太宰治『トカトントン』登場人物、あらすじ、感想

 『トカトントン』は一九四七年に出版された太宰治の短編小説です。太宰治がもらったファンレターからヒントを得て書いた作品です。
 この作品は、ある青年が、愛読している作家に出した手紙という体裁になっています。青年は自分の苦悩を作家に相談します。何かに熱中し、その感動がピークに達しようとするその時に、いつも「トカトントン」という金づちのような音が聞こえてくるのです。そしてその「トカトントン」を聞いてしまうと、その青年は今まで熱中していたことがどうでもよくなって投げ出してしまうようです。青年は、この音は何なのか、そしてどうすればこの音から逃れられるのかを作家に聞きます。これに対して、作家は面白い返答をします。
 太宰治の作品としては珍しい、シュールな内容になっています。

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ヴィヨンの妻 (新潮文庫)

『トカトントン』登場人物


二十六歳になる青森市寺町にある花屋の次男。軍務経験の後、実家のある青森に戻り、三等郵便局に勤める。

あなた
私が愛読する、無学無思想の作家。

『トカトントン』あらすじ

※ネタバレです

「拝啓
一つだけ教えてください。困っているのです。」
とその書簡は始まります。

 私は二十六歳になる青森市寺町にある花屋の次男です。青森の中学を出て、横浜の軍需工場の事務員で三年過ごし、その後軍隊で四年過ごして、無条件降伏と同時に青森の焼け跡に戻ってきました。

 それからは、父と兄と青森市から二里ほど離れた海岸の部落に住み、この土地の三等郵便局に勤めています。ここの局長は死んだ母の兄にあたります。私はここに勤めてから一年になりますが、日増しに自分がくだらないものになっていくような気がして困っているのです。

 私はあなたの小説を、横浜の軍需工場にいるときに読み始めました。いろいろあなたの小説を読んでいくうちに、あなたが中学時代に青森市の寺町の呉服屋の宅にいたことを知り、胸の潰れる思いをしました。
 戦争中も千葉の海岸の防備に回されて、穴掘りばかりしていましたが、休暇があると街に出て、あなたの作品を探して読みました。何度もあなたに手紙を書こうと思いましたが、ペンを手に取ると何を書いていいかわからず、ひとりで当惑するばかりでした。
 終戦になり、青森に戻ると、あなたが金木町にいることを知り、再び胸が潰れる思いになりました。

 この手紙には用事があるので、途方にくれることなく書くことができます。私は困っているのです。

 終戦の日、私たちは兵舎の前で整列させられて、天皇陛下のラジオの声を聞きました。若い中尉が、まだ抗戦を続けて自決する覚悟を話します。私は死のうと思いました。その時、兵舎の背後の方から金槌のようなトカトントンという音が聞こえてきたのです。それにより、私の悲愴や厳粛は消え去り、白々しい気持ちになり、なんの感慨も起こらなくなりました。

 それ以来、物事に感激し、奮い立とうとするとそのトカトントンという音が聞こえてきて、なんともはかない、ばからしい気持ちになるようになりました。
私がこの郵便局に来て、小説を書いてあなたに読んでもらおうと、努力して百枚くらい書きすすめ、いよいよ完成するというときに、トカトントンが聴こえてきました。すると自分の書いたものがばかばかしく感じられるようになり、それ以来その原稿を毎日鼻紙に使いました。

 それから時々明治大正の傑作小説を読んだり、尾形光琳や尾形乾山の絵を見て感心するうちに、私の精神生活は息を吹き返しました。そして自分に出来る精一杯のことである郵便局員の仕事に精進しました。円貨の切り替えがあり、郵便局は大忙しでした。私は半狂乱のように働きましたが、いよいよ切り替えの騒ぎも今日でおしまいという日にトカトントンという音が聞こえ、私は仕事を休みました。そして次の日も朝寝坊をして、大抵の仕事を女の局員に任せていました。

 それから私は、この部落にある宿の女中に恋をしました。局長であった私の叔父はその女中と懇意で、くだらない冗談を言う仲でした。その女中は時田花江という名でした。花江さんは旅館のおかみさんの遠い親戚で、宮城のほうで戦災に会ってこの土地にやってきたようで、身持ちが悪く、まだ若いのに凄腕だと噂されていました。実際に週に一度は二百円や三百円のほどの貯金をしにきていました。花江さんが局に来ると、私は苦しさを感じるようになりました。
 ある日、花江さんがいつものように窓口に現れてお金を差し出すと、暇があれば五時ごろ橋のところにいらしてくださいと言いました。
 橋のたもとで花江さんに会うと、私たちは海へ向かいました。花江さんは自分がなぜあのような額を毎週貯金しに来るのか私に伝えました。あのお金はおかみさんのものだったのです。おかみさんは複雑な事情でお金を貯めているようでしたが、それを内緒にして花江さんが貯金をしに来ていました。そのため、花江さんは疑われて苦しんでいるようでした。花江さんは私にだけは誤解されたくないと、それを打ち明けにきたのです。私は花江さんとならどんな苦労をしてもいいと思いました。
 しかしそのときトカトントンという音が聞こえてきました。私はそのことを誰にも言わないと約束すると、ばかばかしくなり「それじゃ、失敬」と言って立ち去りました。

 六月になると、私は用事があって青森に行き、労働者のデモを見ました。それまで私は政治には全く興味がありませんでした。しかしデモに参加している人々の溌剌とした様子を見て、涙を流して感動しました。しかしまたトカトントンという幻聴が来て、それきりになりました。
 夏になり、このAの郵便局が中継所になる駅伝競走で、真っ青になって中継所にくる選手を見て私は感激します。私は局員を相手にキャッチボールを始め、へとへとになるまで続け、爽やかさを感じると、トカトントンが聴こえました。その音は虚無(ニヒル)の情熱をすら打ち倒すのです。
 それからはことあるごとにその音が聞こえるようになりました。この音はなんでしょう。そしてこれからのがれる手はあるのでしょうか。
 この手紙を書くときにもトカトントンが聴こえ、この手紙を書くつまらなさに襲われながら、我慢してこれだけを書きました。あまりにつまらないので嘘ばかり書きました。花江さんなどという女も本当はいません。しかしトカトントンだけは嘘ではありません。

 この手紙を受け取った某作家は返答を与えました。

 作家はこの苦悩を「気取った苦悩」と評し、あまり同情はしないと言います。
 そして「私」がいかなる弁明も成立しない醜態を避けていると分析し、「身を殺して霊魂(たましい)をころし得ぬ者どもを懼るな、身と霊魂とをゲヘナにて滅し得る者をおそれよ」とマタイ伝を引用して、このイエスの言葉に霹靂を感じることができたら、その幻聴は止むはずだ、と書いてきました。

管理人の感想

 この手紙を受け取った無学無思想の作家は、まずこの苦悩を「気取った苦悩」と評し、「あまり同情してはいない」と言います。
 この作家は「私」が醜態をさらすことを避けているのだと言います。つまり熱情が頂点に達して、我を忘れるようになる前に、トカトントンという幻聴を生み出してブレーキをかけているというのです。
 そして作家は、本物の熱情を経験するためには、叡智よりも勇気が必要であると説き、「身を殺して霊魂(たましい)をころし得ぬ者どもを懼るな、身と霊魂とをゲヘナにて滅し得る者をおそれよ」とマタイ伝の言葉を引用します。
 これは、肉体の死を恐れるのではなく、ゲヘナ(=地獄)において自分の魂までをも滅ぼすことのできる存在(=神)を畏敬せよということです。
 真の熱情を経験するためには、ひとつ踏み出すための勇気が必要なのだ、とこの作家は言いたかったのでしょう。要するに「感情の高ぶりに我を忘れることを恐れるな」という意味合いでしょうか。
 作家の人物像について、この作品では描かれていないので、どのような意図でこの返答をしたのかはわかりません。しかしこの作家の言葉は、ある意味、的を得ているようでもあり、わざと「私」のことを煙に巻いているようでもあり、なかなか面白い回答になっています。
 この返答をもらった青年は、更に苦悩の迷路のようなものにはまってしまうのではないかとも思ってしまいます。カフカ的な不条理をも感じさせられる、面白い作品だと思います。