イワン・ツルゲーネフ『はつ恋』の登場人物、あらすじ、感想

イワン・ツルゲーネフ『はつ恋』の登場人物、あらすじを紹介するページです。作品の概要と管理人の感想も。

『はつ恋』の主な登場人物

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ヴラジーミル・ペトローヴィチ
主人公。十六歳の頃にモスクワの別荘で経験した初恋の話を、友人に向けて読み聞かせる。

ジナイーダ・アレクサンドロヴナ
ヴラジーミルの家族の別荘のはなれに引っ越してきた娘。ヴラジーミルと出会った時の年齢は二十一歳。

ヴラジーミルの父(ピョートル・ヴァシーリエヴィチ)
美男であるが、家庭を顧みる事は少ない。ヴラジーミルからは男性の典型として尊敬を受けている。

ヴラジーミルの母
十歳年下の夫と結婚し、嫉妬の感情を頻繁に抱いている。

ザセーキナ公爵夫人
ジナイーダの母。器量が悪く卑しい貴族。

ベロヴズーロフ
ジナイーダの崇拝者の一人。軽騎兵。

マレーフスキイ伯爵
ジナイーダの崇拝者の一人。狡猾な美男子。

ニルマーツキイ
ジナイーダの崇拝者の一人。四十がらみのあばた面。

マイダーノフ
ジナイーダの崇拝者の一人。詩人。

ルーシン
ジナイーダの崇拝者の一人。医者。

『はつ恋』のあらすじ

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※ネタバレ内容を含みます。

 白髪の混じる四十がらみの男、ヴラジーミル・ペトローヴィチは、自身が経験した世間並とは言えない初恋の話を、友人に向って読み聞かせました。

 それは、ヴラジーミルが十六歳の頃、両親とともにモスクワの別荘に移り住み、気ままに過ごしていた時のことでした。
 両親は彼を放任していました。父親は冷淡でしたが、そこに男性らしさを感じていたヴラジーミルは、却ってその父親のことを尊敬していました。母親は、家庭を顧みない夫に焼きもちを焼き、ヴラジーミルに対しても、小言や不満の矛先を向けることがしばしばありました。
 その別荘の貸家として使っている離れ屋に、ジナイーダという二十一歳の娘が、母親と共に引っ越してきました。
 その家には、ジナイーダに恋心を抱く数人の男が常に出入りしており、しばしば饗宴が催されました。ジナイーダは、自分を崇拝する男たちに、希望と絶望を交互に与えて翻弄することを心から楽しんでいる様子でした。
 ヴラジーミルは、その魅惑的なジナイーダを一目見るなり恋に落ち、家に招かれて他の男たちと共に踊り騒ぐと、すっかり彼女の虜となってしまいました。
 ジナイーダのことしか考えられなくなったヴラジーミルは、毎日のように彼女の家に通い詰めました。

 三週間ほど経ったころ、ジナイーダの態度に、それまでとは異なったところが見受けられるようになりました。彼女は一人で過ごすことが多くなり、厭世的な言動が目立つようになりました。ヴラジーミルに対しては、数日間相手にしないかと思うと、熱烈に愛しているような素振りを見せたりして、不可解な行動をとることが多くなりました。そのような彼女の行動に、ヴラジーミルは更に翻弄され、恋愛の深みにはまり込んで行きました。それと共に、彼女が恋をしているのではないかと考えるようになりましたが、誰が彼女の意中の人物であるのかはわかりませんでした。
 ジナイーダへの想いを募らせ、誰が彼女の意中の男なのかを突き止めようとしたヴラジーミルは、夜の暗闇に紛れて庭に出て、彼女の家を見張ることにしました。ジナイーダの家へと続く路を通る者が現れました。それはヴラジーミルの父親でした。

 父親とジナイーダが通じ合っていることを知ったヴラジーミルでしたが、その翌日からもジナイーダの家へ通い、苦しみを味わい、その苦しみに身を任せることに快感を覚えるようになっていきました。しかし、父親の不倫を告発する無名の手紙(ジナイーダの崇拝者のうちの一人が送ったものだと後に判明)が届いたことにより、両親の間で諍いが置き、一家は別荘を引き払うことになりました。
 一生涯ジナイーダを愛し続けると伝え、長い別れのキスを与えられたヴラジーミルは、町へと引き上げてからも、しばらくは失恋の痛みを感じ続けました。

 ある日、馬に乗って出かける父に同行を許可されたヴラジーミルは、父親の後をついて行きました。馬を降りたところで待たされていたヴラジーミルでしたが、その付近を歩くと、父親とジナイーダがある家の中で会っているところを偶然目にしてしまいました。父親は激情の発作にかられ、ジナイーダの差し出した腕を鞭で叩き、ジナイーダはその赤くなった傷口に唇を押し当てました。その光景を見て混乱したヴラジーミルは、なぜジナイーダが父親の鞭にも従順であったのかを考え、「これが恋なのだ」という結論を導き出しました。

 その後、一家はペテルブルクへと移ると、間もなく父は脳溢血で死にました。死の数日前、父は泣きながら母に懇願し、ジナイーダのために金を送らせ、ヴラジーミルには『女の愛を恐れよ。かの幸を、かの毒を恐れよ』という手紙を残しました。

 その四年後、ヴラジーミルは、ジナイーダが結婚してペテルブルクにいることを知りました。すぐに彼女の宿を訪ねることができず、二週間後になってから訪ねると、ジナイーダはその数日前に急死していました。ヴラジーミルはすぐに彼女に会いに行かなかったことを後悔するとともに、自分の青春が終わりを告げたことを悟りました。

 その四日後、ヴラジーミルは、ある貧しい老婆の臨終に立ち会いました。苦しみ抜いて死んでいく老婆の姿を目の当たりにした彼は、ジナイーダの身になってそら恐ろしくなり、彼女のためにも、父のためにも、そして自分自身のためにも、祈りたくなりました。

作品の概要と管理人の感想

 『はつ恋』(または『初恋』)は、一八六〇年に発表された、イワン・ツルゲーネフの代表作の一つです。ツルゲーネフは、一時夢中になった隣人の女性が、自分の父親の情婦であったという経験をしたことがあり、その時の体験をもとに書かれた自叙伝的な作品と言われています。父親と同じ女性に恋をするという不道徳な主題を批判されることも多かったようですが、フランスの小説家フローベールは、この作品のヒロインであるジナイーダのことを激賞する手紙を、ツルゲーネフに残しています。
 この作品は、主人公であるヴラジーミルがしばしば口にする「これが恋なのだ」という言葉の長い注釈と言っても過言ではないと思います。実際、この作品は、ヴラジーミルのジナイーダに対する恋、ジナイーダからヴラジーミルの父親に対する恋を中心として、様々な恋の形が描かれています。

 ヴラジーミルからのジナイーダに対する恋は、「はつ恋」らしく、身を焦がすような恋です。彼はジナイーダの家で行われた饗宴で酔ったように恋に落ち、その後は勉強も読書もやめてジナイーダのことを考え続けます。その一方で、ヴラジーミルの恋は、非常に熱烈でありながらも、恋の辛さに身を任せることに喜びを感じるという側面も持ち合わせています。

彼女の前へ出ると、まるで火に焼かれるような思いがするのだったが……わたしを燃やし熔かしてゆくその火が、いったいどういう火かということを、別に突き止めたいとも思わなかったのは、ただそうして熔けて燃えてゆくのが、わたしにはなんとも言えずいい気持だったからである。

『はつ恋』より

 このような文章からもわかるように、彼には恋に恋しているかのような、自分の恋している姿に酔っているかのような姿が散見されます。

 その他のジナイーダの崇拝者たちも、それぞれ違った恋の形というものを見せてくれます。

 ジナイーダのためなら火の中にも飛び込みかねないと形容される男ベロヴゾーロフは、常に周りの男に嫉妬し、苛々しています。彼の想いは激しく、しょっちゅうジナイーダに結婚を申し込んでいます。

 ジナイーダの詩的な部分を受け持っているマイダーノフは冷たい人間で、彼の想いは、「自分がジナイーダを崇拝しているものと、遮二無二(しゃにむに)相手に思い込ませようとしていたのみか、どうやら自分でも、そう思い込もうとしているらしかった。」と表現されます。

 ルーシンは理性的にジナイーダを愛しています。彼はジナイーダの周りにはびこる空気が、人を惑わす危険なものであるということを知っていて、どうしようもなく惹きつけられながらも、距離をとろうと努めている様子です。

 美男子マレーフスキイは、ジナイーダを手に入れるために様々な策を弄す、ずる賢い男です。しかしどこか詰めが甘く、結局その性格が災いして、彼はジナイーダからの信頼をなくします。
(ニルマーツキイに関しては、その人物像がよくつかめません。)

 彼らはそれなりにジナイーダを激しく愛しているようでもありますが、周りの男への嫉妬に気を取られていたり、恋に恋しているだけのようであったり、飛び込んでいくのを恐れているようであったりと、どこか身勝手で独りよがりな恋という印象をぬぐいされません。

 一方、ジナイーダからヴラジーミルの父親に向けられた恋は、物語が進むにつれて少しづつ明らかになっていくものですが、自分の身を全て捧げてもいいと思えるような、激しく献身的なものです。
 もともとジナイーダは、数々の男たちを自分の周囲に侍らせて、彼らを翻弄することに楽しみを覚える高飛車な女として描かれています。しかし、ヴラジーミルの父親に恋をするようになった途端、「世界の涯(はて)へと行ってしまいたい」と悲嘆にくれ、一人で過ごしては涙を流し、父親の面影のあるヴラジーミルの愛を試します。ヴラジーミルの一家が町へ引き揚げても、その後を追って逢瀬を繰り返し、鞭で打たれてもその赤くなった跡に接吻します。

 その光景を見たヴラジーミルは、「これが恋なのだ」と悟ります。自らジナイーダに夢中になり、また他の男たちがジナイーダの虜になっているのを見てきたにもかかわらず、本物の「恋」というものの壮絶さを、初めて彼は知るのです。
 それと同時に、自分のジナイーダへの想いも、他の崇拝者たちの想いも、恋と呼ぶには浅はかなものだったのだとヴラジーミルは感じたのかもしれません。

 「恋とは何なのか」というのは、何世紀もの間、常に文学作品で取り上げられ続けてきた難しい命題です。この『はつ恋』は、ジナイーダを中心とした各々の恋が描かれるとともに、この難しい命題に真っ向から挑戦し、その答えのうちの一つを導き出している小説だと思います。