやり、「虫ケラに耳を噛まれただけだ」と語ります。
 するとこれを簾の向こうで聞いていた夜長姫が現れ、江奈古に、「虫ケラに噛まれても腹が立たない」耳男のもう一つの耳を切り取るように命じます。耳男は、そのような残酷な命令を下しながら無邪気な笑顔を見せる夜長姫に魅せられ、江奈古に耳を削ぎ落とされる刹那にも、放心しながら姫を見つめます。

 以来三年間にわたって、耳男は、夜長姫の笑顔の面影に心を支配されながら、その面影を振り払うため、気が遠くなるまで水を浴び、足の裏を焼き、蛇を切り裂いてその生き血を飲み、その死体を天井から吊るしながら、バケモノの像を彫り続けます。
 そして三年間をかけてバケモノの像が出来上がると、夜長姫はそれを最も気に入ったと言います。自分の作ったバケモノの像を恐れることもなく、部屋に吊し上げた蛇の死体を見て感嘆し、その蛇が吊るされた小屋に火をかけるといった姫の狂気を恐れながらも、その笑顔が忘れられなかった耳男は、姫自身の姿を彫ることを決意します。

 そのうちに村に疫病が流行りだし、多くの死者が出るようになると、姫は喜んでこれを耳男に報告するようになります。そして村人が死ぬ姿を見られる高楼に袋にいっぱいの蛇を耳男に集めさせ、その切り裂いた死体を吊るすよう命じます。これが全ての村人が死ぬようにという願いがかけられたものであったことを悟った耳男は、恐怖の感情に支配され、姫を刺し殺します。

 坂口安吾は非常に表現の幅が広く、戦時下に生きる男の虚無を鋭く描いた『白痴』のような純文学風の作品もあれば、鈴鹿峠に住む山賊と、その山賊に攫われてきた残酷な女の物語を通して、美しさの極地にある恐怖を描いた『桜の森の満開の下』のような作品もあり、『不連続殺人事件』のような推理小説もあり、『二流の人』のような歴史小説、『堕落論』に代表される随筆など、作品によって全く異なる世界観で読者を楽しませてくれる作家です。

 その中でも、このページで紹介している『夜長姫と耳男』と『桜の森の満開の下』は、同じ系譜を引く幻想的な世界観の作品で、美しく残酷な女を愛しながら、最後にはその女を殺してしまう男の物語になっています。二作品共に、美とは同時に恐ろしさを含んでいるものであり、その対象を自らの手で破壊することによって究極の美が完成され得るといった坂口安吾の芸術観が如実に表れており、それは夜長姫が最後に語る「好きなものは呪うか殺すか争うかしなければしなければならないのよ」という言葉によっても理解できると思います。同じ無頼派と呼ばれる同時代の作家・太宰治と同じように「滅びの美学」を表現していると言ってよいと思いますが、坂口安吾のそれは、破滅の到来を受動的に待つ太宰治のものよりも、もっとラディカルで激しいものです。そのような意味で二人の文学は対照的であり、それぞれの魅力があるんじゃないかと思います。

 そして、おこがましい意見になってしまうかもしれませんが、非常に完成度が高く、短編小説として完璧に完結された作品『桜の森の満開の下』に比べ、この『夜長姫と耳男』は、もう少し細かい背景や、親方と耳男の関係性、他の登場人物たちとの絡みが書かれる余地があるように思わされました。物語の中心を成す夜長姫と耳男との物語以外にも、夜長の長者、アナマロ、江奈古、青笠や小釜など、個性豊かな脇役とのサイドストーリーも知りたいと思いますし、夜長姫を刺した後で気を失った耳男のその後も気になります。想像の余地を残した、唐突な終わり方が良いのだという意見もあるかもしれませんが、独特な世界観と多彩な登場人物によって終始わくわくさせてくれるからこそ、この美しくも狂気を孕んだ世界の物語を、もっと長尺で読みたかったと思わせてくれる作品でもありました。