『斜陽』は、1947年に発表された太宰治の作品です。作家としての地位を既に築いた後に書かれた作品で、発売と同時にベストセラーとなり、没落した貴族のことを指す斜陽族という言葉が流行語にもなりました。現代では、『人間失格』と並ぶ、太宰治の代表作として広く知られています。
没落していく貴族の母、その母親を想いながらも、自分の中に母を弱らせる恐ろしい蛇がいると思うかず子、かず子の弟で阿片中毒の直治、直治が慕う作家の上原二郎ら、破滅的に生きながらも、新しい倫理を模索していく人々を描いた作品です。
『斜陽』の登場人物
※ネタバレ内容を含みます。
かず子の母
爵位を持つ夫を十年前に亡くし、零落する家に住みながら、離婚したかず子の面倒をみる。作法を無視していても振る舞いが優美に感じられ、子供のかず子や直治からは、「最後の本物の貴族」だと思われている。
夫の臨終の際に枕元に蛇を見てから、蛇を恐れるようになった。その後実弟(かず子の叔父)の世話になっていたが、戦争が終わって弟の財産がなくなり、東京から伊豆の山荘に引っ越した。
阿片中毒になって帰還する直治を養生させるために、かず子を東京の親戚の家に奉公させようとするが、かず子に泣きつかれて考え直し、着物を売って贅沢に暮らそうと提案する。
そのうちに長期にわたる熱を出し、肺結核と診断されたときには手遅れの状態になっており、かず子に寄り添われながら息を引き取る。
かず子(私)
二十九歳。六年前に絵描きの細田という男との不倫を疑われて離婚し、妊娠したまま実家に帰り、死産した。実際には細田とは何の関係もなく、弟の直治に届けるための金を一時預かっている小説家の上原二郎に素早くキスをされた際に、自分にひめごとができたと感じるようになり、夫と喧嘩した際に、「恋人がある」と言ったために疑いを持たれる事となっただけであった。その後肺病にかかり寝込んだが、今はそれを「わがまま病」であったと思っている。
母とともに東京の家から伊豆の山荘に引っ越す。自分や直治によって母が日に日に弱っていくのを不安に思う。
直治が上原のもとに通い始めたころから、上原の小説を読んでいた。伊豆の山荘に引っ越して直治が帰還すると、自分を妾にして妊娠させてほしいという手紙を上原に書くが、すべて返事は帰ってこなかった。
母の看病を行いながら、ローザルクセンブルグの『経済学入門』を読み、旧来の思想を片端から破壊していく著述から、道徳に反しても恋する人のところへ走り寄る人妻の姿を思い浮かべ、人間は恋と革命のために生まれて来たのだという考えに至る。
肺結核になった母を心から痛ましく思い、寄り添いながら看病して最期を看取るが、葬式が終わると休む間もなく上原のもとを訪れる。その後すぐに上原に捨てられるが、望み通りに子どもを身籠った。上原への最期の手紙の中で、自殺した直治の弔いのため、生まれてくる子供を上原の妻に抱かせ、「これは、直治が、或る女のひとに内緒に生ませた子ですの」と言わせてほしいと頼む。
直治
かず子の弟。高等学校に入って文学に凝り、不良少年のような生活を送り麻薬中毒になる。薬屋への支払いが滞ると、嫁いだばかりのかず子に金を無心する。小説家の上原に憧れて通いつめ、その上原によって麻薬中毒を抜け出す代わりに酒飲みにさせられる。
大学の途中で召集され、南方の島で消息が絶えていたが、阿片中毒になりながら生きながらえていた。
日本に帰還すると、かず子たちのいる伊豆で養生させられることになるが、家にある衣類を売り、その金で東京に通う生活を送る。
母の死後、ダンサーとともに訪れた山荘で自殺を図る。かず子に向けた遺書には、階級の異なった人々と心から打ち解ける事ができず、上流貴族の生活に戻ることもできない孤独を感じていたこと、ある洋画家の妻に恋をして、その恋を諦めるために放蕩を繰り返していたことが書かれていた。
上原二郎
直治が憧れている小説家。不道徳な小説を書く。小柄で顔色が悪く不愛想。よくできた妻と幼い子供がいる。六年前、麻薬中毒でかず子に顔向けできない直治に変わって、金を受け取る役を引き受けていた。その際に訪ねてきたかず子を飲み屋に誘い、直治の麻薬中毒を治すために酒飲みにしようという提案をする。その帰り際に素早くキスし、ひめごとができたという思いをかず子に植え付ける。
直治が戦争から帰還し、母親の面倒を見ているかず子から、自分を妾にして妊娠させてほしいと言う手紙をもらうが、返事を書くことはしなかった。
西荻の店で飲んでいるところにかず子の訪問を受け、関係を結ぶ。その後妊娠したかず子を捨てる。
和田の叔父
かず子の母の実弟。かず子の父親が死んでから一家の世話をしていたが、終戦後、家を売らなければならなくなり、かず子と母を伊豆の山荘に引っ越させる。
阿片中毒になった直治の帰還をかず子の母親に伝え、直治を養生させるためにかず子を駒場の親戚の家に奉公に上がらせる提案をする。
『斜陽』のあらすじ
爵位の夫を持っていたかず子の母の仕草は、礼儀作法には外れていても、とても可愛らしく、エロティックにすら見えました。かず子の弟の直治に言わせると、母は本物の貴族であり、かず子自身も、母のことを「最後の貴婦人」だと思っていました。
母は、直治のことを心配していました。直治は高等学校で文学に凝って麻薬中毒になり、大学の時に召集されて南方の島で消息を絶ったのです。
父親の死後、かず子と母は、叔父(母の実弟)の世話になりながら、残された東京の家で暮らしていましたが、終戦になり叔父の経済状態が苦しくなると、伊豆の山荘へ引っ越しました。
かず子は、東京の家を恋しがり病に伏すまでになった母のことを心から心配していました。しかしその一方で、自分の心の奥底にある蛇のような感情が、母の寿命を縮めているのではないかとも思っていました。
引っ越しが終わり、しばらく安穏に暮らしていた二人ですが、かず子が火事を起こしかけたこともあり、母はだんだんと弱っていきました。かず子は畑仕事に精を出し、不安や焦燥を紛らわせました。
ある日母は、直治が生きていることをかず子に伝えました。直治はひどい阿片中毒になっているということでした。叔父は直治を養生させるための金がなく、かず子を駒場の血縁に奉公させる提案をしてきたようでした。
それを聞いたかず子は取り乱し、激しく泣きました。そのため母は、かず子の奉公を断る手紙を書き、これからは着物を買って、畑仕事などせずに贅沢に暮らそうと言いました。
直治は帰還しても、すぐに宿屋へ飲みにいき、家の衣類を売った金で東京へ通い、放蕩を繰り返しました。
かず子には忘れられない人がいました。それは直治が師匠と慕っている上原二郎でした。上原は不道徳な小説を書く作家で、妻子を持っていました。六年前、かず子は、麻薬中毒になっていた弟への送金をするために、間に入ってくれた上原を訪ね、飲み屋で過ごしたあとに素早くキスをされました。その当時、かず子は結婚していましたが、「ひめごと」を作ってしまったという感覚になりました。その後、かず子は上原ではない他の男と不倫をしたのではないかという不実の嫌疑をかけられ、妊娠中にも関わらず離婚して母の元へ戻り、死産しました。その時に直治とともに上原の小説を読むようになったのでした。
母がだんだんと弱っていく中、かず子は上原に三度にわたって手紙を書き、その中で、妾でもかまわないので上原との子供が欲しいと訴えました。しかし、上原からの返事は来ませんでした。かず子は凄愴な思いに襲われ、自分から上原に会わなければならないと思うようになりました。
しかし上京の決心をしたとたんに、母の様子がおかしくなりました。一週間経っても熱が治らず、肺結核と診断されました。
母を看病しながら、かず子はローザルクセンブルグの経済学入門を読み、この著者が旧来の思想を片端から破壊していく勇気に興奮を覚え、道徳に反しても恋する人のところへ走り寄る人妻の姿を思い浮かべ、人間は恋と革命のために生まれて来たのであり、哀れで悲しく美しい革命を起こさなければならないと考えました。
母の死を看取ると、かず子は悲しみに沈む間も無く東京に向かい、西荻の店で上原を見つけました。上原は、六年前に会った頃とは変わり、老いていました。上原は泊まるところがないかず子を知り合いの家まで送り、そこで二人は関係を持ちました。かず子は屈辱を感じて抵抗しましたが、そのうちに可愛そうになって抵抗をやめました。自分の恋が終わったかのように思ったかず子でしたが、翌朝になり、上原の疲れ果てた寝顔を見ているうちに、再び恋に落ちたことを悟りました。
その朝、直治は自殺しました。
直治はかず子に遺書を残しました。
高等学校や兵隊に入った直治は、民衆と打ち解け、貴族であることを忘れるために麻薬を始めたようでした。しかし結局民衆とは芯から打ち解けることができず、かといって上流貴族の生活に戻ることもできず、やがて直治は「人間は同じものだ」という思想を憎むようになりました。やがて彼はこの言葉から脅迫めいたものを感じるようになり、酒や麻薬にますますのめり込んでいくこととなったようでした。
遊んでも楽しく感じる事もなく、母の愛情のためだけによってこれまで生きながらえてきましたが、その母が死んだために、直治は死ぬことを決意したようでした。
直治はある洋画家の奥さんのことを好きになって忘れられなかったと、遺書の最後にはしたためられていました。直治はその奥さんの無垢な眼差しに惹かれ、その恋を諦めるために放蕩を繰り返しましたが、他の女を愛することはできませんでした。その奥さんの名はスガちゃんという名前でした。
遺書の結びには「僕は、貴族です。」と書かれていました。
その後、上原に捨てられたものの、望み通りに身籠ったかず子は、冬の山荘に一人で住み始めました。身籠った子供は、かず子が古い道徳を押しのけ、革命を行った結果でもありました。かず子は子供を育て、さらなる革命の完成のために生きていくことができると、上原に手紙を書きました。
その手紙の最後では、直治のために生まれてくる子供を上原の妻に抱かせ、「これは、直治が、或る女のひとに内緒に生ませた子ですの」と言わせてほしいと、かず子は頼みました。
管理人の感想
太宰治の作品には、『ヴィヨンの妻』、『おさん』など、したたかに生きる魅力的な女性を描いた作品が多々見られます。その中でもこの『斜陽』は、最も有名な作品でしょう。
冒頭におけるかず子は、どこかふわふわしたような印象を与える女性として書かれています。彼女は結婚していたにも関わらず、ある絵描きのことを「好きだ」と公言し、夫と喧嘩した拍子に「恋人がある」と嘘をついて離婚されます。
実家に戻ってからも、母親のことを心から心配して労わる反面、奉公に出されそうになると、「直治が帰ってくるから自分は邪魔者になるのだろう」と、思いがけない言葉を母にぶつけ、「行くところがあるから出て行く」と言って、激しく泣きます。さらには火事を出しそうになって村中に迷惑をかけたりと、母親を始め、様々な人に甘えながら生きています。
かず子自身は、母親のことを「最後の貴婦人」と思っているようですが、多くの想いが詰まっていただろう東京の家を捨て、身体は弱り、それでも気丈にふるまおうとする母親に比べると、むしろかず子の方が、貴族的な書かれ方をしているようにも思われます。
そんなかず子にも、常識の範疇を超える恐ろしいことをしでかす何かが、自分の中に潜んでいることを自覚しているようで、胸の中にいる醜い蛇が、美しい母親を食い殺してしまうのではないかと恐れています。
母親の闘病や直治の放蕩を経て、自分の中にある「何だかわからないが恐ろしくて醜い蛇のようなもの」が、恋と革命のために生きるということであると、かず子は自覚するようになります。ローザルクセンブルグの『経済学入門』を読んだことで、この著者が旧来の思想を片端から破壊していく勇気に興奮を覚え、哀れで悲しく美しい破壊、つまり革命を起こさなければならないと思うようになったこともその一因でしょう。
その後のかず子は、浅ましいともとれるような手紙を上原に送ったり、母親の死後は自ら上原を訪れたりと、以前の自発的とは言えない性格とは一転、かなり具体的な目標に突き進んでいくようです。
そして、上原の子供を身籠ることで、かず子の「革命」は成功します。しかしそれでもなお、シングルマザーとして子供を育てるために、さらなる革命を繰り返していこうという覚悟を持って生きていきます。
この「革命」とは、一般的な世間の常識とは異なった生き方をしていくというだけでなく、かず子自身の中にある貴族的な意識を、自分のやり方で変えていくという意味合いもあるように思えます。そのように生きようと決心してからのかず子の変化はとても早く、冒頭と結末におけるかず子からは、別人ではないかという印象すら感じます。
かず子は恋と革命に生き、それらを成就させて新しい命を身籠りました。それに対して直治は自分を変える(つまり革命を起こす)こともできず、恋を成就させることもできずに死んでいきました。このように考えると、二人の運命は対照的です。
また、直治の手紙に書かれている恋の相手というのは「遠回しに、ぼんやり、フィクションみたいにして教えて置きます」とあるので、誰なのかははっきりとはわかりません。
しかし、かず子が上原に宛てた最後の手紙で、生まれてくる子供を上原の妻に抱かせ、「これは、直治が、或る女のひとに内緒に生ませた子ですの」と言わせてほしいと頼んだということは、直治の恋の相手は上原の妻であったと、かず子は思っているということでしょうか。もし直治の恋の相手が上原の妻であったとすると、上原との子を身籠ったかず子と直治の運命はあまりに対照的です。
解釈は様々にできそうですが、直治が好きだったと思われる人に自分の子供を抱かせ、それを直治の子供と呼ぶことで、自分とは対照的な悲劇へと突き進んだ弟の想いを、かず子は少しでも成就させてあげようとしているのかもしれません。