谷崎潤一郎『春琴抄』の登場人物、あらすじ、感想

谷崎潤一郎作『春琴抄』の登場人物、あらすじを紹介するページです。作品の概要や管理人の感想も。


春琴抄 (新潮文庫)

※ネタバレ内容を含みます。

『春琴抄』の登場人物

春琴
本名は鵙屋琴。文政十二年(一八二九年)五月二十四日生まれ。大阪道修町(どしょうまち)で代々続く薬種商の次女。幼い頃から容姿端麗であったが、九歳の頃に病気で盲目となり、当時丁稚(でっち)の少年であった佐助に手を引かれながら春松検校の家に通い、三味線の稽古に励む。十五歳の頃には右に出る者がいないほどの腕前となり、自分を慕う佐助の師匠として、厳しい稽古をつける。
明治十九年十月十四日没。

温井佐助
江州(現在の滋賀県)の生まれ。実家は薬屋で、父も祖父も見習い時代に鵙屋に奉公したことがあったため、十三歳の時に奉公を始める。既に盲目となっていた春琴の美貌に惹かれ、毎日春琴の手を引いて春松検校の稽古へと連れて行く。春琴に同化したいという一途な思いから、こつこつと金をためて三味線を買い、こっそりと稽古を積むうちに、家族のものが感心するほどの腕前となり、春琴と師弟関係を結ぶ。
後に検校(盲目に与えられた最高の官名)の座を与えられ、三味線の大家となる。明治四十年十月十四日没。

春松検校
春琴の三味線の師匠。鵙屋から十町ほどの距離の靭(うつぼ)に家を持つ。春琴の才能に惚れこんでいた。

安左衛門
春琴の父。鵙屋薬種商の七代目。

しげ
春琴の母。京都麩屋町の跡部氏の出。二男四女を産む。

利太郎
春琴の門下に入った雑穀商の息子。放蕩自慢で、親の身分を鼻にかけ、威張る癖がある。

鴫沢てる
十二歳の頃から晩年の春琴と佐助に仕えた奉公人。現在は七十歳ほどの老婦人で、年に一二度、春琴と佐助の墓参りに来る。


語り手。佐助の書いた春琴の伝記「鵙屋春琴伝」を手に入れたのがきっかけで、春琴を知ることとなり、春琴の墓を見に訪れる。

『春琴抄』のあらすじ

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 『鵙屋春琴伝』という伝記を手に入れたのがきっかけで、「私」は、大阪のとある浄土宗の寺にある春琴の墓を見に行きました。寺から高台に続く斜面にあった春琴の墓の横には、事実上夫婦関係を結んでいた三味線の大家、温井佐助の墓が並んでいました。

 大阪道修町の由緒ある薬屋の次女として生まれた春琴(本名鵙屋琴)は、幼い頃から容姿端麗で知られていました。彼女は九歳の頃に眼の病気になって盲目となり、三味線の師匠である春松検校の元で稽古に励み、十五歳の頃には同門で右に出る者はいないほどの腕前となりました。
 自宅から稽古場へと春琴の手を引いて連れて行っていたのが、当時丁稚の少年であった温井佐助でした。佐助は十三歳の頃に鵙屋の奉公人となってから、当時九歳であった春琴の美貌に惹かれ続けていました。もともと驕慢な性格であった春琴が意地悪く接したため、佐助は片時も気を抜かずに顔色を窺わなければなりませんでしたが、まめまめしく仕えることに彼は喜びを感じていました。
 春琴を毎日稽古場に連れて行き、その音曲の音色を聴きながら待つうちに、佐助は春琴に同化したいという気持ちを募らせ、三味線に興味を持つようになりました。彼は十四歳のころからこつこつと金を貯め、翌年に粗末な三味線を手に入れ、家の者が寝静まったころに一人で稽古を始めました。やがてそれが一家のものに知れ渡り、三味線を没収された佐助でしたが、春琴がその音色を聴いてみたいと言い出したため、独学で培ったその腕を披露させられることとなりました。それは家のものを感心させ、盲目の春琴を孤独にさせまいという皆の意向も手伝い、佐助と春琴は師弟関係を結ぶこととなりました。
 それ以来、春琴は、佐助が泣き叫ぶほどの厳しい稽古をつけるようになりました。しかし春琴の折檻が激しくなると、その品性を改めさせたいと思った両親は、佐助の丁稚を辞めさせ、春琴の相弟子として春松検校の門下に入れました。
 十六歳の頃に春琴は妊娠しました。生まれた子供は佐助にそっくりでしたが、令嬢としてのプライドの高い春琴が、目下のものに体を許したことを認めたがらず、結婚をきっぱりと否定しました。佐助も春琴に命じられ、自分たちの関係に関して口を割らなかったため、生まれた子供は他所に預けられることとなりました。

 師匠の春松検校が死去したため、春琴はニ十歳のころに独立して一戸を構え、師匠として門下を募ることとなりました。その頃には春琴と佐助の関係は公然のものとなっていましたが、二人は表向きは厳しい師弟関係を貫いていました。
 春琴は厳しい稽古をつける事で有名で、撥で叩くこともいとわなかったため、門下やその家族から恨みを買うこともしばしばありました。大阪一の三味線の腕前や、その美貌に妬みを持つものも多く、春琴の傍に常に控えている佐助もまた、周囲からの嫉妬を集めました。
 そのような状態が十数年続いたある日、三十七歳の春琴は、自分に恨みを持つ何者かによって、顔に熱湯を浴びせかけられ、酷い火傷を負いました。佐助はすぐに駆け付けましたが、自分の顔を見るなと命じられ、春琴の焼けただれた顔をしっかりと見ることはありませんでした。
 春琴は顔に包帯を巻かれ、医者以外に素顔を見せることはありませんでした。しかし、医者が来なくなった後、佐助にだけはその素顔を見せなけらばならなくなることに懸念を感じ始め、涙を流しながら佐助に訴えました。佐助は決して素顔を見ないことを約束すると、縫針で自分の目を突いて視力を失いました。
 盲目となった佐助は、むしろ春琴と同じ盲目の世界に来れたことを喜びました。春琴もまた自分の気持ちを察してくれたことに感謝し、二人は泣きながら抱き合いました。
 新しい奉公人を雇うことはあったものの、佐助はその後も変わらず春琴の世話を続けました。彼は盲目となったことで、却って触覚の世界を楽しむことができるようになり、春琴の美しさをそれまでにも増して感じるようになりました。また春琴の奏でる音曲の真価が理解できるようになったのも、自ら盲目となる道を選んだおかげだと周囲に語りました。
 春琴は自分の子弟を全て佐助に任せるようになり、世間からの同情も手伝って、門下は順調に増えていきました。しかし、以前の高慢な令嬢であった春琴と、丁稚として仕えていた自分との関係を維持したいと望んだ佐助は、全ての収入を春琴に与え、自分を卑下し、結婚を望むこともありませんでした。
晩年の春琴は作曲家としても才能を発揮し、独創性に富んだ曲を残しましたが、五十八歳の頃、脚気でこの世を去りました。
 盲目となった眼の中に春琴の艶やかな姿を映し続けた佐助は、その後の二十一年間、妻も妾も持たずに独り身を貫き、八十三歳の頃、門弟たちに看護されながら、春琴と同じ命日に息を引き取りました。

作品の概要と管理人の感想

 『春琴抄』は、一九三三年、谷崎潤一郎が四十六歳の時に発表された中編小説です。谷崎潤一郎は四十代の頃に『卍』、『吉野葛』、『蓼食う虫』、『猫と庄造とふたりのおんな』などの傑作を多数書いており、また『春琴抄』が書かれた二年後には『源氏物語』の現代語訳にも着手するなど、まさに脂の乗り切った時期に書かれた作品です。
 この作品の特徴としてまず挙げられるのは、句読点を敢えて排除した実験的な文章でしょう。一つ例を挙げてみます。

最初こいさんに遊戯をあてがった積りの大人たちもここに至ってすこぶる当惑した毎夜おそくまで琴や三味線の音が聞えるのさえやかましいのに間々(まま)春琴の激しい語調で叱り飛ばす声が加わりその上に佐助の泣く声が夜の更けるまで耳についたりするのであるあれでは佐助どんも可哀そうだし第一こいさんのためにならぬと女中の誰彼が見るに見かねて稽古の現場へ割って這入りとうさんまあ何という事でんの姫御前のあられもない男の児にえらいことしやはりまんねんなあと止めだてでもすると春琴はかえって粛然と襟を正してあんた等知ったこッちゃない放ッといてと威丈高になって云ったわてほんまに教せてやってるねんで、遊びごッちゃないねん佐助のためを思やこそ一生懸命になってるねんどれくらい怒ったかていじめたかて稽古は稽古やないかいな、あんた等知らんのか。

『春琴抄』より

 作品全体にわたってこのような調子の文章が続いています。これがどのような効果をあげるのか。それは、まるで語りかけられているように読者に感じさせるということだと思います。
 私たちは普段、文章の形にとらわれず、句読点をつけるかつけないかを選択しながら話をします。相手の反応を待ちながら「昨日〇〇のレストランに行ったよ。すごく美味しかった。また行きたいな。」と言う時もあれば、自分の感情にまかせて、「昨日〇〇のレストランに行ったよすごく美味しかったまた行きたいな」と言う時もあるでしょう。『春琴抄』においても、作家自身が句読点をつけかつけないかを自ら選択することで、語り口調として作品を作り上げているのではないかと思います。まるで落語を聴いているかのような感覚で読むことができ、文章を円滑に読ませるための句読点が排除されているにも関わらず、それほど読みづらさを感じることはありません。とはいえ、このイレギュラーな文体で、ここまで読みやすい文章を書くのは、谷崎潤一郎の卓越した能力に依るところも大きいと思います。

 幼い頃から盲目の春琴を崇拝していた丁稚の佐助は、春琴に同化したいという一心で貯めた金で三味線を買い、夜な夜な練習に励みます。普通であれば暗闇での手探りの演奏は、技術を磨くための妨げになるものですが、佐助にとってそれは、盲目の春琴と同じ世界を体感できる喜ばしい状況です。練習の成果が認められ、春琴の弟子となった佐助は、毎日のように厳しい稽古を受けながら、折檻を受けることも悦びに感じている様子です。そのうちに二人は事実上の夫婦となり、佐助は春琴の身の回りの世話を全て引き受けるようになっていきます。
 他の弟子に対しても厳しい稽古をつけていた春琴は、方々から恨みを買い、何者かに熱湯をかけられ、その美貌を失います。自分の身の世話をする佐助に自分の焼けただれた顔を見せなければならなくなることを嘆く春琴に対し、佐助は決してその顔を見ないと約束し、自分の両目を突いて視力を失います。
 現代の感覚だと、火傷を負った春琴の姿を全て受け入れるのが本当の愛であるような気もします。しかし、今よりも人々が奥ゆかしく、自分を犠牲にすることが美徳とされていたこの時代に、美貌を誇りとしていた春琴の気持ちを推し量った佐助の行動は、愛を示すということにおいて、考え得る限りで最善のものであったと言えるでしょう。失明した佐助と春琴が、身分違いのために長年抑え込んでいたと思われる愛を確かめながら語り合う場面は、とても感動的です。「マゾヒズムの極致」と評されることの多いこの作品ですが、個人的には「愛の極致」を表現した作品ではないかと思います。
 また、この作品は、谷崎潤一郎が生涯をかけて追求した大きなテーマが書かれている作品でもあります。それは、愛するものの美しさを感じ続けるために、進んで自らを貶めていくという行為です。春琴の美しさを心の中に留めておくために、自分の目を縫針で突いて失明した佐助の行動は、これを直接的に表現したものであり、谷崎潤一郎の作品の特徴やテーマを理解するためにも、とても良い作品であると思います。