レフ・トルストイ『戦争と平和』(第一部)の詳しいあらすじ

レフ・トルストイ作『戦争と平和』(第一部)の詳しいあらすじです。文豪と言われるトルストイの作品の中でも最大の長編で、日本語訳の文庫本で約3000ページにも及ぶ大作です。このブログでは、第一部から第四部およびエピローグを分けて紹介します。

※ネタバレです。目次を開いてもネタバレします。

※他の部分のあらすじはこちら
第二部  第三部  第四部  エピローグ

※全体の簡単なあらすじはこちら(『戦争と平和トップページ』)

第一篇

アンナ・シューレルのイブニング・パーティー

 1805年7月、マリア皇太后(ロシア皇帝アレクサンドル一世の母)の側近であるアンナ・シューレルは、ペテルブルクの自宅で開かれたイブニング・パーティーに、大物で要職にあるワシーリー・クラーギン公爵を迎え、ナポレオンのジェノヴァ、ルッカ占領について聞きました。
 反ナポレオン派であったアンナは、同盟を組んでいたオーストリアがロシアを裏切ろうとしていると非難し、アレクサンドル皇帝だけがヨーロッパを救うのだと興奮しながら語りました。
 ワシーリー公爵は、マリア皇太后を通して、自分の息子にウィーンの第一書記の座を与えようとしており、それが可能であるかどうか、アンナに探りを入れようとしていました。彼には二人の息子がおり、長男のイポリットは知能が低く、おとなしい性格でしたが、末の息子であるアナトールは放蕩を繰り返しており、年に四万ルーブルもの大金がかかっており、父親の頭を悩ませていました。
 アンナはアナトールの行状には感心していませんでしたが、自分の親戚で、金持ちで吝嗇家の父親と田舎で暮らしているボルコンスキー公爵家の娘と結婚させてはどうかと聞きました。その娘の兄は、ロシア軍司令官のクトゥーゾフの副官をやっていて、この日のパーティーにも来ることになっているようでした。
 ワシーリー公爵は、アナトールとボルコンスキー公爵の娘との縁談を進めてほしいと、アンナに頼みました。

 パーティーには、ワシーリー公爵の娘で美貌のエレン、その兄の痩せこけて不器量な男イポリット、フランスからの亡命者モルトマール、ペテルブルクでいちばん魅力的な女性と言われる若くて小柄なボルコンスキー公爵夫人のリーザなど、ペテルブルクの名門の人々が集まり始め、この家を訪れる者たちの習慣となっている、アンナの叔母のマ・タントとの挨拶を交わしました。
 老ボルコンスキー公爵の息子アンドレイの妻リーザは妊娠中で、夫が家庭を顧みず、戦争に行こうとしていることを嘆いていました。

 そのリーザの後に入ってきたのは、ロシア有数の金持ちであるベズーホフ伯爵の私生児ピエールでした。ピエールは、教育を受けた外国から帰国したばかりで、このパーティーがロシアに帰ってきて始めての社交界でした。彼は、すべての知的な会話を漏らさずに聞こうと、様々な場所を目移りし、政治についての議論を始めました。彼の熱心で不躾な様子をアンナは心配そうに眺めました。

 次にリーザの夫であるアンドレイ・ボルコンスキー公爵が入ってきました。彼は、パーティーの面々に飽き飽きしたような表情でしたが、ひと月ほど一緒に暮らしていたことのある友人のピエールを見ると、にこやかに挨拶を交わしました。アンドレイは、ピエールの社交界の教育を、アンナに頼みました。

 マ・タントと一緒に座っていたのは、ドルベツコイ公爵夫人でした。彼女は、ロシア最高の家柄の一つでありながら、だいぶ前に世間から離れ、貧乏暮らしをしていました。しかし、自分の息子であるボリスを出世させるため、再び社交界に顔を出し始めたのでした。
 ドルベツコイ公爵夫人は、ボリスが近衛連隊に転属できるよう陛下に頼んで欲しいと、ワシーリー公爵に頼みました。ワシーリー公爵は、その願いを断ろうとしましたが、もともとドルベツコイ公爵夫人の父親によって出世の糸口を掴んだ経験があったため、しかたなくその願いを聞き入れると約束しました。

 アンギャン公をナポレオンが処刑したこと(ナポレオンが反対勢力の士気を挫くために、王党派の亡命者アンギャン公を陰謀に関与した罪で捕らえ、冤罪であることが分かったにも関わらず、罪をでっちあげて処刑した事件のこと。ナポレオンの罪としてヨーロッパ中の反感を買うことになりました。)について、反ナポレオン派のアンナやモルトマールと、ナポレオンを擁護するアンドレイやピエールとの間で議論が起こりました。アンナやモルトマールは、ナポレオンが強奪や殺人を行なったことを非難し、ピエールは、その処刑が国家的に必要であり、ナポレオンがその責任を一手に引き受けたことを評価しました。ピエールは、国民の平等をそのままにして権力を握ったナポレオンには偉大さがあると主張し、アンドレイは、そのピエールに助け舟を出し、ナポレオンは偉大なところもあるが、弁護することのできない行為も行っていると言いました。
 イポリットは、社交的な心遣いを発揮し、その場の雰囲気を和らげました。

 パーティーが終わると、アンナは、アナトールとボルコンスキー公爵家の娘との縁談をとりまとめる相談を行いました。

ピエールの放蕩

 ピエールは十歳の頃に家庭教師の神父とともに外国にやられ、二十歳の時にモスクワに帰ってくると、父親からワシーリー公爵宛の紹介状をもらい、社交界に入りました。それから彼は三ヶ月、自分の将来を決めかね、ワシーリー公爵の家に住みながらぶらぶらと過ごし、自分が私生児であることに劣等感を感じながら、アナトールの放蕩に加わっていました。ナポレオンとの戦争も、世界で一番偉大な人間を敵に回して、ロシアがイギリスとオーストリアを助けることに意味を見出せませんでした。
 アンドレイが戦争に行くのは、この今の生活から逃げ出したいためでした。

 ピエールがアンドレイの家に行き、議論を交わしていると、リーザが部屋に入ってきて、女を置いて戦争に出かけようとする男のエゴを責めました。リーザはアンドレイが変わってしまったことに涙を流し、ピエールはリーザを慰めました。
 リーザが部屋から出て行った後、アンドレイは、女というものがエゴや虚栄の塊であり、結婚をしてしまうと、自分のなかにある良いものが何もかも駄目になると言って、絶対に結婚をしないようにピエールに忠告し、アナトールとの放蕩生活も辞めるようにと促しました。アンドレイの聡明さや意志の強さを尊敬していたピエールは、これからは放蕩を行なわないと約束しました。

 一時過ぎにアンドレイの家を出たピエールは、アナトールの家でギャンブル仲間が集まっているのを思い出し、アンドレイとの約束を反故にして、その集まりに向かいました。
 アナトールの家に入ると、放蕩仲間のドーロホフが足を外に垂らして三階の窓に座ったまま、ラム酒を一本飲み干せるかという賭けをしていました。ドーロホフはその無謀な賭けに勝ち、皆から拍手喝采を浴びました。興奮したピエールが同じ賭けをしようとしましたが、アナトールはそれを制しました。

ナターシャの名の日の祝い

 ワシーリー公爵がドルベツコイ公爵夫人との約束を果たしたおかげで、ボリスは少尉補として近衛連隊に配属されることが決まりました。しかし、母親の本当の望みであるクトゥーゾフの側近に任命されることはありませんでした。ボリスはモスクワからすぐに出発し、部隊に追いつかなければなりませんでした。

 ドルベツコイ公爵夫人とボリスは、アンナのパーティーのあと、モスクワに戻り、長年一緒に暮らしていた裕福な親類であるロストフ家に行きました。
 ロストフ家では、母親と末の娘ナターシャの名の日の祝いで、様々なお客が訪れていました。
 一同は、有名な色男で、二十人も私生児がいると言われているベズーホフ伯爵の容態が悪いことについて話しました。その私生児の一人であるピエールは、アンナのパーティーで無作法な態度を取った後、放蕩仲間であるアナトールやドーロホフとともに、熊を女芸人たちのところへ連れて行き、警察が駆けつけてやめさせようとすると、署長を熊に縛り付けて川に放したようでした。
 その罰により、ドーロホフは兵隊に格下げにあい、ピエールはモスクワに追放されました。アナトールの処分は父親がもみ消したものの、ペテルブルクからは追放されました。
 ベズーホフ伯爵の亡き後は、直系の相続人であるワシーリー公爵に領地の相続が行くことになっていましたが、伯爵がピエールを溺愛していたため、その莫大な財産がどこにいくかはまだ不明でした。ワシーリー公爵は、その財産を相続するために、モスクワにやって来ていました。

 ロストフ家の部屋の中に、ドルベツコイ公爵夫人の息子ボリス、ロストフ伯爵の長男の学生ニコライ、今日祝われることとなっている末の娘のナターシャ、伯爵の姪で十五歳になるソーニャ、末の息子で太った赤い頬のペーチャが入りました。
 ボリスとニコライは、子供の頃からの同い年の親友で、ニコライは、ボリスの後を追って、軽騎兵になろうとしていました。
 ナターシャとボリス、ソーニャとニコライは惹かれあっていました。
 華奢でしなやかな体つきの黒髪の娘ソーニャは、名門カラーギン家の令嬢ジュリーと二人きりで話し始めたニコライに嫉妬し、部屋から出て行きました。ニコライはその後を追い、ソーニャにキスをしました。その様子を物陰からみていたナターシャは、ボリスを呼び出し、自分からキスをしました。士官として連隊に配属されていたボリスは、あと四年経てばナターシャに結婚の申し込みをすると約束しました。
 長女のヴェーラは、兄弟たちからあまり好かれてはいませんでした。彼女は、ナターシャとボリス、ニコライとソーニャが座っている部屋に行くと、道徳を振りかざし、彼らが親に秘密を持っていることを非難しました。その後ナターシャたちは、ヴェーラがベルグという男と付き合っていることについて噂しました。

 客間では、ロストフ伯爵夫人とドルベツコイ公爵夫人が話していました。夫に死なれたあと、訴訟によって少しずつ財産をすり減らしていったドルベツコイ公爵夫人は、余っているお金はほとんどなく、ボリスの制服を整えるため、ベズーホフ伯爵に事情を話して援助を頼もうとしていました。
 ロストフ伯爵は、ドルベツコイ公爵夫人がベズーホフ伯爵に会いに行くついでに、昔よく自分の子供たちとダンスをしていたピエールを、家の食事に呼んでほしいと頼みました。

ドルベツコイ公爵夫人とボリスの、ベズーホフ伯爵家訪問

 ドルベツコイ公爵夫人はボリスを連れて、ベズーホフ伯爵の屋敷に入りました。その家に泊まっていたワシーリー公爵によると、ベズーホフ伯爵に助かる見込みはないようでした。ドルベツコイ公爵夫人は、息子を近衛兵にしてくれた礼をワシーリー公爵に伝えると、キリスト教徒としての最後の務めを果たすという口実を設け、ベズーホフ伯爵に会わせてほしいと頼みました。

 一方、ボリスは、ロストフ伯爵からの誘いを伝えるために、ペテルブルクから追放されてこの家に居座っているピエールのところへ向かいました。
 自分がしでかした悪事のため、家に戻っても父親に会うことを止められていたピエールは、一日中自分の部屋で過ごしていました。
 ピエールは、これまであまり会うことのなかったボリスのことを覚えておらず、他の人々と同じように、間もなく死ぬであろう父親の財産を狙っている人の一人だろうと考えました。ボリスはその考えを見抜き、自分がベズーホフ伯爵の厄介になるために来たわけではないことを話しました。ピエールは、ボリスに愛着を感じ、食事に行くことを約束しました。

 ドルベツコイ公爵夫人は、ベズーホフ伯爵が誰の区別もつかなくなっており、援助を申し込むことはできなかったと嘆きました。ボリスは、その様子を冷ややかな態度で眺めました。

ロストフ家のディナー

 ロストフ伯爵夫人は、幼い頃から親友であったドルベツコイ公爵が、金のために奔走しなければならないことに心を痛め、夫に金を無心しました。夫は支配人のドミートリーを呼び、七百ルーブルを用意させました。ベズーホフ伯爵が前後不覚に陥っていることを嘆くドルベツコイ公爵夫人に、ロストフ伯爵夫人は、その七百ルーブルを渡しました。ドルベツコイ公爵夫人は感動し、二人は抱き合って涙を流しました。

 客間では、ロストフ家のディナーが始まろうとしていました。
 ヴェーラと恋仲である中尉ベルグは、自分が近衛連隊に入って多くの収入を得るようになったことを、ロストフ伯爵夫人の従兄弟の老人シンシンに語りました。そこに若者特有の無邪気さを感じたシンシンでしたが、彼はベルグを賛美してやりました。

 皆は警察署長を熊に縛り付けて川に落としたピエールを、興味深い目で眺めていました。

 ざっくばらんな態度で「おそろしい竜」という渾名がついているマリア・アフローシモワが入ってきました。マリア・アフローシモワは、地位や財力が高いわけではありませんでしたが、その率直な態度で、社交界に名を知られた存在でした。彼女は、ピエールのしでかしたことについて、大したものだと言いながらも、その行為を恥じるように忠告しました。
 ボリスは、友人になったピエールに、客たちの名前を教えながら、ナターシャと視線を交わしました。

 ニコライは、対フランス戦の宣戦布告がなされたことについて、ロシア人は死ぬか勝つかのどちらかでなければならないとドイツ人の連隊長と語り合い、隣にいるジュリーを感心させました。
 ニコライとジュリーの姿を遠くから見ていたソーニャは、嫉妬のあまり部屋から出ていきました。
 ソーニャがいないことに気づいたナターシャは、家の中を探し回り、彼女が廊下の物置きの中で泣いているのを見つけました。ソーニャは、ニコライが自分に向けて書いた詩をヴェーラに見咎められ、自分たちの恋が成就しないだろうと言われたことを語り、従兄であり戦争に行く予定になっているニコライと、財産のない孤児の自分の結婚には、障害が大きすぎることを嘆きました。ナターシャは、ソーニャのことを慰め、気を取り直させてやりました。
 ディナーに戻ったナターシャはピエールと踊り、自分が外国から帰ってきた大人と踊っていることに得意になりました。
 ロストフ伯爵はアフローシモワと踊りました。大柄のアフローシモワの周りを、軽いステップで踊るその姿が、皆の注目を集めました。

ベズーホフ伯爵の相続人となったピエール

 ベズーホフ伯爵は六度目の発作を起こし、助かる見込みはないと宣告されました。
 ワシーリー公爵は、従妹のエカテリーナの部屋へ向かい、ベズーホフ伯爵が、直系の相続人である自分たちを差し置いて、私生児のピエールに全財産を相続させるという遺言状を書いたことについて話しました。彼は、ベズーホフ伯爵が陛下に宛てて出したであろう、ピエールを私生児から正式な息子にしたいという手紙が破棄されたかどうかを知りたがり、その手紙がまだ忘れられているのなら、それを探し出してほしいとエカテリーナに頼みました。エカテリーナは、以前頻繁にやってきたドルベツコイ公爵夫人の企みによって自分たちのひどい噂が吹き込まれ、ピエールに財産を残すという父親の遺言状が書かれたことに思い当たり、その手紙が伯爵の枕の下の鞄の中にあると気づきました。

 その時、ドルベツコイ公爵夫人は、ピエールに指南役を買って出て、ベズーホフ伯爵の部屋に入りました。ピエールは、状況を理解できないまま、ドルベツコイ公爵夫人のあとに従い、父親の塗油式に加わりました。彼はようやく父親が死に瀕していることを実感し、涙を流しました。
 控えの間では、エカテリーナとドルベツコイ公爵夫人が、遺言状の入った鞄を奪い合う醜い争いを繰り広げました。

 そこへベズーホフ伯爵が息を引き取ったことが知らされ、その遺言状には、ピエールを正式な子供として認めてくれるように皇帝にお願いする手紙が添えられていることが分かりました。ピエールは、ベズーホフ伯爵の唯一の相続人となり、伯爵の称号と巨額の富を手に入れました。

アンドレイのルイスイエ・ゴールイ帰郷

 田舎の領地ルイスイエ・ゴールイでは、ボルコンスキー公爵が、アンドレイとリーザの帰郷を毎日のように待ち受けていました。

 ボルコンスキー公爵は、前の皇帝パーヴェル在位中に田舎に追放されて以来、娘のマリアと、その話し相手のフランス人マドモアゼル・ブリエンヌと、この田舎で暮らしていました。アレクサンドル一世の時代になると、モスクワやペテルブルクに立ち入りを許可されましたが、出かけることもありませんでした。
 彼は秩序正しい生活を送り、娘にも幾何や代数の立派な教育を授けていました。周囲の人間に厳しい態度を取るため恐れられており、退官したにも関わらず、県の長官の訪問をしばしば受けていました。

 娘のマリアは、幼い頃からの親友ジュリーから手紙を受け取り、ピエールがロシア最大といわれるベズーホフ伯爵の遺産を引き継ぎいだこと、遺産の分け前にあずかることのできなかったワシーリー公爵がペテルブルクに去っていったこと、そして自分とアナトールとの縁談話が水面下で進められていることを知りました。
 ピエールは、今やモスクワ中の令嬢たちの憧れの的となり、ジュリー自身も結婚相手の候補として名前が挙がっているようでしたが、彼女は間もなく軍隊に行くことになるニコライに想いを寄せており、ピエールと結婚する気はないようでした。

 マリアは、ジュリーに宛てた返事の中で、子供のころから知っているピエールが素晴らしい心の持ち主であること、彼が莫大な富という重荷を背負ったことを気の毒に思っていること、そして結婚については従わなければならない神の定めだと考えていること、兄のアンドレイが戦争に行かなければならないことについて書きました。

 アンドレイとリーザがルイスイエ・ゴールイに到着しました。リーザとマリアは結婚式で顔を合わせただけにも関わらず、固い絆で結ばれており、二人はアンドレイが戦争に行くことを嘆きました。アンドレイは、ボルコンスキー公爵と対面し、ナポレオンに対抗するために、各国の軍が今後どのような動きをする予定なのかを話し合いました。
 ボルコンスキー公爵、アンドレイ、リーザ、マドモアゼル・ブリエンヌ、公爵が贔屓にしている建築技師のミハイル・イワーノヴィチが食卓につきました。ボルコンスキー公爵は、ナポレオンのことを運だけで成り上がった人物だと思っており、ナポレオンが偉大な司令官だと主張するアンドレイと議論になりました。
 アンドレイは、次の日の夕方には出発することになっていました。マリアはアンドレイの部屋を訪れ、上流社会に育ったリーザが、夫に戦争に旅立たれ、田舎で暮らさなければならない辛さを考えてやるように忠告し、祖父が戦争のたびに身につけていた聖像を渡し、それを肌身離さず身につけることを約束させました。
 アンドレイは、マリアが自分たち夫婦の関係を知っていることに腹を立て、決して妻を責めるつもりはないのに、自分も妻も幸福ではなく、その原因もわからないのだと訴えました。

 出発の日、ボルコンスキー公爵は、クトゥーゾフに渡す手紙をアンドレイに持たせ、彼を見送りました。アンドレイは、気絶したリーザや、彼女を慰めるマリアとブリエンヌを冷ややかに見ながら、戦場に旅立っていきました。

第二篇

クトゥーゾフの閲兵

 1805年10月、ロシア軍が布陣するオーストリアのブラウナウには、総司令官クトゥーゾフの本営があり、その付近に到着したばかりの歩兵連隊の一つが、クトゥーゾフの閲兵を待ち受けていました。
 連隊の皆が指定されたオーバーコートを着用する中、ドーロホフだけは上等なラシャのコートを着ていました。連隊長に注意されたドーロホフは、自分には命令を果たす義務はあっても、我慢をする義務はないと答えました。

 そこへクトゥーゾフが現れました。彼は、アンドレイと、もう一人の副官であるネスヴィツキーを従えていました。
 降格となったことで有名になっていたドーロホフは、クトゥーゾフに呼び出され、降格を教訓として立ち直るよう期待されました。ドーロホフは不適な表情を浮かべたまま、ロシアと皇帝に対する自分の忠誠を証明する機会を与えて欲しいと頼みました。

 ロシアを離れた後、ポーランドでクトゥーゾフに追いついたアンドレイは、充実した仕事に満足を感じていました。クトゥーゾフはアンドレイを従えて執務室に入ると、同盟軍のオーストリアのマック将軍がやってきて、ウルム付近での壊滅したという知らせ(1805年10月17日、マック率いるオーストリア軍がナポレオン率いるフランス軍に敗北を喫したウルムの戦役のこと)が入りました。
 戦闘の全般的な推移に関心を寄せているアンドレイは、ロシア軍が困難な状況に置かれていることを悟り、ナポレオンを恐れるとともに、自分が今後戦闘に参加するかもしれないことに湧き立つ気持ちを覚えました。彼は、同僚が同盟国であるオーストリアの敗北を笑いの種にし、マック将軍にふざけた態度をとることが許せませんでした。

 ニコライは、ブラウナウから三キロのところに駐屯するパヴログラード軽騎兵連隊に見習士官として勤務し、中隊長を務めるワシーリー・デニーソフ大尉と一緒に、のんびりと陣中生活を送っていました。
 ある日、デニーソフは、連隊を訪れてきた曹長を迎えるため、財布をニコライに預け、部屋を出ていきました。
 ニコライはその後、チェリャーニンという中尉の訪問を受けました。チェリャーニンが去った後、デニーソフが戻ってくると、ニコライに預けておいた財布が失くなっていました。
 ニコライはチェリャーニンのあとを追い、飲み屋で見つけ、盗みを働いたことを咎めました。チェリャーニンは許しを乞い、自分が金に困っていることを訴え始めました。ニコライはチェリャーニンに怒りを覚えながらその金を取り上げ、自分の金を放り投げるように渡して飲み屋を出ていきました。
 連隊長のボグダーヌイチは、この事件をもみ消そうとしましたが、ニコライはそれを許すことができず、ボグダーヌイチと衝突しました。ニコライは、連隊長がそれらの事件をもみ消そうとしているときに、連隊の名誉のことを考えずに何もかもを話してしまおうとしたことを、二等大尉にキリステンに咎められました。

 オーストリア軍が降伏したため、ロシア軍はウィーンに向かって撤退することになり、エンスの街でドナウ河を渡りました。
 最後尾にいたパヴログラード騎兵中隊が橋を渡り終えると、フランス軍の行く手を阻むために橋を焼き払えという指令が届きました。ニコライは、自分が臆病者かどうかを試されているのだと思い込み、急いで戻ろうとして橋の真ん中を走り、ボグダーヌイチに怒鳴りつけられました。
 ロシア軍は橋に火をつけることに成功しました。ニコライはその間、立ちすくむことしかできず、自分が臆病者だという思いに苛みました。

アンドレイのブリュン滞在

 ロシア軍は、十万のフランス軍に追撃され、後退していきました。
 そのうちの一つの戦いでようやく勝利したロシア軍は、ブリュンにあるオーストリア宮廷にその知らせを届けるため、アンドレイを走らせました。

 ブリュンに到着し、戦況を報告したアンドレイでしたが、軍事大臣に自軍の行動に興味がないような態度を取られ、失望を感じました。

 アンドレイは、友人のロシア外交官ビリービンのところに泊まりました。ビリービンは、ウィーンがフランス軍に占領されたことをアンドレイに教え、オーストリアがロシアを裏切るだろうと予想を立てました。
 アンドレイは、オーストリアの皇帝フランツ二世に謁見し、戦闘で勝利したことを伝えました。そして再びビリービンのところへ戻ると、フランス軍が河を渡り、ブリュンの町へと迫っていることを知りました。ロシア軍が絶望的な状況にあることを知り、アンドレイは自分こそがロシアを救い出す使命を持っているのだと考えました。
 予定を早めて戦場へ帰ろうとするアンドレイに、ビリービンは、それは無意味なヒロイズムだと言って、講和が結ばれるのを待つように忠告しました。

 戦場へと戻り、クトゥーゾフの滞在している百姓家へと案内されたアンドレイは、バグラチオンのいる前衛の部隊に参加させてほしいと頼みました。

シェングラーベンの戦い

 十一月一日に、膨大な数のフランス軍がウィーンに攻め込みました。ウィーンの西の街クレムスにいたクトゥーゾフは、後援のロシア部隊と合流するために退却する決意をしました。しかしその道には、ウィーンの橋を渡ってやってきたフランス軍がいました。
 指揮官の一人であるバグラチオンの前衛部隊は、できるだけ早くフランス軍の先を越し、足止めさせる任務を負いました。これは不可能なことに思われました。しかし、フランスの総帥ミュラが、バグラチオンの部隊をロシアの全軍だと勘違いし、これを徹底的に叩くために後衛の部隊を待とうとして三日間の休戦を申し出たため、バグラチオンは猶予を与えられました。
 これを聞いたナポレオンは休戦の話を聞いて怒り、ロシア軍を殲滅せよという書簡を寄越しました。

 アンドレイは、クトゥーゾフに願い出たことを貫き通し、バグラチオンに会いに行きました。バグラチオンは、アンドレイが信用できる副官だと知っていたため、寛大に彼を迎えました。アンドレイは、将校の一人の案内を受け、部隊の配置を確かめました。
 フランス軍が大砲を撃ってくると、アンドレイは、バグラチオンの後をついて、主戦場へと降りていきました。フランス軍と相対したアンドレイは、抵抗できない力に引っ張られるのを感じ、幸福を感じました。
 ロシア軍は、シェングラーベンの村に火を放ってフランス軍を足止めし、退却することを決意しました。

 ロシア軍の右翼では、攻撃により後退が容易になると、バグラチオン部隊にいる砲兵将校トゥシンの活動により、シェングラーベンの村に火をつけることに成功し、フランス軍の動きを止め、ロシア軍は後退の余裕ができました。

 ニコライのパヴログラード軽騎兵連隊のある左翼は混乱しており、また、伝令の役目を負った軽騎兵少尉補ジェルコフが前線へ行くことを躊躇したため、総司令官からの退却命令が届きませんでした。フランス兵は森の中でロシア軍に襲いかかり、ロシア軍は退路を絶たれてしまいました。
 デニーソフが出撃の命令を出したため、ニコライは精神の高揚を覚えながら敵へと向かっていきました。しかし戦いを始める前に、彼は怪我を負わされて落馬し、迫ってくるフランス兵から逃げ出し、灌木の茂みにいるロシアの狙撃兵に助けられました。
 ロシアの連隊の多くが恐れのあまり逃げ出す中、クトゥーゾフの昔からの仲間の大尉チモーヒンの中隊だけは森の中にとどまりました。その中にいたドーロホフは、怪我を負いながらもフランス兵を殺し、将校を捕虜にしました。

 シェングラーベンに火をつけたトゥシンの砲兵中隊はロシア軍に忘れられていましたが、さかんに砲撃を続けていたので、フランス軍からの砲撃を集中的に浴びました。トゥシンは恐れることなく酔ったように砲撃を続けました。
 そこへ退却の命令を伝えにアンドレイがやってきました。彼は砲撃からも逃げ出さず、トゥシンの砲台を外し、退却を手伝いました。トゥシンは、アンドレイと別れる時、何故だかわからない涙を浮かべました。

 退却しているトゥシンにニコライが声をかけ、助けを求めました。トゥシンは、ニコライを助けてやりました。夜になると、ニコライが痛みに耐えかねている様子を見せましたが、トゥシンには何もできることはありませんできた。

 司令官のために用意された百姓家で、ジェルコフやアンドレイは、今回の戦闘の状況をバグラチオンに報告しました。
 前線に行くことに尻込みをしていたジェルコフは、他の歩兵将校から聞いただけの話を、あたかも見たかのように話しました。
 トゥシンが呼び出され、二つの砲台を失った非を問われました。何も言うことができずに黙っている彼を見て、アンドレイは、本日の成果は彼の働きなくしては得られなかっただろうと述べました。トゥシンに礼を言われたアンドレイは、今の状況が、自分が期待したものとはかけ離れていることを感じ、悲しく辛い思いを味わいました。

 焚き火に当たりながら腕の痛みに耐えかねていたニコライは、自分が誰にも必要とされていないと感じ、皆が自分を必要としてくれた温かい家を思い出しました。そして何のために自分がこんなところに来てしまったのかわからなくなりました。

 翌日、フランス軍からの攻撃はなく、バグラチオン支隊の生き残りは、クトゥーゾフ軍に合流することができました。

第三篇

エレンとピエールの結婚

 ベズーホフ伯爵となったピエールは、周囲の人々の追従を受けながら、忙しい日々を送っていました。エカテリーナは、父親の死後、態度を急変させ、ピエールに対して愛想良く接するようになりました。
 ワシーリー公爵は、自分の娘であるエレンとピエールを結婚させようと考え、ピエールを年少侍従として外交官にしたてあげ、ペテルブルクへと連れて行きました。ピエールは、ワシーリー公爵が周旋した地位を断ることができないまま、パーティー三昧の生活を続けました。
 アンナ・シューレルも、以前のピエールの無礼な態度を忘れてはいませんでしたが、彼に愛想良く接するようになりました。アンナは、エレンとピエールを結婚させようとするワシーリー公爵に協力しました。
 ピエールはエレンの美しさに惹かれました。しかし、エレンはアナトールとの関係を噂されており、ピエールは自分のエレンに対する気持ちの中に、何か悪いものが含まれているのを感じました。しかし徐々にエレンとの結婚が避けられないものになるにつれ、彼はエレンに惹きつけられながらも恐怖を感じるようになりました。

 エレンの名の日の祝いに、彼女の隣に座らされたピエールは、結婚を決めなければならないと思いながらも迷い続けました。業を煮やしたワシーリー公爵は、二人の結婚を無理やり取りまとめてしまいました。
 その一ヶ月後、ピエールはエレンと結婚し、ペテルブルクの屋敷に住みはじめました。

アナトールのボルコンスキー公爵家訪問

 エレンとピエールの結婚をまとめたワシーリー公爵は、次に連隊に配属されているアナトールをつかまえ、マリアと結婚させるためにボルコンスキー公爵のところへ連れて行きました。
 ボルコンスキー公爵は、ワシーリー公爵の人格が好きではなく、その日は朝から不機嫌でした。マリアとマドモアゼル・ブリエンヌとリーザは、そんなボルコンスキー公爵を恐れました。

 アナトールとワシーリー公爵がやってくると、リーザとブリエンヌは、一生懸命になってマリアを着飾ってやりましたが、不器量なマリアにとって、それは無駄でしかありませんでした。
 心の奥底で現世での愛を強く求めていたマリアは、動揺を抑えられなくなり、聖像の前で手を合わせ、アナトールとの対面を果たしました。
 マリアは、アナトールの美しさと気立てのない態度にすっかり魅了されました。ボルコンスキー公爵は、そんなマリアのことを案じ、アナトールがマリアの夫として適任であるかどうかを確かめるため、自分の家に滞在させることにしました。そして自分の娘が侮辱されるであろうことがわかっていながら、マリアの権利を尊重し、彼女の決定に結婚を委ねることに決めました。

 アナトールは、財産家であるマリアとの結婚を肯定しましたが、その一方でブリエンヌに激しく欲情し、邸内にある温室で、彼女を誘惑しました。ブリエンヌは、地位も親類もありませんでしたが、上流社会の男に憧れを抱いていたため、簡単にアナトールの誘惑を受け入れようとしました。
 マリアは、アナトールと結婚することを決意しました。しかしその直後、彼女はアナトールがブリエンヌと温室庭園で抱き合っているところを見てしまいました。

 マリアは自分の幸せは結婚ではなく、愛と自己犠牲によって訪れるものなのだと信じることにし、泣いているブリエンヌを慰め、彼女のためにアナトールとの結婚を諦めました。そしてワシーリー公爵と父親に向かって、アナトールと結婚するつもりはないと答えました。

ニコライからの手紙を受け取ったロストフ家

 長いあいだニコライの消息がわからなかったロストフ家は、冬の半ばになってニコライからの手紙を受け取り、彼が負傷したこと、将校に昇格したことを知りました。家族の皆がその手紙に感動し、それは何百回となく読まれました。ソーニャはその知らせに感動して泣き出しました。その様子を見たナターシャは、自分のボリスに対する気持ちが、それほど強いものではないことを悟りました。
 ロストフ家の皆は、ドルベツコイ公爵夫人からボリスを通じてニコライに手紙を出してもらう手筈を整えました。

 クトゥーゾフ指揮の実戦部隊は、オルミュツの付近でロシア、オーストリア両皇帝の閲兵を受けることとなりました。
 ニコライは、ロストフ家から送られてきた金と手紙を渡すために待っているというボリスからの知らせを受け取りました。
 少将に昇格した祝いや、馬の購入で金が入り用だったニコライは、近くに宿営するボリスのいる近衛隊のところへと向かいました。

 半年ぶりの再会したボリス、ニコライと、中隊長になっていたベルグは酒を飲み交わし、それぞれの連隊での経験を大げさに話しました。ボリスは出世のため、誰かの副官になることを夢見ており、ピエールからもらった推薦状で、アンドレイと知り合い、目をかけられていました。
 アンドレイが部屋に入ってきました。ニコライは、初めて顔を合わせたアンドレイが軽騎兵としての自分の話を不愉快な様子で聞いてるのを見て、いい気持ちがしませんでした。
 アンドレイは、シェングラーベン戦についてニコライに聞きました。アンドレイが本物の戦闘に加わらない司令部にいる男だと思い込んだニコライは、彼に食ってかかりました。アンドレイは、それを侮辱とすら感じていない様子で、ニコライを馬鹿にしました。ニコライは、アンドレイに決闘を申し込もうかと考えるほど憎らしく思う一方、強く惹かれました。

 その翌日、ロシアの皇帝アレクサンドル一世と、オーストリアの皇帝フランツ二世による閲兵がありました。アレクサンドル一世を見たニコライは、今まで味わったことのない情愛と感激を味わい、皇帝のために死ぬことを大きな悦びのように感じ、アンドレイを見かけても、自分たちの私怨は小さなものだと感じるようになりました。

ロシア軍の進軍

 その翌日、副官の地位を狙うボリスは、アンドレイに目をかけてもらうために、オルミュツへと出かけました。二日目になってやっとボリスはアンドレイに会うことができました。
 若い人間の出世を助けるのが好きだったアンドレイは、ボリスを皇帝の側近ドルゴルーコフに紹介しました。ドルゴルーコフは握手をしただけで、声をかけることはありませんでしたが、ボリスは最高権力の近くに自分がいることを感じました。
 作戦会議では、ロシア軍の敗北を予想していたクトゥーゾフの意見は受け入れられず、ナポレオンに決戦を挑むことが決定されました。

 その翌日、ロシア軍は進軍を始めました。ボリスはアンドレイやドルゴルーコフのところへ行くことができず、自分の近衛連隊であるイズマイロフ連隊にとどまりました。
 ニコライの所属するデニーソフの騎兵中隊は、後備に残され、ニコライはデニーソフと酒を飲みながら、退屈にその日を過ごしました。戦闘は首尾よく終わり、多数の捕虜が運ばれてきました。
 そこへ皇帝がやってきました。堂々とした皇帝の顔を間近で見ることができたニコライは、皇帝のそばにいることによって引き起こされる幸福に飲み尽くされてしまいました。それからのアウステルリッツ戦までの間、ニコライは熱烈に皇帝の前で死ぬことができたらどれだけ幸福だろうと空想しながら、日々を過ごしました。

アウステルリッツ戦前夜

 アウステルリッツ戦の前日、当直でクトゥーゾフのそばにいたアンドレイは、ドルゴルーコフに会いに行き、数日前に会見したナポレオンの印象を聞きました。ナポレオンの策略によりフランス軍が疲弊していると思い込んだドルゴルーコフは、フランスからの講和の提案を拒否し、開戦に踏み切ることを主張しました。

 夜になり、作戦会議が開かれました。ナポレオンの策略により勝利を確信したオーストリア軍参謀長のワイローターは、攻撃を支持する作戦を読み上げました。敗北を予想し、開戦に対して慎重な意見を持つクトゥーゾフは、皇帝の許可が出ている戦争をもはや止めることができないと悟り、会議中に眠りにつきました。

 意見を言うことができなかったアンドレイは、不安な印象を抱えたまま、宿泊している百姓家の周囲をネスヴィツキーと共に歩きました。彼は自分が明日死ぬかもしれないと考えて感傷的な気分になりながらも、翌日の戦争で武勲を挙げ、名声を得ることを想像しました。

 同じ夜、ニコライは眠気に耐えながら、小隊を率いて、バグラチオン支隊の前方の側面掩護散兵線を往復していました。皇帝の側近になることを夢想していた彼は、翌日の戦闘で予備軍に回ることを残念に思っていました。
 遠くの方で、「皇帝陛下万歳」というフランス軍の叫び声が聞こえ、火の手が上がるのが見えました。その火の手は、ナポレオンが自軍の野営地を回って、フランス軍を鼓舞したためのものでした。ロシア軍内では、それが後衛の軍を退却させるためのフランスの作戦だという噂が立ったため、ニコライはバグラチオンに命じてもらって、敵の側面掩護隊がまだいるかを確認しに行きました。哨兵がまだいることを確認したニコライは、数発の発砲を受けながらも、バグラチオンのところへ引き返してこれを報告し、翌日、自分を前線の第一騎兵中隊に派遣してほしいと頼みました。バグラチオンは、ニコライを自分のそばに伝令として残る許可を与えました。

アウステルリッツの戦い

 朝方、進軍を始めたロシア軍は、後方の部隊に遅れが生じ、クトゥーゾフは苛々した様子を見せました。フランツ皇帝とアレクサンドル皇帝は、馬を走らせてロシア軍団の長く延びた隊列を鼓舞しながら走りました。
 クトゥーゾフは、なぜ攻撃命令を出さないのかと皇帝に聞かれ、後れを取った部隊を待ってから攻撃命令を出すと言いました。しかしこれが皇帝の側近の不服を買い、彼は自分の意にそぐわないまま攻撃命令を出すことになりました。

 霧が晴れると、予想よりも近くにいることが分かったフランス軍からの砲撃が始まり、ロシア軍は入り乱れて逃げ出しました。
 クトゥーゾフは、逃げる軍団を踏みとどまらせようとしましたが、それは不可能でした。アンドレイは、人の波に押され、クトゥーゾフから離れないようにすることしかできませんでした。彼は恥ずかしさと無念を感じながら、軍団を鼓舞し、旗を持って前に向かって走り出しました。
 弾丸が飛び交う中でのフランス兵との交錯の中で、アンドレイは何者かに棒で頭を殴られ、仰向けに倒れ、起き上がれなくなりました。目を見開くと、憎しみあっていた自分たちとはまるで違う、静かで落ち着いていて厳かな空の高さに、彼は気づきました。アンドレイは、この果てしない空だけが真実であると思い、その真実を発見したことに幸福を感じました。

 バグラチオンは、行動を開始しようと言うドルゴルーコフの要求に応じる気がなく、クトゥーゾフに戦闘開始を質問するために使いを出すことを提案しました。その使いに選ばれたのがニコライでした。その質問を皇帝に伺ってもよいと言われたニコライは、幸福を感じながら、見方の近衛兵が走り回り、銃声が飛び交う中を進みました。
 オーストリア軍とロシア軍が同士討ちをしている光景や、数々の死体が転がる様を目撃し、敗北が濃厚であるという噂を聞いて、絶望的な気持ちになりながら戦場を奔走したニコライは、見事な赤毛の馬にまたがった、敬愛するアレクサンドル皇帝を見つけました。皇帝は青ざめていて、そのためにかえって魅力的に見えました。ニコライは皇帝に質問を伝えなければなりませんでしたが、恋する若者のように皇帝に話しかけられず、悲しい気持ちのまま離れて行くことしかできませんでした。

 戦闘はすべての地点で敗北に終わりました。

 アンドレイは、倒れたまま人事不省の状態となり、気がつくと引き裂くような頭の痛みに苦しみました。倒れた直後に見た空の高さも、今の苦しみも知らなかった彼は、自分が今までなにも知らなかったのだと悟りました。
 アンドレイのそばに近づいて来たものがいました。それは、二人の副官に伴われたナポレオンでした。ナポレオンは、軍旗の柄だけを持ったまま倒れているアンドレイを見て、「みごとな死にざまだ」と言いました。アンドレイは、その言葉を発しているのが、自分の英雄であったナポレオンであることに気づいていましたが、先ほど目にした無限の空に比べると、そのナポレオンが、あまりにちっぽけな存在に思えました。
 アンドレイが力を振り絞って身動きを取ると、それに気づいたナポレオンは、彼らを拾い上げて包帯所に運ぶように命じました。
 アンドレイは恐ろしい痛みに意識を失い、気づくと捕虜になって病院に運ばれていました。

 包帯所で、アンドレイはナポレオンに話しかけられました。しかしアンドレイは、ナポレオンが小さな虚栄と勝利の喜びにとらわれているのだと感じ、返事をすることができませんでした。彼はマリアがくれた聖像を取り出し、「あらゆるものの小ささ」と、「何か不可解であっても、この上もなく重要なあるものの偉大さ」を理解しました。
 昏睡状態となったアンドレイを診て、ナポレオンの侍医は、死の可能性の方が高いと判断しました。アンドレイは、ほかの見込みのない負傷者たちと一緒に、住民の手に委ねられることになりました。

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