スティーヴンソン『ジーキル博士とハイド氏』の登場人物、あらすじ、感想

『ジーキル博士とハイド氏』(The Strange Case of Dr. Jekyll and Mr. Hyde)は、1886年に出版された、ロバート・ルイス・スティーヴンソンの小説です。二重人格が大きなテーマとして取り上げられ、立派な医師としての名声を持つジーキル博士と、その別人格である醜悪な男ハイド氏によって引き起こされる事件が書かれます。スティーヴンソンの代表作として有名で、「ジキルとハイド」は、裏表のある人を表す言葉の代名詞的存在として定着しています。

このページでは、『ジーキル博士とハイド氏』の登場人物、あらすじ、感想を紹介していきます。


ジキル博士とハイド氏 ─まんがで読破─

※ネタバレ内容を含みます。

『ジーキル博士とハイド氏』の登場人物

ヘンリー・ジーキル
医学博士、民法学博士、法学博士、王立協会員などの肩書を持つ有名な博士。勤勉な性格で知られる。立派な風采の大柄な男。

エドワード・ハイド
見るものを不快な気分にさせる、醜悪で小柄な男。通りでぶつかった少女を踏みつけて歩くなど、悪事を働くことを厭わない。ジーキルの実験室にいつからか出入りするようになる。

ゲブリエル・ジョン・アタスン
弁護士。いかつい顔で口数が少なく、感情を顔に表さないが、どことなく人情味があり、人に好かれる。古くからの友人ジーキルから、ハイドに全財産を譲渡するという内容の遺言状を預かっている。

リチャード・エンフィールド
アタスンの従弟の有閑紳士。日曜日ごとにアタスンと散歩するのを習慣にしている。ハイドが道でぶつかった少女を踏みつけて歩くのを目撃し、そのハイドが出入りしている戸口について語る。

ヘイスティー・ラニョン
アタスンと小学校からの同窓生の名医。ジーキルとも古くからの友人であるが、しばらくは距離を置いている。

プール
二十年間もジーキルに奉公する召使いの頭。

ブラッドショー
ジーキルの家の馬丁。

サー・ダンヴァス・カルー
アタスンの顧客。ハイドに殺される。

ニューコモン
警視、カルー殺害に際し、アタスンに案内されてハイドの家を捜索する。

ゲスト
アタスンの主任書記。筆跡を見ることができる。

『ジーキル博士とハイド氏』のあらすじ

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 弁護士のアタスンと、その従弟であるエンフィールドは、日曜日ごとに一緒に散歩するのを習慣にしていました。ある日、彼らがロンドンのとある路地を通りがかると、エンフィールドはそこにあった戸口についての話を始めました。

 ある冬の明け方三時ごろ、エンフィールドは、一人の小柄な男がぶつかった少女を踏みつけて歩くのを見かけ、その男に詰め寄りました。するとその男は、いくら払えばいいのかと聞きました。慰謝料として百ポンドを要求すると、男はエンフィールドをその戸口へと連れて行き、ある有名な人の名前で小切手を作りました。

 少女を踏みつけた男はハイドという名前でした。

 この話を聞いたアタスンは、ハイドが作った小切手に書かれた名前が、友人のジーキル博士であると気付きました。彼にはハイドとの面識はありませんでしたが、その戸口がジーキルの実験室へ通じるものであることを知っており、また、死後ハイドに財産を譲渡するというジーキルの遺言状を預かっていたのです。

 ハイドの顔を見てみたいと思ったアタスンは、その戸口を見張り、中へ入ろうとするハイドを見つけて話しかけ、住居を聞きました。エンフィールドが語った通り、ハイドは不快な印象を抱かせる男でした。アタスンは、ジーキルがハイドに揺すられているのではないかと考えました。

 二週間後、ジーキルの晩餐会に呼ばれたアタスンは、ハイドに財産を譲るという遺言状の内容には賛成できないと伝えました。ジーキルは、ハイドの話題をされるのを嫌がる一方で、ハイドの権利を守ってやって欲しいとアタスンに懇願しました。

 一年ほど経ったころ、サー・ダンヴァス・カルーという紳士が路上で殺される事件が起きました。その事件には目撃者がおり、犯人はハイドでした。殺された紳士はアタスンの顧客で、凶器となったステッキはアタスンからジーキルに送られたものだったので、アタスンは警官をハイドの家に連れて行きました。
 ハイドは家におらず、容疑者として捜索されるようになりました。

 ジーキルはもう二度と、ハイドとの関わりをもたないと誓いました。失踪する前、ハイドはジーキルに謝罪の手紙を書いており、アタスンはその手紙を読んで、ハイドとジーキルがごく普通の友人関係で結ばれていたのだと思いなおしました。しかし、アタスンの主任書記は、その手紙の筆跡がジーキルの筆跡と似通っていることを指摘したため、アタスンは再び頭を抱えることとなりました。

 ジーキルは友人関係を温め、平穏に暮らしているかのように見えました。しかし間もなく彼は何かを恐れているように、友人から遠ざかるようになっていきました。

 アタスンとジーキルの共通の旧い友人であったラニョン医師は、ジーキルと絶交し、その後一週間ほどして倒れ、死んでしまいました。アタスンは、生前のラニョンが書いた、ジーキルが死亡または失踪するまでは開封してはならないと書いた封を受け取り、これを金庫にしまいました。
 ジーキルは徹底した孤独な生活を送るようになり、アタスンとは疎遠になっていきました

 ある晩、ジーキルの召使いプールがアタスンを訪れました。プールによると、ジーキルの部屋の扉が閉ざされ、その中に得体の知れない男が潜んでいるようでした。アタスンとプールは中にいるのがハイドで、ジーキルが殺されたのではないかと予想し、扉を壊して中に入りました。

 部屋の中ではハイドが自殺していました。ジーキルの遺体は見つからず、アタスンに宛てた封筒だけが残されていました。その中にあった遺言状は、アタスンに財産を譲渡するという内容に書き換えられていました。

 アタスンは驚きながらも、その封筒にある書面の指示に従って、生前のラニョンが残した封筒を開封しました。

 ラニョンの手記によると、彼はある日、ジーキルから手紙を受け取り、ジーキルの部屋の書斎の引き出しをそのまま家に持ち帰り、夜中に訪ねてくる者にその引き出しを渡して欲しいと頼まれました。ラニョンは何のことかと訝りながら、その指示に従いました。夜中の十二時になると、見る者を不快な気分にさせる醜悪な小男が現れ、ラニョンが持ち帰った引き出しにある薬を調合し、それを飲み干しました。すると、その男の顔が見る見るうちに溶けていき、ジーキルへと変貌を遂げました。
 ジーキルは、先ほどまでの自分はカルーを殺害したハイドであると明かし、悔悟の涙を流しながら、真実を語り始めました。

 この事実が書かれたラニョンの手記を読んだ後、アタスンはジーキルが残した分厚い手記を読み始めました。その手紙の中には、ジーキルの隠し持っていた心の奥底が書かれていました。勤勉な性格で知られながらも、邪悪な快楽を人知れず追い求めていたジーキルは、自分の中にある善と悪の精神領域を分離すれば、一方は喜んで善をなし、もう一方は悔恨の念なしに欲望を満たすことができるだろうと考えました。彼は科学の力でそれを実現することに成功し、邪悪な欲望を満たしたくなると、自分から分離された悪の心を持つハイドになって逸楽にふけりました。
 しかしある日、ジーキルは、薬を飲まずして自分がハイドに変わっていることに気づきました。自己を喪失しつつあることを知ったジーキルは、ハイドになる薬を断つ決心をしました。
 しばらくは平穏な生活を送っていたジーキルでしたが、ハイドになりたいという誘惑に抗うことができなくなり、再び薬を飲んでしまいました。以前にも増して凶暴な悪へと駆り立てられることに喜びを感じながら、彼は殺人を犯しました。
 自宅に戻って証拠を隠滅したジーキルは、自分が犯した罪に恐れをなし、その罪を償いながら生きることを心に決めました。
 ある日、ジーキルが公園のベンチに座っていると、自分の姿が、いつの間にか容疑者ハイドに変わっていることに気付きました。彼はホテルに潜り込み、ラニョンに手紙を書いて、自分の書斎にある薬の入った引き出しを持ち帰ってもらいました。そして夜になるとラニョンの家に出かけ、薬を調合してジーキルに戻り、一部始終を見ていたラニョンに全ての真実を語りました。
 それ以来、ジーキルは、薬の力を借りてしか自分の姿に戻れないようになっていきました。頼みの綱であった薬も、材料に含まれていた不純物が効能を発していたことがわかり、ジーキルには新たに自分に戻るための薬を作ることはもはやできませんでした。
 その手紙の末尾には、最後に残った薬を使ってジーキルの姿になり、再びハイドになってしまう前に自らの命を断つ決意がしたためられていました。

管理人の感想

 二重人格を取り扱った作品として知られている『ジーキル博士とハイド氏』ですが、どちらかというと、二重人格という特別なものではなく、誰もが持っている抑圧された本性について書かれたものではないかと思います。

 人間は、その本性を隠蔽し、自分がいかに「正常」であるか、周囲に見せなければなりません。社会の中で生きるために、本当に人間らしく生きることができないという矛盾の中で、我々は生きています。

 ジーキル博士の抱え込んでいる矛盾は、普通の人より少し振れ幅は大きいかもしれません。しかし不道徳な快楽を求めたり、破壊を楽しんだりする衝動は、誰もが心の奥底に隠し持っているものです。自分の中にある善と悪を分離し、欲望に駆り立てられる衝動を何の躊躇もなく発散できる薬があったとしたら、それに飛びつく人は多いでしょう。普段抑圧された生活を送っている人ほど、その薬は魅力的に映るはずです。

 本来の姿でいる時に善行を積み、ハイドになっているときに欲望を満たそうとしたジーキル博士の試みは失敗に終わります。学問を追求するとか、隣人のために行動するとか、徳を積むことよりも、動物的な欲望を満たす方が、より充足感を得ることができ、ハイドになる誘惑に抗うことができなくかったのです。そのうちに本来の自己がすり替わっていき、薬を使わずしてハイドになり変わっていることに、ジーキルは気づきます。

 人間は、長年かけて善と悪のバランスを取ることを身につけ、苦しみながらもそのバランスを保つことで生きているものなので、一度それを崩して得られる快楽を知ってしまうと、もとの自分を立て直すのは非常に難しいものなのかもしれません。

 このような普遍的なテーマを取り扱っているからこそ、ジーキル博士の苦悩は、何か非常に不憫に感じられるとともに、身につまされるような感覚にもなるのだと思います。

 ともあれ、この『ジーキル博士とハイド氏』は、非常にエンターテイメント性が高い作品です。様々な箇所に散りばめられるフラグは、全てラニョンとジーキル博士の手記によって明らかにされます。この物語の元凶が、ジーキルの心の奥底に眠っていたハイドにあることは初めから分かっていても、まるで推理小説を読むような感覚で一気に読み進められてしまいます。

 この『ジーキル博士とハイド氏』が、冒険小説の決定版『宝島』と同じ作家によって書かれたことは、あまり知られていません。これら二つの作品のジャンルは全く異なりますが、どんどんとページをめくりたくなる展開というのは共通です。この全く毛色の違う二作品を読めば、スティーヴンソンがどれだけ読者を楽しませることに長けた作家だったかということが、よくわかると思います。