太宰治『親友交歓』の登場人物、あらすじ、感想

 一九四六年に発表された、太宰治の短編『親友交歓』の紹介です。この作品は、東京で罹災して津軽に帰郷している「私」が、小学校の同級生であった男の訪問を受ける話です。その男は、「私」の家に入り込み、女房のお酌で酒を飲ませろと言ってきます。「私」はその男のことをかすかに覚えているだけでしたが、「軽薄な社交家」であるがゆえに、彼に酒を振舞います。しかし段々と彼の傍若無人ぶりに拍車がかかり、「私」はそれをいまいましくかんじるようになります。

 太宰治の笑いのセンスが遺憾なく発揮された作品です。暗いイメージを持たれがちな太宰治ですが、この作品を読めば、新たな一面を発見できることでしょう。

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『親友交歓』登場人物


罹災して十五年住んだ東京を離れ、津軽の生家に避難している。破産してまで買ったウィスキーを隠し持っている。

平田
私の小学校の喧嘩友達。私を訪ねて来る。

女房
私の妻。都会の女であるが、野暮ったく不器量。平田のお酌をさせられる。

『親友交歓』のあらすじ

斜陽館

 昭和二十一年の九月のはじめに、私はある男の訪問を受けました。とにかくそれは、見事な男で、あっぱれな奴でした。好いところが一つもありませんでした。

 私は罹災して十五年住んだ東京を離れ、津軽の生家に避難していました。私がひとりぼんやり煙草を吸っていると、彼は野良着姿で「やあ」と言って入ってきます。彼は私の小学校時代の同級生の平田という男でした。私は彼のことをかすかに覚えているだけでした。しかし、「軽薄な社交家」だった私は、彼を家にあげました。彼はよく私と喧嘩したそうで、そのときの傷を見せてきましたが、私にはその傷は見えませんでした。

 彼はクラス会を開くために私に金を催促し、酒を飲ませろと言って書斎へ入り、妻にお酌をさせろと言います。そして庭にある柊の言われを「そのいわれは、大にして世界的、小にしては家庭、またお前たちの書く材料になる」と意味のわからないことを言って得意になっています。

 私はしばらくは秘蔵のウイスキーを出してやってましたが、次々と飲んでいく彼を見て、だんだんといまいましく感じます。

 彼は東京にいたことがあると言いましたが、私にはそれが信じられませんでした。彼は自分の東京時代のことを語り、女に惚れられたことを自慢し始めます。私は不愉快でしたが、「軽薄な社交家」であったため、彼と話を続けます。
 いきなり政治の話を始めたと思うと、選挙では私の兄に一票入れたと、彼は言い出します。そしてその恩で私からまたウイスキーを引き出そうとしているようでした。
 彼は自分の一族が京都の出であると言い始めたため、私は公家の出かもしれないと言って彼の虚栄心を満足させてやりました。自分は自分の考えがあって百姓をしているが、東京で課長をしている兄に米を送ってやっているので、兄は自分に頭が上がらないと彼は言います。そして、また私の女房にお酌をさせるために、奥から呼んで来いと私に命じます。

 私は仕方なく女房を呼び、お酌をさせます。
 彼は妻に向かって、鉄砲撃ちの平田といえば、この辺で知らないものはないなどと吹聴し、食べ物に困ったら自分のところへ来なさいと言います。そして妻を三度取り替えたことを話し、さらに私の妻に向かって、私が自分を可愛がるかなどど聴き始めます。

 私はあわてて妻に酒の肴をもらってくるよう言いつけて、席を外させました。
 彼は私が罹災したことを聞くと、妻が大事にしていた特配の毛布をよこせなどと言ってずうずうしく振る舞い、妻が戻ってくると、私が妻に対して威張るようなことがあったら、私をぶん殴ってやるなどと言います。

 傍若無人な彼の様子を見た私は、私の家で暴れてきたという話を吹聴して自慢の種にするつもりなのではないかと思います。

 私は木村重成と茶坊主(注1)、神崎与五郎と馬子の話(注2)、韓信の股くぐりの話(注3)を思い出します。それまで私は彼らの忍耐力に感心するよりは、それぞれの無頼漢に対する軽蔑感や優越感を感じ、キザでイヤミな印象を受けていたのです。私はかえって無頼漢の方に同情していましたが、木村や神崎や韓信に対する意見を改めることになりました。そして彼らはただ単に無頼漢より弱かったのだという考えに至り、私も彼らと同じように、穏便にこの場を終わらせたいという意識になっていきます。


注1)木村重成(1593年頃〜1615年頃)は、大坂冬の陣や真田丸の戦いで活躍し、大坂夏の陣で戦死した豊臣方の武将です。実戦経験が乏しかった頃、ある茶坊主に侮辱されましたが、ここでこの茶坊主を斬っては自害しなければならない、自分は豊臣秀頼のために死ななければならないのだ、と言って、その侮辱を受け流したそうです。

注2)神崎与五郎(1666年〜1703年)は、赤穂浪士四十七士の一人です。丑五郎というヤクザ者の馬子に、自分の馬に乗らなかったことで詫び状をかけと言われた与五郎は、騒動にならないよう、大人しく詫び状を書いたそうです。あとで丑五郎は、与五郎が赤穂浪士であったと知り、出家して与五郎を弔ったと言われています。

注3)韓信(?〜紀元前196年)は、前漢の初代皇帝である劉邦の元で活躍した武将です。若い頃に、「自分が身につけている刀で俺を刺してみろ、できなければ俺の股をくぐれ」とある若者に挑発され、大きな志を持っていた韓信はここでこの挑発に乗ってもなんの得にもならないと、股をくぐったといいます。

 彼は突然「うわあっ!」「酔ってきたあっ!」などと言ってすさまじい顔をしますが、すぐにケロリとして妻にお酌をさせるのです。そして、妻に向かって、自分の妻と一緒で、夜になれば‥、などと話し始めたので、妻は逃げ出してしまいました。

 逃げ出した妻に対して彼は苦言を呈し、さらには私たちの寝室を覗こうとします。
 さすがに私は彼を止めました。すると彼は歌をやろうします。それまで私は五、六時間、この知らない人間の相手をして、この相手を一瞬も愛すことも、また偉いと思うこともできずにいました。このまま別れては彼に対して恐怖と憎悪の念だけを抱えて終わることになると思い、せめて故郷の歌でも聞かせてもらって涙ぐませてほしいという願望が生まれます。

 彼は歌い始めました。
 「山川草木うたたあ荒涼
 十里血なまぐさえし新戦場」(注4)
 それは、故郷の歌ではなく、日露戦争の歌でした。しかも、後半は忘れたと言います。

注4)露戦争の英雄と呼ばれた乃木希典が、中国北東部の金州城で繰り広げた激戦の末に読んだ漢詩です。(平田は後半を覚えていないだけでなく、微妙に歌詞を間違っています。)
山川草木 転荒涼
十里風腥し 新戦場
征馬前まず 人語らず
金州城外 斜陽に立つ
さんせんそうもく うたたこうりょう
じゅうりかぜなまくざし しんせんじょう
せいばすすまず ひとかたらず
きんしゅうじょうがい しゃようにたつ

 そして彼は帰ると言い始めます。私は引き止めませんでした。ウイスキーを持って帰ると言ったので、彼が持っている角瓶に注ぎ出してやっていると、奥にある新しいのを出してこいと言います。私はいっそ痛快になって笑いました。あっぱれというより他はありません。これほどの男を見るのは初めてでした。

 彼は煙草も持っていきました。そしていよいよ玄関まで送ると、彼は私の耳元で激しくこう囁きました。
「威張るな!」

管理人のコメント

 太宰治のユーモアのセンスがいかんなく発揮された作品です。文学作品のユーモアというと、よく「ウィットに富んだ」とか「クスっとした笑いをくれる」などと表現されることが多いと思いますが、この作品の場合は一般的な文学作品から感じられるユーモアとは全く異なっています。それは、現代のコントで出てくるような、圧倒的なキャラクターの勢いによって引き起こされる笑いです。

 この作品は序盤から小気味好く笑いを生み出していきます。
 庭にある柊を見た彼は、柊のいわれを知っているかと私に聞きます。
 彼は「知らないのか?」と得意になり、「そのいわれは、大にして世界的、小にしては家庭、またお前たちの書く材料となる」と意味のわからないことを言います。

 そして「かかを呼んで来い。かかのお酌でなければ、俺は飲まん!」と、あたかも私が彼に飲んでほしがっているかのようなセリフをはいて妻を呼ばせ、「うわあっ」という叫び声を発して、「酔って来たあっ!」と喚くのです。

 挙げ句の果てには私の妻に向かって、「いいか、奥さん。気取ってはいかん、気取っては。なあに、奥さんだって、俺のかかと同じ事で、夜になれば、‥」などと言い出す始末です。

 トントンとテンポよく笑いを生み、そのあと、彼が歌を歌おうとしたところで少しだけテンポが緩みます。
 このままだと彼に対して憎悪の気持ちだけで終わってしまうと思った私は、彼に故郷の歌を歌ってもらって涙でも流そうと考えます。彼に対して淡い期待を寄せていた私でしたが、歌われたのは日露戦争のもので、しかも後半は覚えていませんでした。私の期待は見事に裏切られるのです。
 終盤における、長めのフリからの大オチといった、まさに笑いのお手本のような作品です。

 そして最後に彼が口にする「威張るな!」という言葉は、大オチの後の最後のシメになります。この言葉でストンと物語が落ちます。「私」がどこか彼のことを見下していたことを見透かされていたのでしょう。散々ずうずうしい言葉をならべたてるだけだと思っていた田舎の百姓が、実は「私」の底意を読み取った上ですべてを行っていたのです。気取った自分に対する自己批判なのか、東京の人々全体に対する批判なのかはわかりませんが、津軽と東京二つのアイデンティティーを持ち合わせ、それぞれの良いところ悪いところを熟知している太宰治ならではの締め方と言えるでしょう。