レフ・トルストイ『戦争と平和』(第二部)の詳しいあらすじ

 レフ・トルストイ作『戦争と平和』第二部のあらすじです。第二部の舞台は、1806年のアウステルリッツ戦の敗戦後のモスクワから始まります。その翌年、ナポレオンとアレクサンドル一世の会見によって締結されたティルジット条約により、ロシア国民は、フランスに対する屈辱を感じながらも束の間の平和を満喫します。内政では、ロシア自由主義の祖と言われるスペランスキーが絶頂期を迎え、立憲制国家を目指した改革を推し進めています。

 1806年から1812年という、エピローグを除くと最も長い時代背景の中、アンドレイ、ピエール、ナターシャ、ニコライ、マリアらの物語もまた、急ピッチで進んでいきます。非常にドラマティックな展開で、比較的、歴史の知識がなくても楽しめる内容となっており、『戦争と平和』の中でも、小説としての面白さを最も感じさせてくれる部分だと思います。

※ネタバレです。目次を開いてもネタバレします。

※他の部分のあらすじはこちら
第一部  第三部  第四部  エピローグ

※全体の簡単なあらすじはこちら(『戦争と平和トップページ』)

第一篇

ニコライの帰省

 1806年の始め、ニコライは、デニーソフを連れてモスクワへ帰省することを決めました。

 ニコライが到着すると、ロストフ家の皆は次々に彼を抱きしめ、話したがりました。中でもソーニャは幸せで輝くような表情を見せました。ソーニャの美しさに心を奪われたニコライは、いつか彼女と結婚するだろうと思いましたが、他にもするべきことがたくさんあるような気がして、結婚は今ではないと思いました。
 ナターシャはボリスのことをすっかり忘れ、今はバレリーナになりたいと思っているようでした。
 ロストフ伯爵は領地を全て抵当に入れたため金があり、ニコライは、魅力ある、美男の軽騎兵中尉として、モスクワ上流社会の最高の花婿候補となりました。彼は社交会に出入りし、馴染みの女性を持ち、ソーニャとの距離は逆に遠ざかっていきました。

ピエールとドーロホフの決闘

 三月の初め、ロストフ伯爵は、所属しているイギリス・クラブから依頼され、バグラチオン公爵の歓迎のためのディナー・パーティーを主催しました。その会には、デニーソフ、ニコライ、ドーロホフ、ピエール、ネスヴィツキーも招かれていました。ニコライは、セミョーノフ連隊の将校となったドーロホフと親しく付き合うようになっていて、二人は同じテーブルにつきました。その向かいに座っていたピエールは、戦争の後やってきたドーロホフに金を貸し、家に置いてやっていました。しかしまもなくドーロホフとエレンが親しい関係にあるという噂が立つようになったため、彼はドーロホフを恐れながら、そのことばかりに気を取られ、黙ったまま食事を続けました。ニコライとドーロホフは、兵隊でない金持ちで、上の空のように見えるピエールを嘲笑しました。

 ボーイがピエールに渡そうとした紙をドーロホフがひったくって読もうとしたため、その行為に激怒したピエールは決闘を申し込みました。ニコライとデニーソフがドーロホフの立会人に、ネスヴィツキーがピエールの立会人になりました。

 翌日、一睡もせずに約束の森へと現れたピエールは、自分の妻に罪があり、ドーロホフに罪はないと考えるようになっており、決闘が馬鹿げていると気づいていたために、かえって緊張感のない態度になりました。お互いは四十歩離れたところから境界線に向かって歩み寄りました。ピエールは、ピストルを持つのは初めてでしたが、彼の発射した銃弾はドーロホフに命中しました。ドーロホフは脇腹から血を流しながら、ピエールに発砲しましたが、その弾は外れました。

 ドーロホフは、自分が死ぬかもしれないことを母のところへ知らせるよう、泣きながらニコライに頼みました。彼は年老いた母と背中の曲がった妹と一緒に暮らしており、家族に対しては優しい男であることをニコライは初めて知りました。

 決闘が終わった後、ピエールは家に帰り、眠れない夜を過ごしました。彼は今ではエレンが堕落した女だとはっきりと理解し、結婚してしまったことを後悔して苦しみました。
 エレンは、馬鹿げた決闘をしたピエールに対して怒りをぶつけました。ピエールは苦しくなってエレンに暴力をふるい、その一週間後、財産の半分以上の領地管理の委任状をエレンに与え、ペテルブルクに去っていきました。

アンドレイの帰郷とリーザの出産、死

 アウステルリッツ戦後、クトゥーゾフからの手紙がボルコンスキー公爵に届き、アンドレイが勇士として倒れ、安否がわからないことが知らされました。
 ボルコンスキー公爵はこの知らせを誰にも言いませんでしたが、マリアはそれを察し、親娘は共に泣きました。二人はリーザにこのことを伝えることができず、子供が生まれるまでは黙っておくことに決めました。アンドレイの死を確信したボルコンスキー公爵は、日に日に弱っていきました。

 吹雪の夜、リーザのお産が始まりました。皆がその準備に取り掛かる中、誰かが通りを歩いてくるのが見えました。

 それはアンドレイでした。彼は、妻のお産の日に帰ってきたことを運命に感じ、今まで口に出すことのなかった優しい言葉をかけました。しかし、お産に苦しむリーザは、夫が帰ってきたことを理解できず、恐ろしい叫び声を上げると、なぜ自分が苦しまなければならないのかという表情を浮かべながら死んでいきました。

 アンドレイは妻のその表情に罪の意識を覚えました。ボルコンスキー公爵は、その間終始自分の書斎にいましたが、アンドレイが帰ってきたことに気づいており、部屋に入ってきた息子を固く抱きしめ泣き崩れました。

 リーザの葬儀は三日後に行われました。アンドレイは、妻の表情を見て、自分は償うことのできない罪を抱えているのだと感じました。

 その五日後、子供の洗礼が行われました。

ソーニャに結婚の申し込みをするドーロホフ

 決闘の立会人を務めたことを父親に揉み消してもらったニコライは、モスクワ総督の副官に任命されました。ドーロホフは自分を愛す母親のもとで傷を癒しました。
 ニコライはドーロホフとの親交を深め、彼の母親にも気に入られました。己の中にある残酷さを楽しんでいるように見えるドーロホフは、少数の大事な友人には命を捧げても惜しくなく、ニコライもその中の一人であると語りました。しかし、ドーロホフは、女の中にある天使のような清らかさにはまだ出会ったことがないようでした。

 秋になり、ロストフ一家がモスクワに戻ると、ドーロホフは、ソーニャ目当てにロストフ家に来るようになりました。ソーニャは変わらずニコライを愛し続けましたが、ドーロホフが来ると赤くなりました。ニコライはそれに気づきましたが、はっきりと二人の気持ちを確かめようとはしませんでした。

 皆は再びナポレオンとの戦争について語り合うようになり、ニコライは、デニーソフと一緒に連隊に帰ることになりました。自宅で送別の宴が催され、ニコライは、ソーニャとドーロホフの間に何かがあったのを察しました。ナターシャに聞くと、ドーロホフがソーニャに結婚の申し込みをしたようでした。ソーニャとニコライの結婚に反対しているロストフ伯爵夫人は、その申し込みを受けるように頼みましたが、ソーニャは、ほかに愛している人がいると言って、それをきっぱりと断ったようでした。それを聞いたニコライは、ソーニャと話し合い、彼女のことを愛していても、結婚を約束することはできないと答えました。

 ダンス・パーティーでは、ナターシャは一際注目を浴び、マズルカの踊りの名手であったデニーソフと踊りました。

 ニコライは、軍に戻るドーロホフから、別れの宴を設けるという内容の手紙を貰い、指定されたイギリス・ホテルに行きました。ドーロホフはニコライを賭けに誘いました。ニコライは気が進まないまま、その賭けに乗りました。そのうちにニコライの負けは増え、父親が倹約して使って欲しいと言っていた二千ルーブルを超えました。それでも彼は、ドーロホフに操られているかのように勝負から降りることはできませんでした。
 ドーロホフは、自分とソーニャの年齢を足した数にちなんだ四万三千ルーブル勝つまで勝負を続け、ニコライは、ロストフ家が破滅するほどの借金を背負うことになりました。
 ニコライは家に帰り、ロストフ伯爵にギャンブルで四万三千ルーブル負けたことを伝えました。彼は始め誰にでもあることだと強がって見せましたが、父親が自分をはねつけなかったため、声を上げて泣きながら許しを乞いました。

 デニーソフはナターシャに結婚の申し込みをしました。ナターシャはデニーソフのことを好きで傷つけたくはありませんでしたが、まだ若く、恋をしているわけでもなかったので、その申し出を断りました。次の日、デニーソフはモスクワを去ることを決めました。

 その後二週間、ニコライは家を出ずに過ごし、父親が奔走して作ってくれた四万三千ルーブルをドーロホフに送ると、十一月の末、ポーランドにいる連隊を追って出発しました。

第二篇

ピエールのフリーメーソン入会

 ペテルブルクに向かうピエールは、何が悪く、何を愛さなければならないのか、生と死とは何か、自分は何者で、何のために生きているのか、といった考えても解決できない問題を繰り返し考えていました。

 列車のなかに、ずんぐりした、顔色の冴えない老人が入ってきました。ピエールは、その老人に話しかけなければならない気がしました。ピエールのことを知っていたその老人は、有名なフリーメーソンのメンバーであるバズデーエフでした。神を信じていないピエールに対し、バズデーエフは、もし神がいなければ、自分たちが神について話すはずはないと説き、神を理解するのが難しいということ自体に、人はみずからの弱さと、神の偉大さを見るのだと言いました。
 人生への回帰を求めていたピエールは、その老人の言葉を心の底から信じました。
 老人は、全宇宙の中で人間の占める位置を解き明かすことが最高の知恵であり、その知恵を得るためには、堕落した生活をやめ、自分を浄化することが必要だと説きました。
 ピエールは、その老人が知っていると思われる真理を知りたいと思い、自分を救って欲しいと頼みました。その老人は、紙に何かを書き、ペテルブルクに着いたらそれをヴィラルスキー伯爵という男に渡すように言いました。

 ペテルブルクに着いて一週間ほどすると、ポーランド人のヴィラルスキー伯爵が彼の家を訪れ、ある高い地位にいる人物が、ピエールの入会を斡旋し、ヴィラルスキーがその保証人となったことを伝えました。
 ピエールは、ヴィラルスキーについていき、フリーメーソン入会の儀式を行う部屋に通されました。フリーメーソン入会の準備をさせる弁師は、ピエールの知り合いであったスモリヤニノフでした。スモリヤニノフは、自分たちの教団の目的が、ある種の重要な神秘の保存と伝達であり、その神秘を受け入れるための会員の心の浄化を行い、善の模範を全人類に示し、世界にはびこる悪と戦うことが目的であることを語りました。
 ピエールは、その新しい教えに感動し、これまで犯してきた悪徳への執着を捨て、入会することを決めました。

 入会の儀式を終えたピエールは、その会員の一人により、綱領を聞きました。その綱領の中にあった、差別を避け、憎しみと敵意を抱かずに兄弟を救い、幸せを隣人と分かち合えという言葉を聞いて、ピエールは感動のあまり、兄弟と呼ばれる他の会員と共に事業に取り掛かりたいという思いに駆られ、寄付を行いました。
 家に帰ると、彼はそれまでの生活が一変したように感じました。

 決闘の噂を皇帝に知られていたピエールは、フリーメーソンの兄弟たちの勧めもあり、一度ペテルブルクを去ることにしました。

アンドレイの新しい生活

 ピエールとドーロホフの決闘は揉み消されましたが、その噂は社交界で大きな話題となりました。
 ピエールは社交界で評判を落とし、エレンは同情の温かい目を向けられるようになりました。

 1806年末、ナポレオンがプロシア軍に打ち勝ち、ロシアの二度目の対ナポレオン戦争が始まりました。アンナ・シューレルは、いつものようにパーティーを開き、そこに新顔として、プロシアからペテルブルクに急使として帰ってきていたボリスを呼びました。彼は軍の中で出世するこつを掴み、今では重要な人物の副官となっていました。エレンはボリスを誘惑し、ボリスはこの帰省中に彼女と近づくこととなりました。

 ボルコンスキー公爵は、ロシア各地で任命された八人の義勇軍司令官の一人に任じられました。
 アンドレイはボグチャーロヴォという大きな領地を父親から与えられ、その領地で多くの時間を過ごしました。彼は二度と軍務につかないことを決意しており、父が指揮する義勇軍の兵隊集めの職につきました。

 1807年2月、父は管区の見回りに出かけ、アンドレイとマリアは熱を出したニコーレンカを看病しながら、町の医者を待っていました。二人は二晩も眠っていませんでした。
 アンドレイは、プロシアでの戦闘でナポレオンに勝利したこと(ドイツ人司令官ベニグセンが指揮したアイラウの戦いのこと)にともなう任務を命じた父親からの手紙と、大本営で外交事務官として働いているビリービンからの戦況を伝える手紙を受け取りました。しかし、彼は父親からの任務を果たそうとせず、ビリービンからの長い手紙には腹立ちを覚え、ニコーレンカの看病を続けました。

 ニコーレンカの熱が下がると、マリアは涙を浮かべました。アンドレイは、マリアとニコーレンカだけが今自分に残されている唯一のものであると認識しました。

ピエールとアンドレイの再会

 ピエールはキエフに着くと、所有する農民を集め、農奴を完全に解放するために、各領地に病院、孤児院、学校を設置しなければならないことを伝えました。彼は莫大な財産を相続していましたが、領地を管理するために莫大な支出が増え、借金をしながら実務に取り組みました。彼の生活は忙しく、毎日のようにパーティーや晩餐会に参加しなければなりませんでした。

 1807年の春、ピエールはペテルブルクに戻りました。その帰途、彼は総支配人とともに自分の領地を見て回りました。ピエールは学校や病院を建てたことで各地で歓迎され、自分が善を成していると思い込みました。しかし彼は自分の前に通されるのが裕福な人々だけであり、その裏で大半の農民が貧困に苦しんでいることを知りませんでした。総支配人は、ピエールが実状を調べ上げることは絶対にないだろうと考え、彼の目を欺いて農民から搾取を続けました。

 ピエールは、新しい領地の質素な家に暮らしているアンドレイと二年ぶりに再会しました。以前のアンドレイの目に宿っていた光が失われていることにピエールは気付きました。
 フリーメーソンの教えに熱中していたピエールは、平等、隣人への愛や自己犠牲を語り、自分自身が巨大で最高位の存在の一部であり、それは死後も消滅せずに存在し続けるという考えを披露しました。他人のために生きることで幸福を感じるピエールと、人生に降りかかる悪を避けながら、自分とその家族のためだけに生きることで落ち着くことのできたアンドレイは議論になりました。
 アンドレイは、ピエールが農民から動物的な喜びを取り上げて教育を授けることは間違いだと主張し、ピエールはその考えに納得がいきませんでした。

 二人は、ボルコンスキー公爵とマリアのいるルイスイエ・ゴールイに行きました。マリアは、「神の人」と呼ばれる放浪のキリスト教信者を家に置いていました。アンドレイとピエールが、放浪の人々の盲目的な信仰をからかうと、マリアはそれに憤慨しました。ピエールは慌てて弁解し、彼らに対して優しい態度をとりました。
 マリアはアンドレイの体のことを心配し、外国に療養に行くことを勧めてほしいとピエールに頼みました。

 ピエールは、ボルコンスキー公爵とマリアに親しみを覚えました。アンドレイの家族もまたピエールのことが好きになりました。

野戦病院に入るデニーソフ

 ドーロホフにギャンブルで負けたニコライは、その罪を償うため、連隊の中で立派な人間になろうと決心しました。彼は家族のようなパヴログラード連隊に戻り、俗世間に比べてあらゆることが単純明快な軍務につくと、ほっとした気持ちになりました。

 いくつかの戦闘に参加した後、連隊はドイツの荒廃した村に駐屯しました。彼らは飢えと病気に苦しんでいました。ニコライはデニーソフと同じ家に暮らしました。

 ある日、デニーソフは二週間まともな食事を取っていない連隊のため、歩兵の輸送物資を力づくで奪いました。

 連隊長は、デニーソフに、司令部に行って略奪したことを正式な手続きを踏んだことに変えてもらうように言いました。デニーソフが司令部に行くと、そこにいた納品係官は、以前彼の財布を盗んだチェリャーニンでした。デニーソフは、チェリャーニンが自分たちの連隊に食糧を届けてないのだと思い、掴みかかりました。その結果、彼は裁判にかけられることになり、出頭命令を受けました。彼は出頭を避けるため、戦闘で軽い傷を負ったことを口実に、野戦病院に入りました。

 六月のフリートラントの会戦にはパヴログラード連隊は参加せず、休戦が宣言されました。寂しさを感じていたニコライは、デニーソフを見舞う許しを得て、野戦病院のあるプロシアの荒廃した町へ行きました。
 チフスが流行っている病院では、病人や負傷者が床に寝かされ、ひどい臭気が漂っていました。

 将校病棟に入ると、彼は片腕のない兵士に会いました。それはトゥシンでした。ニコライはトゥシンに案内されデニーソフと再会しました。
 デニーソフは、もとの自由な生活を忘れようと努めている様子で、ニコライが来ても喜ぶ様子はありませんでした。彼は陛下に特赦を嘆願するように周囲から勧められていましたが、自分が盗みを働いたということを認めたくないため、それを渋りました。
 しかし、ニコライが帰ろうとすると、デニーソフは検査官がこしらえた嘆願書を渡し、これを皇帝宛に出して欲しいと頼みました。

ティルジット条約

 ニコライは、皇帝宛の手紙を持ってプロシア・ロシア国境の町ティルジットへ行きました。フリートラントの戦いに敗れたロシアは、この町でフランスと講和を結ぶことになっており、アレクサンドル皇帝とナポレオンが会見することになっていました。

 ボリスはティルジットでの高官の手伝いの勤務を行い、皇帝にも顔を覚えられる存在になりました。彼はいっしょに暮しているポーランド人の伯爵ジリンスキーとともに、知人のフランス人将校たちのために夕食の席をもうけました。ニコライは、素性を知られないように平服でその宿舎に入り、夕食の席にいるボリスを呼びました。一同は、ロシア人のニコライが来たことを喜ばず、ボリスもニコライを歓迎しませんでした。

 ニコライは、自分が邪魔者扱いされていることに気づきながら、デニーソフの嘆願書を皇帝に出してほしいとボリスに頼みました。ボリスは、その仕事を引き受けることに気が乗らない様子で、皇帝はそのようなことに厳しいので、軍司令官に嘆願するべきだと主張しました。ボリスの態度に怒ったニコライは、自分で皇帝に手紙を渡す決意をしましたが、講和の最初の条項が締結された重要な時期に嘆願書は受け入れられず、皇帝の滞在する家から門前払いされました。結局、知り合いの皇帝に目をかけられていた旅団長が代わりに嘆願書を出してくれることになりましたが、皇帝は法律の方が自分より強いので、その嘆願を聞き入れることはできないと言いました。

 皇帝の姿を見たニコライは、感激してその後をついて行きました。その先にはナポレオンがいて、二人の皇帝は言葉を交わしました。
 ナポレオンは、身長の順で一番前に立っていたロシア人のラザレフという男に、気まぐれでレジオン・ド・ヌール勲章を授けました。

 ボリスは、気落ちしながら立っていたニコライを見つけ、あとで自分のところに寄らないかと誘いました。ニコライは、大人しくなってしまったデニーソフや、不潔な病院をありありと思い出し、一方でアレクサンドル皇帝が、ナポレオンを今や尊敬していることを考え、何のために人々が殺されていっているのかわからなくなりました。

 宿屋の食事にありついたニコライは、ワインを二本飲み、フランス兵を見るとしゃくにさわると言った将校に、自分たち兵士は、何も考えずに義務を果たすだけだと、自分でもなぜかわからないままわめき散らしました。

第三篇

アンドレイとナターシャの出会い

 アンドレイは、息子の領地となる土地の後見人になる手続きのため、オトラードノエの田舎に住む、群の貴族団長になっていたロストフ伯爵に会いに行きました。その途中、彼は年老いたナラの木を見て、今の自分とその木を照らし合わせました。

 その家で、アンドレイはナターシャに初めて会いました。ナターシャは、若い人たちの間で楽しんでいるように見え、アンドレイは、彼女が何を楽しんでいて、なぜ幸せに見えるのかと考えました。

 ロストフ伯爵の家に無理やり泊まらされることになったアンドレイが窓に肘をついていると、他の部屋からナターシャとソーニャの話し声が聞こえてきました。これほど素敵な夜はこれまでなかったと言うナターシャの声は、アンドレイに、今の生活とは正反対の、若々しい希望を湧き起こさせました。

 アンドレイは帰途につき、あの年老いたナラの木が若芽を出して蘇っているのを見つけました。
 自分の人生が三十一歳で終わらないと考えたアンドレイは、積極的に生きようと考え、ペテルブルクに行くことを決めました。

 アンドレイはペテルブルクにやってきたのは、1809年8月、皇帝の政治顧問スペランスキーが国政を取り仕切り、陸軍大臣のアラクチェーエフが軍事面を取り仕切っている時期でした。

 アンドレイは、自分の領地にいる時に書いていた軍事法典についての覚え書を皇帝に提出したいと父親の親友の元帥に頼み、アラクチェーエフがその検討を行うことになりました。皆が恐れるアラクチェーエフは、アンドレイの覚え書は軽率で、軍事服務規程から逸脱していると評価しましたが、その覚え書を軍事法典委員会に送り、無給でアンドレイを委員に加えるよう推薦しました。
 聡明で、既に自分の領地の農奴を解放していたアンドレイは、改革派から歓迎され、すぐに自分を有利な立場まで持っていくことができました。

 アラクチェーエフを訪問した翌日、アンドレイはスペランスキーに会いました。
 類い稀な頭脳で名声を高めていたスペランスキーに興味を引かれていたアンドレイは、彼の言動を注意深く観察しました。スペランスキーはアンドレイのことを知っていて、目をかけなければならないと思っているようでした。
 アンドレイは、明晰な頭脳を持つスペランスキーが、理性的で徳の高い人間だと思い、心酔していきました。彼は軍事法規制定委員会の分科会責任者になり、軍事法規の編纂に取り組むこととなりました。

再びエレンとの生活を始めるピエール

 1808年にペテルブルクのフリーメーソンの中心人物となったピエールは、多くの寄付を行い、貧民院を維持しました。それでも彼は酒や放蕩を我慢することができませんでした。彼は、ロシアのフリーメーソンが、外面的なものばかりを基礎にして成り立っているような気がして、その教えの最高の奥義を確かめるため、外国に出かけました。

 1809年の夏、ピエールはペテルブルクに戻ってきて、フリーメーソンの最高首脳部の前でスピーチを行いました。彼のスピーチは、全世界に広がる、普遍的で統合的な善の支配形態を打ち立てなければならないと言う内容でしたが、社会活動に熱中しすぎているとして反論に遭いました。
 スピーチの失敗で鬱状態になったピエールは、ワシーリー公爵とエレンから会いに来て欲しいという手紙を受け取りましたが、返事をせず、恩師と慕っているバズデーエフに会うためにモスクワへ向かいました。
 しかし、そのうちにピエールはエレンのことを許す決意をし、モスクワで一緒に住むようになりました。

 エレンはモスクワで夫と住むようになってから、ナポレオン同盟を支持する社交会のグループで重要な位置を占めるようになり、ロシアの劇場を訪れていたナポレオンにもその美しさを褒め称えられました。彼女は頭が悪いのをうまく隠し、政治や詩や哲学のパーティーに出入りしました。ピエールは、即物的なものを全て軽蔑していたために、却って皆に対して平等で気のいい態度を取り、社交界で受け入れられました。
 ボリスは軍隊で出世し、エレンと更に近づきました。ピエールは、うやうやしい彼の態度に不安を感じ、二人の関係を疑いつつも、それを信じまいとして苦しみました。
 ボリスがフリーメーソンに入会することとなり、ピエールは、入会の儀式の弁師を務めました。しかしボリスは出世のためにフリーメーソンを利用しようとしており、そのことに気づいたピエールは憎しみを感じました。

ペテルブルクにやってきたロストフ家

 ロストフ家は一年間田舎で過ごしましたが、財政は良くならず、伯爵はペテルブルクに職を探しにやって来ました。ペテルブルクでは彼らは田舎者でした。

 まもなく、ベルグがヴェーラに申し込みをして、受け入れられました。ベルグは右手を負傷したアウステルリッツ戦とフィンランド戦争で恩賞をもらい、有利なポストを得るようになっていました。ヴェーラは、家族からあまり愛されてはいませんでしたが、ロストフ伯爵は、自分たちが彼女を厄介払いしているのではないかという考えによる自責から、多額の持参金を持たせました。

 ボリスは形式的にロストフ家を訪問し、十六歳になったナターシャと四年ぶりに再会しました。
 エレンのおかげでペテルブルクの上流社会に地盤を築き、街で最高の金持ちと結婚しようという野望を抱いていたボリスは、財産のないナターシャと結婚するわけにはいかないと考えました。しかし彼はナターシャの魅力に再び惹かれ、ロストフ家に頻繁に出入りするようになりました。

 ナターシャはボリスを愛しているわけではありませんでしたが、彼との結婚について母親と話しました。ロストフ伯爵夫人は、貧乏で、血が繋がっていて、娘が愛しているわけではないボリスとの結婚に反対しました。ボリスはロストフ家と話し合い、それ以来来なくなりました。

ナターシャに結婚を申し込むアンドレイ

 1809年12月31日、皇帝も出席する大きなダンスパーティーが開かれました。
 ロストフ家もそのパーティーに招待されており、一家は指南役を務めてくれている親戚のペロンスキー夫人とともに出かけました。ナターシャには生まれてはじめての大きなダンス・パーティーで、彼女は会場へと入った途端に興奮に包まれ、誰かが自分のところへ踊りに誘ってくれるのを待ちわびました。

 パーティーに参加していたピエールがアンドレイをつかまえ、自分のお気に入りの令嬢であるナターシャを踊りに誘ってあげてほしいと頼みました。
 アンドレイに誘われたナターシャは、幸せな微笑みを浮かべました。アンドレイは、彼女の巧みなダンスや微笑みにより、生き返ったような心持ちになり、その上流社会に染まっていない初々しい優雅さに見惚れました。ロストフ伯爵は、アンドレイを家に招くことを約束しました。

 ピエールは、エレンがこのパーティーで成功を収めるのを見て傷つけられ、ふさぎ込みました。

 翌日、アンドレイのもとに、あらゆる評議会に顔を出しているスペランスキーの信奉者ビーツキーが訪ねてきました。ビーツキーは、国家評議会(参議院)が開会されたことについて話しましたが、アンドレイは、自分がその話に全く興味を抱けなくなっていることに気がつきました。

 その後スペランスキーに食事に招待されたアンドレイでしたが、これまでスペランスキーに感じていた魅力は色褪せており、長居することはありませんでした。彼は、自分の提案した軍事法規が、別の出来の悪い案件に先を越されたために黙殺されようとしているのを思い出し、自分がいかに中身のない仕事に携わっていたのだろうかと考えました。

 ロストフ家に儀礼的な訪問を行ったアンドレイは、以前とは異なり、ロストフ家の人々のことを快く感じました。ナターシャが歌を披露すると、彼は自分でも思いがけず、涙がこみ上げてくるのを感じました。家に帰って眠れない夜を過ごした彼は、自分が幸福にならなければいけないのだと思いました。

 ある朝、ベルグとヴェーラの夕食会に招待されたピエールは、その家に同じく招かれていたナターシャと顔を合わせました。ナターシャはダンス・パーティーの時と異なり、全く口をききませんでしたが、アンドレイがやってくると途端に顔を紅潮させました。
 ピエールはそのような二人の様子に気づき、嬉しいと同時に、悲しい気分になりました。

 アンドレイは、その翌日もロストフ伯爵に呼ばれ、そこで終日過ごしました。彼は、ナターシャを褒め、外国に行く自分の計画について話し、ロストフ家がこの夏どこにいるのかと聞きました。ナターシャは、自分に初めて起こった恋の感情を恐れると同時に、幸福を味わいました。

 同じとき、ピエールは、エレンのもとへ頻繁に訪れる大公の侍従に任じられて上流社会に息苦しさを感じるようになり、憂鬱でした。彼は悩みを吹き飛ばそうと、フリーメーソンの著作を必死に勉強しました。

 アンドレイは、ナターシャと結婚するという決意をしたことをピエールに語りました。
 ピエールは、アンドレイの幸福そうな顔を見て、自分のことを不幸だと感じましたが、その結婚を勧めました。

 アンドレイは、ナターシャとの結婚の話を父親にするためルイスイエ・ゴールイに帰りました。
 ボルコンスキー公爵は、自分の身体が弱っている時にアンドレイが幸福になることが理解できず、相手の家柄や歳が離れすぎていることや、アンドレイの体が弱っていて、息子もいることなどを挙げて、結婚前の一年間の外国での治療を命じました。アンドレイは父の言いつけに従って、結婚を申し込んだ後一年は、外国へと行くことに決めました。

 アンドレイは、一年間は結婚式を挙げられないということを伝えたうえで、ロストフ伯爵夫人の結婚の許可を貰いました。ナターシャは幸福に泣き崩れながら、その申し込みを受け入れました。彼女にとって一年間はとても長いことのように思われました。
 アンドレイは、一年間ナターシャを束縛することを好まず、婚約は内々のものにすることにしました。そして自分がいない間に何かが起きた時はピエールを頼るようにと、ナターシャとソーニャに伝えました。

 アンドレイが外国に旅立つと、ナターシャは二週間ほどで元の元気な様子に戻りましたが、彼女の内面は、以前とはまったく違うものに変わっていました。

 一方マリアは、信仰とニコーレンカのために日々を過ごしており、癇癪を起こすことが多くなった父の怒りを一人で受け止め、そのたびに愛と自己犠牲の精神によって、父を許す生活を送っていました。彼女は幼い頃からの親友であるジュリーとアンドレイの結婚を望んでおり、アンドレイとナターシャが結婚すると言う噂を信じることができませんでした。
 彼女はジュリーとの文通の中で、宗教によってのみ自分たちが慰められ得ることを説き、またナポレオンとアレクサンドル皇帝が対等に付き合っているのが気に入らない父が、モスクワの人々と衝突をするのを恐れるために、自分もジュリーのいるモスクワに行くことはできないとことわりました。

 アンドレイが旅立って半年が経った頃、マリアは、ナターシャとの婚約について書かれた手紙をアンドレイから受け取りました。マリアは、妻を失ってなお新しい妻を得ようとするアンドレイのことが理解できず、放浪の人々と話をすることによってのみ喜びを感じるようになりました。彼女は自分も放浪の旅に出かけたいと思うようになりましたが、父やニコーレンカ捨てていくことの罪深さを考えて苦しみました。

第四篇

ニコライの帰省

 1807年から、ニコライは、デニーソフから引き継いだ騎兵中隊を指揮し、無為でありながら周囲から非難されることのない軍務生活に幸福を感じていました。

 1809年になると、彼は家計が傾いているため、帰ってきて欲しいと言う手紙を多く受け取るようになりました。彼はアンドレイとナターシャとの婚約を知って憤慨しましたが、ソーニャとの結婚や、その他の細々としたことに巻き込まれるのが嫌で、実家に帰るのを敬遠していました。

 しかし、お人好しな父親のせいで、帰ってきてくれなければ所有地がすべて競売に出されることになりそうだという母親からの手紙により、ようやく彼は休暇を得て帰省しました。

 ニコライは、近くにいない相手に恋し続けることなどできないと思っていたナターシャが、すっかり落ち着いてアンドレイの帰りを待っていることに驚きました。伯爵夫人もニコライと同じように思っており、まだ彼女の結婚に半信半疑になるときがあるようでした。

 家の財政を立て直そうとしたニコライは、支配人のドミートリーが財産を横領していると思い込み、引きずり出して屋敷から出て行けと怒鳴りました。しかし父親がドミートリーのことを庇うと、ニコライは家の仕事に立ち入るのをやめ、猟にいそしむようになりました。

ロストフ家のオオカミ猟

 ニコライは、ナターシャ、ペーチャ、ロストフ伯爵を連れてオオカミ猟に出ました。ロストフ家雇われの狩猟団や、おじさんと呼ばれる遠い裕福でない親類ととともに、ニコライはオオカミを捕らえました。

 ロストフ伯爵が先に帰ると、ニコライ、ナターシャ、ペーチャは残りました。ロストフ家と係争中で同じく猟に出ていたイラーギン家と猟師同士の争いが起こったものの、当主であるイラーギンは、ニコライたちを丁重にもてなしました。帰りが遅くなり、ニコライたちは、田舎で生活しているおじさんの家で夕食をとることになりました。

 ナターシャは、その家の住民から、見たこともないような料理を振る舞われ、おじさんの弾くギターに合わせて踊りました。その踊りは、母国ロシアをそのまま体現するかのような素晴らしいものでした。

 おじさんの家を後にすると、ニコライとナターシャは、寝ているペーチャのそばで語り合い、お互いのことを素晴らしい兄妹だと感じました。

 ロストフ伯爵は、出費が激しい貴族団長を辞めましたが、家計がよくなる気配はまったくありませんでした。
 伯爵夫人は、ニコライが金持ちの娘と結婚することを望み、カラーギン家のジュリーがその相手として最適であると考えました。相手の家もこの考えに異存はありませんでした。ニコライはソーニャとの結婚をした方が自分は幸せに違いないと考えましたが、母親の意向に従う意思を示しました。二十歳になろうとしていたソーニャは変わらずニコライのことを深く愛しており、非難しようがないほど善良で、ロストフ家に感謝しているのが、伯爵夫人にとっては悩みの種でした。

 ナターシャは、アンドレイのことを変わらず愛していましたが、別れて四ヶ月が経つと、憂鬱な気分に襲われるようになりました。

ソーニャとの結婚を決意するニコライ

 クリスマス祭になっても、ナターシャの精神状態は安定しませんでした。彼女は、ニコライやソーニャと幼かった頃のことを追憶し、自分が生まれる前のことまで思い出せるような気がして、霊魂が不滅なのだという考えを二人に語りました。

 ロストフ伯爵夫人は、ナターシャに歌をリクエストしました。ロストフ家お抱えの音楽家のジムレルがその歌声を絶賛すると、伯爵夫人は、ナターシャは生まれ持ったものが多くありすぎるために、幸福にはなれないのではないかという直感に襲われました。
 抑えきれないものを抱えていたナターシャは、駆け込んできたペーチャに驚いたことをきっかけに、激しく泣き出しました。

 それから仮装した召使たちが現れ、各々も仮装を始めました。ニコライは年取った地主夫人に、ペーチャはトルコ人の女に、ジムレルはピエロ、ナターシャは軽騎兵に、ソーニャはチェルケス人(ロシア南西部の少数民族)に扮しました。

 彼らは、ロストフ家から四キロほどのところに住んでいる未亡人メリューコフの家に行くことにしました。

 チェルケス人に扮したソーニャは男装がとても似合っており、皆が彼女のことを褒めそやしました。彼女は自分の運命が決まるのが今日でなければ、それは永久に訪れることがないという思いを抱いていました。ニコライは、仮装を施したソーニャにかつてないほど強く惹かれました。二人はメリューコフの家で強く抱き合い、自分たちが愛し合っていることを確かめ合いました。

 ニコライは、ソーニャと結婚する決心をナターシャに語りました。自分だけが結婚を先に決めてしまったことに気後れしていたナターシャは喜びました。

 クリスマス祭が終わると、ニコライはソーニャとの結婚の意思を母にはっきりと告げました。
 ロストフ伯爵夫人は、ニコライの結婚を許しましたが、その結婚を祝福することはないと言いました。ロストフ伯爵もまた、考え直しを求めましたが、家計を破産させた責任を自分に感じていたため、ニコライを責めることはできませんでした。
 伯爵夫人は、ニコライを誘惑したと言ってソーニャをなじり、そのことで、ニコライと伯爵夫人の間には、溝が生まれました。

 連隊で自分の仕事の整理をつけ、退職してソーニャと結婚することを心に決め、ニコライは連隊に戻りました。

 その後、伯爵夫人は、精神的な負担から病気になりました。ソーニャはどうすればいいのかわからず憂鬱になりました。
 伯爵は、モスクワの自分の屋敷と、郊外の土地を売らなければなりませんでした。
 ナターシャは、アンドレイが帰ってこない間の時間が、刻一刻と浪費されていることで憂鬱になり、アンドレイからの手紙を見ても苛々するようになっていきました。

 伯爵夫人の病気は治らないまま、伯爵は、ソーニャとナターシャを連れ、屋敷を売るためにモスクワに旅立ちました。

第五篇

ボリスの結婚

 ナターシャとアンドレイの婚約と、バズデーエフの死から、ピエールはそれまでの内面的な生活への魅力を感じなくなり、酒を飲み始め、独身者のサークルに顔を出すようになりました。そのうちに彼は妻の体面を傷つけないため、ペテルブルクからモスクワへと移りました。
 ピエールは、モスクワの社交界で暖かく迎えられ、七年前に外国から帰ってきたときに、自分が軽蔑していた退職侍従になっていました。彼は何かをしなければならないという思いに囚われていましたが、社会にはびこる虚偽や悪を見抜きすぎるため、何をやるにも尻込みしました。そして何もすることがないという恐怖から逃れるため、酒、宴会、本などに救いを求めました。

 ボルコンスキー公爵は、マリアとブリエンヌと共にモスクワにやってきて、愛国主義的な傾向にあったモスクワの反政府勢力の中心となりました。
 マリアは放浪の人々との会話ができなくなり、社交界に出ることも許されなかったため、モスクワでの生活に楽しみを見出すことができませんでした。彼女はニコーレンカの教育中に、父親の激しい気性が自分にも備わってることを認識し、ぞっとしました。
 ボルコンスキー公爵は老け込み、マリアをこの上もなく愛しながら、何かがあるとすぐにいきり立って叱りつけました。反面、彼はブリエンヌには優しく接し、その様子を見せつけることでマリアを傷つけました。マリアは自己犠牲の精神から、父親の酷い仕打ちに耐えました。

 ボルコンスキー公爵の名の日の祝いの日、フランス人のお抱え医師メチヴィエが、招待されていなかったにも関わらず部屋に入ってきたことで公爵は怒り狂い、メチヴィエを部屋に入れたマリアを怒鳴りつけました。マリアは、ボリスやピエールなどの招待客がやってきても、父親が自分に向けている憎しみに、彼らが気付いていないかどうかだけを気にかけました。
 招待客のボリスは、ペテルブルクで結婚相手を見つけられず、モスクワへの資産のある二人の令嬢、マリアとジュリーに目をつけており、マリアに対して特別な心遣いを見せました。

 皆が帰った後で、ピエールとマリアは二人で会話をする機会がありました。ピエールは、結婚相手を探しに来たボリスがマリアに特別な心遣いを見せる一方で、ジュリーにも色目を使っていることを語り、そのことに全く気づかなかったマリアを驚かせました。二人はアンドレイの結婚相手であるナターシャのことについて話しました。マリアは、ナターシャのことをあまり知らず、批判的な目で見ていました。意見を求められたピエールは、ナターシャが決して頭が良いわけではないが、魅力的であると評しました。

 二十七歳のジュリーは、結婚の最後の機会を逃すまいと、社交界に頻繁に出入りしていました。彼女は、男の兄弟たちが死んだため、莫大な財産を得ることが約束されており、以前より不美人になっていましたが、自分には魅力があると思い込んでいました。カラーギン家は毎日のようにパーティーが開かれ、多くの客が出入りしました。ドルベツコイ公爵夫人は、カラーギン家にしょっちゅう出入りして、ジュリーが将来得ることになる資産を探り、息子をジュリーの前で引き立てようと努めました。ジュリーは、実際には何一つ苦しみを嘗めるようなことはなかったにも関わらず、人生に幻滅しているような態度で客に接しました。ボリスは、そのような彼女の中にある不自然さに嫌悪を感じました。

 ボリスが自分との結婚を意識していることに気付いたジュリーは、申し込みを受け入れるつもりでいました。しかし彼がなかなか申し込みをしてこないため、ジュリーはカラーギン家に現れるようになったアナトールに気を見せるようになりました。自尊心を傷つけられたボリスは、モスクワに来た目的が無駄になるのが我慢ならず、愛しているわけではないジュリーに結婚を申し込みました。それによりボリスはペンザの領地と、ニージニー・ノヴゴロドの森を手に入れることとなりました。

ボルコンスキー家を訪れるナターシャ

 一月の末、ロストフ伯爵は、ナターシャの嫁入り道具を揃え、屋敷を売るために、ナターシャとソーニャを連れてモスクワにやって来ました。屋敷には暖房がなかったので、彼らは一人で暮らしているマリア・アフローシモアの家に泊まりました。
 アフローシモアはお気に入りのナターシャを呼び、これからモスクワで会うことになるアンドレイの父親に対して、大人しく愛想よく振る舞うように忠告を与えました。

 翌日、ロストフ伯爵とナターシャは、ボルコンスキー公爵のところへ行きました。
 ロストフ伯爵は、義勇軍徴収で人員を出さなかったことで、以前ボルコンスキー公爵に叱責を受けたことがあったため、ナターシャだけを送り込み、自分は近所の知り合いの家に行ってしまいました。

 ロストフ親娘に会う気はないとボルコンスキー公爵が怒鳴り散らしたため、一人でナターシャを迎えたマリアは、彼女の派手で軽薄で、虚栄心の強いように見えるところが気に入りませんでした。
 ナターシャもまた、マリアのわざとらしくもったいぶった態度が気に入りませんでした。

 ボルコンスキー公爵は、わざと部屋着で現れ、ナターシャを侮辱しました。
 マリアとナターシャは、黙って顔を突き合わせることしかできず、ブリエンヌだけが愛想よくナターシャに接しました。

 ナターシャは、アンドレイについて話そうとしないマリアに、憎しみに近い感情を抱き、ロストフ伯爵が戻ると、すぐに帰る支度を始めました。帰り際になって、マリアはようやくアンドレイについて話し始めましたが、ナターシャは冷ややかな態度でその話を遮りました。

 家に帰ると、ナターシャは泣きじゃくり、ソーニャに慰められました。アフローシモアもナターシャが受けた酷い仕打ちに気づきましたが、それに気づかないフリをしてやりました。

モスクワのオペラ

 ロストフ一家は、アフローシモアが切符を取ってくれたオペラに出かけました。
 ナターシャは行きたくありませんでしたが、アフローシモアの好意に応えるため、泣き出しそうなのを堪えながら出かけました。彼女はアンドレイのことを忘れようと努めていました。

 ナターシャとソーニャ、しばらくぶりにモスクワに姿を現したロストフ伯爵は、他の客たちの注目を集めました。

 オペラにはジュリーとボリス、ドルベツコイ公爵夫人、エレン、ドーロホフらが来ていました。

 舞台が始まると、副官の制服を身につけたアナトールが遅れて入ってきました。彼は、ナターシャをちらりと見て、ドーロホフの隣に腰掛けました。ナターシャは、アナトールが自分を褒めているらしいことに気づき、満ち足りた気持ちになりました。彼女がピエールと話していると、すぐ後ろにアナトールがやってきて、こちらの方に視線を送りました。ナターシャは、その視線が自分に向けられていることに気づきました。

 ロストフ家のことをボリスやアンドレイから聞いていたエレンがやってきて、ナターシャやソーニャと近づきになりたいと申し出ました。
 ナターシャは、エレンの席でオペラの続きを見ることになり、その席に入ってきたアナトールを紹介されました。彼女は、アナトールの無邪気で人の良さそうな笑顔に惹かれるとともに、彼が瞬時に自分と近しい存在になったことを感じました。彼女は、アンドレイとのことをはるか遠い出来事のように感じましたが、家に帰ると再びアンドレイのことを思い出し、良心の呵責を感じました。

アナトールの誘惑を受けるナターシャ

 アナトールがモスクワにやってきたのは、ペテルブルクで年に二万ルーブルを使い、父親のワシーリー公爵が債権者たちに返済を迫られたためでした。ワシーリー公爵は、彼にモスクワで副官の職に就き、よい結婚相手を見つけるようにと命じ、その相手としてマリアかジュリーを指名していました。
 アナトールはポーランド駐屯中に、ある地主の娘と関係を持ち、その父親によって結婚させられていましたが、すぐに妻を捨て、その父に金を送るという条件で、独身のふりをすることを許されていました。野心も見栄もなく、あらゆる名誉を嘲笑していた彼は、放蕩を繰り返しても罪の意識を感じることなく、それがどのような悪影響を及ぼすかを考えたこともありませんでした。
 モスクワに着いたアナトールは、ピエールの家に転がり込みました。ピエールははじめ嫌がっていましたが、そのうちに一緒に乱痴気騒ぎに興じるようになり、アナトールに金をやってました。
 アナトールは、あらゆる饗宴で飲み明かし、何人かの女を追いかけ回していました。
 追放されてペルシアに行き、再びモスクワに現れたドーロホフは、金持ちの若い男を自分のギャンブルに誘い込むために、アナトールの名前を利用していました。
 そのドーロホフとモスクワで合流したアナトールは、ナターシャを手に入れると宣言しました。

 貞節をなくしたような気分に不安を感じていたナターシャたちを訪ねに、エレンがやってきました。彼女はアナトールに頼まれて、ナターシャを自宅での集まりに呼びにきたのでした。
 ナターシャは、自分に優しくしてくれる気立ての良いエレンに魅了されました。エレンの方もまた、ナターシャのことを気に入り、楽しませてやりたいと考えました。ナターシャは、その集まりに行くことを決めました。

 ナターシャとソーニャは、ロストフ伯爵に連れられてエレンの家に行きました。そこは、自由奔放で知られる若者たちが集まっていました。
 フランス女優マドモアゼル・ジョルジュによる朗読会では、アナトールはナターシャを待ち構え、後ろの席に座りました。ナターシャは朗読が耳に入らず、ただ自分が理性とはかけ離れた場所に来てしまったことを感じました。
 ロストフ伯爵は、そのパーティーに危険なものを感じ、すぐに帰ろうとしましたが、エレンがそれを許しませんでした。

 アナトールは、ナターシャをワルツに誘い、愛の言葉を囁きました。ナターシャはその後のことをほとんど覚えておらず、アナトールと二人きりになった時に、自分に唇が押し当てられたことだけを感じました。

 その夜ナターシャは眠れない夜を過ごしました。

 同じ頃、アフローシモワは、ボルコンスキー公爵のところへ行ってナターシャについて話そうとしたものの、怒鳴りつけられて帰ってきました。彼女は、ナターシャとアンドレイがモスクワで会うことを懸念し、ナターシャたちをオトラードノエに帰し、アンドレイがモスクワに帰ってきたら父親と結婚についての相談をさせ、それが上手くいけばルイスイエ・ゴールイでの結婚を、上手くいかなければオトラードノエに来てもらうことを提案しました。

 アナトールは、ドーロホフに書かせたラブレターをナターシャに送りました。ナターシャはそれを読み、自分がアナトールを愛していることを確信しました。
 ソーニャは、眠っているナターシャの傍に、開かれたままになっていたアナトールの手紙を見つけ、それを読んで青ざめました。目を覚ましたナターシャは、アナトールに恋をしていると彼女に告げました。ソーニャは、その恋を思いとどまるよう必死になって説きましたが、ナターシャに聞き入れる耳はありませんでした。

 ナターシャは、自分たちの間にできた誤解を解きたいという手紙をマリアから受け取りましたが、アンドレイの妻になるつもりはないという返事を送りました。

 クラーギン家のディナー・パーティーでも、ナターシャはアナトールと興奮した様子で話し続けました。ソーニャは、ナターシャから目を離さないようにしようと試みましたが、ナターシャはソーニャを避けるように行動しました。

ナターシャとアナトールの駆け落ち未遂

 買い手を連れてモスクワ郊外の土地に行っていた伯爵が帰ってくる日の前日、ソーニャはナターシャの不自然な印象から、彼女が恐ろしい計画を企てていることを悟りました。
 アフローシモアは、泣いているソーニャを見つけ、何もかもを白状させると、ナターシャの部屋に鍵をかけ、使用人たちにこれからやってくるアナトールを捕らえるよう命じました。

 その頃、アナトールはドーロホフの家に移り住み、ナターシャの誘拐計画を立てていました。彼は、その日の夜十時にナターシャを迎え、モスクワから六十キロ離れた教会に連れて行き、破門僧によって結婚式を行うつもりでした。ドーロホフは、刑事裁判にかけられるであろうアナトールに、思いとどまった方がいいのではないかと忠告を与えました。しかし、ナターシャに夢中になっていたアナトールは、その計画を途中で止める気はありませんでした。
 アナトールは、ドーロホフと結婚の立会人となる仲間を乗せて、馬車に乗り込みました。

 アナトールたちがアフローシモアの家に着くと、そこでは大男の従僕ガヴリーロが待ち構えていました。計画が失敗に終わったことを悟ったドーロホフはアナトールの手を掴んで引っ張り、トロイカに駆け戻りました。
 アナトールが逃げていったという知らせが届くと、アフローシモアはナターシャの部屋に入り、大声で叱責しました。駆け落ちの邪魔をされたナターシャは怒り狂い、むせび泣きました。
 アフローシモアはこのことをロストフ伯爵には隠しておくことに決めました。

 翌日、土地の買い手を見つけて上機嫌で帰ってきたロストフ伯爵には、ナターシャは病気だと伝えられました。彼は自分がいない間に何かが起きたことを察しましたが、くつろいだ気分に浸りたかったため、それ以上何かを聞き出そうとはしませんでした。

事件を知ったピエールの行動

 ピエールは、モスクワにやってきたエレンに会いたくないため、バズデーエフ未亡人のいるトヴェーリに出かけていました。その後、彼はモスクワへ戻ると、アフローシモアからの手紙で、アンドレイとナターシャに関する重要な用件があるという内容の手紙を受け取りました。
 彼はアフローシモアの家に行き、ナターシャが両親に知らせずにアンドレイとの婚約を断ってアナトールと駆け落ちしようとしたことを知りました。彼はアンドレイの誇り高い心を気の毒に思いました。

 アフローシモアは、アンドレイかロストフ伯爵がアナトールに決闘を申し込むのではないかと心配し、モスクワから去るようにアナトールに伝えて欲しいと頼みました。
 ロストフ伯爵は、ナターシャが結婚を断ったことだけは知っており、ひどく取り乱していました。
 アナトールが結婚していたことを知っていたピエールは、アフローシモアに促され、その事実をナターシャに伝えました。ナターシャは、口をきく力もなくなり、一人にして欲しいということを身ぶりで伝えました。

 ピエールはアナトールを探し回り、彼がナターシャに会う手筈を整えてもらおうとエレンの元へやってきたところを捕まえました。そしてアナトールを自分の書斎に連れて行き、怒りに任せて掴みかかり、モスクワを去るように言いました。

 翌日、アナトールはペテルブルクに去って行きました。

 アナトールが結婚していたことを知ったナターシャは、砒素を飲んで自殺を図りました。怖くなった彼女は、すぐにソーニャに伝えたため、命は取り止めましたが、ひどく衰弱しました。

 モスクワでは、アナトールとナターシャの駆け落ちが未遂に終わったという噂で持ちきりになっており、ピエールは、アナトールがナターシャに結婚の申し込みをして断られたに過ぎないことを皆に信じ込ませようとしました。

 ボルコンスキー公爵はその噂を知っており、かねてから反対していた結婚が破談になったことを喜ぶ様子を見せました。

 数日後、アンドレイから帰国を知らせる手紙がピエールのもとに届きました。

 アンドレイは、モスクワに着くと、ナターシャからの結婚を断る手紙を読み、彼女がアナトールと駆け落ちしようとしたことを知りました。

 ピエールはボルコンスキー家を訪れました。マリアは、兄とナターシャの結婚が破談になったことを喜んでいる様子でした。

 アンドレイは内面の悲しみを包み隠し、スペランスキーが流刑されたことについて客と話をしていました。彼は、ナターシャは今までもこれからも自由であるということ、彼女の幸せを願っているということを伝えて欲しいとピエールに頼み、それ以上の話をしようとはしませんでした。

 ピエールは、アンドレイに頼まれたことを果たすため、ナターシャに会いに行きました。ナターシャはアンドレイに対して罪の意識を感じており、自分を赦してくれるように伝えて欲しいと頼みました。
 ピエールはそれまで軽率な行動をとったナターシャを軽蔑していましたが、彼女の顔を見た途端、憐みと愛おしさを感じ、涙を流しました。
 彼は、もし支えや忠告が必要になったら、自分のことを思い出してほしいと伝え、もし自分が自由でもっと優れた人間であったなら、ひざまずいてナターシャの手と愛情を求めると言いました。その言葉にナターシャは感動と感謝の涙をこぼしました。

 帰途、ピエールは、巨大な1812年の彗星を見ながら、ナターシャが最後に見せた感謝の瞳を思い出して嬉しくなり、自分の魂が高みに達していることを感じました。