『グレート・ギャツビー』は、一九二五年に出版された、スコット・フィツジェラルドの長編小説です。
フィツジェラルドは、第一次世界大戦前までの旧来の価値観とは一線を画す、新しい価値観を模索した「ジャズ・エイジ」と呼ばれる世代の中心的人物として、好景気に湧くアメリカを象徴する存在にまで押し上げられた作家です。
一九二〇年に華々しいデビューを果たしたフィツジェラルドは、その後も大衆的な娯楽小説を数多くヒットさせ、ゼルダとともにニューヨークでパーティーに明け暮れる生活を送ります。しかし、その一方で、彼は腰を据えて長編小説の執筆活動に打ち込むことを望んでいました。
一九ニ四年、派手な生活と手を切るために南仏のリヴィエラへと移住し、書き上げられたのが『グレート・ギャツビー』です。発表当時、この作品は批評家からは高評価を受けますが、それまでの娯楽的な作品を好んでいた読者からは敬遠され、売れ行きは芳しくありませんでした。
満を辞して発表した『グレート・ギャツビー』の売れ行きが伸びなかったことで、フィツジェラルドは落ち込んだと言われています。そしてその後、妻ゼルダの浮気と発狂、そして自身のアルコール依存症に悩まされ、四十四歳の時に起こした心臓麻痺がきっかけになり、彼はこの世を去ります。
フィツジェラルドの死後、ようやくこの作品は正当な評価を受けるようになり、現在では押しも押されぬアメリカ文学の傑作と見做されるようになりました。
このページでは、『グレート・ギャツビー』の登場人物、あらすじ、感想を紹介していきます。
※ネタバレ内容を含みます。
『グレート・ギャツビー』の主な登場人物
ニック・キャラウェイ
この物語の語り手。生まれ故郷の中西部から、ニューヨーク近郊のロング・アイランドにあるウェスト・エッグに移り住み、証券会社の見習いとして働き始める。
ジェイ・ギャツビー
ウェスト・エッグのニックの家の隣に住む裕福な男。毎晩のように豪勢なパーティーを自宅で開いているが、どのようにして巨額の富を得たのかを知っている人は誰もいない。五年前に失った恋人デイジーを追い求めている。
デイジー・ブキャナン
ケンタッキー州ルイヴィルの上流階級の家の娘。トム・ブキャナンの妻。ギャツビーのもと恋人。ニックとはまたいとこの関係にあたる。ウェスト・エッグの対岸にある高級住宅地イースト・エッグの住人。
トム・ブキャナン
シカゴの裕福な家庭を出た横柄な男。ニックの大学の友人。デイジーの夫。大学時代は有名なフットボールの選手。マートル・ウィルソンと愛人関係を結んでいる。
ジョーダン・ベイカー
スポーツマンを載せたグラビアにも登場するゴルフの選手。ルイヴィルの出身で、娘時代をデイジーと共に過ごしていた。週末を過ごすために訪れていたデイジーの家でニックと出会う。
ジョージ・ウィルソン
ニューヨークとウェスト・エッグの間にある荒廃した土地「灰の谷」に住む自動車整備工。覇気のない男。
マートル・ウィルソン
ジョージ・ウィルソンの妻。艶かしい体つきをした三十代の女。トムの愛人。
マイヤー・ウルムシェイム
獅子鼻の小柄なユダヤ人。ギャツビーと共同でさまざまな事業を行い、富を手に入れた男。
ダン・コーディー
故人。金属資源の採掘で巨万の富を手に入れた男。スペリオル湖の航海中に若き日のギャツビーと出会い、自分の船に乗せる。
『グレート・ギャツビー』のあらすじ
生まれ故郷の中西部に魅力を感じなくなったニック・キャラウェイは、証券会社の見習いとして東部に移り、ニューヨーク近郊のロング・アイランドにあるウェスト・エッグに居を構えました。
対岸の高級住宅地イースト・エッグには、ニックの大学時代の友人トム・ブキャナンと、その妻でニックとは親戚関係にあたるデイジーが住んでいました。ニックは引っ越して間もなく彼らの家に呼ばれ、デイジーの幼馴染であるジョーダン・ベイカーと知り合います。ジョーダンによると、トムはニューヨークとイースト・エッグの間の土地に住む愛人を抱えているようでした。ニックはまもなくその愛人マートル・ウィルソンと、その夫の自動車整備工ジョージを知ります。
ニックの家の隣には豪華な屋敷があり、その家の主人であるジェイ・ギャツビーなる人物が、夜な夜な豪勢なパーティーを開いていました。ギャツビーがどのようにしてその財産を築いたのかを知る者は誰一人いませんでした。ある夜、ニックは招待客としてそのパーティーに参加し、それ以来ギャツビーからの交際を求められるようになりました。
その数日後、同じパーティーに参加していたジョーダンにより、ギャツビーがデイジーの以前の恋人であったことをニックは知ります。五年の間、デイジーへの想いを断ち切ることのできなかったギャツビーは、ブキャナン家の対岸に家を建てて毎夜パーティーを催し、彼女が現れるのを待っていたようでした。しかしどれだけ待ってもデイジーが現れることはなかったため、ギャツビーは、彼女を知っている人を探し回り、最初に見つけたのがジョーダンでした。ジョーダンは、ニックの自宅でお茶会を開き、デイジーとを自分を招いてほしいというギャツビーからの頼みを伝えました。以来ニックとジョーダンは惹かれあい、ニューヨークで頻繁に会うようになります。
願いを聞き届けてくれたニックのお膳立てにより、五年ぶりにデイジーと再会したギャツビーは、彼女に自分への愛を思い出させることに成功し、幸福な日々を過ごしました。しかしデイジーとの付き合いの中でトムとも会う機会が増えるようになると、トムは二人の関係を疑い始め、ギャツビーのことを調べるようになりました。
ある夏の暑い日、トム、デイジー、ニック、ギャツビー、ジョーダンの五人は、ニューヨークを訪れようと話し、トムはニックとジョーダンを乗せ、ギャツビーはデイジーを乗せてイースト・エッグを出発しました。トムとギャツビーは自分たちの車を交換しました。
同じ頃、妻の不貞に気づいたジョージ・ウィルソンは、マートルを家に監禁し、引越しの準備を進めていました。トムらはニューヨークに向かう途中、ギャツビーと交換した黄色い車で、ガソリンを入れるためにジョージの自動車整備工場を訪れました。ニックは、ジョーダンをトムの妻だと思い込んでいる様子のマートルが、部屋の中からこちらを見ていることに気がつきました。
一行がニューヨークのプラザ・ホテルの一室に着くと、トムとギャツビーとの間にいさかいが起こりました。デイジーは、トムのことを愛していなかったと言って欲しいというギャツビーの要求が大きすぎると嘆き、またトムの調査によって判明した、ギャツビーが違法行為に手を染めていたことを知り、混乱しました。
ギャツビーは自分の黄色い車をデイジーに運転させて帰途に着きますが、その車を見て飛び出してきたマートルを、デイジーは轢き殺してしまいます。
ギャツビーは、車を自分の家のガレージに隠してデイジーの罪を隠蔽しました。しかし、妻を殺されたジョージ・ウィルソンに黄色い車の持ち主を聞かれたトムは、それがギャツビーのものであると教えてしまいます。その結果、ギャツビーは、ジョージによって撃ち殺されてしまいます。
ギャツビーの死後、ニックは彼のために様々な人に連絡を取りました。しかし葬儀に来たのは、ギャツビーの父親とニックの他に、パーティーに来ていた一人の男だけでした。
ニックは東部の社会に幻滅し、ジョーダンに別れを告げて中西部に帰ることを決めました。最後の夜、デイジーの家の桟橋の突端に灯る緑の光をウェスト・エッグから眺めたニックは、ギャツビーがその光を見て信じたであろう未来を思い浮かべました。
管理人の感想
まず、さまざまな解説やレビューで言われていることですが、この作品の冒頭の数ページの文章は本当に素晴らしいです。これだけの分量で、残りの全てがどのようなトーンの物語になるのかを決定づけ、ニックの人物像や、彼がギャツビーに対して抱くことになる想いを要約しています。父親からの忠告によって、「物事を断定的に割り切ってしまわない」性格を身につけたというニックの自分語りは共感を誘い、「これから素晴らしい物語が始まるんだ」という予感をいだかせてくれます。
ロマンティックで感傷的なストーリー、都会的で洗練された雰囲気、軽妙な会話、そしてなんといっても主人公ギャツビーの驚嘆すべき魅力など、全体を通しても数々の素晴らしい要素を持った作品ですが、残りの部分は、この冒頭の数ページの注釈なのではないかと思えるほど、素晴らしい書き出しだと思います。
この作品の主人公ジェイ・ギャツビーは、ニューヨーク近郊ウェスト・エッグの大邸宅に住む、謎多き男として登場します。彼の家では、週末になると豪勢なパーティーが開かれ、何人もの男女が出入りしています。
彼がどのような人生を辿ってきたか知る者は誰もいません。人を殺したことがあるとか、皇帝の甥であったとか、ドイツ軍のスパイだったなどというさまざまな憶測が、そのパーティーに参加する人々の間で飛び交っています。
その豪邸の隣に住むこととなったニックは、招待を受けてパーティーに参加し、ギャツビーとの交際をスタートさせます。デイジーを手に入れるためにニックの信頼を得たいギャツビーは、自分が資産家の息子で、家族が全員死んだので莫大な遺産を得たという嘘の生い立ちを語ります。
ニックは、それらの言葉が偽りであると見破ります。しかし、ギャツビーが五年間もデイジーを愛し続けていたということをジョーダンから聞くと、デイジーを自宅に招き、ギャツビーと彼女の再会をお膳立てしてやります。
そのような関係で結ばれた中で、五年間も追い続けたデイジーへの夢が破れ去った時、ギャツビーはニックに(おそらく)真実の生い立ちを語ります。
ギャツビーが本当の生い立ちを語るということは、認めたくなかった身分や出生をさらけ出し、始めの頃についていた嘘を撤回しなければならないということです。これは普通の人がただ昔の自分について語るよりも、ハードルの高いことだと思います。ギャツビーがニックに対してこれを行ったということは、彼にだけは真実を話さなければならないという、心からの信頼と感謝と友情の証ではないでしょうか?
そしてその話を聞いた上で、ニックがギャツビーに対してかけた最後の言葉は、とても美しく、感動的です。
あんたには、あいつらをみんないっしょにしただけの値打ちがある
この言葉を聞いたギャツビーは、「始めから自分たちの間でその事実を認め合いながらも口に出さなかったのだ」と言わんばかりの微笑みを見せます。この微笑みは、ギャツビーの悲しい運命を予感させるフラグとなっていると考えることもできそうですし、ニックという友人を手に入れた彼の再生の物語が、これから始まることになっていくのかもしれないと感じさせてくれるものでもあると思います。
結局、ギャツビーは、トムによって歪められた真実を信じ込まされたジョージ・ウィルソンによって射殺されてしまいます。
彼の死後、葬儀に訪れてきた父親は、もしギャツビーが恋に囚われることがなければ、おそらくまっとうなやり方で、ひとかどの人物になっていたのではないかと思わせてくれるような素顔を明かします。
一途にデイジーへの情熱を持ち続け、失われた過去を取り戻そうとして夢破れていくギャツビーの人生は、切なく、儚いです。デイジーが他の人々と同じような俗人であることに気づいても、彼は彼女への執着を捨てることができません。恋に囚われていたがために、数多くの嘘で自分を固めなければならず、ニックを除いた誰にもその本質を知られないまま命を落とします。そしてその死後も、人々の彼に対する胡散臭いイメージが晴れることはありません。
しかしニックはそんなギャツビーの本質をしっかりと見抜き、嘘をつかれているのを分かった上で、彼を信頼し続けます。ニックにとって、ギャツビーが嘘をついていたかどうかは、あまり重要でないように見えます。彼はギャツビーだけでなく、特に大した理由もなく様々なごまかしを行いながら生きているジョーダンの嘘もあまり気に留めていないようです。
どうしてニックがギャツビーやジョーダンの嘘を許すことができるのか、これは、冒頭に書かれている、ニックが父親からの忠告によって身につけた、「物事を断定的に割り切ってしまわない」性格のためであると思います。この性格のおかげで、ニックは、「彼(彼女)は嘘をついているけれども、嘘をつかなければならない何らかの抜き差しならない事情があるのだろう」と考えることができるのです。一言で言うと、彼は優しいんです。
そのニックとは対照的に、トムは、ギャツビーをはなっから胡散臭い人物と決めつけ、彼が違法行為に手を染めていることを知るや否や激しく糾弾します。ギャツビーがデイジーに近づく気配を見せていたという事情があったことを考慮すれば、まだこの頃のトムの行動には納得できますが、マートルを轢き殺されたジョージが訪れてきた時に、その車の持ち主がギャツビーであると伝えたトムの行動は、抒情酌量の余地がない罪深い行為です。結果的に、この行動によってギャツビーは殺されてしまうわけですが、トムは最後までその車を運転していたのがデイジーであると知らないまま、自分が正しい行動をとったと思い込んでいます。ニックは、そのようなトムを、物事をめちゃめちゃにしておきながら、その後始末を他人にさせる不注意な人間と評します。
このようなトムとニックの対照性を見ていると、ニックのこの「物事を断定的に割り切ってしまわない」性格というのは、非常に大きな美質であるように思えます。彼の存在が、孤独だったギャツビーの人生に、一条の光を当てたことは間違いありません。ギャツビーは、デイジーを手に入れることはできませんでしたが、ニックという自分を理解してくれる唯一の友人を手に入れることには成功したのだと思います。
『グレート・ギャツビー』は、もちろん、ギャツビーの途方もない情熱が描かれた恋愛小説です。しかし、ニックとギャツビーの美しい友情に目を向けたとき、また違った深みが増してくる作品でもあると思います。