レフ・トルストイ『戦争と平和』(第三部)の詳しいあらすじ

 レフ・トルストイ作『戦争と平和』第三部のあらすじです。第三部は、1812年6月のナポレオン軍のネマン河渡河から、同年8月のボロジノの戦い、そして9月のモスクワ大火までが舞台となっています。第一部、第二部で急ピッチに進んでいた物語は、この作品中の最大のクライマックスであるボロジノ戦を迎え、じっくりと凝縮されます。ロシア本国で祖国戦争と言われる大事件の渦中で、ピエール、アンドレイ、ナターシャ、ニコライ、マリアたちの物語も、重要な局面を迎えます。それぞれの苦悩や罪を抱えながらも、懸命に生きる彼らの姿に、胸を打たれる場面が数多くあり、物語が佳境に入ってきたことを感じさせてくれる部分です。

※ネタバレです。目次を開いてもネタバレします。

※他の部分のあらすじはこちら
第一部  第二部  第四部  エピローグ

※全体の簡単なあらすじはこちら(『戦争と平和トップページ』)

第一篇

ナポレオンとアレクサンドル皇帝の決裂

 1812年5月29日、ナポレオンはドレスデンを出発し、進撃命令を出してネマン河を渡りました。
 その頃、ロシア領だったヴィルナでは、滞在しているアレクサンドル皇帝のためにパーティーが催されていました。

 ボリスは庭へ出て、皇帝と侍従将官バラショフの会話を盗み聞き、ナポレオンが宣戦布告なしにロシアに侵入したことを知りました。彼はこの情報を誰よりも早く知ったことで、要職の中で、自分の価値を高めることに成功しました。

 皇帝はナポレオンに向けて、遺憾の意を表す手紙を書き、武装したフランス兵が一人でもロシアにいるうちは、和を結ばないという意思を表明しました。バラショフはその手紙を持ち、ナポレオンのもとへ派遣されました。
 バラショフはミュラやダヴーといった様々な将軍のもとをたらい回しにされ、後になってフランスに占領されたヴィルナでようやくナポレオンに会うことができました。彼は、アレクサンドル皇帝に指図された通り、フランス軍の撤退を要求しました。しかし、ナポレオンは、バラショフの要求には聞く耳を持たず、ロシアとイギリスの同盟や、アレクサンドル皇帝がナポレオンの敵を自分に近づけたことを非難し、自分たちの正しさを主張し続けました。交渉は決裂し、戦争が始まりました。

総司令部で生きる道を自ら閉ざすアンドレイ

 アンドレイは、アナトールに決闘を申し込むため、ペテルブルクに行きました。しかしアンドレイが来ることをピエールが前もって知らせていたため、すでにアナトールはトルコや西欧との紛争の地モルダヴィアへ逃れていました。

 アンドレイは、モルダヴィア軍で総司令官として赴任することになっていたクトゥーゾフに会い、一緒に行くことを勧められ、その勧めに従って総司令部の一員となってトルコへと出発しました。
 自分からアナトールに決闘を申し込むのはナターシャの名誉を傷つけることになると思ったアンドレイは、アナトールに直接会い、決闘の口実を見つけようと思っていました。しかしトルコに着く頃には、アナトールはロシアに帰ってしまっており、アンドレイは軍務に慰めを見出し、クトゥーゾフのもとで熱心に仕事を行い、傷ついた心の落ち着きを取り戻しました。

 ナポレオンがブカレストまで侵攻すると、アンドレイは西部軍への転属を願い出て、ドイツ人の将軍バルクライ・ド・トーリのところへ送り出されました。

 その途中、アンドレイはルイスイエ・ゴールイに寄りました。
 以前よりも憎しみと不信を募らせ、ブリエンヌを執拗に可愛がるボルコンスキー公爵と、その父親を恐れながら次第に若さを失い、喜びもなく暮らしているマリアとは、お互いに敵意を抱いているようにアンドレイには思われました。

 アンドレイはマリアを庇い、ボルコンスキー公爵の怒りを買いました。彼は、初めて父と喧嘩をしたまま家を去ろうとしていることに憂鬱になり、くだらない者が人間の不幸の原因になることについてマリアに語りました。マリアは、それらの罪を許すようアンドレイに忠告を与えました。

 アンドレイは、罪のないマリアが、耄碌して自制の効かない父親の犠牲になっていることや、アナトールに殺されて嘲笑われる機会を自ら作ることに無情を感じました。

 六月末、アンドレイは、総司令部に到着し、自分が配属されたバルクライ・ド・トーリ将軍に会いました。
 総司令部の中では、様々な派閥が乱立しており、ありとあらゆる人間がそれぞれの思惑を抱えて行動していました。戦争のことを真剣に考えているものは少なく、大多数が自分の利益のために、皇帝に気に入られようとして行動し、まとまりを全く欠いていることをアンドレイは感じました。

 アンドレイは、陛下にトルコのことを伝えるため、クトゥーゾフの幕僚であったベニグセンの宿舎の会議に呼ばれました。この会議の中でただ一人、自分の理論に自信を持ち、自分のためでなく、作戦を実行に移すということだけを望んでいるドイツ人の戦争理論家プフールにアンドレイは関心を持ちました。それ以外の人はみな、天才ナポレオンに恐怖を抱いているように見受けられました。
 アウステルリッツ戦でロシア軍の無様な姿を見たことのあるアンドレイは、この何カ国後が飛び交う会議を観察し、戦争学などというものはあり得ず、軍事上の天才もいないという真理を悟りました。彼はナポレオンの自惚れに満ちた顔を思い出し、すぐれた指揮官は人間的な性質を欠いていることが必要なのだという結論に至り、皇帝に勤務を希望する場所を尋ねられると、実戦部隊を希望して、自ら宮廷で生きる道を閉ざしました。

フランス将校を捕虜にするニコライ

 騎兵大尉に昇進したニコライは、ナターシャが病気であるため、帰ってきて欲しいという手紙を受け取りました。しかし、彼は祖国よりも自分の幸福を重んじることが許せず、戦争が終わって生きていたら必ず結婚しに戻るという内容の手紙をソーニャに送り、自宅には帰りませんでした。

 ロシア軍の情勢は悪く、ヴィルナ(現在のリトアニア)付近からロシア国境まで撤退させられていましたが、パヴログラード連隊は、ポーランドへの移動を命じられており、戦闘に加わることはありませんでした。ニコライは目をかけている若い将校イリインとともに、平和なひと時を過ごしていました。

 しかし7月13日になると、パヴログラード連隊は初めて本格的な戦闘に加わることとなりました。
 ニコライの連隊は、持ち主が逃げてしまった居酒屋に入り、軍医の妻マリア・ゲンリホヴナの給仕を楽しんだ後、オストロヴナ村に進出せよという命令を受け取りました。ニコライはイリインと共に、戦闘に向かいました。
 ニコライは、フランスの竜騎兵の姿を認め、今攻撃すれば、敵に痛手を喰らわすことができるだろうと直感的に感じ、ほとんど考えもせずに突っ込んでいきました。
 フランスの将校の馬が、自分の馬を突き倒しそうになり、ニコライは咄嗟にサーベルをそのフランス兵に打ち下ろしました。敵は降参を宣言し、捕虜になりました。ニコライはその途端に、それまでの活気を失い、胸を締め付けられるような気持ちを感じながら引き返しました。

 ニコライは、勝手な行為をしたにも関わらず、ゲオルギー勲章を獲得し、勇敢な男だという評判になりました。しかし、彼はあまり喜ばしい気持ちにはなれず、何のために自分が罪のないあの将校と戦ったのかわからなくなり、ふさぎ込みました。

生きる意志を取り戻すナターシャ

 ナターシャが病気だという知らせを受け、ロストフ伯爵夫人はペーチャを連れてモスクワへやってきました。

 ナターシャは危険な状態に陥りましたが、多くの医者に診てもらい、伯爵夫人やソーニャらの献身的により、徐々に回復していきました。しかし、彼女は、自分が幸せになる道を自ら閉ざしてしまったという後悔の念により、笑うことや歌うことができなくなり、社交界を避けて生きるようになりました。
 ペーチャと差し向かいでいるときと、自分の家に通うようになったピエールといる時だけが彼女を慰めました。ピエールは、ナターシャに恋心を抱くようになっていましたが、自分の気持ちを口には出すことはありませんでした。ナターシャは、ピエールが誰にでも見せる優しさを自分に向けているに過ぎないと考え、男女間の愛情に発展するかもしれないという予感を感じることはありませんでした。

 オトラードノエの隣村の地主ベロフ夫人が、モスクワにいるロストフ家にやってきて、ナターシャに精進を進めました。ナターシャはその考えに飛びつき、一日三回教会に行き、勤行の声を聞きました。その精進により、ナターシャは自分の悪徳が矯正され、清らかな生活を送ることができるような気分になりました。そして日曜日、聖体拝受を受けると、彼女は初めて自分が生きなければならないという気持ちになることができました。
 モスクワにナポレオンが迫っているという噂が立ち始めたある日曜日、ロストフ家は、モスクワの名士たちが集まる教会に勤行に行きました。ナターシャはその教会中で噂されました。
 彼女は、そこで神がすべての人々と自分を赦し、すべての人と自分に平安と幸福を与えてくれるように祈り、神がその願いを聞いてくれているように思いました。

 ピエールは、ナターシャに跪いてあなたの愛を求めると言った日から、彼女を思い浮かべるだけで、何のために生きているのかという疑問が消え失せ、この世のものを愚かしいと感じる悩みから解放されました。
 しかし、ロシアがナポレオンの脅威にさらされる徴候が現れてくると、彼は自分でも理解できない不安にかき立てられるようになっていきました。

 ピエールは、モスクワ総督のラストプチン伯爵のところへ行き、軍の最新のビラを見て、ニコライがゲオルギー勲章を授与されたこと、アンドレイが猟騎兵連隊長になったことを知りました。
 ナポレオンがロシア侵攻に来るだろうという噂について、ラストプチン伯爵と話したピエールは、軍隊に入ろうという考えが頭に浮かぶことはあっても、フリーメーソンの掟により、その考えを頭から消さなければなりませんでした。

 ある日曜日、ピエールはロストフ家に行くと、ナターシャが歌っていました。彼女は、これまでのピエールの親切に対して礼を述べ、アンドレイが自分を赦してくれるかどうか尋ねました。

軍隊に入ろうとするペーチャ

 十五歳になったペーチャは、大学の受験勉強をしていましたが、友人のオボレンスキーと、ひそかに軽騎兵になることを決めており、そのための手筈をピエールに頼んでいました。

 ピエールは、ロストフ伯爵夫妻に挨拶し、ニコライのゲオルギー勲章受勲に乾杯をしました。
 ピエールがラストプチン伯爵から預かった詔勅をソーニャが読み上げました。その詔勅によると、フランス軍がロシアに迫っているようでした。それを聞いたロストフ伯爵が愛国心を露わにすると、ペーチャは自分を軍隊に入れて欲しいと頼み始めました。家族中からの大反対を受けたペーチャに助けを求められたピエールは、ナターシャからの視線を感じ、困り果てて帰ろうとしました。彼は、ナターシャに挑むような目で帰ろうとする理由を聞かれました。ピエールは、決まりの悪い思いをしながら帰り、ナターシャに愛を告げることのないまま、今後ロストフ家に来ないことを自分に誓いました。

 軍隊に行くことを皆に反対されて涙を流したペーチャは、その翌日、皇帝がモスクワへやってくることを知り、軍隊に入る許可をもらおうと一人でクレムリンへ行き、群衆に押しつぶされて気絶してしまいました。息を吹き返すと、彼は近くにいた人々の助けで大砲の上に座らせてもらい、宮殿のバルコニーに現れた皇帝の姿を目の当たりにしました。その姿に感動したペーチャは、皇帝が投げたビスケットを群衆と争いながら奪い取り、友人のオボレンスキーと話し合って、軍隊に行かせてくれなければ家出すると宣言しました。ロストフ伯爵は、しかたなく安全な入隊先を調べに行きました。

 その三日後、スロボツコイ宮殿の前に、貴族や商人が集められ、皇帝の詔勅の朗読を聞きました。これからやってくるフランス戦に向けた皇帝の鼓舞により、人々は熱狂に包まれ、貴族たちは民兵を、商人たちは金を惜しみ出す覚悟を見せました。
 出席していたロストフ伯爵は、何も聞こえずに自分勝手な解釈をして、感動の涙を流しました。
 ピエールもまた、自分の持てるもの全てを犠牲にする覚悟を見せたいという気持ちになり、千人の連隊とその維持費を提供すると申し出ました。
 しかし、翌日になると、民兵を出す命令を出した貴族たちは、自分たちのしでかしたことにびっくりしました。

第二篇

ロシア軍の退却

 フランス軍がロシア領内に入り込むと、ロシア軍はすぐに分断され、戦闘を避けながら合流を目指しているうちに退却を余儀なくされました。フランス軍は、分断されたロシア軍の間をどんどんと前進していきました。

 第二軍を指揮するバグラチオンは、第一軍を指揮する、自分よりも階級が下のドイツ人指揮官バルクライ・ド・トーリと反目しており、彼の指揮下に入らないために、合流を避けようとしていました。総司令官となったバルクライは人気がなく、軍の指揮の統一を得ることが難しいことが、かえって戦争を回避する結果へとつながりました。スモレンスクでバルクライとバグラチオンはようやく合流し、バグラチオンはバルクライの指揮下に入ったものの、ますます言うことを聞かなくなり、軍の統一はますます薄れて行きました。そこで戦闘が行われたものの、多勢のフランス軍に勝つことができず、皇帝と国民の意思に反してスモレンスクは焼き払われ、放棄されました。ロシア国民のナポレオンへの反感はますます募り、フランス軍を迎え撃つ下地ができあがったのでした。

 バグラチオンは、バルクライがスモレンスクを明け渡したことを非難する手紙を、その手紙が皇帝にも読まれることを予期しながらアラクチェーエフに書きました。

 バルクライは、指揮権の分裂を招いたと判断されて総司令官の座を追われ、皇帝の側近の重臣たちの委員会により、クトゥーゾフが新たな総司令官に任命されました。

 歴史家たちは、ロシア軍がナポレオンを自国へとおびき寄せようとしていたと主張します。しかし、実際には誰一人退却など考えておらず、人々は、それぞれの目的のために戦争に参加したに過ぎません。その結果、偶然フランス軍はスモレンスクまで引き込まれたのです。歴史から見れば、人々の動きというのは、自由意志のない、歴史を前にも進ませるための道具であるに過ぎないのです。

ボルコンスキー公爵の死

 アンドレイが旅立ったあと、ボルコンスキー公爵は、自分と息子の仲違いをマリアのせいにして責めました。その後彼は病気になり、マリアと一週間顔も合わせず、ブリエンヌも部屋に通さなくなりました。

 アンドレイからの謝罪の手紙が届きました。その手紙の中で、彼は、ルイスイエ・ゴールイが部隊が移動する線の真上に位置していることを危惧し、モスクワに逃れるよう助言しました。
 ボルコンスキー公爵は、五年前の戦争と今度の戦争を混同し、フランス軍はまだポーランドにいるので恐れることはないと言いはりました。マリアは父親が耄碌していることを察し、恐れました。

 古くからの支配人アルパートゥイチは、ボルコンスキー公爵の知事宛の手紙を届けるため、フランス軍の迫るスモレンスクへと行きました。スモレンスクは、まさにフランス軍の侵攻を受けようとしており、銃声が聞こえ、人々は逃げ惑っていました。アルパートゥイチは、県知事にボルコンスキー公爵の手紙を渡し、宿屋に泊まりました。
 日暮れ前、砲撃がやんでから外へ出ると、街には火が放たれ、退却するロシア軍が通り過ぎているところでした。アルパートゥイチは、連隊を指揮しているアンドレイに偶然会いました。アンドレイは、ルイスイエ・ゴールイが占領されるだろうということと、モスクワへ去るようにという忠告が書かれた手紙を、アルパートゥイチに渡しました。

 一方その頃、ペテルブルクでは、親ナポレオン派のエレンのサロンが、反ナポレオン派のアンナ・シューレルのサロンと肩を並べるほどになっており、二つのサロンは互いに半目していました。エレンたちはナポレオンの偉大さを感激を込めて話題にし、フランスとの和解を望みました。
 ワシーリー公爵は、二つの対立するサロンに出入りして頭が混乱し、お互いのサロンで言うべきことではないことを言いました。

 フランス軍はスモレンスクを通過し、モスクワに近づいていました。早めにロシア軍との戦闘を交えたいフランス軍の思惑に反して、ロシア軍は無数の事情により、モスクワから百二十キロのところにあるボロジノまで、退却せざるを得ませんでした。ナポレオンは、モスクワに進軍せよという命令を出しました。

 ボルコンスキー公爵は、モスクワへ逃れるようにというアンドレイからの手紙を読むと、頭が正気になり、ルイスイエ・ゴールイにとどまることを宣言しました。マリアとニコーレンカは、デサールの付き添いでモスクワへ送られるよう命令が下されましたが、父の身を心配したマリアは、初めて父に反対してモスクワ行きを断り、ニコーレンカとデサールのみが出発しました。

 ボルコンスキー公爵は、今後の身の振りについて総司令官に指示を仰ごうとした当日倒れ、ボグチャーロヴォの領地のアンドレイが建てた家に運ばれ、そこで三週間を寝て過ごしました。

 ボルコンスキー公爵が去った後、アンドレイは連隊を指揮しながらスモレンスクを退却し、廃墟となったルイスイエ・ゴールイへ寄り、一人で残っていたアルパートゥイチと会いました。アルパートゥイチは、家政の相談を泣きながら持ちかけました。アンドレイは、その相談を親身に聞いてやり、敵が来る前にモスクワへ逃れるようにと命じて、自分の連隊に戻りました。

 ボグチャーロヴォに着いたマリアは、父の死によってもたらされる、それまで得ることのできなかった自由な生活や、恋や、幸福な家庭への期待が膨らむのを感じざるを得ませんでした。彼女は、自分が父の死を望んですらいることに気づき、恐ろしい気持ちになりました。
 少しだけ話せるようになったボルコンスキー公爵に呼ばれ、マリアは部屋に入りました。父は半身不随になり、これまで一度も口にしたことがなかった「いとしい子」という言葉を何度も呟き、これまでの酷い扱いを詫び、感謝の言葉を述べながら涙を流しました。
 彼は無意味な命令だとわかっていながら、アンドレイを呼べと言いました。アンドレイは軍隊にいるとマリアが伝えると、ボルコンスキー公爵は、ロシアがもはや滅ぼされたことを嘆きました。ボルコンスキー公爵はその後も理解できない言葉を発し、最後の発作がやってきました。

 マリアは、父親に対する罪の意識と、激しい愛とを感じながら、混乱して屋敷内を歩き回りました。そしてボルコンスキー公爵が息を引き取ると、その遺体と対面したマリアは、医者の腕に倒れ込みました。

ボグチャーロヴォで足止めに合うマリア

 ボルコンスキー公爵の死の少し前にボグチャーロヴォにやってきたアルパートゥイチは、東南の暖かい地へ移動しようとしている百姓たちの不穏な動きに気づきました。

 三十年ほどボグチャーロヴォを取り仕切っていたのは、ドロンという老人の百姓でした。

 アルパートゥイチは、公爵の葬儀の日にドロンを呼び寄せ、マリアの馬車のための馬を出すように命じました。しかし農民の意見を代表して、ドロンはその命令をはたそうとしませんでした。
 アルパートゥイチは、しかたなくルイスイエ・ゴールイから来た馬から自分の荷を下ろし、それをマリアの箱馬車に使うように命じました。

 マリアは、父親の死の際に感じた、自分の心の醜さを自覚していました。ブリエンヌが自分のもとへやってきて泣き出すと、マリアは彼女に感じていた嫉妬や、諍いの数々を思い出し、自分にブリエンヌを非難する資格はないと考えました。
 ブリエンヌは、フランス軍から手に入れた布告を取り出しました。その布告には、住民はフランス軍によって庇護を受けるだろうと書いてあり、外に出るのは危ないのでこの場所にとどまるよう、マリアを説き伏せようとしました。
 マリアは、フランス軍の庇護を受けるという考えにぞっとして、アンドレイの持ち物やボルコンスキー公爵の墓が、フランス軍によって蹂躙されるのではないかと恐れました。すると彼女の中に、これまでになかった生への欲求が沸き起こりました。彼女はドロンに、ボグチャーロヴォを出て行きたいと言いました。ドロンは、アルパートゥイチに答えたのと同じように、自分たちを運ぶ馬がないと答えました。

 それから一時間後、マリアと百姓たちの話し合いの場が設けられました。百姓たちは、マリアの言いつけ通りにボグチャーロヴォを出ていくことに反対でした。マリアは、自分たちが百姓に麦だけを与えて、フランス軍に支配されたこの土地から逃げていくのを彼らが心配しているのだと思い込み、モスクワの近郊の領地を与えることを約束しました。
 しかし百姓たちは、麦をくれる引き換えに、家を放り出させられ、奴隷にさせられると思い込んでいて、マリアを敵意のこもった目で見ました。
 マリアは、百姓たちのことを理解することはできないことを悟りました。それから臨終の父親を見た時の恐ろしさを思い出した彼女は、女中たちのところへ走り出しました。

ニコライとマリアの出会い

 ロシア軍の後援をつとめていたニコライは、自分の中隊に属するイリインやラヴルーシカを連れてボグチャーロヴォへと立ち寄りました。
 ボルコンスキー公爵の家では、アルパートゥイチがニコライのことを出迎え、ここの百姓たちが、自分たちの主人であるマリアを領地から出そうとせず、出かけることができないでいると訴えました。
 ニコライはマリアのもとに通されました。マリアはこれまでの窮状を話しました。ニコライは、一人でこの場所に閉じ込められている、悲しみに打ちひしがれた令嬢マリアとの出会いに、運命めいたものを感じました。

 ニコライは、マリアの出発の護衛を申し出て、百姓たちに対して何も手段を講じる事ができないでいるアルパートゥイチを叱り付け、自分が軍隊となって百姓たちに立ち向かおうと考えました。
 ニコライたちの軽騎兵が来たことで、百姓たちは動揺し、軽騎兵たちと戦うべきかどうかという議論が起き、対立が生まれました。
 ニコライは、百姓たちの代表を縛り、マリアが家から出ると、安全なところまで送ってやりました。マリアはニコライに深く感謝し、自分は彼を愛しているのではないかと考えました。
 ニコライの中にも、ロシア随一の金持ちの令嬢マリアとの結婚が、一度ならず頭に浮かびました。しかし彼は、頭のもう片方ではソーニャのことを考えており、仲間からマリアとのことを冷やかされると怒りました。

アンドレイとピエールのボロジノ戦に向けた動き

 総司令官として指名されたクトゥーゾフは、アンドレイを呼び出しました。
 アンドレイは、そこで軽騎兵中佐として駐在していたデニーソフと初めて会いました。彼らはお互いを知ったことで、ナターシャのことを思い出しました。デニーソフは、戦線を延ばしているフランス軍の補給線に攻撃を加えるべきだという考えをアンドレイに伝え、クトゥーゾフがやってくると、スモレンスクとヴァージマのあいだで敵を分断する自分の計画を述べました。

 ボルコンスキー公爵の死を知ったクトゥーゾフは、アンドレイに同情を示し、自分の側近として働くことを勧めました。しかし自分の連隊を見放すことのできないアンドレイは、その話を丁重に断りました。
 アンドレイは、クトゥーゾフが結論を導き出すことをせず、何も企てないことを知っていましたが、彼のものを静観する姿勢に何故だか安心し、ロシアの運命もなるようになるだろうという気持ちになりました。

 皇帝がモスクワに戻ると、総督ラストプチンは、フランス人ばかりでなく、外国人を皆モスクワから追い出しました。女子供はモスクワから出ていくことが推奨され、戦おうとする庶民のために、武器を安く買うことができるようになりました。
 ジュリーはモスクワを出てニージニー・ノヴゴロドに向かいました。

 自分の民兵隊に金を注ぎ込んでいたピエールは、軍務につくべきかどうか、ずっと自問していました。近しい知り合いは皆モスクワを出てしまっており、ピエールの連隊に入る予定になっているペーチャの一時帰郷を待つロストフ家だけしか、モスクワには残っていませんでした。
 しかしその後、鞭打ちの刑に遭って衆目に晒されるフランス兵を見て、ピエールは、なんとしてでも軍隊に行かなければならないと考えるようになりました。そしてその翌々日には、多くのロシア兵が駐屯するモジャイスクへとやってきました。

ボロジノ戦前日の各登場人物の動き

 ボロジノ戦の前日、ピエールはモジャイスクを出発しました。
 彼は知人の医者に会い、明日の戦闘で、十万のうち二万の兵が、死ぬか負傷するであろうということを知りました。自分が今見ている人たちの一部は、明日には死ぬ運命にあるかもしれないということを、ピエールは奇妙な気持ちになりながら考えました。彼は、戦場が見渡せるという丘の上に登り、そこにいた将校に状況を聞き、運ばれてきた聖像画にクトゥーゾフが接吻するのを見ました。

 軍の上層部は、クトゥーゾフ派と参謀長のベニグセン派に別れていました。ベニグセンの側近となってうまく司令部に踏みとどまっていたボリスは、翌日の戦闘でベニグセンの評価を押し上げることで、自分の出世につなげようと考えていました。彼はピエールを見かけると声をかけ、宿舎を提供し、ベニグセンが陣取るいちばん全体が見渡せる場所に案内することを約束しました。

 ドーロホフは将校の位を剥奪されており、敵の前線に夜中に潜り込もうとして、クトゥーゾフにその許しを得ようとしていました。そこでピエールと再会したドーロホフは、自分たちの間柄を残念に思っていることを伝え、赦しを乞いました。

 ピエールはベニグセンと一緒に、戦線を見て回りました。さまざまな軍の配置を見るうちに、彼は戦争のことを理解する自分の能力に疑いを持つようになりました。
 夜になると、彼は、ボリスが用意してくれた場所で眠りにつきました。

 一方、アンドレイは自分の連隊の陣地の端にある村の納屋の中で横になりながら、自分が明日死ぬであろうということを考えていました。
 もともとドーロホフの中隊長で、今は大隊長になっているチモーヒン大尉が入ってきました。アンドレイは、軍務のことでチモーヒンに伝達すべきことを聞き、二、三の命令を与えて帰らせようとしました。するとその納屋の中をピエールが覗き込みました。ピエールとの再会は、モスクワでの辛い思い出をアンドレイに思い出させました。
 ピエールは、マリアたちがモスクワ郊外の領地へ移ったことをアンドレイに伝えました。

アンドレイとピエールは、すぐれた指揮官とは何か議論になりました。あらゆる偶然性を予見できる人物がすぐれた指揮官だと言うピエールに対し、負けたという早合点のために自軍が戦場から逃げ出すのをアウステルリッツで目の当たりにしたアンドレイは、ピエールの主張する偶然性の予見は不可能であり、戦争の勝敗を決めるのは、戦う人々の心であると主張しました。結局戦争とは、人間たちが殺し合う忌まわしきものであり、そのような戦争を行うのであれば、遊び事として行ってはならないとアンドレイは考えており、そのために、モスクワを奪い取ろうとするフランス軍を敵と見做し、戦争の規則や、敵に対する寛大さの象徴である捕虜を取ることをやめなければ、戦争はいい加減な人間たちの遊びになってしまうという考えをピエールに向って述べました。

 熱くなって話をしたアンドレイは、再び会えるかどうかわからない親友を抱き、納屋へと消えて行きました。

 アンドレイは、ピエールによって思い出させられることとなったナターシャのことを考えました。彼は、今ではナターシャのことを理解し、深く愛していました。そして自分が明日の戦闘で死に、ナターシャのことをまるで理解しなかったアナトールが今後も生きて、楽しみ続けるであろうことを考えました。

ボロジノの戦い

 8月26日、ボロジノでの戦闘が始まりました。
 その戦闘は、両軍にとって、自分たちを破滅させる戦いでした。そのことが明らかであったにもかかわらず、ナポレオンは戦いを挑み、クトゥーゾフはそれに応じました。
 多くの歴史家たちは、ロシア軍がボロジノに陣を張るのに適していたのだと主張します。しかしロシア軍は、その前の戦闘で重要な砦であるシュワルジノ多面堡を取られており、遮るものもなく、圧倒的に人数の少ない不利な状況での戦闘を強いられていました。
 ボロジノ戦の間、ナポレオンは鼻風邪をひいていました。もし彼が鼻風邪をひいていなければ、ロシアは滅び、世界の歴史は変わっていただろうと歴史家は言います。
 しかし、歴史的事件の結果は、それら事件に関わる人々の意思全体の総和によって決まるのであり、ナポレオンの影響は、それが歴史を動かしたと思われるだけの、表面的な虚構にすぎません。実際、ナポレオン自身は遠く離れた場所におり、戦闘の経過を一つも知ることができませんでした。彼の命令にしたがって作られた戦闘命令書は、そもそも遂行不可能で、何一つとして遂行されることはありませんでした。

 朝、一斉射撃が始まると、ピエールは馬の世話係に起こされ、戦場が見渡せる丘に登り、きらめく銃剣や大砲、そして砲撃の煙に光が当たって輝く光景の美しさに魅了されました。彼はその美しい光景のところまで行ってみたくなり、戦場へと向かう将軍のあとをつけて行きました。
 左翼のバグラチオンのところで、ものすごい激戦が繰り広げられていると、顔見知りラエフスキー将軍の副官に聞いたピエールは、その副官に案内され、全体が見渡せる丘へと登りました。そこはのちにラエフスキー砲台という名前で呼ばれる、フランス軍が最重要地点と見做していた場所でした。しかしピエールはそれに気づかず、重要でない場所だと勘違いして、嬉しそうに砲台を取り巻く溝の端に座ったり、砲台を歩き回ったりしました。
 始めのうち、困った表情を浮かべていた砲台の中の兵士たちも、ピエールがにこやかで丁重に座っている様子を見て、彼に好感を抱くようになりました。
 砲弾がほんのすぐ近くに着弾しても、ピエールは怖がることなく、笑顔で服についた土を払いました。死傷者が増えるにつれ、戦場が活気付いていくことにピエールは気づきました。彼は燃え盛る火に見惚れ、自分の心の中も燃え盛ってくるのを感じました。
 砲弾がなくなると、ピエールは自ら砲弾を取りに行く役目を買って出ましたが、落ちてきた砲弾の衝撃によって、地面に叩きつけられました。恐ろしくなって砲台に戻ろうとすると、攻め入ってきたフランスの将校とぶつかりそうになり、その男とつかみあいになりました。ピエールとフランスの将校は、どちらも捕虜になる覚悟をしましたが、お互いが手を離したため、そのまま別れました。
 砲台が占拠されそうになったため、ピエールはその場を離れ、多くの死傷者を見ながら、戦場から移動する担架の群れの後ろについて歩きました。

 ナポレオンは、丘の上から望遠鏡をのぞいていました。戦場からひっきりなしに戦況の報告が届きましたが、ほとんどの情報は間違っていました。ナポレオンは、その報告に対して、命令をくだしていきましたが、それらの命令が遂行されることはありませんでした。
 ネイ、ダヴー、ミュラといったフランスの将軍たちも、それぞれの指図を出していましたが、それらの命令も遂行されるのは稀で、軍隊の行動は全て、人々のその時の気分や、死への恐怖によって引き起こされる成り行きまかせのものになりました。
 ナポレオンは方々から増兵を求められ、重苦しい気持ちになりながら、部隊の配置換えの指令を出し続けました。それらの命令は、ロシアに勝利したフリートラントやアウステルリッツの時と同じものでしたが、将軍たちの死傷、増援の必要や、軍の混乱や、ロシア軍を撃破できない知らせばかりが報告されました。この戦争がいつもとは異なっていることに気づき始めていたナポレオンは、戦況の見回りを促され、馬に乗って出かけ、これまで見たことのない数の死者が横たわっているのを目の当たりにしました。そこで行われているのは戦争ではなく、到達地点のない、長々と続く殺人でした。ナポレオンは初めて、この戦争を無駄な恐ろしいものに感じました。

 クトゥーゾフは、なんの指図もせず、進言されたことに対して同意したり、しなかったりするだけでした。戦争の勝敗を決めるのは、軍隊の士気だけであることを知っていた彼は、進言される内容ではなく、その言葉を発するものの表情から、戦況を判断し、軍全体の士気を高めることを考えていました。
 戦場を見ずとも、戦況を正しく判断することができていたクトゥーゾフは、ロシア軍の優勢を感じ取っていました。逃げ去る負傷兵の群れを見て、戦争に負けたと早合点したバルクライからの報告がもたらされると、彼は激高し、翌日も攻撃するという布告を出すよう副官に伝えました。その命令は、クトゥーゾフのロシア人としての心に宿る感情によって出されたものであったため、ロシア兵たちは、疲れ果てていたものの、安心して奮い立ちました。

 自分の連隊の人員の多くを失ったアンドレイは、他の兵士たちと同じように、死の恐怖から目を逸らそうと、草を鳴らしながら歩きました。自分の側に榴弾が落ちると、彼は人生を愛していることを自覚し、死にたくないと思いましたが、間も無くその榴弾が破裂し、吹き飛ばされてうつ伏せに倒れました。
 アンドレイは担架に乗せられ、森へと運ばれました。そこには多くの負傷兵が運ばれていました。自分が死ぬであろうことを予感した彼は、心が休まるのを感じ、自分はなぜこれほどまで人生と別れるのが名残惜しかったのだろうと考えました。テントの中で砕けた骨や肉を切り取る手術を受け、激しい苦痛の中で意識を失った後で目を覚ますと、彼は長いこと味わったことのない深い幸せを感じました。

 自分の傍らで、負傷兵が足を切り取られ泣いていました。その男がアナトールであることに気づいたアンドレイは、そのことをはっきりと理解できないまま、ナターシャのことを思い出し、彼女に対する愛おしさが心の中に強く目覚めるのを感じました。それと同時に、彼は目の前で苦痛に泣き叫ぶアナトールに対しても、深い憐みと愛情を感じました。彼は、人間に対する愛情に満ち溢れ、涙を流しました。それはマリアが自分に教えてくれた人間愛でした。

 それまで戦場の恐ろしい光景こそが自分の偉大さであると考えていまたナポレオンは、ボロジノ戦の惨劇を見て、名誉も勝利もモスクワも欲しいとは思わなくなり、その戦闘が早く終わることだけを願うようになりました。しかし、砲兵の要請があると、彼は自分の意思に反してその要請の応えました。
 彼は自分の成した残酷な行為のため、理性や良心が曇り、その後生涯を通じて人間的な善や美を理解することはできませんでした。彼はセント・ヘレナに幽閉された後も、自分が行った数々の残虐な行為を正当化しようとし続けました。
 戦場には数万の死体が横たわり、人々はそれを自分たちの行った恐ろしい行為を感じていたにもかかわらず、自分たちの意思に反して攻撃の手を緩めませんでした。フランス軍は、このボロジノで被った被害により、破滅への道を辿ることとなりました。

第三篇

ボロジノ戦後

 ボロジノ戦の後、フランス軍は、食料の尽きた道を後退するのではなく、モスクワを目指すことで軍の危機を脱しようとしました。

 クトゥーゾフはボロジノでの勝利を確信しましたが、その翌日以降も損害は増え続けました。ロシア軍のこれ以上の戦闘は物理的に不可能となり、フランス軍のモスクワに向けた進軍を許す結果となりました。
 ロシア軍はボロジノから後退し、百姓の民家で会議が開かれ、フランス軍と交戦するのか、戦わずしてモスクワを明け渡すのかが議論されていました。
 ベニグセンを始めとする将軍たちは、モスクワがすでに放棄されていることを理解できず、防衛を主張しました。彼らは、その作戦が失敗した場合はクトゥーゾフにその罪を着せ、成功した場合は、それを自分の手柄にしようと考えていました。
 モスクワを守ることが不可能であることに気付いていたクトゥーゾフは、苦渋の決断の末、フランス軍に抵抗することの危険性を説き、撤退を命じました。

 モスクワでは、金持ちたちは財産を捨てて逃げ出し、貧乏人たちは余ったものに火を放ちました。モスクワの大衆は、ナポレオンに支配されることなどあり得ないと考え、皆が町から出て行きました。

ピエールとの離婚を画策するエレン

 エレンは、ヴィルナで知り合った若い外国の王子と、ペテルブルクで重要な地位にある重臣との二重の愛人生活を送っており、二人の男性を傷つけないように親しく振る舞うことに苦心するようになりました。しかし彼女は、二人の男性の間でうまく立ち回り、自分を正しい立場に置くことに成功しました。
 彼女は、自分の別荘で催した祝宴で紹介されたイエズス会員のムッシュー・ド・ジョベールの宗教についての話に感動し、その後訪れたカトリック教会で恩寵を得たような気がしたことがきっかけとなり、カトリックに改宗することを決めました。彼女は、その改宗を利用し、自分を束縛しているピエールとの婚姻関係から逃れようと画策しました。生きている夫との離婚が法的に問題となる恐れがあったため、彼女は自分に目をかけている二人の男性に結婚を要求し、逆に二人の男性から結婚を申し込まれて困っているという噂をペテルブルク中に撒き散らし、ピエールとの離婚のことが話題にされないようにしました。そして離婚の手続きを踏むための手紙を夫に書き、自分に有利な方と思われる、宮廷との関係を保てる重臣との結婚を決めました。

ピエールの失踪

 ボロジノ戦が終わると、ピエールは、自分がこの日見てきた恐ろしい印象から逃げ出すことだけを考えながら、負傷者たちが苦しむ道を進みました。
 夜になると、彼は身分が低いふりをして、話しかけてきた兵隊たちの食糧を分けてもらい、彼らとともにモジャイスクへと辿り着き、自分を待っていた調馬師の幌馬車の中で眠りにつきました。彼は戦争の印象に震え上がっている自分と、落ち着いているように見える兵隊たちとを比べ、自分もただの兵隊にならなければならないと考えました。
 フランス兵がモジャイスクに迫ったため、ピエールは街を抜け出し、モスクワへと帰りました。
 その途中、ピエールは、アナトールとアンドレイが死んだと知らされました。

 モスクワの上層部は、自分たちの街が明け渡されるであろうことが知れ渡っていました。ピエールは総督ラストプチンに会いに行き、モスクワから出ていくよう勧められました。
 その翌日、ラストプチンは、ピエールが立ち去ったかを確かめるため、警察の係官を派遣してきました。それを知ったピエールは裏口から外へ出て、そのまま姿を消しました。

モスクワを引き払うロストフ家

 ロストフ家は、ウクライナの村のコサック部隊にいた十六歳になるペーチャの帰りを待つため、敵がモスクワへ入る直前の九月一日まで、市内にとどまっていました。その頃になると、モスクワ中に負傷兵が運ばれ、市内が慌ただしくなり、様々な噂やデマがはびこりました。
 ペーチャが帰ってくると、ロストフ家はようやくモスクワを引き払う準備を始めました。
 マリアと出会ったというニコライからの手紙が届いたため、ソーニャは元気がありませんでした。彼女は、その悲しみを忘れるため、実務的な荷造りの指図を懸命に行いました。
 ナターシャとペーチャは、モスクワに異常なことが起きているということに、何か楽しみのようなものを感じ、二人で笑い転げ、忙しい家族の者たちから邪魔者扱いされました。

 家の手伝いに飽きたナターシャが外へと出ると、元女中頭の老婆のマヴラと話している負傷した将校の姿が目に入りました。
 ナターシャは、その恐ろしい姿の負傷兵に同情し、自分の家に泊めて良いという許可を少佐の兵隊からもらい、両親にそれを報告せずに負傷兵たちを家の庭に招き入れました。

 翌日、とても助かる見込みがないと言われている、身分の高い負傷者が、ロストフ家に運ばれました。それはアンドレイでした。

 ロストフ伯爵は、負傷者のために荷馬車を貸してほしいと頼まれ、それを許しました。伯爵夫人は荷馬車を貸すことに反対しましたが、ナターシャは、庭にいる負傷者たちのために、すべての荷馬車を使うべきだと主張しました。両親はその主張に折れ、ロストフ家は、負傷兵たちのために自分たちの荷物を捨て、荷馬車を提供しました。

 負傷兵たちの中にアンドレイがいることに気づいたソーニャは、そのことを伯爵夫人に伝えました。二人は、アンドレイの存在をナターシャが知ったらどのような行動に出るだろうと考え、震え上がりました。ナターシャは、アンドレイが自分たちと一緒に出発する幌馬車の中にいることに気づかないまま、ロストフ家の皆は馬車に乗り込み、モスクワを発ちました。

ナポレオンのモスクワ侵攻

 ピエールは、ラストプチンに会った翌日、混乱と絶望の気持ちに襲われました。彼は田舎へ行ったバズデーエフの未亡人から、本を受け取ってほしいという依頼を受けたため、自分への面会を申し込む人々を残して失踪し、亡きバズデーエフの家に上がり込み、本の選り分けを行いました。彼はモスクワの防衛に参加しようと考え、バズデーエフの召使ゲラシムに農民の服を用意させ、自分が誰であるか誰にも言わないでほしいと頼みました。

 ゲラシムが用意した御者の長上着で変装したピエールは、ピストルを買うために街を歩き、モスクワを去ろうとするロストフ家と会いました。彼は、変装した訳を聞かれても答えず、モスクワに残ると伝え、ナターシャに別れを告げました。

 クトゥーゾフは、モスクワを通過して撤退せよという命令を出しました。その翌日、ナポレオンはモスクワに入り、貴族たちを連れてくるように、お付きの者に命じました。彼は、モスクワの代表団と会い、寛大な政策をとってロシア国民の尊敬を勝ち得るつもりでした。しかし、その頃にはモスクワはもぬけの殻となっていました。

 ラストプチンは、モスクワが侵略されることを信じることができず、市民が出て行ったことに苛立ち、それを他人の責任にしたがりました。彼は、モスクワ明け渡し直前の作戦会議に招かれず、首都防衛に参加したいという申し出をクトゥーゾフに黙殺されたことで、自尊心と愛国心を傷つけられ、各方面からの質問に対し、投げやりな態度で短い命令を与え続けました。民衆を抑えきれなくなると、彼は抑えがたい怒りを感じ、愚かな民衆を鎮めるために生け贄が必要だと考えました。彼はナポレオンのビラを撒いたとして捕らえられた商人ヴェレシチャーギンを自分の前に連れ出し、群衆にヴェレシチャーギンを殺させました。
 その死を見届けると、ラストプチンは、公共をなだめるためにその行為が必要であったと自分を正当化しようとしましたが、その光景の生々しさが、自分の中に死ぬまで残るであろうと感じて、苦しむようになりました。

 フランス軍はモスクワの中で散り散りになり、市民への暴行や略奪が禁止されたにも関わらず、街中のものを次々に略奪しました。
 そしてモスクワの大火が起こりました。

ランバルと出会うピエール

 ピストルを手に入れたピエールは、バズデーエフの家に帰りました。彼はモスクワに残るという考えをナターシャに称賛され、自分の天命を果たすことに憧れを抱きました。そしてモスクワが民衆に捨てられるということを確信したとき、彼はナポレオンを殺さなければならないという考えに至りました。

 バズデーエフの弟マカールが酔っ払って拳銃を持ち出し、いざこざを起こしていると、二人のフランス兵が扉をたたき、宿舎として家を使わせるよう要求しました。ピエールは、始めフランス語がわからないふりをしていましたが、マカールがフランス兵に向けて発砲しようとしたため、その拳銃を奪い、怪我はないかとフランス語で聞きました。フランス兵の将校はランバル大尉という名で、自分を助けてくれたピエールに感謝し、彼が貴族だと見抜き、食事に同席させました。

 ピエールは、喜んで食卓を共にし、この人の良い陽気なランバルとの食事を楽しみました。
 ランバルによると、ナポレオンは翌日モスクワへ入ってくるようでした。人の良いランバルがナポレオンを崇拝していることを知った後、ピエールは、先ほどまで抱いていたナポレオンを暗殺しようという決心が薄らいでいるのを感じました。それは自分の弱さから来る決心の鈍りであり、これまで戦ってきた自分の弱さを、今回も克服できないであろうことを悟ったピエールは苦悩しました。
 ピエールの悲しげな顔を見て、ランバルは自分に何かできることはないかと聞き、自分の経験してきた恋物語を、ピエールに聞かせました。その話を聞いていたピエールもまたランバルに心を開き、自分の地位のこと、エレンとの結婚のことや、ナターシャとのこれまでの経緯をすべて話しました。

 遠くの方で、モスクワ大火の最初の火の手が上がり始めました。外では、ゲラシムとフランス兵が、お互いの言葉がわからないまま笑い合っているのが聞こえ、ピエールは、嬉しい感動を感じました。

アンドレイとナターシャの再会

 出発の翌日、ロストフ家は、モスクワから二十キロほど離れた百姓家に泊まりました。ソーニャは、何のためかわからないまま、アンドレイが自分たちと一緒にいることを話す必要があると判断して、ナターシャにそれを打ち明けました。ナターシャは、自失したような状態になっており、モスクワの方に上がり始めた火の手を見ても動じませんでした。

 一方、アンドレイは、医者に死ぬだろうと思われていたにも関わらず、意識を取り戻しました。彼は、野戦病院で経験した、人類を愛する幸福を思い出しました。それは、魂の本質で、対象を必要としない愛でした。彼は、自分を裏切ったナターシャの苦悩をはっきりと理解しました。

 ナターシャは、アンドレイに会うことを決心し、伯爵夫人とソーニャが寝静まった後で、彼がいるはずの百姓家に入りました。その百姓家で寝ているのは、前と変わらないアンドレイでした。ナターシャがそばに跪くと、気づいたアンドレイは微笑んで、幸福を感じながら、彼女に手を刺しのべました。ナターシャが赦しを乞うと、アンドレイは、前以上に彼女を愛していると告げました。
 ナターシャは部屋に帰り、泣きながら寝床に突っ伏しました。

 その日からナターシャは、アンドレイのそばを離れず、甲斐甲斐しく世話するようになりました。二人の間にはしっかりとした結びつきができましたが、お互いに結婚の話をすることはありませんでした。

放火犯として捕らわれるピエール

 ランバルと語り合った翌日、ピエールは、ナポレオンを暗殺するという決意を新たにし、短刀を持って外へと出ました。モスクワはあちこちから火の手が上がっており、彼は夢中になりながら、炎が燃え盛る方へと歩いていきました。

 その頃、ナポレオンは既にクレムリンに入っており、消火、略奪の防止、住民の鎮静のための命令を下しており、実際にピエールがナポレオンに探し出すのは不可能でした。

 ふいにピエールは、泣き叫ぶ女から、火事の中に残してきた娘を助けてほしいと懇願されました。彼は、その女の家へと向かい、そこにいたフランス兵から庭に女の子が取り残されているという話を聞き、熱気に当たりながらベンチの下に横たわっている女の子を助け出しました。

 女の子を抱きかかえながら歩いていると、ピエールは略奪を受けようとしている美人のアルメニア人を見ました。彼は、女の子を、その母親を知っている女に預け、略奪を行おうとしているフランス兵に殴りかかり、反対に殴り返されて、両手を縛られました。彼は放火犯としての疑いをかけられ、厳しい監視のもと、留置されることになりました。