太宰治『ヴィヨンの妻』詳しいネタバレあらすじ

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 あわただしく玄関をあける音で、私が眼を覚すと、夫が荒い呼吸をしながら、何かを探していました。夫は私に「坊やはどうです。熱はまだありますか?」と珍しく優しい言葉をかけました。坊やは今年四歳になりますが、栄養不足のせいか、夫の酒毒のせいか、病毒のせいか、よその二歳の子供よりも小さく、言葉の覚えも悪く、病弱でした。夫は、いつもなら、坊やが熱を出しても、お医者に連れて行ったらいいでしょう、と言って忙しげにどこかへ出掛けてしまうのですが、その夜はやけに優しく話しかけるので、私は嬉しいよりも、おそろしい予感がしました。

 しばらくすると、一組の男女が玄関を開けました。どうやら彼らは、夫が盗みを働いたので、追いかけてきたようです。夫は外に飛び出しました。夫と男はもみ合いになりましたが、夫は先ほど探しあてていたナイフを持って脅しました。男は身をひき、そのすきに夫は逃げていきました。男は追いかけようとしていましたが、私は男をなだめ、家にあげて、彼らの話を聞くことにしました。

 彼らは、中野駅の近くに小さい料理屋を経営している夫婦でした。地道に働いてきたようで、酒不足の時代も何とか乗り切ってきたようです。私の夫が初めて彼らの店に来たのは、終戦も間近になった頃でした。夫は、新宿のバアで女給をしていた秋ちゃんという年増の女に連れられて、店の勝手口からこっそり入ってきました。その頃は戦争中で、どの店も表の門を閉めて、こっそりと酔っ払うという仕組みになっていたのです。酒も少ない時代で、あまりお客は歓迎されませんでしたが、秋ちゃんは、いつも景気の良い客を連れてきていたので、彼らも喜んで酒を出しました。その日夫は上品な様子で、おとなしく飲んで、秋ちゃんに勘定を払わせて帰っていったようです。

 それから十日ほど経って、今度は夫が一人で裏口から入ってきて、百円紙幣を一枚手渡して、焼酎を立て続けに十杯も飲み、お釣りを受け取らず、この次まであずかって置いて下さい、また来ます、と言って帰りました。

 しかし、夫が支払いをしたのは、後にも先にもこの一回のみであったようです。それからは、なんだかんだとごまかして、三年間、彼らの店のほとんどの酒を一人で飲みつくしたのです。

 彼らの話をここまで聞いたところで私は理由のわからない可笑しさがこみ上げてきて、噴き出してしまいました。あわてて口をおさえて、おかみさんのほうを見ると、彼女も妙に笑ってうつむきます。

 料理屋の主人は話を続けました。彼によると、秋ちゃんは、夫のせいで、いいパトロンからは逃げられるし、お金も着物もなくしてしまい、今は長屋の汚い一部屋で乞食のように暮らしているといいます。秋ちゃんと夫が知り合ったころには、夫は華族の勘当息子で石川啄木よりも上手いものを書いているということになっていて、彼女はあさましいくらいにのぼせていたそうです。料理屋の主人も、今度こそ飲ませないと決心しても、夫が追われたようにやってきて、自分の店でほっとしたような様子をするのを見ると、ついお酒をだしてしまうのでした。

 夫婦は、私に勘定の相談をしようと、夫に自宅の場所を尋ねるも、「無いものは無いんだよ、どうしてそんなに気をもむのかね、喧嘩わかれは損だぜ」などと言うそうです。後をつけてもうまく巻かれてしまいます。

 そのうち東京に空襲がくるようになると、夫は勝手に押入れのなかからブランデーの瓶をもちだして飲むようになりました。終戦になると、夫は必ず二、三人の新聞記者や雑誌記者と一緒に来て、飲んで逃げ、彼らに勘定を払わせるようになりました。酒量も増え、下品な冗談を口走るようになり、連れてきた新聞記者と喧嘩を始めたり、店で使っている二十歳前の女の子をだまし込んで手に入れたりもしたようです。挙句の果てに、今夜は店にあった五千円を、奥さんの目の前で掴んで、夫婦があっけにとられている間に逃げ出したのです。ここまで聞いた私はまたもわけのわからぬ可笑しさがこみ上げてきて、亭主に悪いと思いながらも、声を挙げて笑ってしまいました。

 私は二人に警察沙汰にするのだけはやめてもらい、翌日店に行くことにしました。そして坊やの寝ている蒲団にもぐり、頭をなでながら、いつまでも夜が明けなければいいと思いました。

 私は、母を早くに亡くし、父と二人でおでんの屋台をしながら、長屋に暮らしていました。夫が店に来るようになってから、父をあざむいて、よそで夫と会うようになり、子供ができました。籍にも入っておらず、坊やもてて無し児ということになっています。夫は家をでると、ときにはひと月も帰らないことがあります。帰るときはいつも泥酔して、苦しそうに蒲団にもぐり込んで私を抱き締め、「ああ、いかん。こわいんだ。こわいんだよ、僕は。こわい! たすけてくれ!」と言ってがたがた震えているのです。夫の古くからの知り合いが、私と坊やの身を案じて時々お金を持ってきてくれることで生活は成り立っていました。

 翌朝私は、吉祥寺までの電車に乗りました。電車の天井にぶら下がっているポスターには、雑誌の広告が下がっていて、そこには夫の名が出ていました。夫は「フランソワ・ヴィヨン」という名の論文を発表しているようでした。私はそれを眺めているうちに、なぜかつらい涙が溢れてポスターが見えなくなりました。

 吉祥寺で降りて井の頭公園に寄り、坊やに芋を食べさせて、昨日の夫婦が経営する中野の料理屋に行きました。料理屋に着くと、私は、確実にお金を持ってきてくれる人がいるので、夫が盗んだ金は返せると、自分でも思いがけなかった嘘をつきました。それまでは店で手伝いをさせてほしいと、私は頼みました。

 客がくると、私は料理を運びます。私は、亭主の「いろも出来、借金も出来」という言葉で、夫がおかみさんと関係を持ったことに気づきました。その日はクリスマスの前夜祭でお客が多く、店は活気づいていました。私は美人と言われ、お客に名前を尋ねられたり、握手などを求められます。お客のみだらな冗談にこちらも調子を合せて、更にもっと下品な冗談を言いかえし、客から客へ滑り歩いてお酌して廻っているうちに、自分のからだがアイスクリームのように溶けて流れてしまえばいい、と考えました。

 九時ごろ、クリスマスのお祭りの三角帽を被り、黒い画面で顔の上半分を隠した男が、連れの女と入ってきました。それは夫でした。夫は私に気付き、驚いたようでした。私は亭主にこのことを伝えると、亭主は夫と連れの女を連れて店から出て行きました。私は全てが解決したのだと思い、嬉しくなって、客と飲み交わしました。

 三十分ほどで亭主がひとりで帰ってきて、昨日盗まれた分だけは返してもらったといいます。夫はお金を盗んだ後、どこかへ泊まり、朝から京橋のバーで大宴会を開いていたそうで、バーのマダムはそれを不審がって尋ねてみると、夫が平然と盗みを働いたというので、お金を立て替えてくれていたのです。しかし、それまでに作った夫の借金は返って来なかったので、私はこれから毎日店で働かせてほしいと頼みました。

 翌日から私は、浮き浮きした楽しい気持ちになって、「椿屋のさっちゃん」という名で、店で働きました。夫は二日に一度くらいきて、勘定を私に払わせ、時には一緒に帰ることもありました。

 十日、二十日と店に通ううちに、私は店に通う人たちが皆犯罪人であるということに気づきました。立派な身なりの奥さんがお酒を売りに来ましたが、それは水酒でした。彼女のような上品な人が、こんなことをたくらまなければならない世の中で、後ろ暗いところなしに生きていくことは不可能であると私は思います。

 そのうちに、大谷の妻がこの店で働いていると評判になりました。その日私は夫の知り合いの、時々お金を届けてくれる矢島さんとその連れの人の相手をしました。二人が帰った後、夫のファンだという客に、私は家まで送ってもらいました。その男は帰って行きましたが、もう一杯やっている間に電車を逃したと言って戻ってきたので、私は家に泊めました。その翌日、私はその男に汚されました。

 その日も私は勤めに出掛けました。夫は店で飲みながら、一人で新聞を読んでいました。その新聞には、夫のことを評価して、「人非人」と書いてありました。「さっちゃんと坊やに、あのお金で久し振りのいいお正月をさせたかったからです。人非人でないから、あんな事も仕出かすのです」と夫は言いました。私は嬉しさを感じることもなく、「人非人でもいいじゃないの。私たちは、生きていさえすればいいのよ」と答えました。

ヴィヨンの妻 (新潮文庫)