ウクライナ生まれの作家ニコライ・ゴーゴリ(1809年〜1852年)の代表作の一つである『鼻』(ロシア語:Нос)は、1836年に発表されました。
ペテルブルクに住む八等官コワリョーフの鼻が、ある日突然なくなる物語です。その鼻は、コワリョーフの髭をいつも剃っているイワン・ヤーコウレヴィッチの食卓のパンの中から出てくるというばかりか、五等官の格好をしてコワリョーフの前に現れ、元に戻るのを嫌がって、リトアニアのリガに逃走を企てるという、なんとも奇妙な作品になっています。
シュールレアリズム、不合理など、二十世紀になってから確立されるテーマを、十九世紀の前半にいち早く扱ったゴーゴリの作品は、その後のロシアの作家たちに大きな影響を与えました。日本においても、芥川龍之介がこの作品に影響されたと思われる同名の短編『鼻』を執筆しています。
このページでは『鼻』の登場人物、あらすじ、感想を紹介します。
『鼻』の登場人物
イワン・ヤーコウレヴィッチ
ペテルブルクのウォズネセンスキイ通りに住む酒飲みの理髪師。妻が焼いたパンの中に、コワリョーフの鼻を発見し、警察に嫌疑をかけられるのを恐れてネワ河に投げ捨てようとしたところを巡査に見られて拘留される。
コワリョーフに鼻が戻ると、いつものように髭を剃るが、鼻を摘もうとしたために怒られる。
プラスコーヴィヤ・オーシポヴナ
イワン・ヤーコウレヴィッチの妻。自分の焼いたパンに入っていた鼻をイワン・ヤーコウレヴィッチが持っているのを見て、どこから持ってきたのかと小言を言う。
コワリョーフ
八等官。毎週水曜日にイワン・ヤーコウレヴィッチのところへ髭を剃りに行く。美しい娘によく声をかけ、家に呼ぼうとする。ポドトチナの娘に気を持たせながらも、嫁にもらうことをしぶっている。ある朝起きてみると自分の鼻がなくなっていることに気づく。自分の鼻が五等官になってカザンスキイ大伽藍の中で祈祷しているのを見つけるが、美しい娘に見とれている間に逃げられてしまう。その後新聞に広告を出そうとしたり、自分が娘をもらいたがらないポドトチナの仕業ではないかと思ったりしながら鼻の行方を捜す。巡査が鼻を持ってきても自分の顔にくっつかなかったが、唐突に鼻が元に戻ると、上機嫌になって美しい娘を追いかけ回す。
ポドトチナ
左官夫人。自分の娘をコワリョーフと結婚させたがっている。
『鼻』のあらすじ
三月二十五日、理髪師のイワン・ヤーコウレヴィッチは、妻のプラスコーヴィヤ・オーシポヴナが焼いたパンの中に、鼻が入っているのを発見しました。彼はその鼻が毎週水曜日に顔を剃りにくる八等官コワリョーフ氏のものであることに気がつきましたが、警察にその鼻が見つけられて逮捕されるのではないかと思い始め、ネワ河へそれを投げ込みました。しかし、その行為は巡査に見られており、 三月二十五日、理髪師のイワン・ヤーコウレヴィッチは、妻のプラスコーヴィヤ・オーシポヴナが焼いたパンの中に、鼻が入っているのを発見しました。彼はその鼻が毎週水曜日に顔を剃りにくる八等官コワリョーフ氏のものであることに気がつきましたが、警察にその鼻が見つけられて逮捕されるのではないかと思い始め、ネワ河へそれを投げ込みました。しかし、その行為は巡査に見られており、イワン・ヤーコウレヴィッチは連行されてしまいました。
一方、八等官のコワリョーフは目を覚まし、自分の鼻がなくなっていることに気がつきました。彼は通りへ出ると、ある家の前につけた馬車から、礼服をつけた自分の鼻が出てくるのを見つけました。
コワリョーフは鼻に話しかけましたが、美しい娘を見とれているあいだに逃げられてしまいました。
次にコワリョーフは、鼻を探すため、新聞に鼻の特徴を書いた広告をだす手続きをしようとしました。しかし、そのような荒唐無稽な広告を載せるわけにはいかないと、断られてしまいました。
コワリョーフは左官夫人ポドトチナが原因ではないかと思い当たりました。ポドトチナは、コワリョーフに自分の娘を嫁がせたがっていましたが、コワリョーフが貰うことをしぶっているので、魔法使いでも雇ったに違いないと思ったのです。
そこへ、イワン・ヤーコウレヴィッチが橋から鼻を投げ捨てた時に、橋のたもとに立っていた巡査が訪れ、コワリョーフの鼻を持ってきました。鼻は偽物の旅券を使ってリガへと逃げようとしていたところを取り押さえられたようでした。イワン・ヤーコウレヴィッチはその共犯者で、いまは留置所に入っているようです。
コワリョーフは喜びましたが、その鼻を顔にあてがっても、くっつきませんでした。
彼は医者を呼び、鼻をつけてくれと頼みました。医者は、鼻をくっつけることはできるが、自然の成り行きに任せるのが一番だと言い張り、鼻をアルコール漬けにしておけば、金儲けができるなどと言うと、そのまま部屋を出て行ってしまいました。
その翌日、コワリョーフはポドトチナに手紙を書き、魔法使いを雇って自分の鼻を外したのであれば、すぐに治さないと法的な手段にでると訴えました。しかし、ポドトチナはコワリョーフの鼻がなくなったことは全く知らないようでした。
そのうちに、コワリョーフの鼻が、毎日三時にネフスキイ通りを散歩するという噂がたちました。
四月七日、突如としてコワリョーフの鼻が戻りました。コワリョーフが喜んでいると、理髪師のイワン・ヤーコウレヴィッチが髭を剃るためにやって来ました。イワン・ヤーコウレヴィッチが髭を剃るために鼻を摘むとコワリョーフは怒鳴りつけました。
それからコワリョーフはいつでも上機嫌で、美しい女を追いかけ回していました。
ペテルブルクに起きた事件は、このようなものでしたが、この小説に書かれた奇怪なこと、そして何よりもこのような題材を作者がとりあげたことは、全く不可解で、どうしてもさっぱりわかりません。しかし、不合理というものはどこにもあり勝ちなことなので、このような出来事も、稀にあることはあり得るのです。
管理人の感想
この作品はコワリョーフの鼻が不意になくなり、もとの主人から独立した人生を送りたがるという不合理が描かれています。鼻がなくなるということ自体、奇妙な設定ですが、さらにその鼻がコワリョーフの髭を剃っている理髪師の食卓に供されたパンの中から出現し、挙げ句の果てには五等官の格好をしてリトアニアへ逃亡を企てるという、まるで夢の中の出来事が描かれたかのような作品となっています。
その鼻の行方を捜し、四苦八苦するコワリョーフですが、鼻がまた再び不意に戻ってくると、上機嫌になって女性を追いかけ回します。彼は不合理の世界から抜け出したようにも見えますが、ゴーゴリは、そもそもの始めから、この世界が真実とはかけ離れたものであると語ります。新聞に広告がだせる訳がないとコワリョーフが気づかなかったことや、その妻が鼻を発見しても、どこから削ぎ取ってきた鼻なのかとなじるだけであったこと、鼻が見つかっても、医者はそれを元に戻さずに見世物にすることを勧めたことなど、全てがどこか違う世界で起こった話のようです。
そしてこの小説はこのように結ばれます。
何より奇怪で、何より不思議なのは、世の作者たちがこんなあられもない題材をよくも取りあげるということである。正直なところ、これはまったく不可解なことで、いわばちょうど‥‥いや、どうしても、さっぱりわからない。第一こんなことを幾ら書いても、国家の利益には少しもならず、第二に‥‥いや、第二にもやはり利益にはならない。まったく何が何だか、さっぱりわたしにはわからない‥‥。
『外套・鼻』ゴーゴリ、平井肇訳
だが、まあ、それはそうとして、それもこれも、いや場合によってはそれ以上のことも、もちろん、許すことができるとして‥‥実際、不合理というものはどこにもあり勝ちなことだからーだがそれにしても、よくよく考えて見ると、この事件全体には、実際、何かしらあるにはある。誰が何と言おうとも、こうした出来事は世の中にあり得るのだ-稀にではあるが、あることはあり得るのである。
このようなユーモアに満ちたシュールな作品が、十九世紀の前半に書かれたということは、非常に驚くべきことであると思います。
不合理といえば、カフカの名作『変身』ですが、この『変身』が発表されたのが1915年ですから、それよりも約八十年も前にこの『鼻』が書かれたことになります。そのように考えると、この作品がいかに前衛的であったかが分かります。
様々な解釈ができそうなこの作品ですが、ストーリーがどのような展開を見せるのかを追い、作品の所々に散りばめられたユーモアを楽しむだけでも、とても面白い作品です。『変身』の主人公グレゴール・ザムザが毒虫となって死に至るのに対し、コワリョーフには元の通り鼻が戻り、上機嫌になって再び往来を歩く女性を追いかけまわすという結末にも、思わず笑ってしまった方は多いのではないでしょうか。