坂口安吾『アンゴウ』の登場人物、あらすじ、感想

 『アンゴウ』は、1948年(昭和23年)に発表された坂口安吾の短編小説です。坂口安吾は、無頼派や新戯作派と呼ばれ、太宰治や織田作之助らと共に、戦後における文学に新しい息吹を与えた作家の一人として知られています。

 主人公の矢島が、戦死した親友である神尾の蔵書を、古本屋で見つけるところからこの小説は始まります。矢島がその本を買い、中を開くと、矢島と神尾が出征まで勤めていた会社の用箋が挟まっていて、そこには暗号と思われるものが書かれていました。その暗号は、「いつもの処にいます七月五日午後三時」と解読でき、神尾の恋人からのものではないかと矢島は思います。そして、その用箋は、矢島の家に置いてあったものであるため、矢島は神尾と自分の失明した妻との関係を疑うようになっていきます。

 矢島は妻を疑いつつも、真実を確かめようと、その本のこれまで辿ってきた道程を調べ始め、真相を解明します。あっと驚くような感動が生まれる作品です。

『アンゴウ』の登場人物

矢島
昭和十九年に出征。復員後は有名な出版社に勤める。神田の古本屋に置かれていた、神尾の蔵書印のある本の中に、暗号めいたものが書かれた用箋を見つける。

神尾
矢島と同じ会社に勤めていた。矢島と同じく、神代の民族研究に興味を注いでいた。昭和二十年に出征し、戦死する。

矢島の妻
空襲により失明する。

神尾の妻
仙台に住む。矢島が社用のついでに、神尾の蔵書印がある本を見せに行く。

洋館の主人
三十五、六の病弱らしい人で、さる学術専門出版店の編集者。神尾の蔵書を手に入れ、そのうちの一部を古本屋に売る。

秋夫和子
矢島の子。空襲で焼け出されてから行方がわからない。

『アンゴウ』のあらすじ

 矢島が社用で神田に出ると、扉に「神尾蔵書」と印がつけてある本を見つけました。神尾は戦死した旧友の名前でした。その本を買ってページを開くと、矢島と神尾が出征まで勤めていた角紋書館の用箋が挟まっており、そこには三行にわたり、数字が羅列されていました。矢島はその用箋に書かれた数字の羅列が暗号ではないかと考えました。一番上の行には、34、14、14という数字が書かれていました。その本の三十四頁十四行目十四字まで進むと、「いつもの処にいます七月五日午後三時」と書かれていました。その用箋は神尾の恋人からのものであると、矢島は考えました。

 矢島は神尾と趣味が同じで、神代の民族研究に興味を注いでいたため、最も親しい親友でした。神尾には妻がありました。もし出征前の神尾に恋人がいたのであれば、最も親しい友人である矢島にだけは話しても良さそうでした。矢島の出征は神尾よりも早く、矢島は社の用箋を持ち帰って使っており、出征中もそれを残して行ったので、矢島の妻のタカ子がそれを使っていても不思議はありませんでした。矢島はタカ子と神尾の関係を疑い始めました。

 タカ子は、自宅に爆撃を受けて失明し、二人の子供はその爆撃から消息が途絶えていました。神尾は戦死し、タカ子は失明したため、天罰だと矢島は思いましたが、その自分の考えをあさましいと思い、やりきれない苦痛を感じました。矢島はこのことをタカ子に秘密にしようと思いました。

 そのうちに、自分の出征前のタカ子が、左側にいつも寄り添ってきたのが、戦争から帰ってみると、左に来たり右に来たりするようになったことに気づきました。矢島は始め、それを失明のせいだと思っていましたが、神尾が左利きだったことを思い出し、呆然としました。

 矢島は社用で仙台へ原稿依頼へ行くついでに、仙台にいる神尾の妻に会いに行きました。矢島は神尾の妻に、神尾の蔵書を見せました。
 神尾の妻は、これと同じ本を持っていると言い、蔵書の前に矢島を導きました。そこには、矢島が持ってきたのと同じ本があり、こちらには神尾の蔵書印がありませんでした。
 矢島は、神尾と自分の妻が暗号用に二冊の本を使ったのだと思いましたが、途端にその本を自分が神尾に貸していたことを思い出しました。矢島が神尾にこの本を貸した後、神尾も同じ本を買いました。そして神尾の家で、矢島の出征前の宴を行った時に、酔ってよく調べもせずに、間違えて神尾蔵書印のある方を家に持って帰ってきたのでした。この本を取り違えたのは矢島自身なのでした。
 矢島は印のある方を神尾の妻の家に置き、ない方を自宅へ持ち帰りました。

 矢島はこの本のことをタカ子に切り出してみました。失明しているため、表情を読み取ることはできませんでしたが、タカ子は何も知らぬ様子でその本を撫でました。

 矢島はこの本を買った古本屋に出かけ、本の出所を聞きました。その本は焼け残った洋館から売られたものでした。
 その洋館の主人は三十五、六歳の病弱らしい人で、さる学術専門出版店の編集者でした。彼によると、それらの本は、東京が焼け野原となった初夏の日に、路上に並べて売られていたものでした。それらは日本史に関する著名で手に入りづらい書であったので、洋館の主人はそれらを買い求めたのでした。それらはおそらく空襲で焼け出された時に外へ持ち出され、そのまま盗まれて路上に並べられたのだと思われました。洋館の主人は、そのうちのいくつかを古本屋に売ったため、それが神田の古本屋で矢島の目にとまったのでした。

 その夜矢島は焼け出された時のことをタカ子に聞きました。その日タカ子は空襲警報を聞き、防空壕へ逃げましたが、手ぶらで焼け出されては困ると子供が言い出したので、家と防空壕を往復して食糧や蒲団を防空壕へ運びました。子供とは幾度かすれ違った筈でしたが、タカ子はその姿を見ていませんでした。そして音と同時に閃光を見て、以来光を失ったと言います。矢島はそれ以上聞くのを躊躇い、妻の話を止めました。
 しかし妻が不貞を行ったのではないかという疑いは矢島の中から晴れることはありませんでした。

 翌日矢島が出社すると、昨日会った洋館の主人から電話がありました。彼によると矢島の蔵書にはページ番号を表していると思われる紙がどの本にも挟まっていて、感傷を覚えたのでその紙をとってあるようでした。
 矢島は洋館の主人の十一冊の蔵書と、その中にある十八枚の暗号文書を見つけました。
 矢島はその本の翻訳にかかりました。

 それらは亡くなった矢島の子供の秋夫と和子の間で交わされたものでした。「サキニプールへ行ッテイマス七月十日午後三時」「イツモノ処ニイマス」といったやりとりや、縁の下にいる子犬のことについての話が、その暗号に含まれていました。これらの愛しい暗号に、矢島は涙を流しました。戦時中のことだったので、暗号の方法なども二人は知っていたのでしょう。空襲の中で、二人はこの本を必死に持ち出して防空壕に投げ出したのに違いありませんでした。
 それらの暗号によって、子供たちが自分に別辞を送っているかのように矢島は感じ、彼らが自分を慰めるために訪れてきたのだと信じ、深く満たされました。

管理人の感想

 坂口安吾は、『白痴』のような純文学あり、『桜の森の満開の下』のようなおどろおどろしい寓話めいた作品もあり、『堕落論』のような随筆あり、『不連続殺人事件』のような推理小説ありと、非常に多くの種類の小説を書いています。太宰治、織田作之助らとともに、「無頼派」と呼ばれ、戦後の人びとの意識が急激に変化する中で、新しい文学を模索し続けた作家ならではの懐の深さでしょう。現代よりも「純文学」と「大衆文学」の枠組みがしっかりと定まっていたこの時代に、様式にとらわれない作品を発表し続けた坂口安吾は、いかに読者を楽しませるかに徹し、戦後の暗い日本を勇気づけた作家であると思います。

 ここで紹介した『アンゴウ』は、推理小説の要素を含んだ大衆小説と言ったところでしょうか。主人公の矢島が、空襲で失明した妻と親友との不貞を疑い始める暗澹とした雰囲気から始まり、ラストの「種明かし」では、深い感動を与えてくれる作品となっています。「種明かし」にいたるまで、妻の不貞を疑って暗い気持になる矢島の感情は描かれても、行方がわからなくなった子供に対する感情はあまり書かれていません。しかし、最後のアンゴウが解かれる場面になって、子供たちが自分を慰めるために訪れてきたのだと矢島は信じ、一生分の涙を流します。それにより、読者はこれまであまり描写されることのなかった、矢島が抱えていた子供への感情をも知ることになるのです。淡々と事実が解明され続けてきた物語だったのが、急激に矢島が救われる物語へと変化し、その救いによって、矢島の子供たちへの想いと、抱え続けてきた傷までもが一気に明るみにだされる。この作品が非常に深い感動を与えてくれるのは、このような書かれ方がなされているためだと思います。