『デイヴィッド・コパフィールド』(David Copperfield)は、一八五〇年に発表されたチャールズ・ディケンズ(一八一二年~一八七〇年)最大の長編小説です。
イギリスのポーツマス出身の作家ディケンズは、金銭感覚に乏しい両親の子供として生まれたため若い頃から工場で働かざるを得ず、正式な教育を受けることができませんでした。それにも関わらず、彼は『クリスマス・カロル』、『二都物語』、『オリヴァー・ツウィスト』などの名作を生み出し、今日にいたるまでイギリスの国民的作家として高い人気を博しています。
『デイヴィッド・コパフィールド』は、ディケンズの自伝的作品で、多作であった彼が特に気に入っていた作品と言われています。冒頭の前書きの中で、ディケンズはこの作品について以下のように語っています。
本書が、小生の全著作の中で一番気に入っています。小生は、自分の想像力が生んだどの子供たちにも甘い親であり、小生をおいてそういう家族のことを心から大切に思える人間は他にはいないということは、容易に納得していただけるのではないでしょうか。それでも子供に甘い多くの親の例に漏れず、小生にも心ひそかに可愛い子というものがあります。その子の名前はデイヴィッド・コパフィールドです。
『デイヴィッド・コパフィールド』岩波文庫 石塚裕子訳
特徴的な登場人物に、綿密に計算されたストーリー展開は、長大な作品であるにも関わらず、全く飽きさせることがありません。同じイギリス出身の文豪サマセット・モームによる『世界の十大小説』にも選ばれている作品です。
※ネタバレ内容を含みます。
『デイヴィッド・コパフィールド』の登場人物
『デイヴィッド・コパフィールド』のあらすじ
父親の死後に生まれたデイヴィッド・コパフィールドは、母親のクレアラと、手伝い娘のペゴティーに育てられ、幸せな幼少期を送っていました。しかし、クレアラが再婚すると、その再婚相手のミスター・マードストンは、デイヴィッドに虐待ともとれる厳しすぎる教育を授けました。デイヴィッドはミスター・マードストンに反抗したのをきっかけに、寄宿制の学校セーラム学園に入学させられ、母親と離れ離れになりました。セーラム学園では、デイヴィッドはハンサムで物知りな上級生スティアフォースや、しょっちゅう校長先生に鞭で打たれている同級生のトラドルズといった友達に出会いました。
また、デイヴィッドはこの時期に、ペゴティーの兄のダニエル・ペゴティー、甥のハム・ペゴティー、姪のエミリーを知り、エミリーに恋心を抱きました。
学生生活を送っていたデイヴィッドに、クレアラが死去したという報せが届きます。悲嘆にくれるデイヴィッドは、ミスター・マードストンが株を持つ「マードストン=グリンビー商会」で、ワインの壜詰の仕事をさせられることになりました。
「マードストン=グリンビー商会」で働くデイヴィッドの下宿を提供したミスター・ミコーバーは、何度も借金を作り、その度に破産している人物でした。ミスター・ミコーバーが債務者監獄に入ると、デイヴィッドもまたミコーバーの家族と共に監獄で暮らすことになりますが、ミスター・ミコーバーが釈放されて去っていくと、孤独を感じるようになりました。そしてこの惨めな生活から抜け出すために、彼は唯一の親戚であった大叔母のベッツィー・トロットウッドを訪ねました。
母親のクレアラから恐ろしい噂を聞いていたので、デイヴィッドはベッツィーを恐れていましたが、ぼろぼろになりながら自分を訪ねてきたデイヴィッドに、ベッツィーは優しく接しました。デイヴィッドは、ベッツィーによってカンタベリーの新しい学校に入れられ、法律事務所を営むミスター・ウィックフィールドの家に住居の提供を受け、その娘のアグネスや、使用人のユライア・ヒープを知ることになりました。デイヴィッドはアグネスとは親しくなり、彼女を本物の姉のように慕いました。
やがて学校を卒業したデイヴィッドは、ベッツィーの手ほどきで、ロンドンにあるミスター・スペンロウが経営する法律事務所に入り、ミスター・スペンロウの娘のドーラに一目惚れをして婚約します。そして彼はミスター・スペンロウの死やベッツィーの破産という苦難を乗り越え、速記の記者になる努力を重ねた結果、作家として身を立てられるようになり、ドーラとの結婚にこぎつけます。
その後、ユライア・ヒープに雇われていたミスター・ミコーバーが、ヒープの悪事を告発するのを見届けたデイヴィッドは、ヒープに支配されそうになっていたミスター・ウィックフィールドとアグネスを助けます。
ドーラの死、ハムの死、エミリーと駆け落ちしたスティアフォースの死、ミスター・ペゴティー、エミリー、ミコーバー一家のオーストラリアへの旅立ちを経験したデイヴィッドは、孤独を深めると、海外への旅に出ました。そして三年間の旅の間に、アグネスへの愛に気づき、帰国します。
管理人の感想
『デイヴィッド・コパフィールド』は、小説の魅力を全て兼ね備えている作品と言っても過言ではないと思います。
まずこの作品を語る上で欠かせないのが、個性的で魅力的な登場人物の数々でしょう。恐れられながらも実は優しい性格で、デイヴィッドに生きる指針を与えるベッツィー・トロットウッド、ハンサムで物知り、おまけに社交性抜群でデイヴィッドの憧れになるも、内面は傲慢で、他人を巻き込んでいく深い業のようなものを持つスティアフォース、常に周りのことを考え、デイヴィッドに生きる規範を示すミスター・ペゴティー、金銭感覚に乏しく、度重なる破産をしてもどこか楽天的なミスター・ミコーバー、卑しい身分で常に卑屈な態度をとっていても、内心は上流階級への憎悪で満たされ、悪巧みを働くユライア・ヒープ、その愛らしさでデイヴィッドを魅了し続けたドーラ、そして優しく深い愛でデイヴィッドを正しい方向へ導いていくアグネスなど、バラエティーに富んだ彼らの個性は、枚挙にいとまがありません。身の回りの誰かが、この作品の中の誰かに、やや大げさに表現されている、なんてことを感じる人も多いのではないでしょうか。
ちなみに、このようにデフォルメされた登場人物が大活躍する文学作品を生んだイギリスに対し、フランスでは、自然主義文学がまさに花開こうとする時代でした。自然主義文学の代表作であるフローベールの『ボヴァリー夫人』が生まれたのが、この『デイヴィッド・コパフィールド』が出版されてから、わずか七年後の一八五七年ということですから、これは面白い対比であると思います。
このような登場人物たちに囲まれて成長していくデイヴィッドは、生まれる前に父親を亡くし、その後現れた義理の父親マードストンに虐待されながらも、持ち前の行動力と頭の良さで、自分の運命を切り開いていきます。それと同時に、彼は感受性豊かで優しい心根を持ち、常に周りの人々への感謝を忘れません。ときに過ちを犯すこともありますが、他の登場人物からも読者からも愛される主人公という、小説の魅力を引き立てる役割を、デイヴィッドはしっかりと全うしています。
また、長大な小説であるにもかかわらず、ありとあらゆる場面に、その他の場面へとつながる伏線が張り巡らされ、それらがすべて回収されます。登場人物たちは複雑に絡み合い、出会い、別れを繰り返します。長大な小説ゆえに、なかなかすべてを把握し続けるのは困難ですが、その分しっかりと読めば読むほど、このストーリー展開には舌を巻かずにはいられません。
最後に、さまざまな紆余曲折を経て、デイヴィッドがアグネスと結婚するというのは、なんと爽やかな感動を与えてくれることでしょう。幼馴染とのハッピーエンドという、鉄板とも言える内容ですが、「奇をてらう」ことなく、読者が求めていることにしっかりと応えてくれています。あたりまえのようで、ディケンズの手腕が発揮されている結末と言えるでしょう。
やや大げさにデフォルメされた魅力的な主人公と名脇役たち、綿密に計算されたストーリー構成、そして期待通りのハッピーエンドと、小説を楽しむための要素がぎゅっとつまったこの『デイヴィッド・コパフィールド』は、何日も(時には何ヶ月も)かけて読み耽るための作品で、そのようにじっくりと読めば読むほど、上に挙げたような魅力が理解できるようになるでしょう。読破して得られる感動や達成感も与えてくれる作品だと思います。