マーク・トウェイン作『ハックルベリー・フィンの冒険』ってどんな話?作品の内容を詳しく解説

マーク・トウェイン『ハックルベリー・フィンの冒険』のあらすじ、登場人物、を紹介するページです。作品の概要や管理人の感想も。

ハックルベリィ・フィンの冒険 (新潮文庫)

『ハックルベリー・フィンの冒険』の主な登場人物

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ハックルベリー・フィン
主人公。前作『トム・ソーヤの冒険』で泥棒たちが洞穴に隠した金を発見し、街の金持ちダグラス未亡人の養子になっている。暴力的な父親に拉致されるが、首尾よく逃げ出し、ワトソンの使用人の黒人ジムと出会い、共に川を下っていく。

ダグラス
未亡人。ハックを養子にする。

ワトソン
ダグラスの妹。ジムの所有者。

ジム
ワトソンが所有していた黒人の大男。オーリアンズに売られそうになり、逃げ出してハックに出会い、冒険を共にする。

トム・ソーヤ
前作『トム・ソーヤの冒険』の主人公。ハックの親友。

サッチャー
判事。ハックの財産を管理し、一日一ドルずつ渡している。

ハックの父親
ハックのことを殴りながら生活していた酒飲みの父親。ハックが財産を手に入れたことを知ると、その金を使う権利を得るために一年ぶりに姿を現す。

公爵
ハックとジムの旅の途中で出会った三十歳くらいの男。落ちぶれた公爵のふりをしている。

王様
ハックの旅の途中で出会った七十才くらいの老人。公爵が自分を「公爵」と偽るのを見て、王様と名乗る。

サイラス・フェルプス
ジムを買い取った老人。トム・ソーヤの叔父。

サリー叔母さん
サイラス・フェルプスの妻。トム・ソーヤの叔母。

『ハックルベリー・フィンの冒険』のあらすじ

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※ネタバレ内容を含みます。

 前作『トム・ソーヤの冒険』で、ハックルベリー・フィンとトム・ソーヤは、泥棒たちが洞穴に隠した大金を発見し、それを分け合いました。ハックはその金を判事のサッチャーに預けて一日一ドルずつ受け取り、町に住む未亡人ダグラスの養子になり、その妹のワトソンと三人での生活を始めました。しかし、ハックに財産ができたということを知った酒飲みの父親が一年ぶりに姿を現し、ハックを拉致して監禁してしまいました。
 隙を見て父親の元から逃げ出したハックは、ダグラスやワトソンとの上品で窮屈な生活に戻るのも嫌で、自分が殺されたように見せかけ、筏に乗って逃亡を図りました。
 川の中にある島で野宿をしていたハックは、ワトソンの使用人で、売られそうになって逃げてきた黒人奴隷のジムと出会いました。二人は共に旅立ち、奴隷制度のない自由州を目指しました。
 難破船で悪党たちの金品を盗み出したり、名家同士の宿恨に巻き込まれたりしながら二人は旅を続け、「公爵」と「王様」と名乗る二人の男に出会いました。公爵と王様は詐欺師で、しばらくはハックとジムとともに各地の人々を騙しながら生活していましたが、金に困るとジムを売りつけてしまいました。
 ジムを買ったのがサイラス・フェルプスという男だと知ったハックは、しばらくぶりに訪れてきた、サイラスの妻サリーの甥のふりをしてその家に入りました。自分がなりすましていたサリーの甥が、偶然にも友人のトム・ソーヤであると知ったハックは、その後訪れてきたトムとともに、ジムを奪還する作戦を練りました。
 脱獄の本を読んでいたトムの遊び心によって、大掛かりな犯罪に仕立て上げられたジムの奪還は成功しました。しかし、ジムを奪おうとする恐ろしい犯罪集団が潜んでいると思い込んだフェルプスとサリーは、その犯罪集団に対抗するために多くの人を呼んでおり、そのうちの一人によってトムは足を撃たれてしまいました。
 トムの治療のために逃げ出すことを拒否したジムは、人々に見つかり、捕まってしまいました。しかし二ヶ月前に死んだワトソンが、遺言でジムを自由にしており、これが知れ渡ると、ジムは解放されました。
 ジムの奪還に成功したハックは、新しい冒険を探し始めました。

作品の概要と管理人の感想

 『ハックリベリー・フィンの冒険』は、一八八五年に発表されたマーク・トウェインの長編小説です。『トム・ソーヤの冒険』の続編で、アメリカで最も偉大な作品のうちの一つと言われています。
 マーク・トウェイン(本名サミュエル・クレメンズ)は、四歳の頃に黒人奴隷とともにミシシッピ川沿いの街ハンニバルに移り住み、若くして蒸気船の水先人として働き始めました。ハックルベリー・フィンが作中で旅をするミシシッピ川の描写は、幼いころに彼が見た経験をもとに書かれています。
 主人公のハックルベリー・フィンが、詐欺師たちによって売られてしまった黒人のジムを、トム・ソーヤとともに奪い返すという少年向きの内容でありながら、アメリカにおける黒人奴隷制度という問題に光を投げかける作品ともなっています。
 アメリカ南部では、南北戦争終結の一八六五年まで、黒人奴隷を合法的に所有することが許されており、黒人が逃亡することは犯罪でした。この作品が発表されたのは、奴隷制度廃止後の一八八五年ですが、舞台設定はそれより四十から五十年前の、奴隷制度廃止前の話です。
 教育を受けていない黒人のジムは、古い因習や迷信に囚われながらも、善良な心を持ち、自分を導いてくれるハックルベリー・フィンに全幅の信頼を置き、協力します。「宿なし」とはいえ、白人社会の中で成長してきたハックルベリー・フィンは、黒人奴隷の逃亡を手伝ったことで罪の意識に囚われながら旅を続けます。ジムの黒人奴隷特有の考え方に嫌気がさして、訴えようと決心することもありますが、自分を信じ続けているジムを訴えることができずに旅を続けていきます。ハックにとっては、ジムを訴える事は白人社会に対する善であり、共に旅を続けることはジムという一人の人間に対する善なのです。黒人奴隷の逃亡に関われば自らも罪に問われるハックがジムを訴え出なかったことは、奴隷制度という古い法律を遵守し続ける社会に対し、一人の少年の人間に対する愛が打ち勝ったということを意味しているのではないでしょうか。
 マーク・トウェインは、奴隷制度廃止論者で、黒人奴隷の解放を支持する立場をとっていました。自分の息子に暴力を働き、財産を奪い取ろうとする父親を始めとして、名家同士で意味のない殺し合いをするグレンジャーフォード家とシェファードソン家、詐欺を働きながら旅をする王様と公爵など、彼の書く白人社会は、愚かで暴力的で、欲にまみれています。(もちろん、ここに描かれている白人社会は、デフォルメされたものであり、当時の全ての白人が愚かで、全ての黒人が善良であったということはあり得ません。)
 しかし、ハックルベリー・フィンは、白人社会のはみ出し者であるがゆえに、人間の心を持ってジムに接することができるのです。そして、自分を人間として扱ってくれるハックに対し、ジムも人間らしい心を持って応じます。この二人の友情が成立するということは、現代に生きている私たちには理解できないほど難しいことだったのでしょう。年齢も立場も異なる人間同士が、社会的な常識にとらわれることなく、お互いを人間として接している事こそが、この作品が二百年近くにわたって愛され続けている理由なのかもしれません。