谷崎潤一郎『細雪』(下巻)の詳しいあらすじ

谷崎潤一郎作『細雪』の中巻のあらすじを詳しく紹介するページです。ネタバレ内容を含みます。

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沢崎と雪子の見合い

 幸子に呼び寄せられて東京を出立し、以来四ヶ月も蘆屋に住んでいた雪子は、本人も帰るつもりもなくなって関西に根を下ろしたようになっていましたが、六月になると、珍しく鶴子から縁談の知らせが届きました。
 その相手は、辰雄の姉が縁付いている菅野家が昔から懇意にしている名古屋の財産家の沢崎家の当主でした。菅野の姉は大垣に住む豪農の未亡人で、薪岡の姉妹たちもよく知っている仲でした。幸子は、辰雄や鶴子、雪子、妙子らとともに、長良川の鵜飼を見に行った帰りに菅野家で一泊したことや、茸狩に招かれたことがありました。その菅野の姉が、雪子が結婚をしていない噂を耳にして、縁談を見つけてきたのでした。
 数千万の資産家であった沢崎は、薪岡とは身分違いであったものの、既に雪子のことも調べてあるようで、すぐに彼女を大垣まで寄越してもらいたいと望んでいるようでした。大阪にも知られている家柄ではあったものの、その家の当主がどのような人物か知らなかった幸子は、これまで雪子の見合い相手について十分な調査を行ってきた鶴子にしては唐突な知らせだと考えました。
 翌日、貞之助は、心当たりの人へ、沢崎の当主について問い合わせました。
 当主は、早稲田の商科出の四十四、五歳の男で、亡妻は華族の出であったこと、子供が二、三人あり、貴族院議員の父の資産が相当にあるであろうことなどを知りました。貞之助は、姉に頭の上がらない辰雄が調べもせずにその縁談を引き受けてしまったように思われ、それほどの身分のものが雪子に目をつけたのは、雪子の器量についての噂を聞き、軽い好奇心を起こしたにすぎないのではないかと考えました。

 菅野の姉からの手紙には、蛍狩りの時期でもあるので、雪子と幸子に加え、久しく会っていない妙子や悦子も連れて遊びに来るつもりで来てほしいと書かれていました。妙子の世評が悪いために雪子への縁談が減ったことの責任を感じていた幸子は、余り途方もない縁談で望みがないと感じながらも、撥ねつけることができませんでした。
 貞之助と幸子は一晩考え、雪子次第にしようという話になりました。雪子はいつも通りはっきりした返事はしないまでも嫌そうな様子でもなく、幸子は招きを受ける旨を菅野の姉に伝えました。
 幸子は、見合いの後で東京に戻ることになった雪子を、妙子と悦子と共に送るため、金曜と土曜にかけて菅野に一泊し、土曜の夜に蒲郡の常磐館に泊まることを決めました。

 見合いであることを考慮して和装となった幸子は、暑苦しさを堪えながら汽車に乗りました。当人の雪子も、東京から振袖を取り寄せ、厚化粧をして向かいました。雪子は細面の寂しい目鼻立ちながら厚化粧をすると引き立つ顔をしており、とても三十三歳には思えませんでしたが、眼の縁の染みがここのところ終始消えず、それが白粉の下から浮き上がって見えるようになっていました。
 妙子は、板倉の死を心に留めていない様子で、おどけたことを言って悦子や姉たちを笑わせました。
 汽車は途中で立ち往生しながらも、大垣へと到着しました。幸子が菅野を訪れたのは三度目でしたが、菅野未亡人の息子にあたる当主の妻の常子は初対面でした。常子は六歳ほどの惣助、乳飲み子の勝子を抱えていました。
 菅野の姉によると、既に四十歳を超えた沢崎の当主は、新しい妻を探しているようでした。しかし菅野家と沢崎家は先代まで付き合いがあったものの、菅野未亡人は沢崎家の当主と会ったこともないようで、幸子は、自分達に相談もなく、面識のない人に申し入れをした菅野と、その申込みに応じた沢崎が、あまりにも非常識ではないかと、不満に感じました。
 菅野未亡人は、そのような幸子の気持ちに気づくこともなく、自分の計画が進展していることに気をよくしながら、見合いの計画を話し始めました。
 幸子は、仲介人を立てずに書面だけで見合いを申し込む沢崎が自分達を軽蔑しているに違いないと考えながら、辰雄の立場も考えなければならないと、成り行きに任せることにしました。

 その日の夜、畑の中にある小川の縁に沿って飛び交っていた蛍狩りの思い出に浸りながら、眠れない夜を過ごしていた幸子は、同じように眠れないでいた妙子に話しかけられ、翌日が見合いであるというのに寝息を立てている雪子を呑気だと語り合いました。

 翌日、悦子と妙子は、惣助と、その父親の耕助とともに関ヶ原の見学へ行きました。
 幸子と雪子は、母家の奥まったところにある十二畳の座敷に通され、その部屋で沢崎と初対面を果たしました。
 沢崎は、知らないことを聞かれると不機嫌になる癖があったものの、取り立てて異常な点があるようには見えませんでした。しかし幸子には、彼が雪子にあまり興味を抱いていないように感じられたため、食事を済ますと、汽車の時間を口実にして怱々に引き揚げました。

 悦子たちが戻ってくると、幸子は菅野未亡人がもう一泊薦めるのも辞退し、汽車に乗りました。
 菅野家の爺やが即席で拵えてくれた、缶詰の螢籠を抱えていた悦子が、蛍が逃げないようにガーゼを括り直そうとすると、隙間から蜘蛛やバッタが蛍の後からぞろぞろと這い出してきたので、四人は、斜向かいの席に座ってきた男に、それらの虫を取ってもらいました。
 幸子たちが居眠りをしながら列車に揺られていると、前方に座っている陸軍士官が、眠気に堪えられずにシューベルトのセレナーデを歌いだしました。その士官は、後ろで聞いている華やかな幸子たちを意識して、少し固くなっているようでした。それらの唄に馴染み深かった幸子たちは、士官の歌うのに合わせて歌い始め、その声はだんだんと大きくなりました。士官は首まで赤くなり、唄い終わると、俯きながら岡崎駅で逃げるように出て行きました。

 幸子たちは蒲郡で降り、かねてから貞之助に勧められていた旅館の常磐館へと向かいました。
 幸子は、あのような惨めな見合いを終えた後で東京に帰らなければいけない雪子が、妙子や悦子と共に常磐館での一夜を楽しんでいる様子を見て、救われたような気持ちになりました。

 翌日、蒲郡から東京行きの列車に乗りこんだ雪子が重々しい気分になりながら座っていると、豊橋から乗ってきた一人の四十歳前後の紳士がこちらを見ていることに気づきました。それは、十年以上も前に辰雄の斡旋で見合いをしたことのある豊橋の財産家の三枝という男でした。雪子はその時、三枝の田舎臭く、知的でない顔つき嫌って縁談を断りましたが、今はさらに田舎臭い顔つきになっていて、ジロジロと見られることに不愉快を感じました。三枝が藤枝で降りた後、雪子は、縁談を断ったのは、父が亡くなって急に威張り出した辰雄を困らせてやろうという魂胆もあったことを思い出しましたが、その辺鄙な駅に住む三枝のところへ嫁に行っても、自分が幸福になれたという気はしませんでした。

 一方、関西に戻る幸子は、東京へ発っていった雪子のやつれた顔を思い出していました。これまでにも雪子は何度も見合いをしていましたが、今回のようにこちらが引け目を感じる見合いは初めての経験でした。幸子は、これから先もこちらが優越的に見合いをすることができなくなるであろうことを憂いながら、雪子の顔にできた染みを治療しなければならないと考えました。
幸子は、この不愉快な見合いを思い出さないように、貞之助には細かいところまで話さずにいましたが、すぐに菅野未亡人と沢崎から手紙が届き、雪子は縁談を断られました。それは「縁のない」以外に何の理由も書かれていない切口上な手紙で、貞之助と幸子は不愉快な気持ちになり、そのような手紙を同封させてきた神経の粗い菅野未亡人に見合いを任せた辰雄にも、もう少し雪子の立場を考えてくれ、調べができているかの問い合わせをするといった親切があってもよかったのではないかと考えました。

両親の法事、妙子との絶縁

 それから半月余り経った七月の上旬、貞之助は上京ついでに雪子の様子を見に渋谷へと行きました。
 鶴子は、今年は母親の二十三回忌にあたる年なので、再来月は皆で大阪に行かなければならないという話を切りだしました。母の祥月命日は、九月二十四日の日曜日に善慶寺で行うことになりました。
 九月の中旬になり、本家から正式の案内状が届きました。母の二十三回忌と共に、父の十七回忌も二年繰り上げて一緒に営むことになっており、両親の年忌を何の相談もなく簡略化されたことを幸子は心外に感じました。
 その数日後、幸子は鶴子から電話を受け取り、欧州戦争によって日本が世界動乱の渦に巻き込まれるかもしれないため、辰雄がこれからは緊縮しなければならないと父親の法事を一緒にすることにしたのだと聞きました。
 鶴子は、四、五日蘆屋に泊まる予定で、雪子と正雄と梅子を連れて二十二日に東京を発ち、辰雄と輝雄は、二十三日の夜立って朝着き、その日の夜行で引き返すことにしたようでした。
 その電話で、鶴子はまだ嫁に行っていない雪子と妙子を皆の前に出すのが辛いと言う趣旨のことを語りました。幸子は、雪子のこと以上に妙子のことが気にかかっていました。妙子は、板倉に死なれてから何事にも興味を失ったように見えたものの、一、二週間もすると、自分から元気を引き立てて洋裁学校へ通い始めました。二ヶ月前の七月の中旬の頃、幸子がある夫人と一緒に神戸の与平で昼ごはんを食べていると、妙子が晩の六時に同じ店の席を予約したと聞かされました。その店の若い者によると、妙子は二度ほど男と来たことがあるようでした。それからひと月ほど過ぎた八月の中旬に、菊五郎を見に行った神戸でお春と歩いている時、幸子は目の前を通り過ぎて行った自動車の中に、妙子と奥畑が乗っているのを見かけました。
 何か知っているらしいお春を問い詰めると、彼女は父親の痔の手術に付き添うために西宮の病院に通っていた時に奥畑と会い、彼が西宮の家に移ったことを知りました。その後お春がその家の前まで行ってみたところ、妙子らしい女の人の声を聞いたようでした。
 幸子は、板倉の死後、奥畑とのよりが戻ったのではないかと考え、妙子にそれとなく聞いてみました。妙子によると、奥畑は最近母親を亡くした後、父親から勘当されて西宮に住み始めたようでした。妙子は板倉の四十九日に奥畑と再会し、憐憫の気持ちから再び会い始めるようになりました。
 その話を聞いた幸子は、板倉と付き合っていた頃に吝嗇だった妙子が近頃派手な装いをするようになったことや、夙川の人形制作の仕事部屋を弟子に譲ってしまったこと、洋裁学校を怠ける日が多くなったことに合点がいきました。
 貞之助は、妙子と奥畑の交際に不愉快な顔をし、その二、三日後、奥畑が勘当された理由が、店員とグルになって店の商品を持ち出したためだったことを調べ上げました。それまで二人の交際を大目に見ていた辰雄も、勘当ということであれば結婚に承知するはずもなく、貞之助は本家の了解を得るか勘当という形をとらなければならない可能性について語りました。
 幸子は、この問題を自分に任せてほしいと貞之助に話し、鶴子たちが着いた日の晩、雪子にだけこれを打ち明けました。妙子の奥畑との交際に賛成していた雪子は、一時的な勘当が解けるまでの間、内密に交際するのであれば構わないだろうと言い、鶴子には内緒にしておくことを勧めました。

 法事の当日は、鶴子、正雄、梅子、貞之助、幸子、悦子、雪子、妙子にお春がお供して、八時半に家を出ました。途中駅の夙川からキリレンコが乗ってきて、妹のカタリナがベルリン経由でロンドンに行き、今は娘を取り返す訴訟をしながら、保険会社で秘書として勤めていることを語りました。法事のあとの宴会には、棟梁や船場時代の奉公人らも訪れました。
 鶴子は、翌々日の昼食会に参加すると、幸子たちに見送られて東京に戻りました。
 雪子が蘆屋に残ることは、彼女の中で初めから決まっていたようでした。
 妙子は、幸子に何も言われないのをいいことに、西宮にますます頻繁に通うようになり、夕飯にも帰らないことが多くなりました。悦子は、妙子が製作に忙しいので帰りが遅いのだと聞かされていましたが、それを信じてはいないことは明らかでした。やがて貞之助の機嫌を慮り、誰も妙子についての話をしないようになっていきました。

 十月の中旬、貞之助は上京したついでに、鶴子にことの次第を話しました。するとその月の終わり頃、鶴子から手紙が届きました。その手紙の中で、妙子が不良のようになってしまったと幸子は責められ、辰雄と鶴子の意見として、勘当された奥畑の家の出入りを妙子に禁じさせ、雪子と妙子の二人を東京に寄越すように、そして妙子がそれに応じない場合、蘆屋の家にも入れないようにと命じられました。
 幸子はこの手紙を雪子に見せ、妙子には本家に行ってほしいと頼みました。すると妙子は本家に行くくらいなら死ぬ方がましだと言って、一人でアパート住まいをすると言いました。
 妙子は奥畑とは憐憫の情から付き合っているに過ぎず、愛しているととられるのが心外で、一緒に住むつもりはありませんでした。彼女は二人の姉と相談し、本山村の停留所を北に入ったところにある甲麓荘というアパートに引き移りました。それからしばらく音沙汰はなく、電話をかけても留守にしており、お春によると朝早くでなければ大概留守にしているようでした。
 貞之助は、少なくとも表面上は妙子と絶縁したことに満足したようで、悦子は甲麓荘を仕事部屋にしたと聞かされ、疑いながらも納得したようでした。
 幸子と雪子は、妙子のいない侘しさを紛らわすために頻繁に神戸に行き、あさるように映画を見ました。

 十二月になると幸子は風邪をひき、外出は当分見合わせることになりました。
 妙子は、悦子の学校が翌日から休暇になる十二月二十三日の朝と、年が明けた正月の十五日にやって来ただけでした。
 幸子は、雪子に顔の染みを取るための女性ホルモン剤とビタミンの注射を、隔日に一度櫛田医師のところへ受けに行かせ、自分はピアノや、お春に琴の稽古をすることで時間を潰しました。
 妙子は、その月の末の、雪子が注射に行っているある朝やってきて、カタリナが保険会社の社長と結婚し、娘を引き取って城のような家に住んでいるということをキリレンコから聞いたと話しました。
幸子は、母や兄と別れて、世界を股にかけて自分の運命を開拓するカタリナと比べ、妹たちに婿を見つけることができないでいる自分の不甲斐なさを痛感し、涙を流しました。

橋寺との縁談

 その二、三週間後、幸子は、井谷の美容院へ行きました。井谷はある人の出征を祝う歓送会の席上で丹生夫人を紹介され、雪子の噂をし、雪子の縁談相手に適した相手がいるということを聞いたようでした。その相手は医学博士で、妻を亡くしており、十三、四になる娘以外に係累がなく、今は道修町にある製薬会社の重役をしているようでした。
 それから三日後、井谷から電話があり、雪子はその日の日本料理屋での食事会に呼ばれました。その際、華やかな顔つきの幸子がいては雪子の印象が希薄になるので、付き添うのであれば貞之助にしてほしいと要望がありました。
 雪子は急な話に困惑し、電話でも良いので相手のことを聞いてほしいと幸子に頼みました。
 丹生夫人によると、相手は橋寺福三郎といい、静岡の出身で、ドイツに留学経験があり、大阪の烏ヶ辻に器量の良い娘と二人で婆やを使って暮らしているようでした。郷里では名家で、東亜製薬の重役ということもあって収入は申し分なく、四十五、六歳の立派な風采の男だということでしたが、それ以上の詳しいことを丹生夫人は知らず、亡くなった夫人が趣味の友達であるというだけで、本人とは夫人の葬式と一周忌で会ったことがあるだけのようでした。
 幸子は、突然の招きに安っぽく応じていいのかと思案しながら、大阪の事務所へ電話をかけて貞之助を呼び出し、雪子をその食事会へと送り出しました。

 貞之助は、事務所で雪子と井谷と待ち合わせました。井谷が丹生夫人と会うのは、今日が二回目であるということを聞いた貞之助は、狐につままれたような気分になりました。
 吉兆で丹生夫人と共に待ち受けていた橋寺は、貞之助に挨拶をしました。貞之助は、橋寺に急に再婚するという決心がついているわけではなく、自分達と同じように強引に連れ出されて来たのだろうと考えました。橋寺は、この会合に当惑した様子を見せてはいたものの、社交的に訓練された風采の良い人物で、愛嬌があり、酒も多少は飲むことができ、二人の強引な夫人相手にでも会話がすらすらと運びました。井谷と丹生夫人は、自分達のことを女ギャングと称し、未だに再婚への踏ん切りがつかないと正直に語る橋寺に対し、強引に結婚を勧めました。
 雪子はこの光景を当惑する様子もなく笑って眺めており、三十四歳になる彼女が、そのような度胸をいつの間にかつけていたことに貞之助は驚きました。
 橋寺は井谷と丹生夫人との対応に忙しく、貞之助は、彼の雪子に対する本心を図りかねましたが、井谷はこの縁談を丹生夫人とともに必ず纏めて見せると請け合いました。

 家に戻った貞之助は、橋寺の印象を好ましく感じたと幸子に伝えました。
 翌日の夕方、井谷が訪ねて来て、雪子がこの縁談についてどう思っているのかと聞きました。華やかな人が好きだという橋寺の意見を丹生夫人から聞いた井谷は、雪子は内気ではあるが決して陰気ではなく、趣味も西洋の料理や映画を好んでいることを伝えておいたと語り、次に会うときにはもう少し勇気を出して話をするようにと忠告を与えました。
 さらにその翌日に井谷から電話があり、これから丹生夫人と橋寺を連れて家へと伺うつもりだと言いました。幸子は慌てて雪子に了承を得、貞之助には早く帰るよう連絡をつけました。
 橋寺は、この日も二人に引っ張り出されて来たという態度に変わりはなく、約束通り井谷とともに二、三十分で帰っていきました。幸子も初対面であった橋寺に好印象を持ち、身分や財産の面から見ても、これ以上の縁談はないように思われました。その意見は貞之助とも一致していましたが、橋寺の方に雪子に対する熱があまり見られないのが不安材料でもありました。
 夕食に残った丹生夫人は、橋寺は死んだ妻や娘の手前、自分から結婚を熱望するわけにも行かず、なるべく受動的にこの縁談を進めたいと思っているのだろうと語り、大事な娘が雪子を気に入れば、結婚に向くだろうと主張しました。
 その日の席上で、戦争の影響でドイツ製の薬が切れて困ることがあるという話をした時に、橋寺が自分の会社で作っている同じ効用の薬を試してみてほしいと言ったことを思い出した貞之助は、翌日その薬を分けてほしいという口実をもうけて、道修町にある橋寺の会社へ出かけました。
 薬を受け取るだけで辞退しようとしたところ、橋寺は貞之助を狭い路地にある小料理屋へ誘いました。
 貞之助は、二時間ほど橋寺と雑談し、彼が内科を専門としており、ドイツでは胃鏡の使い方を勉強していたこと、帰郷後今の会社に関係するようになり、周囲の事情により医者を辞めて薬屋に転業したことを聞きました。

 翌日、貞之助が橋寺を訪れたことを知った丹生夫人から電話がありました。彼女はもう既に縁談がまとまると思い込んでおり、おめでとうとまで言いました。
 同じ阪大出身のため調査を頼んでいた櫛田医師も橋寺のことを推奨したため、貞之助は、何とかこの縁談を纏めなければならないと考え、雪子がこれまで結婚しなかったのは、当人に原因があるのではなく、古い家柄や格式にこだわった周囲の者のためなのだということ、そして実の母親以上に悦子の信頼を勝ち取るほどに、幼い者を可愛がることなどをしたためた手紙を送り、雪子を貰ってくれるように頼みました。
 橋寺からの音沙汰がなかったため、貞之助はさらにその二、三日後、散歩に出ると言って家を出て、橋寺の住む烏ヶ辻までタクシーを走らせ、家を見に行くだけのつもりが、玄関のベルを押してしまいました。部屋の中に通され、一時間ばかり取り止めのない話をして辞退しようとすると、これから娘を連れて映画を見に行くので、そこまで一緒に行きましょうと誘われました。
 橋寺は貞之助を車に乗せ、中之島の洋食屋で自分の娘と貞之助を会わせました。娘は悦子よりも三歳年上の、女学校に通う十四歳で、大人びた印象の面長で鼻筋の通った顔は、前妻が非常に美貌であったことを想像させました。
 橋寺が料金を払ったので、貞之助は、次回は自分に払わせてくれと言って、日曜日に娘と一緒に神戸に来てもらう約束を取りつけました。
 その夜、この一部始終を聞いた幸子は、夫の強心臓に驚きながらも喜びました。
 丹生夫人にもこのことは伝わったようで、次の日曜には雪子に陰気に振る舞わないようにしてほしいと電話で忠告を残しました。
 約束の日曜日は、神戸のすき焼き店へと橋寺を招きました。その日は双方の家族が顔合わせとなりましたが、一編に打ち解けるというところまではいきませんでした。

 その翌日の午後、橋寺が雪子へ電話を寄こしました。雪子は慌てて、お春に郵便を入れに行っている幸子を呼びに行かせました。
 お春に呼ばれた幸子は、雪子が電話に出ないことで橋寺が侮辱だと受け取らないかと懸念しながら家に帰りました。
 幸子が急ぎ足で家に帰ると、電話は切れていました。お春によると、幸子が戻らないためにようやく電話に出た雪子は、心斎橋をぶらついて夕食を取りたいが付き合ってくれないかと聞かれ、もっともな理由をつけずにその申し出を断ったようでした。それを知った幸子は悔し涙が溢れ、腹を立てて階下へ降りて行きました。
そこへ丹生夫人から電話があり、散々電話口で待たせながらろくに話すこともなく自分の申し出を断った雪子に橋寺は腹を立て、この縁談を断りたいと言っていることを伝えました。丹生夫人も、幸子たちに腹を立てているようで、それだけを伝えると電話を切ってしまいました。
 幸子はしばらくじっと座りながら、このことを貞之助が知ったら雪子に愛想をつかさないかと懸念しました。
貞之助が戻ると、幸子は一部始終を話しました。
 幸子は話しているうちに、自分が家にいなかったことを悔やみ、雪子に対する腹立ちを抑えられませんでした。
 落ち着いた様子で最後まで聞き終えた貞之助は、幸子が家にいなかったことではなく、雪子の性格に原因があるので、その雪子の女らしさや奥ゆかしさを理解する男でなければ、夫になる資格はないのだと幸子を慰めました。
 幸子は、応接間で鈴を膝に乗せてケロリとしている雪子を見ると腹が立ってきて、橋寺との縁談が破断になったことを伝えました。雪子は照れ隠しのためか、無関心らしく返事をするだけで、自分や貞之助に対して詫びの一言も入れようともしませんでした。

 橋寺は井谷にも電話をかけていたようでした。井谷によると、橋寺はその前の神戸の会合の時から、雪子が自分と二人きりになるとモジモジとしていることに既に不愉快を感じ、自分が嫌われているのではないかと考え始め、果たして自分が嫌われているのか確かめようと再び電話をかけて見たところ、その誘いも断られ、恥をかかされたと思い込んだようでした。
 橋寺は、雪子が自分のことを嫌っているという意思表示をした以上、丹生夫人や井谷や貞之助らの好意を受け入れるわけには行かないと宣言したようで、それを聞いた丹生夫人は、雪子にあのような態度をとらせておく幸子に対しても、憤慨したようでした。
 貞之助は、妻には言わずに橋寺に手紙を書き、雪子が決して橋寺を嫌ってはいなかったこと、雪子の態度は人見知りによってもたらされたものであることを伝え、家庭の躾方に問題があったと詫びを入れ、お互いの不愉快な思いを忘れた後は、改めて交際を願いたいと申し出ました。
 それに対して橋寺は、雪子が生娘の純真さを保っているのは尊いことであるので、その純真さを大切に庇護していくために、自分のような田舎生まれの者にはその資格がないと考えて辞退をしたのであり、薪岡の好意の数々には感謝しているということを伝えて来ました。
 幸子は、神戸を散歩したときに橋寺の娘に注文したイニシャル入りのブラウスを送り、その半月後、井谷の美容院で、橋寺からの羽二重の胴着をお返しとして受け取りました。

赤痢に罹る妙子

 雪子は表面上、破談にがっかりした様子も、貞之助に申し訳ないと思っている様子も見せませんでした。幸子はいつの間にか仲直りをしたものの、彼女の気持ちを図りかね、妙子に聞いてもらおうと考えました。
 しかし妙子は、橋寺からの電話があった日の翌日やってきて、雪子との縁談が破断になったことを知ると、それきり姿を見せませんでした。
 幸子が電話をかけてみようかと考えるようになった頃、妙子が大腸カタルか赤痢に罹っていることをお春が知らせました。熱が出ていた時に訪れていた奥畑の家から連絡を受けたお春が西宮を訪れてみたところ、妙子は熱を出して苦しんでおり、立場上櫛田医師に診てもらうこともできないまま、幸子には内緒にしていてほしいと頼んだようでした。
 幸子は差し当たり、貞之助と悦子に事情を知らせないまま、お春を看病に遣ることにして、自分は行くことを控えておこうと考えました。お春は実家に戻ったということにして妙子のところへと行き、公衆電話を使って一日一回午前中に容態を幸子に知らせるということとなりました。
 翌々日、検査に出していた結果が明らかになり、赤痢であるということが分かりました。
 お春によると、妙子は発病の朝、奥畑と新開地に映画を見に行った帰りに福原の遊廓にある喜助という店で鯖鮨を食べたようでした。現在は医者から入院を勧められているものの、隔離室のある近くの病院の評判が悪いため、幸子は自宅で療養させるべきかの判断を求められました。
 雪子は自分の一存で妙子を見舞いに行き、幸子はその一部始終を貞之助に打ち明けました。貞之助は渋い顔をして何も言わず、暗黙の許可を与えました。
 妙子の仕事が忙しいために帰ってこないのだと聞かされていた悦子は、妙子の軽い病気を診るために見舞いに行ったと聞かされた雪子が戻ってこないために不安になり、妙子を引き取るように幸子に訴えました。
 妙子は、赤痢の中でも最も悪質な志賀菌が発見され、日増しに衰弱していきました。雪子は気が気でなく、担当の斎藤医師に強心剤の注射を頼んだものの、注射嫌いの医師は、まだそれには及ばないと言いました。
 妙子がすっかり痩せてしまったことをお春が伝えにくると、夫への気兼ねで行くことを躊躇っていた幸子は、じっとしていられず、お春に案内させて訪ねることにしました。
 幸子が玄関に入ると、奥畑が迎えに出て妙子の容態を知らせました。斎藤医師は、心臓が弱り肝臓膿瘍が起きているようでもあると見立て、大阪の専門医の受診を勧めました。
 妙子は実際以上に老けて見え、痩せ衰えて黒ずんだ肌は、堕落した階級の女を思わせました。
 幸子は、斎藤医師の勧めに従って、櫛田医師に来てもらおうと思っていることを伝えました。すると妙子は、きっぱりとした語気で、櫛田医師に来てもらいたくないと言いました。奥畑は狼狽した様子を見せながら、この話は後で妙子に聞いてみると言いました。
 幸子を途中まで送った雪子は、昨夜妙子が板倉の夢を見てうなされていたことを話しました。板倉の死から一年が経とうとしている時に、奥畑の家で病気になったことは、妙子にとって精神的な苦痛となっているに違いなく、幸子と雪子は、阪神の御影町にある外科の蒲原病院に妙子を移そうかという相談を始めました。天才的な外科医として知られる院長の蒲原博士は、幸子の父親が金銭の援助をしていたことがあり、薪岡とつきあいがありました。
 家に帰ると、幸子は蒲原医師と櫛田医師に連絡を取り、入院と付き添いの許可を得て、翌日妙子を引き移すことに決めました。
 妙子はやはり、理由は言わずとも、奥畑の家にいるのを櫛田医師に見られるのが嫌なようでした。奥畑は、妙子が自分の家を出たがっていることに納得がいかない様子でしたが、雪子は、それほど長い間病人を預けておくわけにも行かないと言って奥畑を納得させました。
 翌朝、奥畑は、妙子の移送に付き添いたがり、雪子や幸子は、妙子が世間体を気にしているようでもあるので、しばらくは自分たちに任せておいてほしいと説き伏せました。

 妙子は、病院とは別棟になっている、蒲原医師が買い取った日本建築の座敷に移送されました。幸子は、虚な眼で呆然とした顔つきの妙子に不安を覚えながら、蒲原病院へと付き添いました。
 櫛田医師は、肝臓膿瘍ではないと見立てをし、心配することはないだろうと言うと、帰って行きました。
 幸子は、櫛田医師の言葉を信じ切ることができず、心配を募らせながら鶴子にこの一部始終を知らせる手紙を書き、勘当中の妙子を蒲原病院に預けた今回の処置に対する了解を乞いました。

明るみになる妙子の行状

 病院を移してから二、三日経つと、妙子の容態は快方に向かいました。幸子は鶴子に向けて追って手紙を書き、このことを知らせました。
 鶴子は、妙子の無事を喜び、速達で返事を寄こしました。しかし鶴子のその手紙は、妙子に対してもはや愛情持ってはいないことが文面に表れており、幸子は、水難や板倉の死、勘当を経験し、さらに赤痢にも罹った妙子のことが不憫に思われて仕方がありませんでした。
 奥畑は、妙子が病院の別棟で寝ていることを調べ上げ、四日目の夕方、幸子が病院から帰った後で、六代目菊五郎と昨夜坂口楼で食事をしたということを言うためにわざわざやって来たようでした。お春はその話を聞きたがりましたが、雪子に急かされて帰途につき、幸子に奥畑が病院に来たことを伝えました。
 幸子が病院に電話をかけて雪子につなぐと、奥畑はまだ枕元で話し込んでいて、妙子も嫌な顔をせずにその相手をしているようでした。
 奥畑は、幸子の電話からしばらく病室におり、一時間ほどしてからようやく帰りました。
 斎藤医師への勘定や、送り迎えにかかった費用などを出してもらっていた手前、幸子は奥畑のところへ行く必要を感じていましたが、妙子は貯金が引き出せるようになれば、自分で返すと言いました。
 雪子は、妙子が奥畑に金を返すことはないだろうと考え、自分達が何かしらの品を返すのが良いだろうと主張しました。奥畑は、勘当されて以来おそらく財政が苦しくなっており、忠義心のある婆やに家計を支えられているようでした。雪子は、その婆やが、なんとなく妙子に好感を持っていないように直感的に感じており、奥畑に借りを作るのは良くないと考えていたのでした。
 その話を聞いた幸子は、婆やが自分達をどのような眼で見ているかをお春に聞きました。するとお春は、ここ最近の妙子は奥畑の財布で贅沢三昧の暮らしを送っていたことを打ち明けました。三男で勘当中の身である奥畑は、それほどお金が自由になるわけではないにも関わらず、妙子のために乱費をするようになっていました。しかし妙子は奥畑と結婚する気がないらしく、経済的に利用しているだけで、板倉との結婚を望んでいた時も、奥畑に対して曖昧な態度で接していたようでした。
 妙子が着物を売った金で高価な衣服や装飾品を手に入れたと豪語していたことはすべて嘘であり、その中には店の商品であったのを、奥畑が持ち出して与えた宝石も含まれていることも分かりました。
 奥畑のことを子供の頃から可愛がっていた婆やは、それでいて妙子のことを恨んでいるわけではなく、薪岡の本家にこのことを知らせることで奥畑の名誉を回復させ、妙子との結婚を許してもらいたがっているだけなのでした。
 婆やは、奥畑が妙子と痴話喧嘩をするたびに、おそらく神戸のバーテンダーである「三好」という名前を出すことから、妙子には新しく好きな人ができたことを察しているようでした。
 また、その婆やが言うには、妙子は非常な酒飲みで、幸子たちの前では決して飲まない量を平気で空け、奥畑に介抱されながら帰ってくることもしばしばで、近頃はそれが頻繁になってきているようでした。

 ここまでの話を聞いた幸子は、お春を部屋から出し、一人で心の衝撃が収まるのを待ちました。婆やの話はある程度の身贔屓が感じられたものの、それらがすべて嘘であるとは思われませんでした。幸子は自分が妙子を買い被っていたことを悟り、勘当を言い渡した辰雄や、関わりを避けていた貞之助の方が、彼女の性格を理解していたのだろうと考えました。
 幸子は、妙子が急に今までとは別の薄気味悪い存在になってしまったような気がして、その日は見舞いに行くのをやめ、貞之助とも悦子とも話さずに過ごし、その翌日も夫を送り出すと、寝室にこもりました。
午後の二時ごろお春が見舞いに行くと言ったので、幸子は雪子にも骨休めに帰ってくるように言いなさいと伝えました。
 雪子が十日ぶりに戻ってくると、一家はその週の土曜日に花見に行くことを決めました。幸子は、妙子が欠けてしまうのを寂しく感じましたが、病人の回復を待って御室の桜を見に行こうとは言い出せませんでした。雪子は幸子の気勢が上がらないことに気づきました。
 翌朝、幸子は、お春から聞いたことを雪子に伝えました。雪子は、泣きだす幸子をなだめながら、やはり妙子を奥畑と結婚させるのが、二人を救う唯一の方法であると語りました。
 雪子は二、三日骨休めをしました。次の土曜日は貞之助、幸子、悦子、雪子の四人で一晩泊まりで京都へ行き、自局の影響で静かになっていた平安神宮の紅枝垂を眺め、その二、三日後、お春を代理にして西宮に遣わせ、妙子が発病してからの立て替え金を払わせました。
 その数日後、奥畑が再び病院にやってきたとお春が電話で問い合わせてきたため、幸子は上げてやるように伝えました。それ以来、奥畑は度々病院を訪れ、長居をするようになりました。妙子は愛想よく奥畑を迎えながらも、帰った後で奥畑を図に乗らせてはならないとお春を叱りました。
 数日後、妙子は退院して甲麓荘の部屋に戻りました。しばらくは安静を要するので、お春が毎日蘆屋から通い、世話を焼いているうちに、桜は散り、菊五郎も大阪から引き上げてしまいました。
 五月の下旬になると妙子は出歩けるようになりました。その頃には貞之助が彼女の出入りを容認するようになっており、六月には毎日のように蘆屋に帰ってきて食事をするようになりました。西欧ではヒトラーの進軍で戦争が起こり、シュトルツ家たちは今どうしているだろうか、ペータアやシュトルツ氏は従軍しているのではないだろうかと幸子たちは噂しました。
 幸子は、シュトルツ夫人に当てて一年半ぶりに手紙を書き、ヘニング夫人に翻訳を頼んで舞扇を添えてハンブルクに送りました。

 六月上旬の土曜日曜、幸子と貞之助は悦子を雪子に預け、二人だけで奈良の新緑を見に出かけ、奈良ホテルから春日大社、東大寺、西の京へとまわりました。幸子は耳の付け根をブヨのようなものに刺され、薬を塗っても痒みが癒えず、その日は一晩中眠れないまま、翌日上本町で事務所へ行く夫と別れ、蘆屋へ帰りました。
 その日の夜、貞之助は幸子の耳を見て、これは南京虫だと言いました。幸子は南京虫のせいで旅行をめちゃめちゃにされたと考え、奈良ホテルを恨めしく思いました。

 そのうちにもう一度旅行し直そうと考えながら、六月と七月が過ぎ、八月に貞之助に東京に行く用事ができたのを機会に、幸子は富士五湖めぐりを希望しました。
 幸子は先に上京した貞之助と浜屋で落ち合い、新宿から御殿場へ出ることにしました。大阪へ立つ前に、防空訓練で初めてバケツのリレーに駆り出され、二等よりも涼しいと夫が言った三等寝台に乗りこむと、疲れのために防空訓練の夢を見ながら眠り込みました。
 明け方幸子は窓から入ってきた石灰殻が目に入り、浜屋に着いても涙が止まらなかったので、眼科医にかかり眼帯をして、出かけていた貞之助を待ちました。
 その日は貞之助は仕事に出ることになっており、渋谷の鶴子も用事で来ることができないので、幸子は映画を見に行き、途中で眼帯を外してみると、眼はほとんど治っていました。
 その翌日と翌々日、夫婦は河口湖畔のフジ・ヴィウ・ホテルに泊まりました。富士山に強い憧憬を寄せていた幸子は、窓から眺められる景色を楽しみました。貞之助も、十何年前の箱根の富士屋ホテルに泊まった新婚旅行当時の気分に浸り、夫婦はこれから度々このような旅行をしようと語り合いました。
 貞之助は、妙子に対して強く当たり過ぎたと反省し、彼女のような人は厳しくすると余計に悪さをするので、これからは雪子と同じ待遇で接しなければならないと語りました。

 九月に入り、ようやく貞之助は妙子と対面を果たしました。
 その晩は久しぶりに、貞之助、幸子、雪子、妙子、悦子が揃いました。幸子と雪子には、お春に聞いた婆やの話が胸につかえていたものの、そのような不愉快な問題は忘れるように努め、温かく妙子を迎えようと決めており、その晩は和やかな空気で食卓を囲みました。
 貞之助は、本家の手前、別居だけはしていたほうが良いと言うので、妙子は寝起きだけは甲麓荘で行い、昼間は蘆屋で過ごし、幸子が持ってきた注文を受けて洋服を仕立てることになりました。
 貞之助の仕事は軍需会社に関連するようになり、家計にはゆとりができるようになっていましたが、妙子は金が必要になると言いながら、幸子たちに縋ろうとはしませんでした。
 妙子が来ない時何をしているのかわかりませんでしたが、幸子も雪子も彼女に直接聞いてみようとはしませんでした。

 十月の初め頃、奥畑が満州国皇帝の日本人の付き人の募集に応募するかもしれないと妙子は語りました。その募集には、素性のはっきりした身だしなみの心得があるものであれば、多少知能が低くても差し支えないらしく、もし満州行きが決まれば勘当を許そうと言われた奥畑は行こうかどうかを迷っているようでした。
 妙子に奥畑のところへ収まってほしいと考えていた幸子と雪子は、これまでの義理のことも考えついて行くことを勧めました。しかし妙子は、奥畑について行く気はないどころか、別れるための良い機会だと思っていると語りました。
 すると雪子は、妙子の装飾品を奥畑が支払っていたことを持ち出し、奥畑を利用するだけ利用して捨てようとしていることを責めました。
 その詰問に妙子は何も答えられなくなり、涙を流し始めました。やがて突然立ち上がると大きく音を立ててドアを閉め、表の玄関から外へと出て行きました。
 妙子はその翌日は姿を見せず、悦子とお春は不思議がりましたが、その翌日には何事もなかったかのように姿を見せ、雪子も機嫌良く応じました。結局奥畑は、満州行きをやめたようでした。

井谷の渡米、御牧との顔合わせ、妙子の妊娠

 その数日後、幸子と雪子は元町で偶然井谷に会いました。井谷は、美容院を人に譲り、美容術の研究のために二回目の渡米をするつもりのようでした。日米関係が悪化する中で半年か一年ほどの予定で行き、その後は東京への進出を考えていました。
 幸子は送別会を開かなければならないと貞之助と相談しましたが、その日の翌朝には通知状が届き、すぐに東京へ発ってしまう予定のようでした。進物を用意しなければならないと思っていたところへ井谷が訪れてきて、十日間の東京滞在中に紹介したい人がいるので、出てくることはできないだろうかと幸子に聞きました。
 井谷は、雪子の縁談をまとめることができなかったことが気がかりになっているらしく、かつて貴族院の研究会に属して政界で活躍した人物で、今では祖先の地である京都の別邸に隠棲している御牧広親という子爵の庶子の実という人との縁談を、雪子に薦めようとしているのでした。
 御牧実は、東大の理科を中退してフランスへ渡り、絵画建築、フランス料理、航空学などに手を出しながらアメリカ、メキシコ、南米を渡り歩いた男で、その間にコックやボーイをやったりもしたようでした。八、九年前に帰国してからも定職を持たずに遊んでいましたが、数年前から道楽半分で友人の家の設計をしたところ、これが評判が良く、西銀座のあるビルの一角に事務所を設け、本職の建築屋になりかけました。しかし西洋近代趣味で金のかかる物なので、自局の変化に注文が減り、現在はまた遊んで暮らしているようでした。父から分けてもらった財産が去年あたりから底をつきているようでしたが、交際上手な趣味の広い人間で、天性の呑気屋であるために、金のことには無頓着で、周囲のものが心配し、奥さんを与えてやろうとしているのでした。
 井谷は、去年から雑誌「女性日本」の記者になった娘の光代の紹介で御牧を知りました。御牧は、女性日本社の社長国嶋権蔵氏の赤坂南町の住宅を設計したことがきっかけで、国嶋夫婦としばしば徹夜で花合わせや、ブリッジ、麻雀をすることがあり、同じようにその相手となっていた光代と仲良くなったのでした。
 国嶋氏は、いまだに財産を築けていない御牧に妻をもらうことを勧めており、もし所帯をもったならば、父の子爵を説き伏せて、新たに生計を立てていけるように取り計らおうと言っているようでした。
 井谷は、御牧が名門であること、初婚であること、扶養しなければならない係累がいないこと、アメリカやフランスの言語風俗に通じていることなどを挙げ、雪子にとっては持ってこいの縁だと、その縁談を勧めました。そして、国嶋氏が自分のために催してくれることになっている酒宴に、神戸の代表として幸子、雪子、それに妙子も連れて出席してもらい、御牧と引き合わせたいと言うと、大急ぎで家へと戻って行きました。

 井谷が何時の汽車で発つのかを聞きそびれた幸子は、今一度電話をかけ、見送りを辞退するというのを説き伏せ、貞之助、雪子、妙子を連れて三宮へ見送りに行きました。
 この日は妙子も和装となり、三姉妹が正装をするのは昨年の秋の両親の法事以来のことで、悦子は毎年の桜の時期のような興奮を覚えているようでした。
 妙子は、姉たちに比べて常連ではなかったものの、井谷が自分の不品行の噂をおそらく早くから耳にしながらも、いつもと変わらぬ態度で接してくれること、そして自分のことも東京の酒宴に誘ってくれたことに喜んでいました。
 雪子は、東京にそのまま残されるのではないかと懸念し、その酒宴への参加を渋っていましたが、本家に挨拶に行ったあと幸子が連れ帰ることを約束し、東京行きを納得させました。
 幸子はこれまでの礼を述べ、東京の送別会へは三人揃って行くことを伝えました。井谷はとても喜び、その翌日にはさっそく帝国ホテルから電話があり、送別会は明々後日の午後五時からに帝国ホテルで行うこと、井谷の他には娘の光代、国嶋の夫婦と令嬢、御牧、そして幸子たち三姉妹に決まっていることが知らされました。
幸子は、井谷の提案通り、宿泊場所を帝国ホテルにしてもらい、明日か明後日に東京へ向かい、送別会の後で歌舞伎座へ行きたいと思っていることを伝えました。すると井谷は歌舞伎座の切符を取っておこうと申し出ました。
 翌日、幸子、雪子、妙子は、大阪行きの寝台で東京へと旅立ちました。

 東京駅のプラットフォームに着くと、幸子たちは井谷の娘の光代に話しかけられました。光代によると、井谷は明後日の歌舞伎座の切符を取れたようで、そこには井谷母娘と、御牧も来ることになっているようでした。
部屋に入ると、近頃疲れやすくなった妙子はすぐに羽織を脱いで帯を解き、ベッドの上に横になりました。三人は午後になると銀座へ出かけ、井谷への餞別の品を選び、四時ごろ部屋に戻りました。間もなく井谷からの電話でロビーで待っていると催促されたため、幸子、雪子、妙子は降りて行きました。
 井谷によると、すでに雪子の写真を見ていた御牧は、結婚の算段を早くも立て始めたようでした。井谷は、辰雄と雪子や妙子の折り合いがよくないことや、その理由についても隠さずに語っておいたようでしたが、御牧はそのようなことを聞いても気にする様子はなく、結婚の意思を変えようとはしませんでした。雪子と妙子が辞退した後、井谷は雪子の顔の染みのことや、妙子の行状についても話したことを打ち明けましたが、道楽を経験したことのある御牧は、そのようなことも一向気にかける様子はなかったようでした。この話を聞いて、それまで身を入れ過ぎるのを避けようとしていた幸子は、初めて雪子の縁談に乗り気になりました。
 しかし御牧がおそらく東京に住むということを雪子は嫌がるのではないかと考え、また自分としても雪子を京阪神に置いておきたかった幸子は、御牧氏の就職は関西でも差し支えはないのだろうかと井谷に聞いてもらうことにしました。
 その夜八時頃、三人は電話で呼び出され、御牧と光代が訪れてきた井谷の部屋へと向かいました。
 井谷は、家を持つのは東京でなければならないのかと聞きました。すると御牧は、近頃になって祖先の地である京都に対してノスタルジーを感じるようになり、日本固有の建築を研究したいという考えを起こすようになったことを語り、そのためには、東京よりも阪神地方に住んだ方が便利なのではないかと話しました。

 東京滞在の三日目、幸子はその日一日観劇のために空け、その翌日には渋谷の本家に顔を出しておこうと考えていましたが、夜汽車には乗りたくないと妙子が言い出し、幸子もそれに賛成しました。それは、東京に帰ろうとしない雪子や妙子の処遇についての話を聞かされるのを避けるため、近ごろ悪感情を抱いていた本家に寄る時間を少しでも減らしたいという思惑が働いているためでした。しかし知れた時に面倒になるのが嫌で、幸子は本家に少しだけでも寄らなければならないと考えていました。
 雪子の御牧との顔合わせでは、御牧や国嶋が妙子に対しても普通に接し、雪子も割合によく話をしたので、その結果は上々に終わったように思われました。幸子はこのことを本家の耳に少しでも入れなければならない必要性を感じ始め、鶴子に電話をかけ、その日の歌舞伎座へ行く前の午前中に訪ねることを伝えました。
 勘当中の身である妙子が行くのを渋ったので、幸子と雪子で渋谷の本家へと出かけました。
 幸子は、妙子が来ないことを残念がる姉と対座し、ここ最近抱いていた反感が消えていくのを感じました。姉妹は五分ばかり話し、今回の東京来訪が雪子の見合いを兼ねており、これから行く歌舞伎座には御牧も来ることになっていることを伝えました。
 帰り際、見送りに来た鶴子の目から涙がこぼれるのを幸子と雪子は車の窓越しに認め、姉も芝居に行きたかったのではないかと話しました。
 芝居の後、井谷は幸子と二人で他と離れて歩きながら、今回の縁談は御牧だけでなく、国嶋夫婦も乗り気のようであるから、いずれ御牧は蘆屋に行き、貞之助とも会うつもりでいることや、国嶋氏から御牧の父に今回の件を話してもらうつもりであることなどを話しました。
 御牧と光代は西銀座で別れ、幸子たちはホテルへと戻りました。
 部屋では妙子が羽織も脱がず、安楽椅子にもたれかかっていました。雪子がバスルームにいる間に、幸子は妙子の体が元に戻らないことを指摘し、帰ったら櫛田医師に見てもらうことを勧めました。
すると妙子は、妊娠三、四ヶ月目に当たっていることを告白しました。相手は三好というバーテンダーで、産んでほしいと言っており、妙子もそこまでしなくては奥畑が自分を諦めてくれないだろうと思っているようでした。
 その話を聞いた幸子は動悸が抑えられなくなり、それ以上は何も言わずベッドに潜り込むと、雪子の縁談が今回も纏まらないだろうと考えて悲嘆しました。そしてその事に気づかなかった自分の迂闊さを責め、自分や貞之助の思惑や、雪子の縁談が崩れることを計算に入れながら、奥畑と別れて三好と一緒になるという目的のために手段を選ばない妙子のことが、たまらなく憎らしくなりました。
 妙子が堕胎を望まないことは明らかであったので、彼女を人目につかないところに置き、強固な監視のもとで分娩させなければなりませんでしたが、そのような処置を取ったとしても、御牧にこのことが気づかれてしまうのは避けられず、また奥畑の復讐の可能性も捨てられませんでした。そのように考えると幸子は雪子のことが不憫でならなくなりました。

雪子と妙子の嫁入り

 幸子はその翌朝雪子に、東京から帰ると貞之助に、このことを打ち明けました。
 貞之助は二、三日考えた後、妙子を医者に連れて行き、分娩の時期を見定め、夜間にアパートから自動車に乗せて有馬温泉に運び、薪岡の姓を隠して臨月まで滞在させ、その後は然るべき病院に入れようという案を語りました。こうなった以上は、妙子と三好を結婚させなければならないものの、当分の間は二人の交流を禁じ、妙子のお産が滞りなく住むように計らい、その間に雪子の縁談を決めてしまい、然るべき時期を見計らって三好に妙子を嫁がせようという考えでした。
 その翌日、貞之助は、神戸の湊川のアパートに住む三好に会いに行き、話をつけました。三好は案外感じの良い青年で、自分の非を謝り、貞之助の寛大な処置に感謝し、妙子との結婚が許されるのであれば西洋人向けのバーを経営するつもりだと話しました。貞之助は、三好は誘惑に負けただけに過ぎないということを知りました。
十月になると、貞之助は、妙子にお春を付き添わせ、人目につかないように阿部という偽名を用い、有馬の温泉旅館に遣りました。
 妙子とお春を有馬に立たせると、貞之助は、香櫨園の永楽アパートに移っていた奥畑に会いに行き、自分達の妙子に対する監督が行き届かなかったことを詫び、諦めてくれるように頼みました。奥畑は、経歴すらわからないような三好のような男に妹を任せようとする貞之助を非難しながらも、これを承諾し、その代わりに以前に妙子のために用立てた二千円を金を返してほしいと要求しました。貞之助は、その場で小切手を渡し、妙子の妊娠を内密にしてもらうことを確認しました。
 そのような時に光代から手紙が来て、井谷が出立したことや、御牧が十一月の中旬に関西へ向かい、蘆屋の家にも寄るつもりであることが知らされました。
 十一月の中旬、ヘニング夫人が訪ねてきて、娘フリーデルが父に伴われてベルリンに行く事になったので、ハンブルクにいるシュトルツ一家への伝言を託してはどうかと言いました。幸子は、六月に送った手紙の返事がシュトルツ夫人から届かないことが気にかかっていたので、ローゼマリーに向けて真珠の指輪を見立て、シュトルツ夫人には手紙を書き、ヘニングの家に持って行きました。
 その月の二十日頃、嵯峨の子爵邸に来た御牧から電話があり、二、三日滞在するつもりであるので、貞之助の在宅中に蘆屋の家に伺いたいと言いました。翌日の四時頃、御牧はやってきて、早めに帰宅していた貞之助と応接間で会談し、幸子と雪子と悦子を加えて神戸のオリエンタルホテルで食事をしました。
 御牧は、酒をよく飲み、話し上手なところを発揮しました。悦子は彼のことを非常に気に入り、雪子は御牧のところへ嫁へ行けば良いと幸子に耳打ちしました。
 それから十日ほどして、御牧が雪子の縁談相手として適任であるかと聞いてきてほしいと頼まれた光代がやってきて、御牧についての不審な点がないかを聞きました。貞之助は、光代に忌憚なく質問をし、御牧には時に機嫌の悪いこともあることや、腹違いの兄にあたる嫡男の正広という人と仲が悪いこと、趣味は広いものの、一つのことに熱中することが苦手なこと、金を作り出すのが苦手なことを聞き出しました。結婚後の生活が懸念されたため、貞之助は御牧が建築家としてひとり立ちできるようになるまでの金の問題を安心できるようにしてほしいと頼みました。
 幸子は十二月の上旬に雪子を誘って清水寺に行き、妙子の安産の祈祷をしてお札を貰って帰り、三好が貞之助に宛てて送ってきた中山寺のお守りと一緒に、妙子に付き添っているお春に持たせました。お春によると、妙子は有馬では大人しくしており、誰にも身元が知られていないようでした。またお春は有馬からの道すがら、神戸でキリレンコ氏に会い、カタリナがドイツからの空襲を頻繁に受けるロンドンで、深い完備した防空壕でダンスをしながら過ごしていることを聞いたことを幸子に話しました。
 貞之助は、十二月の末に東京に出かけ、国嶋氏に会いました。御牧の将来の生活については具体的な保証は得られませんでしたが、国嶋氏は、このような時勢が終われば、御牧の建築家としての才能は開花するであろうから、その件に関しては自分に一任してほしいと言いました。
 貞之助は、国嶋氏のことを信じるしかないと思い、この縁談を進めようと考え、道玄坂に寄って鶴子にこのことを詳しく報告し、辰雄の意見を知らせてほしいと頼みました。

 翌年の正月三日、阪急岡本の叔父のところへ遊びに来ていた光代が再び蘆屋を訪れ、その日の午後に国嶋社長が京都に来ることになっているので、薪岡の返事をそこで聞かせてもらえれば、滞在中に御牧子爵を訪ねて話をし、その上で薪岡家の皆を嵯峨の子爵邸に来てもらうようにしたいということを伝えました。
 幸子は雪子の気持ちを問うてみなければならないと考え、翌朝もう一度来てもらいたいと光代に頼みました。
一日の猶予を貰った貞之助は、本家に電話をかけ、辰雄の意見を聞こうとしました。しかし辰雄は留守にしていたため、貞之助は大至急正式な返事を聞かせてほしいと頼み、電話を切りました。
 その晩幸子は雪子の意志を聞きました。雪子は内心その縁談を承知するつもりでいながら、その晩だけで決心しなければならないことに不満を漏らし、これまでに事を運んでくれた人の親切を感謝するような言葉は何も出てきませんでした。

 光代は翌日にその返事を聞いて帰り、縁談をまとめるために社長命令で二、三日滞在を伸ばすことにしたようで、六日にもう一度やって来ました。彼女は、国嶋社長と御牧子爵の会談が済んで、御牧側の人々に雪子を含む薪岡の人々を皆に引き合わせたいので、八日に嵯峨まで来てくれないかと頼みました。当日は御牧と子爵、国嶋社長と光代も参加するということでした。
 薪岡からは、幸子と貞之助、悦子、雪子が参加することになりました。
 当日、一家は嵐山で降り、極寒の京都の渡月橋のほとりにある「聴雨庵」という別荘で、国嶋氏によって御牧の一家との紹介を果たしました。父親の広親は、七十を超えた高齢にしてはしっかりとした老人で、謹厳な京都人という印象を与えました。

 翌日、近々行われる結納に関しては光代に連絡させること、阪神の甲子園に、御牧の妹が縁付いている園村氏所有の家があり、売っても良いということだったので、子爵家が買い取って新しい夫婦に送るだろうと、国嶋氏からの電話がありました。
 貞之助は、本家の兄からの返事が来ないので、分家で結婚の費用などの面倒を見ることなどを添えて、返事を催促しました。
 辰雄は、貞之助の判断に一任し、結納などを取り決めてしまって結構であると返事を寄こしました。
貞之助は、妙子のことや、奥畑が邪魔に入る可能性を危惧し、結納は早く済ませたいと思っていましたが、国嶋夫人が感冒から肺炎になったため、結納は延期になりました。
 国嶋夫人は一時危篤になったのを持ち直し、二月の下旬から熱海に転地療養に入りました。
 三月の中旬になると、光代が打ち合わせのために蘆屋にやってきて、結納の日取りが三月二十五日に東京で、挙式は四月に行うことが決まりました。
 三月二十二日、幸子は雪子を伴って東京へ行き、二十五日に結納を終え、ロサンゼルスの井谷には国嶋氏がその旨を打診しました。
 雪子はその日から本家に留まり、幸子は二十七日に帰ってきました。
 蘆屋の家の机の上には、シュトルツ夫人とヘニング嬢からのドイツ語の手紙を、貞之助が知人に翻訳してもらったものが置いてありました。
 その手紙の中でシュトルツ夫人は、人手の不足しているために女中を雇うのも難しく、多忙を極めていること、戦争に勝つために節約をしなければならないということを訴え、またローゼマリーに宛てた指輪が彼女を喜ばせたこと、知り合いが日本に行くので、悦子に渡すための装身具を託すつもりであること、戦争に勝った暁には、薪岡の皆がドイツに来ることを楽しみにしていることをしたためていました。
 またその手紙には家族の近況も書かれており、ペータアはバイエルンで寮生活を送りながら学校に通い、ピアノに長けるようになったローゼマリーは家では食器やナイフを手入れする役割をこなし、バイオリンに長けるようになったフリッツは家では靴磨きをして過ごし、シュトルツ氏は輸入の商館を引き受け、中国や日本と取引しているようでした。
 シュトルツ夫人宛の手紙を託したフリーデル・ヘニングは、ロシア経由でドイツに着き、日本で知り合った六十三歳の老人の家に寄宿しながらロシアバレーの学校に入学しているようでした。

 雪子は三月一杯を本家で過ごした後、蘆屋に戻り、幸子や悦子との残りわずかな生活の名残を惜しみました。挙式は四月二十九日に帝国ホテルで行うことが決まりました。家の格式に相応しいものにするため、相当数の参列者が迎えられ、薪岡からは菅野未亡人までをも呼ぶことになりました。
 甲子園の家が明け渡され、幸子と雪子は御牧に誘われて見に行きました。そこで御牧は、挙式の後で京都、奈良への新婚旅行の計画を語りました。また御牧は、尼崎の郊外にできる東亜飛行機製作所の工場に、国嶋氏の斡旋で就職が決まりました。
 妙子はその頃、お産が近づき、熟練の院長がいることで知られる神戸の船越病院の一室に移っていました。付き添いのお春によると、胎児が逆子であり、四月上旬の予定日となっても何の知らせもありませんでした。
 桜の時期になると、幸子たちは時勢を気にして地味な格好で恒例の京都へ行き、平安神宮から嵯峨方面を一巡しましたが、妙子もいなかったので、何を見たのかわからないような気持ちになりました。

 この花見から帰った翌る日、飼い猫の鈴が獣医の協力でお産をし、幸子と雪子は明け方の四時までかかって三匹の仔を分娩させました。そして寝床へ入ろうとしている時にお春から電話があり、妙子のお産が重く、二十時間も前から身を悶えており、昨日から何も食べられず、黒いものを吐いてばかりおり、今度こそ死ぬのだと言って泣いているという知らせが入りました。看護婦は心臓がもたないかもしれないと言っており、お春は電話をかけてはいけない約束を破って知らせに来たのでした。
 病院には、ドイツ製の陣痛促進剤があるに違いなく、幸子が泣きつけばそのような薬を出してくれるだろうと思われました。雪子や貞之助も、幸子に妙子のところへ行くようにと勧め、三好にも連絡して病院へ行くようにと言いました。
 幸子が駆けつけると、病室には既に三好が来ていました。妙子は、今度こそ自分は死ぬのだと泣きながら、どろどろとしたものを吐きました。
 幸子はドイツ製の陣痛促進剤を出してほしいと院長に泣きつき、病院に一つだけあったものを出してもらいました。
 すると間も無く陣痛が始まり、女の子の赤ん坊が産み落とされました。しかし院長が根気よく平手でピタピタとたたいても、その赤ん坊が泣き声を立てることはありませんでした。産衣を着せられ、市松人形のような美しい赤ん坊を抱いた妙子が激しく泣き出すと、幸子、お春、三好も泣きました。
 妙子はそれから一週間後に退院し、兵庫で三好と夫婦暮らしを始めました。

 四月二十五日、妙子は荷物を運ぶために蘆屋の家を訪ね、そして以前彼女の部屋であった二階の六畳に置かれている煌びやかな雪子の嫁入り道具を見ながら、一人でこそこそと荷物を取りまとめ、兵庫へと帰って行きました。
 お春は妙子の退院と同時に蘆屋の家に戻りましたが、尼崎の親の方に嫁入りの話があり、雪子が嫁いだ後、二、三日の暇が欲しいと言いました。
 妙子に続いて、お春も家を出ることになり、幸子は感慨に沈みがちになりました。
 雪子もまた、二十六日の夜行で上京が決まってから、日の過ぎていくのが悲しく感じられ、そのせいか毎日のように下痢をしました。
 二十六日の朝、雪子が届いた鬘を床の間に置いておいたところ、悦子がそれを見つけて被り、台所へ見せに行って女中たちを笑わせました。
 同じ日にお色直しの衣装が届き、雪子はこれが婚礼の衣装でなかったらと呟きたくなりました。それは幸子が貞之助のところへ嫁に行く前に味わったのと同じような感情でした。
 雪子の下痢はその日も止まらず、汽車に乗ってからもまだ続いていました。