レフ・トルストイ『戦争と平和』の登場人物、詳しいあらすじ、感想

 『戦争と平和』は、一八六五年から一八六九年にかけて発表された、レフ・トルストイの長編小説です。
 ロシアにとって激動の時代であった、対ナポレオン戦争の間の一八〇五年から一八一三年(エピローグを含めると一八二〇年まで)を舞台とし、史実と創作を織り交ぜながら、その時代に生きる人々のドラマが描かれた作品です。

 多くの優れた作家を輩出した十九世紀は、ロシア文学史における黄金時代と言われています。トルストイは、ドストエフスキーやツルゲーネフらとともにこの時代を代表する文豪で、そのトルストイの作品の中でも『戦争と平和』は、『アンナ・カレーニナ』とならぶ代表作です。

 イギリスの小説家サマセット・モームは、『世界の十大小説』の中で、『戦争と平和』をこのように評しています。

『戦争と平和』は、たしかにあらゆる小説の中でもっとも偉大な作品である。このような小説は、高度の知性と力強い想像力に恵まれた人、この世の中についての豊かな経験と人間性を見抜く鋭い洞察力とを持った人でもなければ、とうてい書けるものではない。これほど堂々とした広がりを持ち、これほど重要な歴史上の一時期を扱い、これほど限りない数の人物を登場させた小説は、この作品以前には、一度として書かれたことがなかったし、今後とても、二度と再び書かれることは、おそらくあるまい。

 あらゆる方面から最高の評価を得ているこの作品は、海外文学が好きな人ならば、必ずいつかは読了したい小説のうちの一つにあげられる作品ではないでしょうか。

 このページでは、『戦争と平和』の、登場人物、あらすじ、感想を紹介します。

※あらすじだけでなく、登場人物紹介や感想もネタバレ内容を含みます。

『戦争と平和』の主な登場人物

五百人を超えると言われる『戦争と平和』の登場人物のうち、特に重要だと思われる十九人を紹介します。おおむね登場時のみのプロフィールとなっています。

ベズーホフ伯爵家

ピエール・ベズーホフ
ロシア有数の富豪であるベズーホフ伯爵の私生児のうちの一人。海外の遊学を終え、ロシアの社交会に入ったばかりで、アナトールらと共に放蕩を繰り返している。まもなく他界する父の財産の全てを相続することとなる。

ボルコンスキー公爵家

ニコライ・ボルコンスキー公爵
前皇帝パーヴェルの重臣で、現在は田舎の領地ルイスイエ・ゴールイで娘のマリアとともに暮らしている。秩序正しい生活を送り、その厳しい態度のため、周囲の人々に恐れられている。

アンドレイ・ボルコンスキー
ボルコンスキー公爵の長男。ピエールの親友。ロシアにおける第二のナポレオンになろうという野望を抱き、身重の妻リーザを父親のいる田舎に預け、クトゥーゾフ将軍の副官として戦場に向かうことになっている。

マリア・ボルコンスカヤ
アンドレイの妹。社交会に出ることを許されず、父ボルコンスキー公爵、フランス人の話し相手マドモアゼル・ブリエンヌと共に田舎の領地で暮らしている。宗教に傾倒している。

クラーギン公爵家

アナトール・クラーギン
ペテルブルクで要職にあるクラーギン公爵の次男。社交会でさまざまな浮き名を流し、ドーロホフらと放蕩を繰り返している。

エレン・クラーギナ
クラーギン公爵の娘。アナトールの妹。類稀なる美貌と堕落した内面を持ち合わせ、社交会のトップに君臨する。

ロストフ伯爵家

イリヤ・ロストフ伯爵
モスクワに屋敷を持つお人好しな貴族。裕福な生活を続けていたものの、贅沢な生活により、徐々に家庭の財政状況を傾かせる。

ニコライ・ロストフ
ロストフ伯爵の長男。親しみやすい顔立ちの美男子。軽騎兵に入ることが決まっている。ボリスとは幼い頃からの親友。ソーニャと恋仲。

ソーニャ
ロストフ伯爵の姪。黒髪の華奢な娘。両親がおらず、ロストフ家で養育されている。幼い頃からニコライに恋心を抱いているが、持参金のないことやニコライとの縁戚関係により、結婚への障壁は大きい。

ナターシャ・ロストワ
ロストフ伯爵家の天真爛漫な末の娘。大人の世界に憧れており、十二歳の頃の自分の恋愛相手にボリスを選ぶ。歌や踊りで類稀なる表現力を発揮する。

ペーチャ・ロストフ
ロストフ伯爵家のいたずら好きな末っ子。軽騎兵になる兄ニコライに憧れを抱いている。

ドルベツコイ公爵家

ボリス・ドルベツコイ
社交会を離れて貧乏な生活を送っていたドルベツコイ公爵夫人の一人息子。自分を溺愛する母の根回しにより、近衛連隊に入ることが決まっている。ニコライとは幼い頃からの親友。ナターシャに恋心を抱いている。出世欲が強い。

その他

フョードル・ドーロホフ
ギャンブルと決闘好きな士官。裕福ではないが、どれだけ飲んでも頭脳が明晰で、命知らずな行動をとることが多く、放蕩仲間から尊敬を集めている。

ワシーリー・デニーソフ
ニコライの勤務するパヴログラード軽騎兵連隊の中隊長。気のいい性格で、連隊の人々に親しまれている。

オシップ・バズデーエフ
ロシアにおけるフリーメーソンの中心人物の一人。胆嚢の病気に苦しみながら、モスクワで数学を研究している。

プラトン・カラターエフ
心優しい古参兵。百姓として良い暮らしをしていたが、他人の林に材木をとりに行って捕まり、裁判にかけられて兵隊になった。

歴史上の人物

ナポレオン・ボナパルト
フランス皇帝。作品冒頭のアウステルリッツ戦以前のロシア国内においては、自国を脅かす恐怖と憧れの対象として捕えられ、アンドレイやピエールにも影響を与えている。

アレクサンドル一世
ロシア皇帝。ニコライやペーチャらの敬愛を受ける。ナポレオンと敵対する。

ミハイル・クトゥーゾフ
ロシアの将軍。国内の批判にさらされながらも、アウステルリッツの戦いやボロジノの戦いで総司令官を務める。アウステルリッツ戦ではアンドレイが副官を務める。

『戦争と平和』のあらすじ

第一部

※第一部の詳しいあらすじはこちら

 ナポレオン率いるフランスとの戦争が間近に迫っていた1805年7月、遊学先の外国からロシアに帰ったばかりのピエール・ベズーホフは、父親の親戚にあたるワシーリー公爵の家に住み、将来を決めることができないまま放蕩生活を送っていました。
 彼はペテルブルク有数のサロンである、反ナポレオン派のアンナ・シューレル邸の夜会に参加し、ナポレオンを擁護する発言をして反感を買いました。

 ピエールの友人で、同じ夜会に出席していたアンドレイ・ボルコンスキーは、総司令官クトゥーゾフの副官として戦地へと旅立つ予定になっていました。

 その夜会の後、ピエールは、ワシーリー公爵の息子アナトールや、命知らずな行動で有名なドーロホフらの放蕩仲間と酒を飲んで警察署長に乱暴を働き、父親の住むモスクワに追放されました。

 ピエールの父親は、ロシア有数の金持ちと言われるベズーホフ伯爵でした。ベズーホフ伯爵は死に瀕しており、その相続が、直系の親戚であるワシーリー公爵らに行くのか、溺愛する私生児のピエールに行くのかはわかっていませんでした。

 一方、モスクワにあるロストフ伯爵の家では、ロストフ伯爵夫妻、長女のヴェーラ、長男のニコライ、末の息子のペーチャ、そして親戚の孤児であったソーニャが、末の娘ナターシャの名の日(自分と同じ名前の聖人の命日の祝い)を祝っていました。

 ロストフ伯爵夫人の子供時代からの友人であるドルベツコイ公爵夫人と、その息子のボリスがロストフ家を訪れました。
 ニコライとボリスは友人で、二人は軍隊に行くことになっていました。ソーニャはニコライと惹かれあっていましたが、持参金がないことや縁戚関係の問題のため、結婚の障壁は高いものとなっていました。大人の世界に憧れていた十二歳のナターシャは、ボリスと惹かれあっていて、彼が軍から戻る四年後に結婚するという約束を交わしました。

 ベズーホフ伯爵が息を引き取ると、遺言者の内容に従ってピエールがその正式な相続人になることが決まり、彼はロシア随一の金持ちとなりました。

 アンドレイは、父ボルコンスキー公爵の住む田舎の領地に身重のリーザを預け、戦地へと旅立っていきました。夫の出征を嘆くリーザを、アンドレイの妹マリアは慰めました。
 戦闘で功績をあげ、ロシアにおける第二のナポレオンになろうという野望を抱いていたアンドレイは、総司令官クトゥーゾフの副官として懸命に働き、同盟国のオーストリア皇帝に戦況を報告しに駆けつけたり、シェングラーベンの戦闘では勇敢な行動をとりました。

 軽騎兵連隊の見習い士官となったニコライは、中隊長を務めるワシーリー・デニーソフ大尉とともに陣中生活を送りました。彼の所属するパヴログラード騎兵中隊は、後退するロシア軍の後尾を務めました。
 シェングラーベン戦では、ニコライは敵と戦う前に怪我を負わされ、ロシア兵に助け出されました。夜になると彼は腕の痛みに耐えかね、皆が自分を必要としていた自宅を思い、自分が何のために戦場にいるのかわからなくなりました。

 ピエールは、自分の財産を狙うワシーリー公爵の計略により、その娘のエレンと愛のない結婚をしてペテルブルクに住み始めました。エレンは類稀なる美貌の持ち主でしたが、実の兄であるアナトールとの関係を噂されており、ピエールはその結婚に何かしら良くないものを感じました。

 ピエールとエレンの結婚を実現させたワシーリー公爵は、息子のアナトールをマリアと結婚させようと考え、ボルコンスキー家に連れていきました。アナトールは、美くしい顔立ちと気立ての良さでマリアを魅了し、彼女に結婚を決意させました。しかしアナトールはマリアの話し相手のフランス人であるマドモアゼル・ブリエンヌに欲情して誘惑し、その現場を見たマリアは、現世での幸福を期待することを捨て、宗教と自己犠牲に傾倒していきました。

 シェングラーベン戦で負傷したニコライは、軍に残り昇進しました。アウステルリッツの戦いが近づくと、彼はロシア皇帝アレクサンドル一世を見て激しく感動し、皇帝のために死ぬことが喜びであると考えるようになりました。

 アウステルリッツ戦では、ニコライは将軍バグラチオンの伝令を務め、皇帝に戦闘の開始について尋ねるために派遣されました。彼は戦場を駆け回り、ようやく敬愛するアレクサンドル皇帝を見つけましたが、話しかけることができず、悲しい気持ちのまま離れていくことしかできませんでした。

 アンドレイは、逃げまどう自軍に情けなさを感じながら敵に突っ込んでいき、大怪我を負いました。身動きを取ることができなくなった彼は、見上げた空の高さに気づきました。彼は戦場の見回りに来たナポレオンによって助け出され、助かる見込みのない負傷兵として捕虜になりました。無限とも思われる空の高さを知ったアンドレイには、これまで偉大な人物だと思っていたナポレオンも、ちっぽけな存在のように思われました。

第二部

※第二部の詳しいあらすじはこちら

 1806年の始め、ニコライは、デニーソフを連れてモスクワへ帰省しました。彼は、久々に再会したソーニャとの結婚を意識しましたが、まだその時期ではないと考えました。一方、ナターシャはボリスへの想いを完全に忘れたようでした。

 ピエールは、アウステルリッツ戦から帰ってきた昔の放蕩仲間ドーロホフを家に置いてやりましたが、まもなくエレンとドーロホフが親しい関係にあるという噂が広まりました。その噂に苦しんだピエールは、ロストフ伯爵が主催したパーティーで、ドーロホフが挑発してきたことに怒りを覚え、決闘を申し込みました。そしてピストルを持つのが初めてであったにも関わらず、ドーロホフに重傷を負わせました。
 決闘から帰り、エレンが堕落した女であることを確信したピエールは、一人でペテルブルクへと旅立って行きました。

 ボルコンスキー公爵家では、リーザのお産が始まりました。ちょうど同じ日、アウステルリッツ戦で傷を癒したアンドレイが自宅に戻りました。しかしリーザは難産のため、夫の帰りを理解できないまま男の子を産み落として息を引き取りました。アンドレイは妻の亡骸を見て、罪の意識を感じました。男の子はニコーレンカと名付けられました。

 ニコライは、ドーロホフの決闘の立会人を務めたことで、彼との親交を深めました。しかしドーロホフはロストフ家に出入りするうちにソーニャに恋をするようになり、結婚を申し込みました。ソーニャはその申し出をきっぱりと断りました。彼女がニコライに恋をしていることを知ったドーロホフは、ギャンブルにニコライを誘い、ロストフ家が破産するほどの借金を負わせました。ニコライは、ロストフ伯爵に許しを乞い、その借金を払い終えてもらうと、ナターシャに結婚を申し込んで断られたデニーソフと共に連隊へと戻りました。

 ピエールは、ペテルブルクに向かう列車の中で、有名なフリーメーソンのメンバーであるバズデーエフに出会いました。バズデーエフは、ピエールが信じていなかった神の存在を説き、人生の神秘を解き明かすために堕落した生活を止めることを勧めました。自分が何のために生きているのかわからなくなっていたピエールは、バズデーエフの知っている真理を解き明かしたいという欲求に駆られ、フリーメーソン入会を決めました。
 領地経営に乗り出すことを決めたピエールは、キエフの領地を見回り、病院、孤児院、学校が必要であると人々に説きました。彼は各地で歓迎されて自己満足を覚えましたが、実際は大多数の農民が貧困から抜け出せず、総支配人は彼の目を欺いて農民から搾取を続けました。
 帰途、ピエールは、父親から与えられた領地で過ごしていたアンドレイと二年振りに再会しました。フリーメーソンの教えである隣人への愛や自己犠牲について語るピエールと、戦争での負傷と妻の死を経験し、人生に降りかかる悪から逃げながら生活しているアンドレイは議論になりました。

 二人は、ルイスイエ・ゴールイに行きました。マリアは、「神の人」と呼ばれる放浪のキリスト教徒を家に置き、彼らと話すことを生き甲斐にしていました。ピエールは、ボルコンスキー公爵やマリアに対して親しみを覚えました。

 デニーソフとニコライの連隊は、ある荒廃した村に駐屯しました。デニーソフは、二週間まともな食事にありついていない連隊のため、歩兵の輸送物資を力ずくで奪い、出頭命令を受けました。その命令を断るため、彼は軽傷を負ったことを口実に、野戦病院に入りました。
 デニーソフを見舞いに行って特赦を嘆願する書類を受け取ったニコライは、ロシアとフランスとの間で講和が結ばれることになっているティルジットへ行き、知人を通じて皇帝に嘆願書を見せることに成功します。しかし、その嘆願が聞き入れられることはありませんでした。
 ニコライは、敬愛する皇帝とナポレオンが一緒にいるところを目にして、何のために戦争で多くの血が流されたのかわからなくなりました。

 アンドレイはニコーレンカの領地の後見人になるため、群の貴族団長になっていたロストフ伯爵に会いに行き、初めてナターシャを知りました。生き生きとしたナターシャにより、自分の人生がまだ終わらないと思うようになったアンドレイは、田舎の領地を出てペテルブルクに行くことを決意しました。
 彼はペテルブルクに着くと、軍事法規制定委員会の一員に加えてもらい、国政を取り仕切っていたスペランスキーに心酔するようになりました。

 その頃、度重なる贅沢や、長女ヴェーラに多額の持参金をつけて嫁にやったことでロストフ家は家計が傾いており、ロストフ伯爵は職探しのためにペテルブルクにやってきました。ボリスはナターシャに四年ぶりに再会し、再び心惹かれましたが、財政面で不利益になるため、結婚を諦めました。

 アンドレイは、年末の大きなダンス・パーティーでナターシャと踊ったことをきっかけに、ロストフ家を頻繁に出入りするようになり、ナターシャを愛していることを確信しました。
 しかしアンドレイから結婚についての相談を受けたボルコンスキー公爵は、その結婚をこころよく思わず、彼に一年間の外国での療養を命じました。
 アンドレイは、父親の命令に従うことにして、外国に行くことを話した上で結婚を申し込み、ナターシャはその申し込みを受け入れました。

 ピエールは、フリーメーソンの奥義を確かめるために外国に行きましたが、帰国後に行ったスピーチの失敗や、ボリスとエレンが近しい関係にあるという噂により苦しむようになりました。彼は妻の体面を傷つけないために、ペテルブルクからモスクワに移りましたが、お気に入りの令嬢ナターシャと親友アンドレイの婚約や、バズデーエフの死に寂しさを感じ、酒やパーティーに救いを求めるようになりました。

 財政難に陥ったロストフ家はニコライに助けを求めました。ニコライは仕方なく自宅に帰り、傾いた家計を立て直そうとしましたが、上手くいかずに投げ出してしまい、猟にいそしむようになりました。
 クリスマス祭で仮装したソーニャにかつてないほどの魅力を感じたニコライは、彼女との結婚を決意し、仕事の整理をつけるため連隊に戻りました。ニコライがいなくなると、二人の結婚に反対であったロストフ伯爵夫人は、ソーニャに理不尽な当てこすりをするようになりました。

 ボルコンスキー公爵は、マリアと共にモスクワにやってきました。「神の人」との会話ができなくなったマリアは、生活の楽しみを見出すことができなくなり、すぐに激怒する父を恐れながら暮らしました。彼女は、モスクワにやってきたボリスの結婚相手の候補となりましたが、ボリスは友人のジュリーと結婚しました。

 ナターシャの結婚の準備と屋敷の売却のため、ロストフ伯爵は、ナターシャ、ソーニャを連れてモスクワにやってきました。彼らは、率直な態度により社交会で有名な、知人のマリア・アフローシモアの家に泊まりました。
 ロストフ家は、オペラに出かけ、エレンやアナトールと近づくことになりました。既婚者であるにもかかわらず、モスクワでは独身者のふりをしていたアナトールは、ナターシャのことを気に入り、自分のものにしようと考えました。アンドレイの帰りを待ち続け、またボルコンスキー公爵やマリアとの対面が上手くいかなかったことを気に病んでいたナターシャは、アナトールの誘惑に抗えず、アンドレイへの結婚を断る手紙を書き、駆け落ちを決めました。ソーニャとマリア・アフローシモワにより、その計画は未然に防がれましたが、アナトールが結婚していたことを知ったナターシャは、毒を飲みました。彼女は一命は取り留めたものの、心に深い傷を負いました。

 ロシアに帰り、ナターシャから結婚を断られたことを知ったアンドレイは、悲しみを隠しながら、ナターシャが自由であるということと、幸せを願っているということを伝えて欲しいとピエールに頼みました。ピエールはナターシャに会いに行き、罪の意識に苦しむ彼女の顔を見た途端、憐みと愛おしさを感じ、心の中に秘めていた彼女への想いを伝えました。それを聞いたナターシャは感謝の涙を流しました。

第三部

※第三部の詳しいあらすじはこちら

 1812年、ナポレオン率いるフランス軍は、ネマン川を渡り、戦争が始まりました。

 アナトールがトルコに行ったということを知ったアンドレイは、決闘を申し込むため、トルコとの紛争地モルダヴィアに赴任することとなったクトゥーゾフと共にロシアを出発しました。しかし、行き違いでアナトールがロシアに帰ってしまったため、アンドレイは軍務を熱心に行うことに慰みを見出しました。ナポレオンがブカレストまで侵略すると、彼は新しい総司令官バルクライ・ド・トーリのもとで働くことを希望し、西部軍に転属されました。
 その途中、アンドレイはルイスイエ・ゴールイに寄りました。ボルコンスキー公爵は耄碌し、ブリエンヌを執拗に可愛がり、マリアを貶めていました。アンドレイはマリアを庇い、父親と衝突したまま家を出ました。
 彼は総司令部に着きましたが、ほとんどの参加者たちが自分の利益のことだけを考え、空論ばかりが飛び交う会議に幻滅を感じ、自ら宮廷で生きる道を閉ざし、実戦部隊に入ることを希望しました。

 軍務に戻ったニコライは、ソーニャのことを愛し続けていましたが、自分がロシア軍を離れることが許せず、自宅には帰りませんでした。彼は戦闘に参加し、フランス兵を捕虜にしましたが、自分が何のために罪のないフランス兵と戦ったのかわからなくなり、勲章を貰っても喜べませんでした。

 ナターシャは危険な状態を脱しましたが、自ら幸福への道を閉ざしてしまった後悔により、歌うことや笑うことができなくなり、モスクワにやってきた弟のペーチャと、自分の家に通うようになったピエールと差し向かいでいる時にしか慰めを見出せませんでした。しかし、知人の勧めにより教会に通うようになると、彼女は自分の悪徳が浄化されるように感じ、生きなければならないと思うようになりました。

 ナターシャに恋心を抱くようになったピエールは、その想いを伝えないままロストフ家に通い続けました。しかし、ニコライに憧れを抱いていたペーチャが、軽騎兵になりたいと言い始めて家族からの大反対を受けると、そのための手筈を密かに頼まれていたピエールは決まりが悪くなり、ロストフ家に近づくのをやめようと考えました。
 ペーチャは、モスクワにやってきた皇帝を見に行って、さらに愛国心を募らせ、軍隊に入らなければ家出をすると宣言し、ロストフ伯爵は安全な入隊先を探し始めました。

 アンドレイと仲違いをしたまま別れたボルコンスキー公爵は、ますます耄碌し、マリアのことを傷つけるようになりました。退却する軍の中で働いていたアンドレイは、ルイスイエ・ゴールイがフランス軍に略奪されるであろうことを危惧し、父親に宛ててモスクワに逃れるようにという手紙を書きました。その手紙を読んだボルコンスキー公爵は、マリアとニコーレンカをモスクワに送り、自分はルイスイエ・ゴールイに残ろうとして総司令官の指示を待っているときに倒れ、ボグチャーロヴォのアンドレイが建てた家に運ばれました。マリアは寝たきりになった父に付き添いましたが、その姿を見るのが恐ろしく、めったに寝室に寄り付きませんでした。
 ボルコンスキー公爵は、死の間際にマリアを呼び、それまで一度も口にしたことがなかった、これまでのことに対する謝罪と感謝の気持ちを述べ、息を引き取りました。マリアは悲しみながらも、自分が望んでいた自由な生活への期待が膨らむのを感じ、自責の念を覚えました。

 マリアは、自分の領地にいる百姓たちを連れて危険なボグチャーロヴォを出発しようとしました。しかしその土地に住みついた百姓たちは、自分たちが住処を追われ、奴隷にさせられるのではないかと思い込み、馬を出してはくれませんでした。
 足止めに合ったマリアのもとに、退却の途中でボグチャーロヴォに立ち寄ったニコライが現れました。彼は事情を聞き、百姓たちを叱りつけて出発の準備をさせ、マリアを安全な場所まで送ってやりました。マリアは、ニコライに深く感謝するとともに、自分が彼のことを愛しているのではないかと考えました。ニコライもまたマリアに惹かれ、結婚を約束したソーニャとの間で葛藤するようになりました。

 フランス軍の追撃を受けるロシア軍は、モスクワから百二十キロのところにあるボロジノまで退却しました。

 軍務につくべきがを自問していたピエールは、鞭打ちの刑に合うフランス兵の姿を見て、何としてでも戦場にいかなければならないという思いにとらわれ、モスクワを出発しました。ボロジノ戦の前日に戦場に赴いたピエールは、総司令官クトゥーゾフの副官の地位を断って戦場にとどまったアンドレイに再会しました。彼らは優れた指揮官について議論を闘わせたあと、自分たちが再び会うことはないだろうと予感し、固い抱擁を交わしました。

 翌朝、ボロジノの戦いが始まると、ピエールは自分でも気づかないままに最も激戦が繰り広げられていた場所に行き、心が熱くなるのを感じながら砲台の周りを歩き回りました。しかし、砲弾の衝撃で地面に叩きつけられ、攻め入ってきたフランス兵とつかみ合いになると、彼は恐怖を感じました。砲台が占拠されそうになると、彼は多くの死傷者を見ながら、その場を離れました。

 自分の連隊を連れて歩いていたアンドレイは、近くに落ちてきた榴弾の爆破に吹き飛ばされて大怪我を負い、森の中に運ばれて手術を受けました。意識を失ったあとで目を覚ますと、彼は自分が死ぬことを予感しましたが、人生に名残惜しさを感じることなく、深い幸福を感じました。
 彼は自分のそばで片足を切り取られて泣いている男が、探し求めていたアナトールであることに気づきました。その途端、アンドレイは、アナトールに対する憎しみが、深い憐れみと愛情に変わるのを感じました。それは人間全体に対する愛でした。

 両軍に多大な被害を出したボロジノ戦は、勝敗が曖昧なまま終わりましたが、フランス軍はさらに侵攻し、モスクワへと迫りました。モスクワの大衆は、ナポレオンに支配されることなどあり得ないと考え、街を出て行きました。

 その頃、ある若い外国の王子と、重要な地位にある重臣との二重の愛人生活をペテルブルクで送っていたエレンは、自分を縛っているピエールとの離婚を考えました。生きているピエールとの離婚が難しかったため、彼女はカトリックに改宗し、その改宗を利用してピエールに離婚を求める手紙を書き、宮廷との関係を保てる重臣との結婚を決めました。

 ロストフ家は、軍務についていたペーチャの帰りを待って、モスクワを引き払う準備を始めました。荷馬車に荷物を積み終えた頃、続々と運ばれてくる負傷兵たちに心を痛めたナターシャは、彼らのために荷馬車を明け渡すよう両親を説得しました。ロストフ伯爵夫妻は、仕方なくその主張に同意し、負傷兵たちのために荷馬車を提供しました。
 ロストフ家の人々と一緒に出発する荷馬車の中には、負傷したアンドレイが含まれていました。出発後にそのことを知ったナターシャは、彼に会いに行き、許しを乞いました。アンドレイは幸福を感じながら、前以上に彼女を愛していると伝えました。その日からナターシャは、アンドレイの元へ通い、甲斐甲斐しく世話をするようになりました。

 モスクワに戻ったピエールは、混乱と絶望の気持ちに襲われ、自分への面会を望む人々から逃れて失踪しました。死んだバズデーエフの妻から本を受け取って欲しいと言われていた彼は、バズデーエフの家に入って本の選り分けを行い、そのうちにナポレオンを暗殺しなければならないという考えに至り、短刀を持ちだして外へと出ました。
 ピエールは、火が放たれたモスクワの町を歩き回りましたが、ナポレオンに会うことはできませんでした。彼は略奪を行おうとしているフランス兵を目撃して殴りかかり、反対に殴り返されて両手を縛られ、放火犯として拘束されることになりました。

第四部

※第四部の詳しいあらすじはこちら

 クトゥーゾフは、皇帝宛に手紙を送り、モスクワが放棄されたことを伝えました。

 二人の男と愛人関係を続けていたエレンは体調を崩し、イタリア人医師から処方された薬を飲んで胸の炎症を起こし、命を落としました。このモスクワ明け渡しとエレンの死のニュースで、ペテルブルク中が持ちきりになりました。

 ニコライは、ボロジノ戦の数日後に、南西部の町ヴォローネジへの出張を命じられました。現地に着いた彼は県知事夫婦と懇意になり、社交会に出入りするようになりました。

 折しも、マリアが、アンドレイからの指示で叔母のいるヴォローネジで暮らしていることが分かり、ニコライは、マリアの家に出入りするようになりました。

 その頃、ロストフ伯爵夫人は、モスクワで経験したことに混乱し、ニコライに結婚を断る手紙を書くようにソーニャに懇願しました。ソーニャは、もし再び距離を縮めているナターシャとアンドレイの結婚が実現すれば、その縁戚関係によってニコライとマリアの結婚が不可能になると考え、ロストフ伯爵夫人の言うことに従って、結婚を断る手紙をニコライに書きました。
 ソーニャとマリアの間で葛藤していたニコライは、その手紙を読んで喜び、マリアとの距離を縮めました。

 フランス軍によって勾留されたピエールは、元帥ダヴーの命令で、他の逮捕者と一緒に処刑場へと連れて行かれました。五人が射殺される中、ピエールはその処刑を見せられるために処刑場へ連れて行かれており、命を救われました。
 捕虜となり、掘立て小屋に入れられたピエールに、同じ現場にいた男が優しい言葉をかけました。その男はプラトン・カラターエフという名で、もと百姓の古参兵でした。
 処刑を目の当たりにし、絶望に囚われていたピエールは、優しいプラトンとの会話により、生きる希望を取り戻しました。

 ニコライと愛し合っていることを確信したマリアは、幸福な日々を過ごしていましたが、アンドレイがロストフ家とヤロスラヴリにいることを知ると、ニコーレンカらを連れて会いに行く支度を始め、二週間かけてヤロスラヴリにたどり着きました。

 ボロジノ戦の負傷により、この世の生に束縛されない愛を知ったアンドレイは、死を恐れることがなくなり、生を拒否するようになっていきました。しかしナターシャが現れると、彼は再び現世での愛を呼び戻され始めました。しばらく彼の精神は生と死の間で揺れ動いていましたが、ある日、「死」がやってくる夢を見た直後に目覚めるという経験をして、死とは覚醒なのであるということを悟り、再び死に引きつけられるようになりました。ナターシャとマリアは、彼が遠くに行ってしまったことを悟りました。
 アンドレイは聖体拝受を受け、ゆっくりと息を引き取りました。
 七歳のニコーレンカは、父の死に人生の懐疑を感じ、涙を流しました。

 フランス軍はモスクワからの撤退を始めました。総司令官クトゥーゾフは新たな戦闘をできるだけ避け、後退するフランス軍に沿って軍を進めました。
 ロシアの民衆は、軍人に関わらずあらゆる階層の人々がパルチザンと呼ばれる部隊を組織し、フランス軍をゲリラ戦で攻撃しました。

 掘っ立て小屋に収容されていたピエールは、過酷な労働に縛られる生活を送りました。しかし頑丈な身体のおかげで、彼はその状況に耐え切り、これまでにない自由を感じました。
 ピエールのいた捕虜の集団は移動を命じられましたが、飢えや凍えなどによりほとんどの人々が落伍し、銃殺されました。
 プラトンもまたモスクワを出て三日目に熱を出した後、徐々に弱っていき、銃殺されました。その死は、ピエールにさまざまな思念を呼び起こさせました。

 デニーソフは、自分のパルチザンを率いて、フランス軍の輸送隊の攻撃する機会を窺っていました。彼は、自分の隊との合流を望むある将軍から手紙が受け取りました。その伝令を任されていたのは、将校となっていたペーチャでした。戦功をあげたいと躍起になっていたペーチャは、デニーソフの作戦に参加させて欲しいと頼みこみ、隊に加わりました。
 合流してきたドーロホフとともにフランス軍の偵察に出かけたペーチャは、翌日の戦闘で無謀な突撃を行い、一発の銃弾に頭を撃ち抜かれました。デニーソフとドーロホフは、フランス兵を降伏させ、ロシアの捕虜を奪い返しました。その助け出された捕虜の中にはピエールがいました。

 アンドレイを失ったマリアは、ニコーレンカの養育や、無傷で残っていたモスクワの屋敷に移る準備により現実に戻りました。ナターシャは一人きりで悲しみの中に取り残されていましたが、ペーチャの死の知らせによって半狂乱になったロストフ伯爵夫人の看病により回復しました。
 マリアとナターシャは深い絆で結ばれることとなり、ナターシャはモスクワの医者に弱った体を診てもらうため、マリアとともにモスクワへと向かいました。

 ロシア兵に助け出されたピエールは病気になり、オリョールで三ヶ月を寝て過ごしました。彼は捕虜の時に内面的な自由を得たことにより心が満たされ、プラトンとの会話や捕虜生活などによって、生きた神がどこにでもいるということを悟っていました。回復後、彼は屋敷と別荘の修復のため、モスクワに戻りました。
 ピエールは、マリアがモスクワにいるということを知り、ナターシャが一緒に暮らしていることを知らないまま訪ねて行きました。
 マリアの隣に座るナターシャに気づいた途端、彼は幸福に包まれ、彼女を愛していたことを思い出しました。

 彼はナターシャのもとに通い続けましたが、なかなか想いを打ち明けることができず、マリアにその役を頼みました。そしてマリアの忠告通り、エレンの借金問題を片付けるためにペテルブルクに向かうという当初の予定通りの行動をとることを決めました。

 一方、ナターシャも、ピエールとの再会によって以前の生命力を取り戻し、彼を愛するようになりました。彼女はマリアからピエールの想いを聞き、自分も彼のことを愛すようになったことを伝えました。そしてピエールがペテルブルクに発つことを知ると、それが必要なことなのだと自分に納得させようと試みました。

エピローグ

※エピローグの詳しいあらすじはこちら

 1812年の戦争後、ナポレオンはエルバ島に流刑となり、ヨーロッパではアレクサンドル皇帝を中心にしたウィーン体制と呼ばれる新たな秩序ができあがりました。

 ロストフ伯爵が息を引き取り、パリにいたニコライはモスクワの自宅に戻りました。彼はマリアの訪問を受けましたが、ソーニャの手前、彼女との距離を保ち続けました。しかし、ニコライの態度にマリアが涙を流したことがきっかけとなり、二人の距離は縮まりました。1814年の秋、ニコライとマリアは結婚し、ロストフ伯爵夫人、ソーニャとともに、ルイスイエ・ゴールイに移り住みました。
 結婚後、ニコライは農民たちに寄り添いながら、領地経営をしっかり行い、父の残した借金を返しました。

 ナターシャとピエールは、1813年の早春に結婚し、1820年には、四人の子供に恵まれていました。ナターシャは社交会に出ることを辞め、家族のために働く、逞しく太った母親になりました。ピエールは、ナターシャの尻に敷かれ、仕事以外で外出を許されませんでしたが、家庭ではナターシャの献身を感じることができました。

 1820年、ある結社の中心人物になっていたピエールは、ロシアにおける様々な問題を話し合うため、その結社の本部があるペテルブルクを訪れました。ナターシャは、マリアとニコライのいるルイスイエ・ゴールイに滞在し、夫の帰りを待ちました。
 ピエールがルイスイエ・ゴールイに帰ってくると、彼とニコライ、そしてそこを訪れていたデニーソフと、自分たちの子供を守るためにどのような社会を築くべきかという議論を戦わせました。

 十五歳になったニコーレンカは、議論が繰り広げられている書斎に忍び込み、熱烈な憧れを抱いていたピエールの話を夢中になって聞きました。彼はその夜、ピエールと大軍の先頭に立って歩いている夢を見ました。気づくとそれまでピエールであった人物はアンドレイに変わっていて、ニコーレンカの頭を撫でました。目が覚めたニコーレンカは、父がピエールを正しいと思っているのだと感じ、なんと言われようと、自分は父が満足するであろうことをしようと心に誓いました。

管理人の感想

 ロシアの大文豪トルストイの作品の中でも最も長大な作品で、ほとんどの日本語訳の文庫版でおよそ3000ページにも及ぶ『戦争と平和』を読破するのはなかなか大変です。本屋にずらりと並ぶこの本を尻込みしながら買い求め、意を決して読み始めても、すぐに大きな壁にぶつかります。五百人以上と言われる登場人物のうち、誰を覚えなければならなくて、誰を忘れてよいのか分からないのです。ロシア文学全般に言えることですが、登場人物の名前もややこしいです。読み始めてすぐ先の長さに途方に暮れ、挫折してしまう人も多いでしょう。

 しかし、ある程度読むためのコツのようなものを掴んでしまえば、これほど面白い小説はありません。その面白さは、深い思索に浸らせてくれるとか、神や宗教について考えさせられるといった難しいものではなく、魅力的な登場人物たちによって演じられる人間ドラマの面白さです。もちろん、多岐にわたるテーマを抱えるこの作品を難しく読もうと思えば、いくらでも難しく読むこともできます。しかし、次にどのような展開が待ち受けているのかとわくわくしながら、ただページをめぐる手が止まらなくなるような感覚に身を任せられるというのが、この作品の醍醐味であると思います。

 『戦争と平和』の素晴らしいところをあげればきりがないですが、その中でも他の作品に比べて抜きん出ているところは、これだけ多くの登場人物たちがいるにも関わらず、彼らが個性豊かに書き分けられているところにあると思います。

 ロシア随一の金持ちであるベズーホフ伯爵の私生児ピエールは、外国から帰ってきたばかりのロシアの社交会について何一つ知らない無知でお人好しな若者として登場します。彼は人生の目的が何であるかわからず、アナトールやドーロホフらの仲間と放蕩を繰り返しています。そして自分の状況をあまりよく理解できないまま、ベズーホフ伯爵の莫大な資産を受け継ぎ、周囲の計らいに乗せられる形で、上流社会の花形でありながら堕落した女エレンと結婚します。

 ボルコンスキー家の長男アンドレイは、聡明で意思が強いものの、妻リーザとの結婚生活に失望し、女性のことをエゴと虚栄の塊だと考える、冷ややかな男として登場します。彼はナポレオンを偉大な人物だと思っており、自分もフランスとの戦争で功績を挙げようと試みます。しかし、アウステルリッツ戦で重傷を負って倒れ、見上げた空の高さに気づくと、彼はそれまで偉大な人物だと思っていたナポレオンが、実はちっぽけな存在であるということを悟ります。

 ロストフ家の末の娘ナターシャは、自由闊達で、大人の社会に憧れる少女です。彼女はボリスとの恋愛ごっこや、デニーソフからの求婚を経て、アウステルリッツ戦から戻ったアンドレイとの婚約を果たします。しかし一年間の外国生活を送るアンドレイの帰りを待つ間に、彼女の魅力は、上流社会のならず者アナトールの目にも止まることとなります。誘惑を受けたナターシャは、アンドレイとの結婚を断り、アナトールとの駆け落ち未遂事件を引き起こします。

 ロストフ家の長男ニコライは、幼い頃から一緒に暮らしてきた遠縁のソーニャと結婚の約束をしています。彼は近衛兵となった友人のボリスの後を追い、軽騎兵になります。そして気楽な軍人生活を送るうち、いろいろな面倒ごとに巻き込まれる自宅に帰るのが嫌になり、それとともにソーニャとの距離も遠のいていきます。

 身寄りのないロストフ家の遠縁の孤児ソーニャは、ニコライを一心に愛し続けます。彼女は、自分に持参金がないことや、ニコライと親戚関係といった結婚の障壁があまりにも多いことを嘆きながらも、彼のことを待ち続けます。

 アンドレイの妹マリアは、父ボルコンスキー公爵の厳しい教育のもと、社交会に出ることを許されないまま、田舎の領地で寂しく暮らしています。束縛された生活の中で、現世での幸福を人一倍夢見ながらも、彼女はその欲望をかき消そうとするかのように、宗教に救いを求めながら生活しています。

 この六人が主要登場人物と言ってもいいと思いますが、彼らは皆、タイプは違えども、それぞれの未熟さを抱えています。そしてその未熟さゆえに、何度も道を踏み外します。何が自分にとっての幸福なのかを考えて迷走し、時にその幸福に手が届きそうになりながら、それが本当に自分の求めているものではないことに気づき、深く傷ついたり、周囲の人間を傷つけたりします。そしてそのような過ちを繰り返すうちに、彼らは何かしら大事なものを得て、少しずつ成長していきます。

 放蕩を繰り返し、ナターシャのことを深く傷つけるアナトール、非道徳で堕落した本性を隠しながら社交会のトップに君臨し続けるエレン、ピエールとの決闘やナターシャ誘拐未遂など作中でさまざまな問題を起こすドーロホフといった登場人物たちも、この作品の魅力を引き立てるために一役買っています。彼らは常に自分本意に振る舞い、他人の人生をめちゃめちゃにします。いわゆるヒール役ですが、主要な登場人物たちに負けず劣らず魅力的で、要所要所で登場するたびに、「次は何をしでかしてくれるんだろう」といった気持ちにさせてくれます。

 立身出世のことばかり考えているボリス、気のいいニコライの上官デニーソフ、お人好しな典型的没落貴族のロストフ伯爵、高潔な心を持ちながらもマリアを傷つけるボルコンスキー公爵のような脇役もしっかりとその存在感を発揮しています。ここまで枝葉の人物たちにもしっかりと焦点が当てられるところも、この作品が傑出している要素の一つであると思います。

 また、この作品の大きな特徴としてあげられるのが、歴史上の有名な人物たちが、上に挙げた架空の登場人物たちと直接関係しあうところです。ナポレオン、アレクサンドル一世のような有名な歴史上の人物であっても、トルストイの筆の前では、ただの一人の人間に過ぎません。作中でたびたび展開されるトルストイの考察によると、歴史を動かすのは個人の命令ではなく、一人一人の意思の総和です。

 世界中の国々で英雄として見なされているナポレオンは、権力を持つことに慣れ、誰もが自分のことを崇拝すると思い込んでいる哀れな人間として描かれています。作中では、彼は自分の成した残酷な行為のために理性や良心が曇り、その後生涯を通じて人間的な善や美を理解することはできなくなったとされます。

 アレクサンドル一世は、ある程度肯定的に描かれていますが、彼もまた平凡な一人の人間の枠を出ることはありません。

 唯一、好意的に書かれているのがクトゥーゾフで、戦争において勝敗を決めるのは、軍の士気のみであるということを理解している人物として描かれています。フランス軍撤退後、ロシアの勝利を確信したときに彼が見せる涙は、なかなか感動的です。

 長い小説というのは、それだけで登場人物たちと長い時を過ごすような気分になるため、それだけ感情移入がしやすくなるものです。『戦争と平和』では、足かけ十六年にわたる登場人物たちの軌跡を、長い時間をかけて追うことに加え、これらすべての登場人物たちが、本当に個性的かつ生き生きと描かれているため、遠い過去の、遠い海外の作品であるにもかかわらず、彼らがまるで自分の古くからの友人であるかのような感覚にさせられます。おそらくこの作品を終わりの方まで読み進めた人は、十人十色の愛や苦悩を抱える登場人物の中の、誰かしらの人生に思い入れのようなものを抱くようになり、物語が終わりに近づくにつれ、その人物と離れがたいような気持ちになるのではないでしょうか(もっともエピローグの第二篇で、登場人物たちの出てこない長々と続く論説を読むと、「早く読み終わってしまいたい」という感覚に陥るのですが)。

 だからこそ、アウステルリッツ戦で見上げた空の偉大さに気づくアンドレイ、クリスマス祭でお互いへの愛を確信するソーニャとニコライ、傷心のナターシャに秘めたる想いを告白するピエール、死に瀕したボルコンスキー公爵から初めて優しい言葉をかけられるマリア、パルチザン戦で若い命を散らすペーチャ、固く結ばれたアンドレイを失うナターシャ、プラトン・カタラーエフの落伍を経験するピエール、勝利を確信して感動の涙を流すクトゥーゾフに、心を動かされるのだと思います。

 数々の名場面を見せてくれた彼らも、エピローグの第一篇では、成熟した大人になった姿を見せてくれます。

 ニコライはマリアと、ピエールはナターシャと結ばれており、彼らなりの幸福に辿り着いた様子です。(唯一、最初から自分の求める幸福を曲げることのなかったソーニャだけが、その幸福を掴み取れなかったのはなんとも皮肉です。実はソーニャの運命の人はアンドレイだったということをほのめかす箇所がありますが、いずれにしても可哀想に感じてしまいます。)

 ピエールとニコライは議論を戦わせます。ピエールは、世の中を良くするために一人一人の国民が立ち上がることを主張し、ニコライは、どのような時であっても政府の命令には従わなければならないと主張します。もしアンドレイがその場にいたら、きっとうまく収めてくれるんじゃないかとも思いますが、彼らの議論は小さな諍いにまで発展します。でも実は二人とも、自分たちの子供が平和な世界で不自由なく暮らせるようになるために、お互いの意見を主張してるんです。つまり、二人とも同じことを願っていたにも関わらず、その願いを達成するための方法として異なることを主張したために、お互いに不満を抱く結果になったのです。

 歴史上の出来事が大衆の意思の総和であるならば、その歴史を動かす大衆の力というものは、議論を戦わすピエールやニコライと同じように、子や親を想う気持ちから発しているのかもしれません。そして、国籍も人種も関係なく、ほとんどすべての人が大事な人を守りたいという同じ目的に向かっているにも関わらず、そこに至るための方法論が異なるというだけの理由で、大きな戦争が起きるのかもしれないと思いました。

 物語が終わっても、彼らは迷い、傷つき、その度に成長していくのだと思います。「霊魂は不滅なの」(第二部第四篇)だというナターシャの言葉を借りるなら、死んでしまったアンドレイでさえ、魂のレベルではまだまだ道の途上なのではないでしょうか。

 彼らがこの後の歴史にどのように関わり、何を感じるのか、決して知ることのできない続編に想いを馳せるという読後の楽しみも与えてくれる作品であると思います。