谷崎潤一郎作『細雪』の登場人物を詳しく紹介するページです。ネタバレ内容を含みます。
※もっと簡単な登場人物紹介、あらすじはこちら(『細雪』トップページ)
薪岡幸子
大阪船場に店舗を構え、大正時代の末頃に全盛を極めていた薪岡家の次女。鶴子の妹、雪子と妙子の姉。大正六年の十五歳の頃に母を享年三十七歳で、大正十四年の十二月に脳溢血で父を享年五十四歳で失っている。父の生前はその寵愛を一心に集めて育ったので、精神的にも体質的にも堪え性がない。魚では鯛、花では桜が好きで、毎年春が来ると、夫や娘や妹たちを誘って京都に桜を見に行くことを欠かしたことがない。雪子や妙子よりも背が高く、夏の間は洋装を好み、そのほかの季節は和装を好む。
父の晩年に婿養子に貞之助を迎えて分家し、一人娘の悦子とともに、阪急芦屋川の邸宅に住んでいる。
悦子の世話をしてくれる雪子を重宝しており、雪子が戻らないという本家の蔭口に気づきながら、彼女が自分の家にいるのを許している。
三十歳になっても未婚の雪子の将来を憂慮し、行きつけの美容院である井谷に雪子の写真を渡し、縁談を探してほしいと頼んでいた。以前出奔事件を起こし、再び会うようになった妙子と奥畑との結婚の前に雪子の縁談をまとめる必要を感じていたところに、井谷から会社員の瀬越との縁談話が持ち掛けられると、瀬越のことを早急に調べさせる。瀬越との見合いを経て縁談に乗り気になっていたが、瀬越の母親が精神病を患っていることが明らかとなり、その縁談を断る。
その後、神戸の鯉川筋で開かれた妙子の個展を見に行き、妙子から弟子のカタリナ・キリレンコを紹介される。その後妙子をモデルに人形制作を行ったカタリナの訪問を度々受け、彼女の家に招待され、ロシア風の歓待を受ける。
四月、京都旅行の翌月から体調を崩し、黄疸と診断される。体調のすぐれない中、丹生夫人と相良夫人、下妻夫人の訪問を受ける。
入梅に入るころに、辰雄の丸の内支店への栄転が決まり、叔母にあたる人物から、本家に属する雪子と妙子も東京へ移転させなければならないという指示を受け、人形製作の仕事のある妙子を残し、雪子だけを東京に行かせる。しかし雪子の不在により、神経衰弱気味になった悦子に手を焼くようになり、雪子を呼び戻したいという思いを抱く。
翌年、悦子が快方に向かうと、東京で関西の生活恋しさに涙を流すと言う雪子のことが不憫になり、野村巳之吉との縁談を勧められたことを口実に雪子を呼び戻す。
三月、有馬温泉で病後の療養をしているある奥さんを見舞うために、友達二、三人とバスで六甲越えをして有馬へ行き、その夜、流産をしていたことが判明する。
その後、体調が戻らないまま雪子と野村の見合いに出席した後、野村との結婚を拒否したい雪子の本心を妙子から聞き、その縁談を断る。
七月の阪神大水害時では蘆屋の家に留まっており、登校していった悦子や、水害の激しい地域にある洋裁学校へ行った妙子の安否を心配しながら、その帰りを待つ。
八月、ドイツへ帰ることになった隣人のシュトルツ氏を見送るために東京へ向かった悦子や雪子とともに東京に滞在し、鶴子の家に一時滞在している間に猛烈な台風に襲われ恐怖の一夜を過ごす。その翌日から浜屋という宿屋に移り、そこで妙子が板倉と関係を持っているのではないかという奥畑からの手紙を受け取ったため、神経衰弱気味であった悦子の診察を済ませると早急に東京へ帰る。
妙子が板倉との関係を一度はきっぱりと否定したものの、やがて結婚の約束を結んだことを告白すると狼狽し、その結婚を思いとどまるように説得する。
これら妙子に対する不満を理解してくれ、相談相手になってくれる雪子を呼び出そうと考え、二月の下旬に大阪三越のホールで催される妙子も出演するおさく師匠の追善の舞の会を口実に雪子を呼び寄せる。
花見のあとで悦子が猩紅熱で寝込むと、病室に入ることも控えるようにと言われ、手持ち無沙汰な日々を過ごすようになる。
小規模な婦人洋服店を開きたいと考えた妙子が、そのための資金のことで談判をするため、辰雄を訪ねて東京へ行くことを考え始めると、同行することを決めて東京へと向かう。妙子が辰雄の家に泊まり込む間、浜屋に宿泊し、時間の暇を持て余す妙子と、靖国から永田町、日比谷界隈や歌舞伎座をまわる。そこで板倉の容態が悪いことを知り、蘆屋へと帰り、板倉の死を知る。
その後、辰雄の姉の未亡人菅野から、雪子と沢崎の見合いを勧められ、蛍狩りをかねて関ケ原へ行き、見合いに同席する。しかし沢崎が雪子に興味を抱いていないように見えたため、見合いが終わると早々に引き上げ、蒲郡で一泊し、雪子と別れて蘆屋に戻る。
その後、両親の法事のために鶴子や辰雄を迎え、琴を披露する。
この頃、奥畑と再び会うようになったことを本家に知られた妙子が勘当ということになると、寂しさを紛らわすために雪子と頻繁に神戸に行き、映画を漁るように見るようになる。
その後、井谷と丹生夫人から持ち掛けられた橋寺との縁談に雪子を向かわせる。橋寺に好印象を抱き、縁談話はお互いの両家の顔合わせまで進んだものの、心斎橋をぶらつきたいという橋寺の誘いを雪子がもっともな理由もつけずに断ったために破談になり、雪子に腹を立てる。
その後、妙子が赤痢に罹ったということを聞かされると、貞之助には言わず、お春を妙子のところへと行かせる。妙子が衰弱していることをお春から聞かされると、じっとしていられず妙子を訪ね、彼女が奥畑の家にいるのを嫌がっていることを察し、古くから薪岡と付き合いのある蒲原病院に彼女を移す。
妙子の回復後、奥畑にお礼の品を持っていく必要を感じ、雪子に相談し、奥畑の婆やが妙子に好感を持っていないように感じていたことを聞かされる。お春にその婆やについて聞き、ここ最近の妙子は、結婚の気がないにも関わらず西宮の奥畑の家に通い、彼の財産を乱費して高価な装飾品を身に着けるようになったこと、大変な酒飲みになっていること、三好というバーテンダーと恋仲になっていることを知る。
六月から八月にかけては、貞之助と奈良旅行や富士五湖めぐりを行い、そのような期間を経るうちに貞之助に妙子を許す気持ちが働いてきたため、九月に入ると奥畑や三好に関する問題を忘れるように努めながら妙子を温かく家に迎えるようになる。
海外へ留学することになった井谷が東京に滞在する十日間の間に雪子に会わせたい人がいると聞き、雪子と御牧実の見合いに合わせた井谷の送別会に出席するために東京を訪れる。その東京滞在中に、妙子が三好の子供を妊娠していることを告げられる。
妙子を有馬温泉に療養に遣る間、雪子と御牧の結納を済ませ、桜の時期になると嫁入り前の雪子らとともに恒例の京都へ行き、平安神宮から嵯峨方面を一巡する。この花見から帰った翌る日の夜、お春からの連絡により妙子のお産が重いことを聞かされ、妙子の移されている神戸の船越病院へと駆け付け、ドイツ製の陣痛促進剤を出してほしいと院長に泣きつき、病院に一つだけあったものを出してもらったものの死産となり、涙を流す。
雪子が御牧に嫁入りし、また妙子が三好との夫婦生活を始め、さらにお春にも嫁入りの話が舞い込むと、寂寥に耐え兼ね、感慨に沈みがちになる。
薪岡雪子
薪岡家の三女。大阪では縁遠いと言われる羊年の生まれ。姉妹の中で最も華奢な体つきだが、幸子や妙子と比べ、頑丈で病気をしない。日本趣味で、和装を好む。早くに死なれた美しい母親の面影を姉妹の内で最も多く残しており、細面の寂しい目鼻立ちでも、厚化粧をすると引き立つ顔をしている。
これまでに幾度となく見合いを行っているが、自分を含めた薪岡の者たちが家名に囚われてそれらの縁談をすべて断ったために婚期を逃している。妙子と奥畑が駆け落ちをした事件が誤って自分のこととして新聞に載ったことがあり、この時の辰雄の対応に心象を悪くし、幸子の住む分家に行くことが頻繁になっていた。
分家ではもともと妙子と同じ部屋をあてがわれていたが、その部屋が妙子の仕事場になってからは悦子と同じ部屋で過ごすことが多くなり、悦子が病気の時などは、幸子以上の看病を行っていた。悦子のことを非常に可愛がっており、自分がどこへ嫁ごうとも心残りはないように思われながら、彼女と別れるのが嫌で、婚期が遅れていることもそれほど淋しいとは思ってはいない。
三十歳の頃、瀬越との縁談が持ち上がり、見合いを行う。自分が病弱に見えることを懸念した瀬越のために、阪大でレントゲン写真を撮り、また眼の縁のシミも皮膚科に診てもらうことにも同意したが、瀬越の母親が精神病を患っていることが明らかとなり、その縁談を断ることとなる。
翌年の四月、貞之助、幸子、悦子、妙子と京都に出かけ、南禅寺の瓢亭、広沢の池、渡月橋に寄り、例年通り平安神宮の桜を見る。
辰雄の丸の内支店への栄転が決まると、関西に残りたいという意思表示をしていたが、富永の叔母から東京への引っ越しを命じられ、鶴子や辰雄らとともに上京し、道玄坂の家に住み始める。しかし関西の生活が恋しいあまりに、人前で涙を隠し切れず、思い詰めている様子を見せる。
その後、野村巳之吉との縁談の知らせを受け、関西に帰れるという理由でその縁談を引き受け、鶴子の子供たちの流感のために、予定を遅らせてもらいながらも関西に帰る。
野村巳之吉とトーアホテルでの見合いを行うが、その日のうちに連れていかれた野村の家の仏壇に亡くなった妻や子供の写真が飾ってあるのを見て、ひどく不愉快にさせられ、そのような男に女の繊細な気持ちが分かるはずはないと感じ、縁談を断るよう幸子に言ってほしいと妙子に頼む。その見合いの後、節句と京都行の花見を終え、東京へ帰る。
七月の阪神大水害の知らせに心を痛め、九死に一生を得た妙子の顔を見るため、また六月頃から続く脚気の治療のため、二か月ぶりに東京から戻る。
その二ヶ月後、ペータアを見送る悦子に付き添うために東京へ帰り、シュトルツ氏とペータアと落ち合った後、東京見物を行い、辰雄の家に戻る。八月から訪れていた幸子や悦子とともに猛烈な台風に襲われ、恐怖の一夜を過ごす。
翌年の二月、妙子が板倉と結婚の約束をしたことで相談相手が欲しくなった幸子に呼び出され、蘆屋へと戻る。その後、猩紅熱の疑いで離れで寝起きすることとなった悦子の看病のために、東京へ帰るのを延期する。
四ヶ月ほど関西に暮らした後、辰雄の姉が縁づいている菅野家と懇意にしていた沢崎の当主からの縁談を持ち掛けられ、その招きに応じる。しかし見合いは沢崎に興味を抱かれることなく終わり、幸子たちと蒲郡の常盤館での一泊すると、東京へ戻っていく。その帰途、豊橋で以前見合いを行った三枝という田舎紳士に出会い、自分がその時この男と結婚していても幸福にはなれなかっただろうと考える。
母親の二十三回忌と父親の十七回忌に再び関西を訪れ、そのまま蘆屋に残る。その後勘当された妙子が家を出ていくと、寂しさを紛らわすために幸子と頻繁に神戸に行き、顔の染みを取るための女性ホルモン剤とビタミンの注射を、隔日に一度櫛田医師のところへ受けに行く。
その後、井谷と丹生夫人から、見合い相手として橋寺福三郎の紹介を受け、突然の招きに困惑しながら食事会に顔を出す。始めの食事会を卒なくこなし、貞之助の尽力もあり、両家の顔合わせまでこぎつけたものの、電話での誘いをもっともな理由をつけずに断ったことが橋寺を憤慨させ、縁談を断られる。
その後、勘当中の妙子が奥畑の家で赤痢に罹ったことが知らされると、自分の一存で見舞いに行き、幸子と相談し、妙子を蒲原病院へと移す。
妙子が奥畑と結婚する気がないにも関わらずに彼の財産を乱費していることや、三好というバーテンダーと恋仲になっていることを幸子から聞かされ、やはり妙子を奥畑と結婚させるのが二人を救う唯一の方法であると考える。奥畑が満州に行くと言う話が出ると、その満州行きについて行くのを嫌がる妙子に対し、妙子の装飾品を奥畑が支払っていたことを持ち出して詰問し、奥畑を利用するだけ利用して捨てようとしている妙子を責め立てる。
その後、海外へ旅立つ井谷の送別会を兼ねた見合いのために東京へ行き、帝国ホテルに滞在、御牧実を紹介される。
その後、御牧の申し入れを承諾し、阪神の甲子園にある園村氏の家を買い取り住むこととなる。
三月二十五日、東京で御牧との結納を終え、そのまま本家にとどまり、三月いっぱいを本家で過ごし、蘆屋に戻り、幸子や悦子との残りわずかな生活の名残を惜しむ。恒例の京都旅行では、平安神宮から嵯峨方面を一巡する。
四月二十九日の帝国ホテルでの挙式のため二十六日の夜行での上京が決まってから、日の過ぎていくのが悲しく感じられ、毎日のように下痢をする。
お色直しの衣装が届いても、これが婚礼の衣装でなかったらと呟き、汽車に乗ってからもまだ下痢が続く。
薪岡妙子
薪岡家の四女。幸子と雪子に比べ背が小さく、丸顔で目鼻立ちがはっきりとしており、洋装を好む。こいさんと呼ばれている。小学校に上がる頃に死んだ母親の面影をほとんど覚えておらず、姉のように着飾って出歩けるようになりたいと思っていた女学校在学中に父親も亡くしたため、前世時代の恩恵を受けずに育ってきた。そのため、世間の事情に明るく、世間を知らない姉たちを甘く見ているところがある。
ニ十歳の時に、奥畑と恋に落ち、雪子よりも先に結婚するのが難しいと思って家出をしたことがあり、これが誤植となり、雪子の駆け落ち事件として新聞に載ったことがある。
雪子と同じく辰雄との折り合いが悪く、本家と分家を往復する生活を送っているうちに、女学校時代から行っていた人形作りの独創性が愛好者を集め、百貨店の陳列棚に並ぶようになる。それらの作品が相当な値で売れるため金回りも良くなり、幸子や辰雄の協力で夙川にアパートを借りて仕事部屋とし、また個展も行うようになる。そしてその個展に奥畑が作品を見に来て大作を買ったことがきっかけで、再び会うようになる。また、人形製作の弟子にしてほしいと頼んできたロシア人のカタリナ・キリレンコと親しくなり、母親と兄と住む彼女のアパートへの招待を受ける。
四月の中旬の土曜から貞之助、幸子、悦子、雪子と京都に出かけ、南禅寺の瓢亭、広沢の池、渡月橋に寄り、例年通り平安神宮の桜を見る。
辰雄の丸の内支店への栄転が決まると、富永の叔母の指示により、東京への引っ越しを命じられるが、関西に残りたいがために人形作りの仕事を口実に逃げ回り、見送りの際にも出立の間際に駆けつけ、混雑に紛れて辰雄と鶴子に簡単な挨拶をするだけで帰る。
やがて花柳街に出入りするようになった奥畑に愛想をつかすとともに、実生活につながりのある洋裁の方を専門にやりたいと思うようになり、野寄にある玉置徳子女史の洋裁学校に通い、幸子たちの了解を得てフランスで修行をしたいと言い始める。自活の道を探る傍ら、将来は日本舞踊の名取の免状をもらい、一人前の師匠として活動したいと考え、二代目山村さくと呼ばれる師匠のもとへ、週に一度、山村舞の稽古に通う生活を続ける。
薪岡家で行われることになった披露会では「雪」を舞うことになり、その披露会では写真家の板倉が撮影を行う。
阪神大水害の日は、もっとも被害の大きくなった洋裁学校へ出かけ、学校が休みになったため玉置女史の家を訪れて水害に巻き込まれるも、板倉に助け出されて九死に一生を得る。
この頃から命を救ってくれた板倉に想いを寄せるようになり、幸子が東京へ行っている間に、この気持ちを板倉に語り、他の誰にも秘密にしたうえで結婚の約束を果たす。それとともに奥畑との縁を切ることを考え始め、洋行することになっていた玉置女史について行くための許可を得るために貞之助や本家を説きつけてほしいと幸子に頼む。その後自分と板倉との関係を奥畑に暴露されるものの、板倉には感謝はしているものの問題にはしていないと関係を否定し、そのことで奥畑と諍いを起こす。
本家からは洋行の許しを得ることができずに憤慨したものの、玉置女史が洋行行きを取りやめたため、計画を断念し、フランス語の稽古も辞める。また、おさく師匠が逝去し、名取にしてもらおうという望みも断たれることとなる。
その後板倉と会うことを奥畑から禁じられたため、そばにいながら板倉に会うことのできない苦痛に耐えかね、幸子に一切を打ち明け、雪子が縁づくのを待つのが最大の譲歩であると語り、早く雪子の縁談をまとめてほしいと要求する。
おさく師匠の追善のために大阪三越のホールで催された舞の会では「雪」を舞い、三月に入ると、イギリスへ帰るためにドイツへ向けて出港するカタリナを見送る。
やがて小規模な婦人洋服店を開きたいと考え、そのための資金のことで談判をするため、辰雄を訪ねて東京へ行く。一週間ほど返答を延期されている間、輝雄に東京を案内され、幸子と靖国から永田町、日比谷界隈や歌舞伎座まわり、そこで板倉の容態が悪いことを知り、蘆屋へと帰る。板倉の脚の切断の手術に付き添い、蘆屋に戻るが、翌朝、再び容態が悪くなった板倉のいる病院からの連絡を受け、板倉の死を看取る。
話しかけてこようとする奥畑を警戒し、通夜には一時間ほど出ただけで帰り、告別式にも出たが、火葬場には行かずに帰る。その後度々こっそりと板倉の郷里の墓参りに通う。
雪子が沢崎と見合いをすることになると、蛍狩りを兼ねた旅行に同行し、雪子と沢崎の見合いの間は悦子とともに関ヶ原の見学へ行き、その後蒲郡の常盤館の一泊する。
板倉の死後、自分から元気を引き立てて洋裁学校へ再び通い始める。また父親から勘当され、西宮に住み始めた奥畑に板倉の四十九日で再会し、憐憫の気持ちから再び会い始めるようになる。その頃から再び派手な生活を好むようになり、夙川の人形制作の仕事部屋を弟子に譲り、洋裁学校を怠けるようになる。
幸子たちの母親の二十三回忌と父親の十七回忌では舞を披露する。
やがて西宮にますます頻繁に通うようになり、夕飯にも帰らないことが多くなる。しかしこれが本家に知られ、東京に来るか勘当かの選択を迫られて勘当を選び、本山村のアパートに引き移る。結婚するつもりがないにも関わらず、これまでにも増して西宮の奥畑の家に頻繁に出入りし、贅沢三昧の暮らしを送り、奥畑が店から持ち出した宝石を、自分で買ったと主張しながら身に着けるようになる。
そのような生活を送っている頃、奥畑と福原の遊廓にある店で鯖鮨を食べて赤痢に罹り、奥畑の家で寝かされたことがお春によって幸子に知れることとなり、自分の一存でやってきた雪子に付き添われて看護される。やがて赤痢の中でも最も悪質な志賀菌が発見され、日増しに衰弱する。死んで一年になる板倉の夢をみるようになり、奥畑の家で具合が悪くなったことに苦痛を覚え、古くから付き合いのある櫛田医師に診てもらうことを嫌がったため、幸子によって阪神の御影町にある外科の蒲原病院の別棟に移され、その二、三日後に容態が快方に向かう。
回復後、奥畑の婆やがお春に伝えたことにより、奥畑と結婚する気がないにも関わらず、彼の財産を乱費して高価な装飾品を身に着けるようになったこと、大変な酒飲みになっていること、三好というバーテンダーと恋仲になっていることが幸子に知られることとなる。
退院後、甲麓荘の部屋に戻り、しばらくの安静のあと、貞之助の容認のもと、六月には毎日のように蘆屋に帰り食事をとるようになる。また九月に入ると、貞之助と対面を果たし、本家の手前、別居という体裁を取りながら、昼間は蘆屋で過ごし、幸子が持ってきた注文を受けて洋服を仕立てるようになる。
やがて奥畑に満州行きの話が出ると、別れる良い機会だと考え、彼について行ってはどうかという幸子の意見を聞かず、体よく奥畑を利用していたことを雪子に責められる。
その頃、奥畑に自分を諦めさせるため、神戸のバーテンダー三好の子を妊娠し、雪子と御牧実の見合いのために訪れた東京滞在中に、妊娠を幸子に伝える。
蘆屋に戻ると、貞之助の計らいで、お春に付き添われて、人目につかないように阿部という偽名を用い、有馬の温泉旅館に宿泊する。
お産が近づくと、熟練の院長がいることで知られる神戸の船越病院の一室に移るが、胎児が逆子であることが判明し、お産が始まると二十時間にわたって苦しみ、幸子が泣きついてよやく出してもらったドイツ製の陣痛促進剤を使って分娩するも、死産となる。
それから一週間後に退院し、兵庫で三好と夫婦暮らしを始め、荷物を運ぶために蘆屋の家を訪ね、煌びやかな雪子の嫁入り道具を見ながら、一人でこそこそと荷物を取りまとめ兵庫へと帰って行く。
薪岡貞之助
幸子の夫。薪岡に婿養子に入って分家し、一人娘の悦子をさずかり、蘆屋の家に住んでいる。商大出の大阪の事務所に通う計理士で、養父から分けてもらった資産で補いつつ暮らしている。文学趣味があり、辰雄と異なって厳格でないため、雪子や妙子と気安く接することができるが、彼女たちが自宅に住み着くことを、本家がよく思っていないことを気にしている。
雪子の縁談をまとめるため、幸子とともに苦心しており、十一月の瀬越との見合いの後、ひ弱そうなことを懸念された雪子を阪大に連れて行き、レントゲン写真を撮らせ、また眼の縁のシミも皮膚科に診せに行く。
十二月、妙子の弟子として親しくなったカタリナ・キリレンコの招待を受け、ロシア風の歓待を受ける。
四月の中旬の土曜から幸子、雪子、悦子、雪子と恒例の京都に出かけ、その後、幸子と二人で京都に泊まり、幸子の父が高尾の寺の境内に建立した不道院という尼寺に寄る。
十一月、仕事で東京に行き、栄転した辰雄の家に泊まり、本家について行くこととなった雪子が関西の生活が恋しいあまりに人前で涙を流すことを知る。
その後、関西に戻った雪子と、野村巳之吉の見合いに参加するものの、流産後の幸子の体調への気遣いのすくない陣馬夫人へ苛立ちを覚える。
阪神大水害では、蘆屋川で山津波が起きたことを知り、お春とともに学校へ行った悦子を迎えに行き、その後は一人で野寄へと妙子の捜索へ向かい、濁流にのまれそうになりながら甲南女学校に辿り着く。水が引いた後で玉置家の屋根の上にいる板倉と妙子を見つけて救出し、家へと連れ帰る。
雪子が東京へ戻ると、寂寥に耐えられなくなった幸子を菊五郎に連れて行く。
その後、洋行の許可を貰ってほしいという妙子の願いを、仕事で東京へ行った時に本家に届け、妙子の洋行を許さないという返事を受け取る。妙子が板倉と結婚の約束をしたことを知ると、深く干渉しないという姿勢を見せる。
その後、上京ついでに、沢崎に縁談を断られた雪子の様子を見に出かけ、薪岡家の母親の二十三回忌の日程を辰雄らと決める。
板倉の死後、奥畑が店の商品を持ち出して父親から勘当されたことを知り、その奥畑と再び会うようになった妙子に対し、勘当という形をとらなければならないのか本家の判断を仰ごうと考え、十月の中旬に上京したついでに鶴子にこのことを話す。本家が妙子のことを勘当したため、表面上は絶縁したということにする。
井谷と丹生夫人によってもたらされた橋寺と雪子の食事会に顔を出し、橋寺の社交的に訓練された人物であるところを見て取り、雪子の結婚相手として申し分がないと考え、自宅を訪れてきた橋寺を歓待し、自分からも雪子を貰ってくれるようにという手紙を送ったりと、その縁談のために尽力する。しかし橋寺の誘いをもっともな理由もつけずに断った雪子が縁談を断られると、雪子の女らしさや奥ゆかしさを理解する男でなければ夫になる資格はないのだと、悔しさを隠し切れない幸子を慰め、橋寺に対しては、雪子が決して橋寺を嫌ってはいなかったこと、雪子の態度は人見知りによってもたらされたものであることを伝え、家庭の躾方に問題があったと手紙で詫びを入れる。
妙子が赤痢に罹ったことを初めは秘密にされていたが、雪子が自分の一存で看病に行ったことを知ると、渋い顔をしてこれを認め、妙子の回復後は、自分がいない間の妙子の家への出入りを容認するようになる。
六月から八月にかけて、幸子と奈良の新緑、富士五湖めぐりを行い、九月に入り、妙子と対面を果たす。この頃から仕事が軍需会社に関連するようになる。
東京で雪子と御牧との顔合わせを終えた幸子から、妙子が妊娠していることを打ち明けられると、医者に連れて行って分娩の時期を見定め、夜間にアパートから自動車に乗せて有馬温泉に運び、薪岡の姓を隠して臨月まで滞在させ、その後は然るべき病院に入れようという案を練る。妙子の子の父親である三好に会いに行って話しをつけ、その後奥畑に会いに行き、自分達の監督が行き届かなかったことを詫び、妙子に使った金を返してほしいという奥畑の要求通りに二千円の小切手を渡し、妙子のことを諦めてくれるように頼む。
その後、井谷光代や国嶋氏との会談を通して、御牧と雪子の縁談を勧めることを決意し、京都の嵐山での顔合わせに参加する。そして辰雄から結納などを一任すると言う手紙を受け取ると、結納を早めに済ませるために奔走し、その縁談を取りまとめる。
薪岡悦子
小学校に通う貞之助と幸子の娘。隣家のドイツ人一家シュトルツ夫妻の子供たち、とりわけローゼマリーと仲が良い。
以前から非常になついていた雪子が東京へ移った後、寝かしつけの役を担う女中が自分よりも早く寝てしまうことなどで不眠に陥り、潔癖や食欲不振となり、櫛田医師から紹介された西宮の辻医師に脚気を治療し、食欲を促進するように勧められる。年明けには脚気の改善や食事療法により、神経衰弱が快方に向かう。
おさく師匠が妙子のために出稽古に訪れてくるようになると、自分も習いたいと言い始め、手ほどきを受けることになり、薪岡家で行われた披露会では、その会のご愛嬌に、「弥生は御室の花ざかり」を舞う。
阪神大水害では、お春に付き添われながら学校へ行った後で水害となり、貞之助に背負われて帰宅する。
暑中休暇になると、毎日のようにシュトルツ家の子供たちと遊び、ペータアがドイツへ旅立つ頃になると送別会を開き、シュトルツ家で開かれたドイツの子供たちを集めたお茶の会に日本人で唯一招待される。その後、東京まで見送りに来てほしいとペータアに頼まれ、雪子とともに横浜へ向かい、駅の甲板で待ち受けていたシュトルツ氏とペータアと落ち合った後、東京見物を提案し、桜木町を出発して、丸の内界隈を案内する。
その後辰雄の家に一時滞在している時に昭和十三年の猛烈な台風に襲われ、幸子や雪子とともに恐怖の一夜を過ごす。その翌日から幸子と築地の浜屋へ移り、脚気と神経衰弱についての診察を東京の名医杉浦医師から受ける。
その後、ペータアを追ってドイツへ帰るローゼマリーに人形とその乳母車を送り、出航の前日は家に泊め、明け方まではしゃぎまわる。ローゼマリーの出航後は、しばらくは学校での友人を見つける事ができないでいたが、やがて親しい友人を見つける。
恒例の四月の京都への桜見学のあとで熱を出し、猩紅熱の疑いがあると診断され、離れになっている貞之助の書斎で、雪子からの看病を受ける。回復期に入ると、伝染病を恐れないお春や、猩紅熱の免疫のある看護婦「水戸ちゃん」とトランプで遊ぶ。
回復後、幸子や妙子とともに、雪子の見合いについて行き、大垣で蛍狩りを行う。雪子と沢崎の見合いの間は妙子とともに関ヶ原の見学へ行き、その後蒲郡の常盤館の一泊し、蘆屋へ帰る。
勘当された妙子が赤痢に罹ると、看病に行った雪子が帰ってこないことを心配し、妙子を引き取るようにと幸子に懇願する。
雪子の結婚相手となった御牧のことを非常に気に入る。床の間に置いてあった雪子のお色直しのための鬘を見つけて被り、台所へ店に行って女中たちを笑わせる。
薪岡鶴子
薪岡家の長女。早くに死んだ母親の代わりに妹たちの面倒を見、四人の姉妹のうちで早くから婿を迎えて、六人の子を作り育てた苦労人。旧時代の教育を受けているために、箱入り娘の純粋な気質を持っているところがあり、大阪ほど良い土地はないと思っている。四人の姉妹の中では最も背が高く、京女であった母親の面影をとどめている。酒を好む。
もともとは薪岡家の郊外の別宅として使われていた上本町九丁目の本家に住んでいる。
辰雄の丸の内支店への栄転が決まると、初めて阪神間を離れる事に狼狽しながら引っ越しの準備を始める。その後、先に東京で家を見つけていた辰雄の帰りを待ち、雪子や子供たちとともに上京する。百人もに見送られながら東京を発つと、汽車の中でこれまで堪えていた涙を流すが、秀雄が大腸カタルで熱を出したために一睡もできないまま到着する。
道玄坂の手狭な家に住み始めると、薪岡の名を気にすることなく虚栄心を捨てて倹約に努めながら生活する。
翌年、シュトルツ氏の出航を見送りに来た悦子に付き添った幸子を迎え、台風の際に活躍したお春のことを高く買い、日光見物に行かせてやる。またしばらく関西に暮らしていた雪子と再び住み始める。
洋服店を開くための資金を得るために妙子が談判をしにやって来ると、辰雄とともに歓待し、熱心に話を聞き、今辰雄は会社の合同で忙しいので、来週まで待ってほしい、それまでは輝雄に東京を案内をさせて遊んでいればいいだろうと言って時間を稼ごうと考え、板倉の死によって妙子が蘆屋に帰ると胸をなでおろす。その翌月、東京に帰っていた雪子に、菅野の姉から受けた沢崎との縁談を持ち掛ける。
その年の九月に行われた母親の二十三回忌と父親の十七回忌のために関西を訪れる。その後上京してきた貞之助から妙子の行状について聞かされ、辰雄と相談の上、奥畑の家の出入りを妙子に禁じさせ、雪子と妙子の二人を東京に寄越すように、そして妙子がそれに応じない場合、蘆屋の家にも入れないようにと命じ、妙子を勘当する。
翌年の春、赤痢に罹った妙子が快方に向かったことを知ると、無事を喜びながらも、彼女のことを見限っていることがうかがい知れるような返事を寄こす。
御牧との見合いのために東京を訪れた幸子と五分ばかり話し、妹たちが芝居を見にいくことが羨ましく、別れ際に涙を流す。
薪岡辰雄
鶴子の夫。実家は名古屋にある。晩年に隠居した薪岡の父から家督を譲られるも、臆病な自分の性質が店舗の経営に向かないと判断し、船場にあった店舗を他人に譲り、銀行員の職を続ける。これが原因となって雪子や妙子と折り合いが悪い。養父が死んだ後、雪子に縁談を勧めたことがあるが、話が相当に進んだ後で雪子が難色を示し、その縁談を断ることになって以来、縁談話に積極的にはならなくなっていた。駆け落ち事件を起こした妙子を疎んじ、雪子を贔屓する傾向にあるが、妙子の人形作製ための夙川の仕事部屋を紹介してやったこともあった。
旧家の婿ということもあって転勤を免除されていたが、銀行の方針が変わったことや、自分の中にも昇進を望む心が湧き起こってきたことで、丸の内支店への栄転を命じられ、以前薪岡の父が使っていた金井音吉に大阪の家を預け、大森に家を見つけ、丸ビルに出社を始める、その後、引っ越しの準備を整えた鶴子や雪子たちを連れ、旧家の出立のために駆け付けてきた百人近くの人々に見送られながら上京する。しかし家主の都合で大森の家の契約が解約になったため、兄の種田のところに一時身を寄せた後、道玄坂の手狭な家に一時的のつもりで住み始め、やがてそこを引き払う気がなくなる。
奥畑と別れたいと思い始めた妙子が、洋行を行いたいと言い始めたことを聞くと、職業婦人になろうと考えるのは僻みすぎるということ、理由の如何を問わずに出せる金もなく、妙子には将来は正式に結婚してほしいという答えを返す。
その後、洋服店を開くための資金を得るために妙子が談判をしにやって来ると、気味の悪いほどに歓待するが、板倉の死後、妙子が勘当された奥畑と再び会うようになったことを知ると、奥畑の家の出入りを妙子に禁じさせ、雪子と妙子の二人を東京に寄越すように、そして妙子がそれに応じない場合、蘆屋の家にも入れないようにと命じ、妙子を勘当する。
雪子と御牧の縁談が決まると、貞之助の判断に一任し、結納などを取り決めてしまって結構であると返事を寄越す。
薪岡輝雄
辰雄と鶴子の長男。上本町の本家から、両親とともに渋谷の道玄坂に移り住むと、上京後まもなくアクセントの正しい東京弁を使うようになる。
幸子滞在中に見舞われた昭和十三年の猛烈な台風の日は、隣人の小泉の家に避難することを提案する。その後、洋服屋を開くための資金のことで談判をしに訪ねてきた妙子を明治神宮やローマイヤアへと案内する。そこで妙子と一緒にいるところを友人に見られ、叔母だということを信じてくれないだろうと、顔を真っ赤にする。
薪岡哲雄
辰雄と鶴子の息子。次男。
薪岡秀雄
辰雄と鶴子の息子。三男。上京する汽車の中で大腸カタルになり熱を出す。
薪岡芳雄
辰雄と鶴子の息子。四男。幸子が訪ねた時の年齢は七歳。
薪岡正雄
辰雄と鶴子の息子。五男。母親の二十三回忌と父親の十七回忌に訪れる。
薪岡梅子
辰雄と鶴子の末の娘。母親の二十三回忌と父親の十七回忌に訪れる。
お春
薪岡家の女中。洗張屋の張惣の主人の娘。独り言を言うことが多い。女学校が嫌いで女中奉公を志願した。目鼻立ちが可愛らしかったため、幸子から奉公を許される。十五歳の頃から奉公に来ており、姉妹たちから親しまれて「お春どん」と呼ばれ、悦子の学校の送り迎えや、姉妹たちの身の回りの世話をする女中となっている。奉公し始めの頃は入浴や洗濯が嫌いで、不潔だったことから他の女中からの苦情が絶えなかったが、こっそりと幸子の化粧品をつかい、顔だけは綺麗にしていた。
口が軽く、姉妹たちの秘密を他の女中や悦子に話し、雪子や幸子から咎められることが多い。
雪子が東京へ引っ越すと、悦子の寝かしつけを行うようになるが、先に寝付いてしまうため、悦子からの怒りを買うことになる。
阪神大水害では、登校に行く悦子に付き添った後、蘆屋川の水が端に届きそうになっているのを見て、貞之助とともに悦子を迎えに行く。
その後、杉浦医師の診察のために東京を訪れた妙子らについて東京へ行き、昭和十三年の台風の日は、隣人の小泉の家に、一家を非難させてくれと頼み込む。この働きによって鶴子に気に入られ、お久とともに日光見物をすることを許され、東照宮や中禅寺湖を見て回る。
その翌年の夏、父親の痔の手術に付き添うために二週間ばかり休んで西宮の病院に通う間、奥畑と偶然会い、彼が西宮の家に移ったことを知り、その家の前で妙子らしい女の人の声を聴く。その後、このことが原因で本家から勘当された妙子の様子を見に行く役割を与えられる。
妙子が赤痢に罹ると、これを幸子に伝え、妙子の寝ている奥畑の家へと行き、公衆電話を使って一日一回午前中に容態を幸子に知らせる。
奥畑に忠義を尽くす婆やと仲良くなり、妙子が奥畑に曖昧な態度を取り、奥畑の財布で贅沢三昧の暮らしを送っていたことや、三好というバーテンダーと恋仲になっていることを知り、これを幸子に問いただされて打ち明ける。
幸子たちが気づく前に妙子の妊娠に気づき、貞之助に命じられて、お春に付き添って有馬温泉に滞在する。妙子のお産が重いことを知らせて幸子を呼び出し、死産となると幸子とともに涙を流す。
妙子の退院と同時に蘆屋の家に戻るが、尼崎の親の方から嫁入りの話が届き、雪子が嫁いだ後、二、三日の暇をもらう。
お久
辰雄と鶴子の東京行きに付き添った女中。東京に訪れてきた幸子らとともに、昭和十三年九月一日の台風を経験する。その後、お春とともに日光見物を行い、東照宮や中禅寺湖を見て回る。
井谷
幸子たちの行きつけの美容院の女主人。美容術の、研究で一年ほどアメリカへ渡ったことがある。中風症で寝たきりの夫を扶養しつつ美容院を経営し、一人の弟を医学博士にさせ、娘の光代を日本女子大学校に入れた。歯に絹を着せない物言いをする。縁談の世話をするのが好きで、幸子から雪子のことを頼まれて写真を渡されていた。
会社員であった瀬越に雪子の写真を見せて縁談を持ち掛け、薪岡の返事を催促しに頻繁に訪れ、見合いの後は、雪子がひ弱そうに見えたことや眼のふちの染みが気になったという瀬越の懸念を幸子に伝える。
その後、その縁談が破談になると、瀬越の母が精神病であることを知らなかったふりをして、自分の不行き届きを謝り、また雪子のために良い縁談を持ってくると約束する。しかしさらに悪条件の縁談を雪子に勧め、その程度のところが相当の縁なのだと暗に諷する。
その後ある人の出征を祝う歓送会の席で丹生夫人を紹介され、その丹生夫人から橋寺を紹介されると、雪子を呼び出して引き合わせる。この縁談をまとめてみせることを請け合い、橋寺を薪岡の家に連れて行き、縁談を実現させようと尽力するが、雪子の曖昧な態度に憤慨した橋寺から、この縁談を断りたいという電話を受ける。
その頃痛風で夫を亡くしたため、美容院を人に譲り、美容術の研究のために、半年か一年ほどの予定で二回目の渡米をすることを決意する。渡米前の十日間を東京の帝国ホテルに滞在し、その間に雪子に御牧実を紹介し、幸子たちが観劇した歌舞伎座へも御牧実を招待する。
奥畑啓三郎
船場の旧家である貴金属商の三男。天王寺の茶臼山町に住んでいた。関大卒。二十歳の頃の妙子と駆け落ち事件を起こしたことがある。その事件後、妙子の個展に姿を現して大作を買い、再び会うようになると、幸子を訪問し、父兄の了解を得られるまで何年でも待とうという約束をした自分たちの関係を理解し、信用して欲しいと頼む。
しかしやがて花柳街に出入りして馴染の女も持つようになり、女給と酔って歩く姿が見かけられるようになる。その一方で、妙子が洋裁学校に通うようになると、もうすぐ自分と結婚するはずの彼女が芸術としての人形製作でなく、洋裁家という職業婦人のようなことをしようとすることが納得できず、洋裁の習得を思い止まらせるよう幸子に頼みこむ。
阪神大水害では、妙子の安否を気遣って度を失い、洋裁学校のある野寄へと出かけることを名乗り出るが、ズボンを汚すことさえ厭いながら妙子が救出された後で板倉の家を訪ね、無事が分かると蘆屋へは戻らず、翌日自分の代わりに見舞ってほしいと板倉に頼んで大阪に帰る。また踊子と関係して子まで産ませていたことが分かり、結婚の熱意が変わりないことを述べ立てたものの、妙子からの信用を失くし、愛想を尽かされる。
妙子が板倉に恋心を抱くようになると、東京の浜屋に宿泊している幸子に向けて手紙を書いて二人の関係を暴き、さらに妙子に板倉に対しての絶交を求める。大阪三越のホールでのおさく師匠の追善のための舞の会では、板倉が妙子の撮影をしようとしているのを見つけ、カメラを取り上げて壊す。
板倉が中耳炎の手術の失敗により息を引き取ると、通夜や告別式の世話を焼く。
その後母親を亡くし、板倉の四十九日に妙子と再会し、再び会い始める。この頃から妙子に経済的に利用されることが増え、妙子に与えるために商店から宝石を持ち出したことで勘当され、西宮に婆やとともに住み始める。
その後、自分の家にいる時に赤痢を発症した妙子の面倒を見て、しぶしぶ彼女を蒲原病院へと引き渡す。妙子が快方に向かうと、彼女の寝ている別棟に看病に訪れる。
満州国皇帝の付き人となる日本人の募集に応募を勧められるがそれを断り、西宮のアパートを出て、香櫨園の永楽アパートに移る。妙子が三好の子を妊娠すると、貞之助の訪問を受け、妙子を諦めてくれるように頼まれる。経歴すらわからないような三好に妙子を任せようとする貞之助を非難しながらも、妙子の妊娠を内密にすることを承諾する。しかしその後、以前に妙子のために用立てた二千円を金を返してほしいと要求し、その場で小切手を受け取る。
シュトルツ氏
蘆屋の分家の隣に住むドイツ人。妻のヒルダと、ペータア、ローゼマリー、フリッツという三人の子供と暮らしている。アンゴラ兎を飼っている。もともとマニラで商売をしており、二、三年前から神戸へ渡り、商売をしていた。
阪神大水害では、独逸小学校へ行った子供たちを迎えに神戸方面へと出かけ、ペータアとローゼマリーを連れ帰る。
やがて日中戦争により店の商売の業績が悪くなると、ペータアを連れて、ヒルダ、ローゼマリー、フリッツよりも一足先にドイツに帰る。横浜で自分達を見送ることになった悦子と落ち合うと、雪子の提案で東京見物を行い、桜木町を出発して、丸の内界隈を案内された後、経由地のアメリカへと旅立つ。
その後ヨーロッパに渡り、ブレーメルバーフェンでヒルダと落ち合い、ドイツのハンブルクへ帰る。
ドイツでは、輸入の商館を引き受け、中国や日本と取引していることがヒルダの手紙によって幸子に知らされる。
ヒルダ・シュトルツ
シュトルツ氏の妻。情愛の深い人物であるものの、アマとよばれる女中には厳しく接しており、優秀なアマに辞められたことがある。
日本にも親しんでおり、薪岡家との交際も積極的に行う。薪岡家で行われた悦子と妙子の山村舞のお披露目会を見物に訪れた際には、他の客と同じ散らし鮨を食べる。ドイツに家を建てたら日本間を作ることを決めている。
阪神大水害では、出かけていた夫や子供たちの身を案じ、同じ境遇に立たされている幸子を慰める。
日中戦争の影響で夫の日本での商売が立ち行かなくなったために帰国することになると、先に旅立つことになった夫とペータアを送り出した後、ローゼマリーとフリッツを連れて日本を旅立つ。妹が滞在しているマニラに着くと、フィリピン刺繍の小布を幸子に送る。そこで妹の三人の子供たちの面倒を見ながらマニラを発ち、ブレーメルバーフェンで夫とペータアに再会し、ハンブルクへと戻り家を見つける。
フリーデル・ヘニングに託した幸子の手紙の返信により、人手の不足したドイツでは、女中を雇うのも難しく、多忙を極めていること、戦争に勝つために節約をしなければならないこと、戦争に勝った暁には、薪岡の皆がドイツに来ることを楽しみにしていることなどが伝えられる。
ペータア
シュトルツ夫妻の息子。神戸の山手にあるドイツ人クラブ附属の独逸小学校へ通っている。
阪神大水害の後、暑中休暇となった悦子と毎日のように遊び、ドイツに帰ることになると、悦子のために経由地のアメリカで靴を買って届けるために足の寸法を測る。三宮から横浜に向けて発つ際に、悦子との別れを惜しみ、東京まで来てほしいと言う。
これがきっかけで横浜で自分達を見送ることになった雪子と悦子に落ち合うと、雪子の提案で東京見物を行い、桜木町を出発して、丸の内界隈を観光して旅立つ。
八月の下旬に父親とともに横浜から船に乗り、アメリカ経由でドイツのハンブルクへと帰る。悦子に届いた靴はサイズが間違っていた。
ドイツに戻ると、バイエルンで寮生活を送り、学校に通うようになる。
ローゼマリー
シュトルツ夫妻の娘。悦子の一つか二つ年下だが、同じくらいの年頃に見える。神戸の山手にあるドイツ人クラブ附属の独逸小学校へ通っている。悦子と仲が良く、薪岡家の山村舞のお披露目会を見物に訪れる。
阪神大水害の後、暑中休暇となった悦子と毎日のように遊び、出発の前には悦子から人形とその乳母車、舞を舞った時の写真を受け取り、出航の前日には薪岡に泊まりに来て明け方まではしゃぎまわる。
その後母親とともにマニラへと旅立つ。
ドイツに戻ると、悦子から送られた指輪を受け取る。ピアノに長けるようになり、家では食器やナイフを手入れする。
フリッツ
シュトルツ夫妻の息子。ペータアとローゼマリーの弟。薪岡家の山村舞の悦子のお披露目会を見物に訪れる。阪神大水害の後、暑中休暇となった悦子と毎日のように遊ぶ。その後、母親とローゼマリーとともにマニラへと旅立つ。
ドイツへの帰国後は、バイオリンに長け、家では靴磨きをしていることが母親の手紙に寄り薪岡に知らされる。
瀬越
雪子の見合い相手。フランス系の会社の神戸の海岸通にビルを持つMB化学工業会社の社員。北陸の小藩の家老を先祖に持つ。大阪外語の仏語科を卒業後、パリに住んだ経験がある。パリ時代に百貨店のフランス人の婦人と恋に落ち、結局欺かれ、その反動で純日本風の趣味に憧れるようになった。夜は学校のフランス語の教師をしていて、合わせて三百五十円ほどの月給を得ている。幸子が預けていた雪子の写真を井谷から見せられて見合いを申し出る。
見合い後も、仕事が手につかなくなるほどにこの縁談に乗り気になるが、薪岡の本家が人をやって田舎を調べさせたところ、母親が夫に先立たれてから、子供の顔を見てもわからないほどの精神病になっていることが判明し、その縁談を断られる。
村上医学博士
井谷の弟。海外に住むことになった井谷の見送りに訪れる。
村上房次郎
井谷の二番目の弟。瀬越の旧友。下戸。大阪の鉄屋国分商店に勤めている。瀬越と雪子の見合いに参加する。
海外に住むことになった井谷の見送りに訪れる。
五十嵐
瀬越の同郷の先輩で、勤め先の常務である中老の剽軽な紳士。瀬越と雪子の見合いに参加し、その場を盛り上げる。歌沢(三味線音楽の一つ)を趣味にしている。
カタリナ・キリレンコ
妙子の人形制作の弟子。ロシア革命後に亡命した一家が散り散りになり、祖母とともに上海に逃げ、イギリス人学校で育つ。イギリス病院の看護婦になり、イギリス人と結婚したことがあり、娘は元夫とともに母国に住んでいる。その後日本に渡り、兄と母に再会する。兄は毛織物の貿易商。
現在は夙川のアパートに、老母と兄と住み、夫と別れた時に貰った金で過ごしている。
ある日突然妙子の仕事部屋を訪れ、日本風の人形の製作を習いたいので弟子にしてくれと申し出る。外国人にしては手先も器用で頭も働き、日本着物の柄や色合いについての理解が早かったため、すぐに妙子と親しくなる。
妙子をモデルにして羽子板を持った振袖の娘の立ち姿を製作し、蘆屋の家にも訪れて指導を受けるようになったため、自然と親しくなった幸子や貞之助を自宅での夕食に招待する。
それ以来、しばしば妙子の仕事部屋に現れ、批評や、指導を乞うていたが、ドイツ系会社の神戸支店に勤めるルドルフとの交際のために、人形製作への熱意を減じる。その交際を通じてドイツが好きになり、ルドルフの斡旋で、ベルリンにいる彼の姉のもとへ身を寄せることになり、ドイツへの滞在を足掛かりにして、娘のいるイギリスに渡る計画を立てる。
その後、豪華船シャルンホルスト号に乗ってドイツに帰り、ベルリン経由でロンドンに行き、娘を取り返す訴訟をしながら、保険会社で秘書として勤め始める。
その後、保険会社の社長と結婚し、娘を引き取って城のような家に住み始める。ロンドンがドイツからの空襲を頻繁に受けるようになると、完備された防空壕でレコードを鳴らしてダンスをしながら過ごしているということが、兄のキリレンコによって伝えられる。
カタリナの母
帝政時代のロシアの法学士。息子(カタリナの兄)とともに日本に渡り、その後カタリナとともに夙川に住み始める。両陛下の肖像写真を部屋に掲げるほどの日本崇拝者。日本語が聞き取りにくく、「ごぜえます」という言葉を使う。
六十歳ほどであるが、スケートを颯爽と滑る。ヨーロッパに旅立つカタリナを見送る。
キリレンコ
カタリナの兄。日本語が上手い。共産主義に対して最後まで戦うものは日本であると思っており、天皇陛下の肖像写真を部屋に掲げるほどの日本崇拝者。
ヨーロッパに旅立つカタリナを見送り、その後も彼女の近況を薪岡家の人々に語る。
ウロンスキー
夙川のアパートに住むカタリナ・キリレンコの兄の友人。五十歳ほどの紳士。子供好きで、日本人の間ではコドモスキーと言われている。
日本人に近い印象を与える黒い瞳で日焼けした肌を持つ。
革命で行方知れずになっていた恋人がオーストラリアにいることが分かり、訪ねていった過去がある。その恋人が病気で死んでから、操を立てて独身を通している。オーストラリアで坑夫として働き、その後の商売にも成功し、日本にやって来てからはカタリナの兄にも資本を出している。ヨーロッパに旅立つカタリナを見送る。
ルドルフ
ドイツ系会社の神戸支店に勤める男。妙子からは「湯豆腐」と呼ばれている。カタリナと交際するようになり、彼女がヨーロッパへ帰る足掛かりとして、自分の姉の所へカタリナを送る。
陣場夫人
幸子の女学校時代の同窓。旧姓今井。瀬越との縁談話がくすぶっていた頃に、大阪の桜橋で幸子にばったりと会い、良いところがあれば雪子の縁談を世話してほしいと頼まれたことがあり、夫の恩人にあたる関西電車の社長浜田丈吉の従弟で、妻に先立たれて後妻を求めている野村を紹介する。
その後、再びこの持ち掛けた縁談はどうなっているのかと、幸子に催促して雪子を呼び出してもらい、再三の延期の要求を呑み、三月十五日に見合いを決める。
見合いでは、幸子の流産を知りながら、気遣いのない言動をし、貞之助を苛立たせる。
陣馬仙太郎
陣馬夫人の夫。関西電車の社長であった浜田の玄関番をしつつ通学させてもらったという恩義がある。
雪子と野村巳之吉の見合いに出席する。
浜田丈吉
関西電車の社長。野村巳之吉の従兄にあたる。陣馬氏の恩人。野村が後妻を求めていると陣馬氏に依頼し、雪子との見合いを実現させる。
野村巳之吉
浜田丈吉の従弟。雪子の見合い相手。姫路に原籍を置き、灘区に住んでいる水産技師。大正五年に東京帝大の農科を卒業し、現在は兵庫県の農林課に勤務しており、兵庫県の鮎の増産に関する指導や視察を行なっている。
長女を三歳で、次いで昭和十年に妻を流感で、そしてその翌年に長男を十三歳で亡くしており、親類は東京の太田という薬剤師に嫁にやっている妹と、姫路に叔父が二人いるのみとなっている。
神経質で、時々独り言を洩らす癖がある。しっかりとした体格ながら、白髪で髪が薄く、四十六歳というよりは、五十以上の老人に見える。
薪岡について入念に調べ上げた末に、トーアホテルでの雪子との見合いに出席し、その後、北京楼という山手の中華料理屋での食事を希望し、雪子を目の前にした興奮で饒舌になり、幸子の体調を気遣うこともなくはしゃぎ、自宅へと招く。そこで死んだ家族の写真を見せたことを雪子に嫌がられ、縁談を断られる。
櫛田
蘆屋川の停留所の近くに開業している薪岡家のかかりつけの医師。見立てが上手く、技量が卓越しており、近所で引っ張りだこになっている。
雪子が東京へ移った後、神経衰弱気味になった悦子の脚気、四月の京都行のあとの悦子の猩紅熱、幸子の流産、妙子の赤痢などの診察を行う。
また、橋寺と同じ阪大出身であったために、橋寺のことを調べてもらうよう薪岡から依頼を受け、その依頼を引き受ける。
丹生夫人
大阪の生まれ。幸子と親しくしていた。東京の女学校時代の友人であった相良夫人の訪問を受け、阪神間の代表的な奥さんに会わせてほしいという希望を受け、幸子を紹介しにやって来る。
普段はおっとりとした関西弁を使っているが、東京の女学校を出ているため、相良夫人とは東京弁で話す。
その後ある人の出征を祝う歓送会で井谷を知り、他界した友人の夫であった橋寺のために、雪子との縁談を勧める。貞之助が橋寺の会社を訪ねて行ったことを知ると、その縁談が決まったと思い込み、おめでとうと祝いの言葉を幸子に伝える。
しかし、雪子に対して腹を立てた橋寺からこの縁談を破談にしたいと言われると、幸子たちに腹を立てながらこれを知らせる。
相良夫人
丹生夫人の女学校時代の友人。夫は郵船会社に勤め、ロサンゼルスに住んでいた。昨年帰ってきて、神経衰弱で聖路加病院に入院した後、北鎌倉の家に一二カ月住んでいた。関西にやってくると丹生夫人を訪れ、阪神間の代表的な奥さんに会わせてほしいと頼み、幸子を紹介される。体調の悪い幸子に、彼女が苦手とする東京弁を話して苛立たせる。
下妻夫人
丹生夫人、相良夫人とともに幸子を訪れてきた夫人。「面白くない噂」がある。
金井音吉
父が昔浜寺の別荘で使っていた男で、本家にも出入りしていた。
辰雄の栄転後、上本町の家を預かる。
金井庄吉
音吉の倅。辰雄の東京移転の手伝いを行うために上京し、無事に引っ越しを済ませたことを蘆屋の家に伝えに来る。
阪神大水害では、雨が止むとすぐに南海の高嶋屋での仕事を休んで大阪から見舞いに訪れる。
幸子たちの母親の二十三回忌と父親の十七回忌のあとの宴会にも現れる。
富永の叔母
幸子たちの父の妹。辰雄の丸の内への栄転が決まると、本家に属する雪子と妙子を、世間体のために東京に移転させるよう幸子に命じる。
幸子たちの母親の二十三回忌と父親の十七回忌に参加する。
染子
富永の叔母の娘。幸子たちの母親の二十三回忌と父親の十七回忌に参加する。
お栄
丸の内支店に栄転することとなった辰雄の見送りに駆け付けた、舞の名手として有名な新町の老妓。妙子を二十歳前後の若者だと勘違いし、女学校を卒業したのかと聞く。
関原
辰雄の大学時代の同窓。高麗橋筋にある三菱系の棒会社に勤めていた関係で、辰雄が養子にきたばかりの頃、薪岡家に遊びに来ていた。結婚後、五、六年ロンドン支店勤務を命じられ、その後大阪の本社に呼び出される。
丸の内支店に栄転することとなった辰雄の見送りに駆け付け、八、九年ぶりに会った雪子や、妙子の変わらない姿を見て、自分が五、六年も日本を離れていたことが嘘のような不思議な気がしたと語る。
種田
麻布に住む辰雄の兄。商工省の官吏。辰雄が当初すむことを予定していた大森の家が解約になった後、一時自宅に辰雄の一家を住まわせる。
辻医師
西宮の医師。櫛田医師からの紹介で、神経衰弱気味になった悦子を診察し、脚気を治療し、食浴を促進させ、頭から叱りつけないように説いて聞かせるようにすることを助言する。
お花
薪岡家の女中。
お秋
薪岡家の下働きの女中。シュトルツ邸の塀の外回りの掃除を好意で行ったことが、シュトルツ夫人と女中の争いの原因となったことがある。
山村さく
妙子の山村舞の師匠。おさく師匠と呼ばれる。祖父は四代目市川鷺十郎。人の真似が上手い話術家。芸者時代に落籍されたこともあったものの、夫も子もなく、家庭的にも恵まれなかった。乗り物が嫌いであるにも関わらず、信仰心が厚く、頻繁に参詣していた。東京の踊に圧倒されゆく上方の舞の伝統を世に顕したいと考えている。
滅多に出稽古に出るようなことはなかったが、薪岡家で月一度のおさらい会が開かれることが決まると、廃れゆく山村舞を挽回させるため、また良家の娘でありながら熱心に稽古に励む妙子のために毎日蘆屋に出向いて稽古をつける。また毎日悦子の帰りを待ち侘びていた面白がって自分の名を呼ぶローゼマリーとフリッツの相手をするようになる。
その会のあとで体調を崩し、そのうちにかねてからの持病であった腎臓病を悪化させ、ある娘に名取を出すために紋付を着けて盃事を行った翌日に倒れて入院し、昏睡状態となり逝去する。
死後、大阪三越のホールで、追善の会が催される。
神杉
弁護士の未亡人。山村舞の熱心な支持者
板倉勇作
写真屋。丁稚上がりで、岡山の小作農の倅。板倉写場というスタジオを経営する写真館の主人。もともとは奥畑商店の丁稚で、アメリカへ渡ってロサンゼルスで五、六年写真術を学んだと言っているが、ハリウッドで撮影技師になろうとして機会を掴み損ねたという噂がある。帰朝し、奥畑家から資金を出してもらい、開業後、妙子が自分の制作品の宣伝のための写真を一手に引き受けるようになった。
如才無い男で、薪岡とも親しく交際し、山村舞の披露会の撮影も担当する。
阪神大水害の日は、妙子が洋裁学校を訪れているであろうという当たりをつけて駆け付け、校舎の屋上から玉置女史の家の上で手を振っている女中を見かけ、激流で溺れかけながら救出に向かい、水に浸かっていた妙子、玉置女史、その息子の弘を助け出す。
その後、水害の様子を写真のアルバムを作るため、被災地を歩き回り、薪岡に顔を出す機会が増えると、幸子、雪子、妙子、悦子と懇意になり、海水浴へ連れて行くようになる。
この頃から妙子との関係を奥畑に疑われるようになり、妙子及び彼女の作品の宣伝写真の撮影を禁じられる。
しかし妙子に自分への想いを告白され、躊躇するそぶりを見せながらも、自分は奥畑家には世話になったものの、啓三郎には世話になっておらず、自分と妙子が結婚すれば、啓三郎と妙子の結婚に反対している奥畑家からは感謝されるかもしれないと、その申し込みを承諾する。
妙子に近づくことを禁じられていたにも関わらず、おさく師匠の追善のために大阪三越のホールでの舞の会を訪れ、妙子の撮影をしようとしているのを奥畑に見つけられ、カメラを壊される。
その後、妙子が洋服店開業の談判のために東京へ帰っている間に、中耳炎を悪化させて行った手術で悪性の黴菌が入り、脚を切断する。一時小康状態を取り戻すが、胸部や頭部を病毒に侵され、翌日再び容態が悪化し、苦しみながら死に至る。
里勇
二十三四歳の山村流の舞い手で、おさく師匠から可愛がられている。
玉置女史
妙子の通う本山村野寄にある洋裁学校の教師。妙子よりも七、八歳上。神戸の百貨店の夫人洋服部の顧問をしつつ洋裁学院の経営をしている。学院の隣に住んでいる。パリ留学の経験がある。
工学士で住友伸銅所の技師をしている夫との間に小学生に通う息子の弘がいる。
阪神大水害の日に学校が休みになったため、妙子を誘って自宅でコーヒーを飲んでいる時に水害に遭い、板倉の救助によって九死に一生を得る。
その後フランスへ洋行する計画を立て、妙子のことを連れて行こうとしていたが、情勢の悪くなったヨーロッパ行きを夫が心配し、また水害の程度が予想以上にひどく、洋裁学校の立て直しをしなければならなくなったため、六甲に新しい洋館を手に入れると、すぐに経営に乗り出したくなり、洋行を取りやめにする。
玉置弘
玉置女史の小学生の息子。学校から帰った後、母親と妙子とともに水害に遭い、板倉の救助によって九死に一生を得る。
兼や
玉置女史の女中。阪神大水害の際に玉置家の屋根に上り、妙子を探しに来た板倉を呼び止める。
杉浦医師
本郷西片町の医師。櫛田医師からの紹介を受け、神経衰弱気味であった悦子の診察を行い、心配ないという診断を下す。
別所猪之助
パリに六年間いたことのある洋画家。洋行を行おうとする妙子にフランス語を教える。
与兵の親爺
寿司職人。両国の与兵衛で修行した男で、瀬戸内海で漁れるものであれば何でも握り、関西の溜まり醤油を使わせる上方趣味の鮨を握る。探偵小説の挿絵などにある、矮小な体躯に巨大な木槌頭をした奇形児に似ている。他と同じ速度で食べない客に気を悪くする。
ボッシュ
薪岡家の隣の家に、シュトルツ家が帰国した後に入ったスイス人。名古屋に勤め口があると言われおり、時たま蘆屋に帰ってきて滞在する。非常に病身な神経質な人で、毎夜不眠症に悩まされており、薪岡家の犬の吠え越えや蓄音機の音に苦情を寄せる。本当にスイス人であるかどうかは疑わしく、妻に見える支那人の混血も、妻ではなくかりそめの同棲者であるという噂があり、警察から不審がられている。
水戸ちゃん
猩紅熱に罹った悦子の面倒を見た看護婦。大船の女優水戸光子に似ているので、悦子がそのように呼んでいた。猩紅熱に罹ったことがあるので、免疫があり、悦子の病気を全く恐れず、雪子たちの懸念をよそに病室に入り浸る。
その後赤痢で蒲原病院に移送された妙子の世話をするために、再び薪岡に呼ばれる。
板倉の妹
板倉の中耳炎の手術の失敗後、足の切断が必要になると、満足な体で死なせてやりたいと言う両親を説得させてもらうために、薪岡家に電話をかけ、幸子を呼び出す。
磯貝
板倉の中耳炎の手術を担当した磯貝医院の院長。大酒飲みでアルコール中毒であるため、看護婦からの評判が悪い。板倉の手術を失敗し、自分の病院で死なれては厄介なことになると考え、父母が外科医に引き渡すのを躊躇していたために処置が遅れたということにして外科医の鈴木に板倉を引き渡す。
鈴木
上筒井にある病院の外科医。中耳炎の手術で黴菌の入った板倉を磯貝院長から紹介され、結果については保証ができないという条件で脚を切断する。
菅野やす
大垣在の豪農に縁づいている辰雄の姉。未亡人。
先代まで付き合いのあった沢崎の当主とは会ったこともなかったものの、二十代の妻を探しているということを聞き、三十代でも若く見える雪子との縁談を勧める。雪子に蛍狩りを兼ねて訪れてくるようにと勧め、見合いをさせるものの、その後沢崎から縁談を断るための切り口上な手紙を同封して寄こす。
菅野耕助
菅野の息子。大垣の銀行に勤めている。惣助と勝子の父。雪子と沢崎の見合いの間、妙子と悦子を連れて関ケ原の見学へ連れて行く。
菅野常子
耕助の妻。沢崎との見合いのために大垣を訪れてきた幸子たちを迎える。三十一歳。
菅野惣助
常子の息子。六歳ほど。
菅野勝子
常子の娘。乳飲み子。
沢崎煕
雪子の見合い相手。菅野家がかつて懇意にしていた名古屋の数千万の資産家の当主。早稲田の商科出の四十四、五歳で、死別した前妻は華族の出身。子供が二、三人あり、貴族院議員の父の資産が相当にある。知らないことを聞かれると不機嫌になる癖がある。
先妻の死後、二十代の妻を探している時に、菅野から雪子と会ってみることを勧められ、仲介人を立てずに書面だけで縁談を持ち掛ける。しかしはじめから雪子に興味があって縁談を持ち掛けたわけではなく、見合いが終わると「縁のない」以外に何の理由も書かれていない切口上な手紙で縁談を断る。
三枝
以前雪子が辰雄の斡旋で見合いをしたことのある豊橋の財産家の息子。田舎臭く、知的でない顔つきが嫌われてその縁談を断られていた。その後十年ほど経ち、沢崎との見合いの帰りに東京に帰ろうとしていた雪子と列車の中で偶然顔を合わせ、やはりその辺鄙な駅に住むところへ嫁に行っても幸福にはなれなかったであろうと思われる。
塚田
薪岡の棟梁。幸子たちの両親の法事のあとの宴会に出席する。
橋寺福三郎
雪子の見合い相手。四十五、六歳の立派な風采の人物。道修町の東亜製薬の重役。静岡の名家出身の医学博士。内科を専門としており、ドイツ留学中は胃鏡の使い方を勉強していた。帰郷後今の会社に関係するようになり、周囲の事情により医者を辞めて薬屋に転業した。
妻を亡くしており、十三、四歳になる娘以外に係累がなく、天王寺区烏ヶ辻に、娘と二人でばあやを使って暮らしている。社交的に訓練された人物で、愛嬌があり、酒も飲むことができる。
再婚の踏ん切りがつかない時期に、前妻の友人であった丹生夫人に強引に連れ出されて雪子の紹介を受け、食事会に出席する。死んだ妻や娘の手前、自分から結婚を熱望するわけにもいかず、その後も井谷や丹生夫人に連れられて薪岡を訪れる。やがて時局の影響で不足していた薬の融通の約束を行ったり、自分の娘を薪岡家の人々に会わせたりと、雪子との結婚に前向きな姿勢を見せるようになる。
しかし二人きりになった時の雪子の気まずい態度に自分が嫌われているのではないかと思い始め、それを確かめるために心斎橋での夕食に雪子を誘い出そうと電話をかけたところ、もっともな理由もないままに断られたために憤慨し、縁談を断る。その後、貞之助よりお詫びの手紙を受け取ると、自分は雪子の守るべき純粋さの庇護者になれないと考えたために辞退したのであり、薪岡家の好意には感謝しているという内容の手紙を返し、娘宛のブラウスが幸子から届くと、お返しとして羽二重の胴着を贈る。
橋寺の娘
悦子よりも三歳年上の十四歳で、面長の鼻筋の通った大人びた印象の、橋寺の前妻が非常に美貌であったことを想像させる夕陽丘女学校の女学生。父親と婆やとの三人で暮らしている。父の雪子との縁談の話が進むと、神戸での薪岡家との顔合わせに参加する。
斎藤医師
勘当中の妙子の赤痢を奥畑の家で診察した医師。注射嫌いで、強心剤の使用を躊躇う。妙子の容態から肝臓膿瘍が起きているという見立てを行い、大阪の専門医の受診を勧める。
蒲原医師
阪神の御影町にある外科の蒲原病院の院長。幸子の父親が金銭の援助をしていたことがあり、阪大の学生時代から船場の店や上本町の宅に出入りしていた。
上総の木更津の生まれで、外科手術に天才的な腕を持っていたため、幸子の父に借りた金を数年で返し、その後も割安で船場の店の店員の診察を引き受けていた。奥畑の家で赤痢に罹った妙子を自院の離れに受け入れる。
奥畑の婆や
奥畑啓三郎に忠義を尽くす奥畑家の下女。啓三郎のことを子供の頃から可愛がっており、勘当後も西宮に一緒に住みこんで面倒を見る。啓三郎の名誉を回復させるため、妙子が奥畑の財布を使って贅沢三昧をしていたことをお春に伝え、このことを薪岡に知らせることで、二人の結婚を許してもらおうと試みる。
三好
神戸の湊川に住むバーテンダー。外国汽船のバーテンダーをしていたと言われている。奥畑に自分を諦めさせようとしていた妙子に誘惑され妊娠させる。そのことを知った貞之助の訪問を受け、妙子との結婚を認めることを聞くと、その寛大な処置に感謝して自分の非を謝り、妙子との生活に向けて西洋人向けのバーを経営するつもりであることを打ち明ける。
やがて妙子のお産が重いことの連絡を受けると、神戸の病院に駆け付け、死産となると涙を流す。
その一週間後に退院した妙子とともに兵庫で夫婦暮らしを始める。
御牧広親
御牧実の父。維新の際に功労のあった公家華族の息子で、かつて貴族院の研究会に属して政界で活躍した子爵の位を持つ人物。今では祖先の地である京都の別邸に隠棲している。七十を超えた高齢にしてはしっかりとした、謹厳な印象を与える痩せた面長の老人。
若い頃に財産を分け与えたものの、その後何度から金銭面で泣きつかれた実のことを信用していなかったが、雑誌社「女性日本」の社長である国嶋健蔵から実の縁談に当たって生計を立てることができるように相談を受けると、実の妹に当たる園村家の甲子園の家を買い取って譲渡し、渡月橋のほとりにある別荘の聴雨庵から女中を出すことを決める。
御牧実
藤原氏の血を引く名門の子爵である御牧広親の庶子。祖父の代から東京小石川に本邸を移していたものの、父は京都人、母は深川の生まれであるため、自分には京都人の血と江戸っ子の血が半々に流れていることを自認している。生後間もなく父の側室であった母親を亡くしている。学習院を出た後、東大の理科を中退。フランスへ渡り、パリで絵やフランス料理の研究をしても長くは続かず、その後はアメリカへ渡り、有名ではない大学で航空学を収め、その後もコックやボーイを勤めたり、油絵や建築の設計に手を出しながらメキシコや南米を渡り歩いていた。帰国してから八、九年間は定職はなかったものの、道楽半分で設計した友人の家の評判がよく、西銀座のあるビルの一角に事務所を設け、本職の建築屋になりかけていた。しかし西洋近代趣味で金のかかる物なので、自局の変化に注文が減り、再び遊びながら暮らすようになる。そのために四十五歳になってもアパート暮らしから抜け出せず、財産が底をつきて、何度か父に泣きついたことがある。女性日本社の社長国嶋権蔵の住宅を赤坂南町に建てたことがきっかけで、非常に可愛がられており、会社にも出入りするようになり、そのうちに同じように社長夫婦に可愛がられている光代と仲良くなる。光代との繋がりによって雪子との縁談が持ち上げると、雪子の写真を気に入り、辰雄と雪子や妙子の折り合いがよくないことや、その理由について知っても気にする様子はなく、すぐに結婚の算段を立てはじめる。
雪子が関西に住めないのではないかと憂慮されたが、近頃になって祖先の地である京都に対してノスタルジーを感じるようになり、日本固有の建築を研究したいという考えを起こすようになったため、結婚後は東京よりも阪神地方に住むことを希望する。このような条件が貞之助や幸子に雪子の結婚相手として適任であると思われ、結婚を望まれるようになる。
薪岡家との対面を果たすと、話し上手なところを発揮し、悦子に非常に気に入られる。結納が終わると、住居は甲子園の家を父親が買い取ったものを譲り受け、また国嶋氏の斡旋で、尼崎の郊外にできる東亜飛行機製作所の工場への就職が決まる。
井谷光代
井谷の娘。雑誌「女性日本」の記者。神戸の県立第一高女卒。母親に似て早口に捲し立てる小柄な娘。
御牧実を母に紹介する。博打の才があり、一、二晩徹夜をしても昼間は平気で出勤し、人一倍活躍することができたため、国嶋社長夫婦に可愛がられている。国嶋社長に誘われて、徹夜で賭け事を行ううちに懇意になった御牧実を母に紹介する。
渡米する母親の東京滞在に合わせて御牧と見合いをすることになった雪子を迎え、京都の嵐山で行われた薪岡と御牧の顔合わせにも参加。以来、東京と蘆屋を往復しながら国嶋夫妻とともに二人の縁談のために奔走し、結納と挙式の日程を調整する。
国嶋権蔵
雑誌社「女性日本」の社長。赤坂南町にある自宅を建てさせたことがきっかけで、御牧実と懇意になり、妻や井谷光代とともに徹夜で花合わせ、ブリッジ、麻雀をすることがあった。
御牧に妻をもらうことを勧めており、もし所帯をもったならば、父の子爵を説き伏せて、新たに生計を立てていけるように取り計らうことを約束していた。
井谷の紹介により、御牧が雪子と見合いをすることになると、結婚後の財政的な心配について、自分に一任してほしいと貞之助に語り、京都の嵐山で行われた薪岡家と御牧家の顔合わせに参加。以来、実と雪子の縁談のために手を尽くし、妻の肺炎のために一時延期にしながらも、二人の結納までを取り纏める。
ヘニング夫人
ドイツ人ヘニング氏の妻となっている日本人。
シュトルツ夫人によって幸子に紹介され、以来、幸子からシュトルツ家へ送られる手紙の翻訳を引き受け、娘フリーデルに行わせる。
娘フリーデルの舞踊研究のためのヨーロッパ行きを許可し、その際にハンブルクにいるシュトルツ一家への伝言を託すよう、幸子に勧める。
フリーデル・ヘニング
日本に滞在するドイツ人のヘニング夫人の娘。舞踊研究のためにドイツ行きを希望し、父に伴われてベルリンに行く。その際に幸子のシュトルツ夫人への手紙と、ローゼマリーに見立てた真珠の指輪を託される。ロシア経由でドイツに着き、日本で知り合った六十三歳の老人の家に寄宿するようになる。ベルリンでは、ロシアバレーの学校に入学する。ローゼマリー宛の真珠の指輪は、ハンブルクに住んでいる父の友人に託す。
御牧の妹
大阪の紬商園村家に嫁いでいる。