ハーマン・メルヴィル『白鯨』の登場人物、あらすじ、感想

ハーマン・メルヴィル作『白鯨』の登場人物、あらすじを紹介するページです。作品の概要と管理人の感想も。


白鯨 上 (岩波文庫)

『白鯨』の登場人物

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イシュメール
語り手。捕鯨の一大基地ニュー・ベッドフォードで異教徒クイークェグと出会い、ともにピークオッド号へと乗り込む。

エイハブ
ピークオッド号の隻脚の船長。鯨骨でできた義足をはめている。かつて自分の片脚を奪った白鯨への復讐のためピークオッド号に乗り込み、その目的のために船員を掌握する。

スターバック
ピークオッド号の一等航海士。妻子持ち。鯨との闘いでは常に冷徹な判断を下す功利主義者。エイハブの狂気にもただ一人対抗しようと試みるが、抗いきれずに思い悩む。

スタッブ
ピークオッド号の二等航海士。常にパイプをふかし、鷹揚に構えている。エイハブの狂気に気づくも、悪い飛ばすことが最善の策と考える。

フラスク
ピークオッド号の小柄な三等航海士。鯨に対しては常に戦闘的。

クイークェグ
異教徒の銛打ち。小さな木像ヨージョのお告げに従って行動する。心の友となったイシュメールと共にピークオッド号に乗り込み、スターバックの下で働く。

タシュテーゴ
スタッブのボートに乗り込むインディアンの銛打ち。鯨を見つけるのが得意。

ダグー
フラスクのボートに乗り込む巨漢の黒人。

フェダラー
エイハブが白鯨と戦うためにピークオッド号に乗り込ませた拝火教徒。頭にターバンを巻いている。

ピップ
華奢で臆病な黒人の少年。鯨との戦闘で海に落ちたことが原因で白痴のようになり、甲板を徘徊するようになる。

『白鯨』のあらすじ

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※ネタバレ内容を含みます。

 憂鬱な己の気持ちを抑えるために船に乗り込むことにしていたイシュメールは、鯨という巨大な観念を求めて捕鯨船に乗ることを決めました。彼はマンハッタンから捕鯨発祥の地ナンターケットを目指し、その途中のニュー・ベッドフォードに到着すると、異教徒の銛打ちと同じベッドという条件付きで、宿を確保しました。
 イシュメールと同じベッドで寝ることになった銛打ちは、地図に載っていない島の大酋長の息子で、その名をクイークェグといいました。その異形な姿にイシュメールは怖気付いたものの、やがてクイークェグの敬虔で高貴な様に惹かれ、心の友となりました。
 二人はナンターケットへ行き、その港に停泊していた捕鯨船「ピークオッド号」に雇い入れてもらうための交渉を行い、乗船の許可をもらいました。

 ピークオッド号は、頑強で冷静な一等航海士スターバック、全てを笑い飛ばす二等航海士スタッブ、小柄で戦闘的な三等航海士フラスクや、スタッブのボートに乗り込むインディアンの銛打ちタシュテーゴ、フラスクのボートに乗り込む巨漢の黒人ダグーといった、個性豊かな面々を乗せていました。クイークェグはスターバックお抱えの銛打ちとして、勇敢に職務をこなしましました。

 これらの屈強な男たちを束ねる船長エイハブは、出航後しばらくして甲板に姿を現し、その威厳で乗組たちを圧倒しました。彼は全ての人員を集め、背中に大きな瘤のある全身が白いマッコウ鯨を発見した者には、メインマストに釘付けにされている一オンス金貨を与えると宣言しました。モービィ・ディックと呼ばれるその白い鯨は、これまで幾多もの船を恐怖に陥れてきた伝説の鯨で、エイハブはかつてその鯨に片脚を食いちぎられ、復讐を果たすためにピークオッド号に乗り込んだのでした。彼の白鯨に対する復讐心は狂気の域に達しており、捕鯨船に自らのボートを持ち込み、出航直前になって拝火教徒のフェダラーらを雇い、倉庫にひそませておくほどでした。
 ピークオッド号は様々な国籍の船と出会いましたが、白鯨に関して有益な情報が得られない場合は、それ以上の他船との交流を拒み、白鯨のいる海域へと船を急ぎました。

 油が漏れだしている樽を見つけるために裸同然で作業していたクイークェグが、重い病気にかかりました。死を予感したクイークェグは自分の遺体が海に流されることを望み、そのためのカヌーを作らせました。しかし彼は陸での用事を思い出したと言って、死病を治してしまいました。棺桶になる予定だったカヌーは、救命ブイへと作り変えられました。

 太平洋へと船が出ると、エイハブの狂気は更にエスカレートし、方角を知るための器械をおもちゃだと言って破壊したり、白鯨のいる海域へと急ぐために台風の中を直進し、船が台風の真っただ中にいる間も避雷針を下ろすように命じました。知人である他船の船長の息子が行方不明になっていると聞いても、その捜索依頼を断り、白鯨の捜索を優先させました。
 そのようなエイハブの狂気に、自分たちの身が危険にさらされることを確信したスターバックは、エイハブが寝ている間に、銃を撃ち込んで殺そうとしました。しかしエイハブの寝言により、スターバックは銃口を下ろし、船長殺害が果たされることはありませんでした。

 日本の沖合で、エイハブはついにモービィ・ディックを発見しました。三日にわたる追跡の末、船員たちは何本もの銛を打ち込むことに成功しますが、モービィ・ディックはそのたびに自分に近づいてくるボートを破壊し、その中の乗組員を海に落として応戦しました。追跡の三日目、エイハブは自分の死を予感しながらモービィ・ディックへとボートを進めました。モービィ・ディックは、怒りの形相で姿を現し、自分を攻撃する諸悪の根源である本船に噛みつきました。ピークオッド号が転覆を始めたため、エイハブは怒りに駆られて自分の銛をモービィ・ディックに突き刺しました。銛を刺されたモービィ・ディックはエイハブの方へ急発進し、エイハブは自ら投げた銛の綱が首に絡まり、そのまま海に落とされて最期を迎えました。
 モービィ・ディックによって壊された本船は、海面に現れた大渦に呑み込まれ、船員もろとも姿を消しました。

 モービィ・ディックの最初の一撃により、早くから海に落とされていたイシュメールは、遠くからその一部始終を見ていました。彼はクイークェグの棺桶から作られた救命ブイを発見して乗り込み、二日後に他船に救出されました。

作品の概要と管理人の感想

 『白鯨』(モービィ・ディック)は、1851年に発表されたハーマン・メルヴィルの代表作です。
 壮大なイメージを喚起するためか、『白鯨』という題や、その白鯨につけられたモービィ・ディック(またはモビー・ディック)という渾名、捕鯨船の乗組員の名前が様々な方面で使われることの多い作品です。有名なところでは「白鯨」という題は、そのままジェットコースターの名前にも使われていますし、「スターバックス・コーヒー」の「スターバック」は、この小説に登場する一等航海士の名前からとられています。その他、恐ろしくも高貴なものの象徴として、この小説に登場するものの名前が、多くのアニメ、ゲームなどで繁用されています。
 現代でこそ高い知名度を誇るこの『白鯨』ですが、発表当初はほとんど評価されず、メルヴィルは作家としての収入だけでは生活することができませんでした。彼はニューヨーク税関の検査係として働きながら細々と文筆活動を続けましたが、様々な不幸に見舞われ、死の直前には発狂状態だったそうです。
 死後三十年が経ち、著名な英文学研究者が『白鯨』を始めとするメルヴィルの諸作品を紹介する著作を発表し、再評価が行われました。その後、サマセット・モームによる『世界の十大小説』にも選出され、現代ではアメリカ文学を代表する作品として広く知られています。

 この作品の本筋は、「かつて白鯨によって片脚を奪われた老船長エイハブが、復讐を果たすために執拗なまでに白鯨を追う」物語です。しかし本筋と関係する場面は、この作品のうちのほんの一部しかありません。大部分が鯨に関する蘊蓄や、本筋とは直接関係のない物語で構成されています。
 まず鯨の英語名であるWHALEの語源の説明や、各国語の鯨の呼び方、そして八十にもわたる鯨に関する書物からの抜粋によってこの物語は幕を開けます。次に語り手であるイシュメールが捕鯨船に乗り込むまでが描かれると、鯨に関するありとあらゆる豆知識が延々と披露され始めます。それらは、鯨の定義から始まり、マッコウ鯨からとれる脳油について、鯨の各種類とそれぞれの特徴について、古代の石窟に描かれた鯨の絵について、モービィ・ディックの体色である白という色について、調理法について、捕鯨に使われる綱について、捕らえた鯨の解体方法と精油について、鯨の肉の部位や骨相学について……、とまあ、鯨に関することは何もかもが書かれています。それだけではなく、本筋と全く関係のない物語が突然始まったり、冒頭ではイシュメールを語り手とした一人称小説であった形式が次第に曖昧になり、場所によっては三人称小説のようにもなったり、戯曲めいた場面が繰り広げられたりと、かなりゴツゴツとした印象を与える作品です。
 そしてこれらの全てが、とても仰々しい文章で書かれています。例を挙げてみましょう。

「よそ目にはごく平凡にしか見えない主題でも、それが自分の主題となると精神が高揚して熱っぽくなる物書きがいるものである。それでは、このレヴィヤタンについて書いているわたしのごときはどうなるか?無意識のうちにわたしの書く字はプラカードの大文字なみに大きくなる。われにコンドルの羽根ペンをあたえよ!インクスタンドとしてヴェスヴィアス火山の噴火口をあたえよ!友よ、わが腕をささえよ!このレヴィヤタンに関するわたしの思想を書きつけるだけで、わたしは疲れはて、その思想がおよぶ広大無辺性に気が遠くなるのだ。わが思想は科学の全領域にまたがり、過去、現在、未来にわたる全世代の鯨、人間、マストドンなどばかりか、地球と全宇宙およびその周縁をふくむ大帝国の回転するパノラマの数々をも包摂しているかのようだ。」

『白鯨』より

 終始こんな調子で物語が進んでいくのです。

 ここまでを読んで、この『白鯨』を敬遠したくなる人も多いでしょう。実際に、「読了するのが困難な作品の一つ」とも言われているようです。しかし、このような延々と続く仰々しい文章が、ハマる人にはハマる作品だと思います。管理人はドハマりしました。読んでいくうちに仰々しい文章がクセになり、そのうちにこの作品がクライマックスを迎えると、その圧倒的な迫力にどんどんと引き込まれます。管理人の個人的な話になりますが、これほど読み終えた後に(良い意味での)脱力感を感じる作品は他にありません。

 なぜメルヴィルがわざわざ多くの脱線を含む物語を描いたのか。それは「白鯨の追及」というナンターケットから太平洋にわたる長い旅路を、小説の長さで表現し、追跡の終結というものを先へ先へと延ばしたかったからだという説があります。しかし、メルヴィルが太平洋で三年の月日を過ごす間に身につけた知識をひけらかしたいという誘惑に抵抗することができなかったためではないかと、サマセット・モームは『世界の十大小説』の中で書いています。
 どちらが真実であるかはわかりませんが、「やりたいことを執拗にやった」作品ということは間違いないようです。そしてその執拗さが、エイハブの白鯨を追う執拗さと重なり合い、何か深い深い「業」のようなものをいやがおうにも感じずにはいられない作品となっています。
 取り上げるテーマだけでなく、その分量、文章、形式どれをとってもスケールの大きなこの作品は、世界中を旅し、様々な職を転々としたメルヴィルだからこそ書けたものであると思います。もしメルヴィルがこの『白鯨』を書くよりも前から評価され続けている作家であったら、この作品はもっと綺麗にまとまりすぎていたかもしれません。彼の人生を思うと(wikipediaなどに詳細があります)気の毒ですが、『白鯨』は、狭い世界に閉じ込められることのなかった人間にしか書けない、稀有な作品であると思います。